地面には、喧騒の名残のように機械の残骸が、何も言わず転がっている。

「ドライ………。」

 ハインケルのその声は、静寂の中で必要以上に大きく響いた。その声にドライは振り返る。その身
体は青の体液を浴びて、濡れていた。その姿から目を逸らさずに尋ねる。別に今に限った事ではない
疑問だけれども。前々から訊きたいと思っていた質問は、今、最高潮に達して口をついて出た。

「君は何者なんだ?」

 あの戦い方――突如現れた黒刃。それ以上に、青の腕を飲み込んだ身体。全てが機械の域を越えて
いる。そしてそれを可能にしたのが、あの謎の―――

「ラグナロクとは何の事だ?」

 答えはなかった。
 それは予期していた。
 出会った当初から、彼は言っていたではないか。自分達にはアクセス権がない、と。それを初めて
聞いた時から、長い時間が経ったようにも感じるが、実のところ、あの時から一週間しか経っていな
い。その一週間で、自分がアクセス権を得る事が出来たとは、思えない。
 ――そこまで自惚れる事は出来ない。

「それなら、一つだけ、教えてくれ。答られなくても、構わない。」

 溜息混じりのハインケルの問い掛けに、ドライは片眉を上げる。

「何だ?」
「『心音の波』というのは、何なんだ?」

 ドライは、木漏れ日の如き光を灯した瞳にハインケルを映す。

「………知らない、か?」

 頷くと、だろうな、と呟きが返ってきた。

「ウイルス・プログラム『心音の波』。機械に擬似自我を与え、人間であるように振舞わせるウイル
スだ。作られた記憶も与えられる為、機械は矛盾を感じる事なくウイルス・プログラムを受け入れる。
だが、そのプログラムを製造できる人間は既に存在しない。そのプログラムも、全て大洪水の際に失
われている。」

 しかし、青や他のガーディアンが感染したウイルスは、それではないのか。

「………このシェルターの本来の意味は、人類の生存場所というだけではない。シェルターの心臓部
は、過去の情報を収める『倉庫』として作られた。それを支配する中枢機械は、全世界のネットと繋
がっている。その機械の中に、ウイルスのデータが保存されている。」

 その台詞に、ハインケルは棺に入った時に青の言った言葉を思い出す。
『過去の記憶の眠る場所』

「その機械の不備で、保存されているウイルス・データがネット上に流出した。」
「不備………?」
「不備というより、中枢自体がウイルスに侵された、と言った方が正しいか…………。」
「どういう事だ?」
「……中枢にウイルスを感染させた者がいるという事だ。」
「……ラング博士か?」

 一番考えられる人物の名を口にした。が、ドライは首を横に振る。

「大洪水後の後の人間が、一人でこの棺に入れたとは考えにくい……。ウイルスに侵されているとは
いえ、ガーディアン達もいるのだから。貴方も見ただろう。十四号機―青がパスワードを答える事を
拒否した事を。」
「…………。」

 ハインケルは、その時の記憶を再生し、苦い思いで頷く。青は、ウイルスに侵されているにも拘ら
 ず、パスワードを教える事を拒んだ。そこへプログラムとの矛盾が生じ、暴走という形をとってし
 まったが。
 そこで、ハインケルはふと思いつく。

「でも、それなら誰が核を設置したんだ?」

 ラング博士だと思っていたが、よく考えてみれば、心臓部に入れる人間自体が限られているのだ。
 おまけにガーディアンがいるとなると、誰が核を設置できるというのだ。

「それはラング博士だろう。」
「どうやって?」
「此処のパスワードを知っている者は、政府関係者以外にもいる。その人物は認識コードを持ってい
る。そのコードをコピーすれば、ガーディアンの攻撃対象から外れる。聖家族教会に保存されていた
核弾頭のデータ・ファイルをハッキングしたのも、その人物だ。」
「………?!」

 ハインケルは耳に飛び込んできた言葉に身を硬くし、ドライを凝視した。そして、ゆっくりと、先
程聞いた言葉を噛締めるように訊き返す。

「………聖家族教会に核弾頭のデータ・ファイルがあった?」

 今度はドライが硬直する番だった。彼らしくない、失態。しかしハインケルは、その突き崩れた防
御を見逃しはしなかった。

「ラング博士が聖家族教会にいたのはその為か?」

 しかし、ドライの言う人物とラング博士は別人のようだ。では―――。

「君の言う人物は、ラング博士の言っていた『あの方』か?その人物が、核弾頭を聖家族教会から核
弾頭のデータ・ファイルをハッキングした。それを基に核弾頭をラング博士が製造……設置。だが、
その人物はいつ核弾頭のデータをハッキングしたんだ?」
「………。」
「ドライ………言えないか?」

 いや、とドライは首を横に振る。

「八年前だ。」
「八年前?」

 八年前といえば―――

「………君は、核弾頭のデータ・ファイルがハッキングされたのを何故、知っている?」
「…………。」
「君は、フェレンツェを破壊した後、聖家族教会に行ったんだな?そして、核のデータがハッキング
されていたのを知った。……君は核弾頭のデータが、そこにある事を知っていたのか?知っていて…
……それで、どうしようとしたんだ?」
「…………。」

 答えは返ってこない。答えが返ってくるまで質問し続けようと、ハインケルは尋ねる。

「データをハッキングした人物が、此処の中枢コンピュータにウイルスを感染させたのか?」
「解からない。」

 質問し続けようと決心した直後の質問に、答えが返ってきた。―――答えとは言い難かったけれど。
そしてそれは、オール・オア・ナッシングで物事を判別する機械にはあるまじき回答であった。

「解からない?」
「核弾頭のデータ・ファイルがハッキングされた時、この中枢機構は既に自我を持っていたのかもし
れない。」

 だとすれば、とドライは目を伏せる。そして、コンマ数秒の思考の後に、口を開いた。

「ハインケル、貴方は正しい。」
「は?」

 突然自分を肯定され、ハインケルは、かなり間の抜けた声を上げた。そもそも何を肯定されたのだ。

「貴方は、ライミイが我々を導いているようだと言った。それは正しかった。彼女の―――いや、中
枢コンピュータ『電網の管理者』の目的は、我々だ。」
「電網の管理者?」
「この棺の全システムを統括する中枢コンピュータの名称だ。」
「………。」

 君は本当に何者なんだ、と答えの返ってくるはずのない問い掛けを無言で口にして、ハインケルは
全く別の事を口にする。

「我々、ではなくて君だけが目的だったんじゃないのか?」

 ハインケルを呼んでも意味がない。むしろ、直前までの不毛な会話から考えるに、謎めいたドライ
が目的だとしたほうが、物語としての結構性が満たされるだろう。しかし、ドライはそれに対しては
何も言わなかった。ただ、ぽつりと告げる。

「俺は行く。」
「行く?」

 何処へだ?
 むろん、心臓部だろう。最初から目的はそこだ。

「核を止めるつもりか?」
「核を作動させているのは『電網の支配者』だ。あのコンピュータは、インターネット・サーバーを
全て支配している。従って、それさえ止めてしまえば、全ての核弾頭のシステムは止まる。」
「………何故、そこまでして核を止めようとするんだ?」

 機械人形が、何故、そこまでする?
 本来、機械人形は定められた行動しかしない。兵器人形が赤ん坊の世話をする事はないし、介護用
人形が銃を持って戦前に赴く事はない。そして核弾頭を止めようとはしない。彼らは、定められた行
動を繰り返すだけだ。………暴走しない限りは。

「俺にはその義務がある。」
「義務?」

 ハインケルは眉を顰める。確か、ガーディアンと戦う前もそのような事を言っていた。義務とは責
任と共に成立する。核の発射に、ガーディアンのウイルス感染に、ドライはどのような形で関わって、
どのような責任を負っているのだ。
 ドライの手の中で、鎖のなる音がした。見ると、いつの間に現れたのか、金色に輝く掌ほどの大き
さの円盤が握られている。それを通している鎖が音を立てたのだ。それを手にしたまま、ドライはハ
インケルから視線を逸らし、化学研究施設の扉の前へ向かう。その後をハインケルは慌てて追う。何
故だか、置いて行かれそうな気がしたのだ。
 機械の残骸を背後にして向かった扉には、不思議な模様が描かれている。樹を抽象化しているのだ
ろうか。十個の小さな円が樹の上から下まで三列で続いている。左の列は三つの円が、中央は四つの
円が、そして右側の列には三つの円が、それぞれ並んでいる。それらは互いに線で結ばれている。ド
ライは、その列の一番左側の一番上に、手にしている円盤を置いた。余す事なく嵌め込まれた円盤が
小さく輝くと、その他の何も嵌められていない穴も、結ばれた線から光が伝わり、輝く。全ての穴に
輝きが行き渡ると、しゅっと空気の抜ける音がして、扉が左右に開いた。
 開かれた扉を見て、ドライはハインケルを振り返る事なく言った。

「貴方は、残るか?」

 言われた台詞にハインケルは眼を見開く。

「何を言って…?」
「此処から先にもガーディアンはいる。此処は『電網の支配者』の支配をもっとも受けている場所だ。
つまり、この 中のガーディアンがウイルスに感染している可能性は高い。先程見たように、此処の
ガーディアンの能力はドームのガーディアンとは比べ物にならない。」
「でも、君は行くんだろう?」

 俺は行かなくてはならない、と前を見たまま告げる。

「それが、解からない………。」

 ドライの白い背を見て、ハインケルは、その理由が解からないと言った。視線に映るドライの着衣
は裂けたままで、白い人工皮膚が露わになっている。その身体にはガーディアン達のつけた傷は、一
つとして残っていない。青が腹部につけたあの傷も、どういう仕業(しわざ)か消えてしまっている。

「君は、核弾頭解体専用人形ではないだろう?」

 ドライは振り返らない。白い項は動かない。
 やがて、彼は一切の抑揚を省いた声で言った。

「機械は人間の為に存在する。人間を傷つける機械は存在権利を剥奪される。そう人間が望んだから
だ。ならば、その為の機械がいてもおかしくないだろう。」

 俺はその為に存在している、と続けて。
 つまり、それは。
 ハインケルは、ドライからの言霊の意味する事に思い至る。
 機械の処刑人。
 あらゆる機械に、それらに人間を破壊する意志が灯った瞬間、それらの処刑を実行する存在。
 それ故に、機械の枠を踏み越えたのか。
 それ故に、何も語れないのか。
 ハインケルはドライの背を視線でなぞり、青の腕が突き出ていた部分で目を留めた。奇しくもそこ
は、ハインケルが一週間前、彼と出会った時に刀で貫いた部分と一致する。
 おもむろにハインケルは自分の黒い上着を脱いで、それを手にしたままドライの後ろに忍び寄る。
忍び寄ったところで彼の優秀なセンサをから逃れる事は出来ない。
 ドライが首だけで振り返る。その露わになった白い肩に、己の漆黒の上着をかけた。

「…………。」

 見上げる視線を一瞥して、ハインケルは、語る事を許されない処刑人の肩を押した。

「行こう。」