硬く告げられたドライの言葉。
 それは一体、何を意味する?
 この白い人形は、ラング博士とローズが同一人物だと言わなかったか?

「待て……。」

 聖家族教会で、あの、ドライと初めて出会った海底遺跡で。ハインケルが見た、今はもう泥の下に
消えてしまったっ確認できなかったあの遺体は、博士の懸念していた通り、ラング博士の物ではなか
ったと? 
 いや、それ以前にラング博士は男だった。そしてローズは―ハインケルはこんな時だというのにロ
ーズの身体の曲線をまじまじと見て――女性のはずである。
 ……そのはずだ。
 ハインケルの混乱を見て取ったのか、先程からハインケルを乱しに乱している張本人は、淡々と告
げた。

「男性の身体を女性のように見せる事は可能だ。」

 しかし、ラング博士はいい年をした大人である。無理があると思うのだが。

「……自分のクローン体を作り、薬物により指紋、声紋、角膜を変化。そして脳移植。その後、女性
ホルモンを投与。脳をスキャンしない限り、識別は不可能だろう。それも、過去に脳のスキャンを行
って、そのデータを保管しておかなくては出来ない。」
「……君は何故?」
「聖家族教会に滞在中、サイボーグを含めて出入りした人間は、全てスキャンしている。」
「…………。」

 思い出してみると、ラング博士の失踪とフィレンツェ襲撃事件――ローズがハインケル達の前に姿
を現した時期は、前後しているのだ。
 では、聖家族教会で見つかったあの遺体は何だったのか。
 八年前にラング博士が脳移植を行いローズに生まれ変わったのだとしたら、あの遺体は何処からや
ってきたのだ。確かに、ハインケルが発見した時は既に死後数日立っていたが、あの遺体が元の身体
だとしたら、八年と言う歳月を経たものではない。

「おそらく、その時期まで冷凍保存していたのだろう。そして、連邦の調査が入る時期に取り出し、
放置しておいた。同じ連邦の職員だ。それくらいの情報は手に入れる事は容易だろう。」

 だが、と、ドライは銃を掲げて――気のせいか強い口調で――訊いた。

「お前に、細胞成長速度のコントロール技術を伝えたのは誰だ?」

 クローンといっても、それの成長速度は普通の生物と変わらない。脳移植が出来る状態まで成長さ
せる時間が必要だ。それほど以前からこの事を計画していたのか。それ以外に考えられるのが、ドラ
イの言った、細胞成長速度のコントロールである。つまり、脳移植可能年齢まで加速成長させるのだ。
しかし、この技術は何処にも存在していない。
 ローズ――ラング博士というべきか――は、ドライの台詞に口元に笑みを浮かべただけだった。

「さすがはSJシリーズ。あの方がお作りだけになっただけの事はある。」

 その声には敬うような響きすらあり、そしてその口調は、まるでドライの製作者を知っているかの
ようだ。

「一体………。」

 ハインケルは口を開閉させて質問すべき事を探す。質問すべき事は山のようにあるが、何から質問
すべきなのか見当がつかない。

「何の為に、そこまで………?」

 結局、無難な質問をぶつける。しかし、最も訊きたい事でもある。何の為にクローン体に脳を移植
し、そして十三課に潜入したのか。

「核弾頭についても、君――お前がやった事なのか?」

 そしてそれも、何の為に?
 すると、彼女――いや彼か――は、哀れむような眼差しをハインケルに投げつける。

「君達のような者に理解できるかな?」
「………まさか、世界征服なんて事言うんじゃないだろうな?」

 言ってはみるが、自分の言った台詞が間違いである事は、何故か本能的に感じる事が出来た。むし
ろ、もっと禍々しく奇妙な臭いを嗅ぎ取る。

「所詮、その程度の事しか思いつかないか…。」

 髪をかき上げながら、ラング博士は鼻先で笑う。そして、厳かに告げた。
 
「我々の目的は、神々の創造主の完全なる復活。」

 その口調は厳かで恭しかったが、ハインケルが嗅ぎ取った禍々しさを充分に孕んでいる。

「全ては、始まりである『あの方』の為に。」

『あの方』
 先程から、崇めるように声に出されているその言葉。それが指し示すのは一体―――

「それは一体誰なんだ?」

 ハインケルは、一瞬のうちにラング博士を切り裂く事の出来るように刀を腰に引きつけ、柄を握り
締めて訊く。しかし、ラング博士はそんなもの眼に入らぬかのように、謡うように言った。

「魂の狩人、ラグナロク、神。それらをお作りになった方。」
「…………? 」

 初めて聞く言葉の羅列に、ハインケルは眉を顰める。そんなハインケルに、ラング博士はやはり鼻
先で笑うだけで。そして視線をドライに向けて、手を胸に当ててこの上なく上品に一礼する。それが
退出を意味する事は、はっきりと見て取れた。

「では、私の役目はこれで終わりだ。失礼させていただく。」
「待て!」

 逃がすわけにはいかなかった。音速に迫る勢いで刀を抜き払う。
 が。

「残念だが、君達の相手は私ではない。」

 静かな台詞に重なって、歪な足音がハインケルの耳朶を打ち、手にした刀はラング博士の顔にひび
を入れる直前で硬直した。
 何、という問いは愚問と言ってよかった。その軋んだ足音が意味するものは一つしかない。ハイン
ケルの最もよく知った音だ。
 シェルターを警護する対侵入者用自律機械――ガーディアンが、こんな時になって動き出したのだ
ろう。監視カメラに自分達の姿が捉えられたのかもしれない。
 ハインケルは舌打ちして足音との距離を見極めようとする。よりによってタイミングが悪すぎる。
此処まで整備された場所のガーディアンだ。生半可なものではないだろう。ラング博士を相手にしな
がら倒せるような代物ではないはずだ。幸い、ドライの銃口がラング博士を捉えている。ドライがラ
ング博士を牽制している間に、ガーディアンを破壊するのが無難な選択だろう。
 薄い陰の出来た路地から歪んだ足音が踏み出した。それをハインケルは抜刀の構えのまま待ち伏せ
る。全体の姿が出るのを待ち、その形を見極めようとする。薄陰の中に落とされたそれは、決して大
きくはなかった。ちょうど、人間の大人と同じくらいの背丈だ。

「彼らは数百年の間、この場所を守り続けていてね………。」

 ビルの陰からまず最初に光の中に出てきたの足だった。それを見ているラング博士の声は切なさに
満ちていたが、同時に嗤笑を含んでいる。 

「彼らは神々から受けた命令を、素直に今でも守り続けている。」

 次にマシンガンを握り締めた手が。それから逸れたラング博士の視線は、ドライを射抜いている。
まるで、ドライがその命令を下したのであるかのように。それに対するドライは如何なる表情も浮か
べず、銃を掲げ、ラング博士を捕らえている。しかし、その銃口すらラング博士は見えていないよう
だ。
 ハインケルはラング博士の声を背に、徐々に姿を現すガーディアンを待っている。その時間は、決
して長くはない。むしろ、一瞬の時間とも言えるほど短い。
 光のあたる部分は、手から胴体へと確実に増えていく。その姿は、ハインケルが思い描いていた機
械めいた物ではなく、人の形をかたどっていた。ただ、腹部から時折、血のように火花を散らしてい
る。
 最後に、顔に光が当たった。
 薄汚れた着衣。恐怖の張り付いた顔。そして―――

「やめろ……動くな……動かないでくれ………。」

 必死になって自分の身体を牽制しようとする、震える声。
 それら全てを突きつけられ、ハインケルは愕然とした。
 
「―――青?!」

 先程、ドライの銃弾を受けて倒れたはずの青が、軋みながら立っていた。
 彼が生きていた事に安心するよりも、ドライが禁則事項に反していないという事実よりも、ドライ
が裏切っていないという事を喜ぶよりも、火花と共に突きつけられた事実は大きい。
 ハインケルの驚愕を楽しむかのように、ラング博士はもったいぶった口調で言う。

「彼―――彼だけではなく、此処を住居としている未登録住人は全員、この『棺』を守る為のガーディ
アンなのだよ。この『棺』に眠る『支配者』を守る為に『神々』がお作りになられた。」

 ラング博士の台詞の間にも、青は、ハインケルが最後に見た時のまま、驚愕と恐怖を顔に張り付か
せて身体を引きずるようにして近付いてくる。

「彼らは『支配者』によって擬似的に自我が与えられていてね。その自我が、君の言う『青』なのだ
よ。従って、本来の役目を突きつけられた時、このように人工知能に混乱をきたす………。」
「何故?!」

 『支配者』とやらは何故そんな事をする?
 自分を守るガーディアンを混乱させてどうするのだ?

「それはもちろん、『神々』をお呼びになる為に。」
「神、だと?」 

 ハインケルが、その言葉を吟味するかのように口の中で繰り返した時、ドライの銃が血を渇望する
咆哮を上げた。まるで、これ以上の会話は不要だ、と言うかのように。
 だが、ドライの持つ大型拳銃の吐き出した銃弾がラング博士の喉笛を喰いちぎる事はなかった。雷
鳴の如き音を発しながら銃口を飛び出した弾丸は、狙いを過たずラング博士の眉間をその軌道上に捕
らえている。しかし、その頭蓋を弾けさせようとした瞬間―――

「………!」

 咄嗟にドライは身を屈めた。その頭上を、彼自身が放った死神の鎌が掠め去り、彼の背後にあった
ビルの壁にクレーターを穿った。 

「君には私の相手などしている暇はないはずだ。君は彼らに対して責任があるのだから。」
 
 ラング博士はドライを見て優しく言った。ドライはそれに向かって再度銃口を向けようとするが、
次の瞬間には身を翻してハインケルを突き飛ばしている。青の持つマシンガンの装填音を聴覚センサ
に捉えたのだ。地面に身体を到達させたハインケルとドライの上を、直径十ミリの鉄槌が通り過ぎて
いく。
 その隙に、ラング博士は暇を告げている。その身体は、どういう仕業か、空を無くした『棺』の空
中に笑みを湛えて浮かんでいる。
 絶える事の無いマシンガンの咆哮の中、ドライは身体を仰向けに反転させ、銃を握り締めて宙に浮
かぶラング博士の上品な笑顔を見上げる。今、銃を撃っても、先程のように跳ね返されるだけだろう。
おそらくラング博士の身体には、何らかのシールド――強電磁場だろうか――が張られている。それ
は、強装弾といえども突破できない。
 その考えを一瞬にして弾き出したのか、一秒と経つ前にドライの衣服――微粒子の結合体であるそ
れが、あたかも生き物のように動いた。大きく空気を孕んだかのように見えたそれは、凄まじい勢い
で天井に手を伸ばした。向かう先にはラング博士がいる。肉薄するそれに、ラング博士の顔からよう
やく笑みが消えた。鎌首をもたげるように、白く輝く布は回転し、シールドを切り裂く。
 ラング博士の身体が大きく揺らいだ。その顔は顰められてさえいる。そしてその両腕は、鋭利な刃
で切り落とされたかのような切り口を見せて切断されている。

「………天の羽衣。SJシリーズの標準装備だったな。油断していたよ。」

 再び襲い掛かろうと隙を窺う白い布を見て、ラング博士は苦い笑みを浮かべる。切断された両腕か
らは、一滴の血も出ていない。

「さすがです、ドライ。聖家族教会ではお会いする事が出来なかったので、今回お会いできて光栄で
した。審判の鐘が鳴り響く前――狼が鎖から解き放たれる前に、もう一度お目にかかりましょう。」

 恭しくそう告げると、ラング博士の姿は、何も無い宙に溶け込むようにして消えた。その残影を追
って白い布が交差するが、何も掴めぬまま、ドライの元に戻ってくる。その時には既にドライはマシ
ンガンの咆哮の中に立ち上がっており、地面に押し倒されたままのハインケルの腕を引く。

「来い!」

 引き摺り立たされて、そのままマシンガンから吐き出され続ける弾丸を避けるべく、ビルの陰へ滑
り込む。

「待ってくれ!」

 青の引き攣った声が背を打った。勝手に動く身体をどうにかして欲しいのだろう。助けを求める声
は、腹部から流れる火花を忘れるほどに切実だった。しかし、それ以上にドライの力のほうが強かっ
た。