人類共同連邦日本支部の中枢統括室の中では、コンピュータのモニタの光によって生じた幾つもの陰
が、慌しく動いていた。何列も並べられた机の上にはコンピュータが整列しており、それら一つずつ
の前には役員が、やはり慌しく何かの確認を取っている。それらを見下ろすかたちで、一際巨大なモ
ニタが壁に埋め込まれている。モニタには世界地図――海底地図と地上地図の二つが上下に並んで、
その中に赤い点が灯っている。それが人類の生活圏――ドームとエリアを示している事は、想像に難
くない。だが、この場所を含むトキオ・ドームから、中国大陸を越えた先、インドのニュー・デリー・
ドームに向かう点曲線は何を表しているのか。

『博士、そちらの状況はどうなっている?』

 巨大モニタの真下、小さなコンピュータのディスプレイには、ヴィンセントの顔が映っている。そ
の前に座った博士は、後ろにミヤビを従えて、ポーカー・フェイスを作る。

「トキオ・ドームの全体のシステムとリンクしている中枢部――コアの解析によりますと、間違いな
く、旧東京湾に位置するシェルターの核弾頭が発射体勢に入っています。到達地点はインドのニュー・
デリー。発射時刻は午後十時。今から約二時間後です。ですが、おそらくインドには到達しないでしょ
う。」

 そう。おそらく核弾頭はトキオ・ドームの地下で爆破する。仮にインドに到達しても、その前にトキ
オ・ドームを破壊していくだろう。

『防ぐ手立ては?』
「コアを通じてのこちらからのアクセスは完全に封鎖されています。そして、この核弾頭のシステム
はイギリスの核とリンクしているようです。が、仮にロンドン・ドームのコアから介入したとしても、
そこからのアクセスも封鎖されているでしょう。シェルター内部から操作するしかないかと。」

 ドームのコア同士は、ネット上で互いにリンクしている。むろん、他国が介入できないようにパス
ワードで制御されているが。
 ヴィンセントは豪奢な金髪をかき上げ、ことさら表情を消して訊いた。

『可能なのか?』

 シェルターに行くまでには時間がかかる。その上、核を処理するだけの時間があるどうか。

「今からシェルターへ行くのは不可能です。時間が圧倒的にない。それに、午前中に起きた大規模な
人形の暴走の為、道路のあちこちが封鎖されています。」

 政府の知るシェルターへの入口に辿り着くのは、難しいだろう。

『万策尽きた…という事か。』

 ヴィンセントの声からは、何の感情も読み取る事が出来ない。そしてそのままの声で、素っ気無く
告げる。

『博士。』
「何か?」
『帰還命令だ。今すぐ本部に戻ってこい。ハインケル、ローズ、ミヤビにも同様の命令を出す。』

 その言葉にミヤビが眼を見開き、博士の顔を慌てて見る。
 博士はしばらくの間、モニタに映る上司の顔を見つめる。自分より年下の彼女の顔は、いっそ幼い
とさえ言えるが、決然としている。
 博士はやおらパイプを取り出すと、火もつけずに口元に当てる。そして言った。

「申し訳ありませんが、いかに司令官の命令といえども、それは出来ませんね。」

 ほう、とヴィンセントは眼を細める。

『司令官の命令に逆らうか………。』
「司令官、貴女が僕の立場であっても、同じ事を言うでしょう。」

 博士は口元に笑みを浮かべて上司を見る。

「我々が此処から逃げ出す事は、人類共同連邦の不信に繋がります。従って我々は、我々だけは最後
まで此処に残らなくてはならない。」

 今度はヴィンセントが微笑む番だった。その笑顔に博士は少し決まり悪げに、それに、と続ける。

「我が不肖の弟子が行方不明なのです。ドライ君と一緒に行方をくらませましてね。ドライ君は一人
でもやっていけるでしょうけど、ハインケルの方は潜水艦もろくに扱えませんからね。此処に残して
おいても、一人で戻ってくる事すら出来ないでしょう。それに、ローズ君も二人を追いかけて何処か
へ行ってしまいましたし。」

 お解かりでしょう、と博士は嘆かわしげな身振りで言った。

「今戻っても、僕達は貴女の命令の半分しか達成できないのですよ。」

 半分がいませんからね、と付け加えて。
 くくっとヴィンセントは声を上げて笑う。

『いいだろう。帰ってきたら命令違反で始末書を書かせてやる…………武運を祈る。』

 ふつりと画像が途絶える。
 やれやれ、と博士はミヤビを振り返る。

「そういうわけでいいかね?」

 ミヤビは頷く。

「しかしねぇ。ハインケルに加えてローズ君まで行方不明か。ややこしい事になったねぇ。」

 この忙しい時に何処をほっつき歩いてるんだか、と愚痴を言う博士に、ミヤビは言う。

「ハインケルとドライは、暴走してる人形の生き残りを追いかけて、ローズはその二人を追いかけた。
ハインケルはともかく、ローズの行動には問題がありますよね〜。」
「ドライ君も人形を追いかけたっていう事も原因だろうけどね。でも、そろいもそろって連絡をして
こないっていうのはどういう事なんだろうね。」
「ハインケルは通信機器を持ってなかったみたいですよ。」

 ホテルに置きっ放しにしてありました、と言う言葉を受け、博士は大仰に溜息を吐く。

「困った子だ。」

 しかし、と博士は呟く。

「この話はローズ君がいないほうがいいのかもしれない。」

 どの話ですか、と尋ねるミヤビをちらりと見て、博士は顎に手やって、考えるポーズをとる。

「ミヤビ君、君はドライ君が人形と戦っているのを見たんだったね。」
「見ましたよ。ずばっずばって、強かった〜。」

 ドライの武器は大型拳銃だったからその擬音語は違っている気がしたが、そこには敢えて触れず、
博士は質問を続ける。

「その時、何かおかしな事がなかったかい?」
「おかしな事?」

 ミヤビが首を、肩に届くまで傾げる。

「別に………普段がどんなのか知りませんけど、いたって真面目そうでしたけど。」
「いや、ドライ君のほうじゃない。人形のほうだ。」

 その言葉に、ミヤビは怪訝そうな顔をする。

「暴走してるんだから、異常なのは当然だと思いますけど。」
「そうじゃなくて……何か……そうだね、ただ暴走して暴れるんじゃなくて………。今までの事例と
違う事がなかったかい?例えば、ドライ君だけを攻撃したりとか、ドライ君を狙ったり、とか。」
「………いいえ。」

 でも、とミヤビは続ける。

「歌を歌ってましたよ。」
「歌………?」
「ええ。急に歌い始めたんです。でも、ドライが来る前には歌ってたし。」
「そうか………。」

 そう言って、博士は考えるポーズのまま固まってしまった。

「博士………?」
 しかし、博士は硬直している。そこでミヤビは博士を高速で揺さぶる。

「うっ……止めてくれないかね………。」

 凄まじい勢いで揺さぶられて三半規管に異常をきたした博士は、乗り物酔いと同じ症状を示した。
そんな博士を見上げて、ミヤビは尋ねる。

「一体、何の話をしているんです?ドライに何かあるんですか?」
「うん……実はね、人形達―人形達を暴走させている者の狙いはもしかしたら―――。」

 その時、モニタに新しい光が灯った。

「何………?」

 振り仰いだモニタ上に輝く幾つもの点。それらがトキオ・ドームとニュー・デリー・ドームと同じ
く、点曲線で結ばれた。その点線は、次々と結ばれ、一本の輪が出来る。ワシントン・ドームはモス
クワ・ドームに。モスクワ・ドームはペキン・ドームに。ペキン・ドームはパリ・ドームに。パリ・
ドームはロンドン・ドームに………。

「これは………。」

 博士の声が震えていたような気がしたのは、気のせいではないだろう。コンピュータの前に座って
いた役人が、一際大きな声で告げた。

「各国の核弾頭が、発射体勢に入りました!全て、同じシステムでリンクされています!システムは、
トキオ、及びロンドン・ドームの核弾頭と同じです!システムへのアクセスは、完全に塞がれていま
す!」

 その言葉を受けて博士の顔は一気に表情を失う。つまり、と、吐き捨てた博士の声は、何処か苦々
しかった。

「核を発見したにも拘らず、報告していない国がこれだけあった、という事か。」