ささやかながらも、きちんとした夕食を食べた後、ハインケルは自分の連れの待つ部屋に戻った。
 台所では、まだ青と子供がいて何かしていたが、その中にハインケルは入ろうとしなかった。そい
うよりも入り方をしらないのだ。
 兄と妹を尻目に、何処か悄然として宛がわれた部屋に辿り着くと、やはり自分の連れは置物のよう
に佇んで、窓の外を見ていた。その姿を見て何故だか安心して、ハインケルは苦笑する。
 おかしなものだ。
 大洪水の際、世界経済は破綻した。その煽りを受けて家庭の経済は行き詰まり、それ故、子供を棄
てる事が日常化したのである。そうでもしなくては大人ですら生き残る事は難しかったと言われてい
る。
 そしてその名残は今だ消えない。
 経済は回復したと言っても、人間の住み分けが起きている。ドームとエリア――金持ちか、そうで
ないか。どちらに住んでも金は掛かる。ぎりぎりの生命線を生き抜く為、子供は棄てられる。孤児は
絶えない。そういった子供――捨て子や虐待から保護された子供――は、公共の児童保護施設に入り、
そこで生活の術を学び、IDを与えられる。そうする事で、消されかけた子供達は、居ない筈の存在
 ――未登録住人と区別されるのだ。それ以外に未登録住人と区別する術は無い。
 ―――いや。
 ハインケルは、兄妹の時間を楽しむ二人の姿を思い返す。
 明確な区別が、今はっきりと見える。
 家族の有無だ。
 むろん家族のいない未登録住人もいるだろうが、今、ハインケルの知る未登録住人は、二人っきり
とはいえ家族がいるのだ。ハインケルの持っていない物を、彼らは生まれながらにして持っているの
だ。彼らはIDカードを持っていないが、それも人権保護団体が叫び続ければいつか持てる日が来る
かもしれない。しかし、家族だけはどれだれ声高に叫び求めても手に入れる事は出来ない。
 孤児であるハインケルにとって、IDカードとか未登録住人とか、余所者とかそういう事以前に、
青とその妹の間に入る術がない。
 ―――居心地のよさと居心地の悪さが同居している。
 そんな気分が、夕食の間中していたのだ。 
 だからだろうか。同じで境遇であるドライを見て安心してしまう。機械人形を見て、だ。
 ドライにも家族はない。中枢演算機構に人間の脳が使われているが、その人間の脳の出所は、おそ
らくクローンだろう。そして彼以外に九体の兄弟機がいるが、それを家族と言えるかどうか。仮に家
族と言えても、それらの存在は現在不明だ。
 天涯孤独。
 今のドライは、まさにその言葉が当て嵌まる。  
 ハインケルは自分の考えのおかしさに苦笑しながら、ベッドに腰を下ろした。
 好意で与えられたベッドはドライの分もある。青はドライを人間だと思っているようだが、ドライ
はそれに腰掛ける事すらしていない。
 ハインケルはドライの白い姿を見る。ライミイの位置を走査しているのだろうか、ぴくりとも動か
ない。

「君はエネルギー補給しないのか?」

 微動だにしないドライに尋ねる。
 博士は、ドライには人工臓器が備え付けられており、食物からのエネルギー摂取が可能だと言って
いた。しかしハインケルは、ドライが何かを食べている場面に遭遇した事がない。いや、それ以前に、
エネルギー補給らしき事をしているところも見た事がない。

「生体部位への栄養補給ならば、以前に済ませたが。」

 それは知っている。
 ドライの生体部位――脳への栄養補給は、トキオ・ドームに向かう前に済ませているのを見た。生
体部位への栄養補給は一ヶ月に程度でよいらしい。首筋にある、接続孔とはまた別の補給孔に、注射
器で必要なサプリメントだけを注入するのだ。
 しかし機体部分へのエネルギーはどうしているのだ。生体部位とはまた別だろう。そう言うと、ド
ライはハインケルを見て短く告げた。

「問題ない。」
「おい………。」
「俺自身のエネルギー補給に関しては、俺のほうが貴方より熟知している。貴方が口出しすべき事で
 はない。」

 つまり自分は役に立たないという事か。
 間違ってはいないが、憮然とすると同時に、なんとなく腹が立つ。
 文句を探しながら口を開いた時、ドライの項が白い髪に隠された。上を向いたのだ。先程からずっ
と外を見ていたが、何かあるのだろうか。
 隣に近付き、同じように窓の外を見てみる。
 そこには夜の繁華街を遠くから眺めたような景観が、あるいはドームを潜水艦に乗って遠くから見
たような風景が広がっていた。しかしそれらとは規模が全く違う。そんな、銀河の一つだけでは足り
ない。それとも、世界中にあるドームや繁華街を集め、遠くから眺めたならば、これと同じ風景が見
えるだろうか。
 此処に在るのは小さな銀河などではない。
 夜のエリアと同じ風景だ。
 ―――星。
 天井を覆い尽くすほどの数の星が散りばめられている。そして、無数の輝きを押し隠すような輝き
が一つ。おそらく月だろう。
 しかし、その完璧な星夜が、下から切り取られている。
 じわりじわりと、星空に取って代わろうとしているのは、退廃したような黒だ。荒廃した薄暗い闇
が、侵食している。眼を凝らしているうちに、それは広がり続ける。

「なんだ?」

 ハインケルは侵食する闇から眼が離せない。側にいるドライが呟いた。

「壁が全開錠した。」

 シェルターを覆う壁が上がったのだ。
 
「何故…?」

 普段は壁全体を上げる事はない、と青は言っていた筈だ。それが何故開く?
 表の道路に人が次々と飛び出していく。そして徐々に言葉が飛び交い始める。最初は小さかったそ
れは、数分と経たないうちに波のようなうねりに変わっている。その中から聞こえる驚愕と不安は、
今起きている状況が彼らの予期せざるものである事を明確に語っていた。
 その中に青の声を捕らえ、ハインケルはドアに駆け寄りドアを開き、そして階段の下で何事か怒鳴
っている青を見つけた。

「青!」

 ハインケルは階段の上から青を呼んだ。青が振り返る。
 階段を駆け下りながら、ハインケルは尋ねた。

「一体どうしたんだ?何故、壁が持ち上がった?」
「俺にも解からねぇよ。」

 青の声には苛立ちが篭もっている。彼の足元には、妹が怯えた顔で縋りついたいた。

「普通は、門しか開かねぇんだ。俺らは、壁全体が持ち上がる事は知ってるけど、実際に持ち上がっ
 たとこなんて見た事がねぇ。」
「誰かが、開いたんじゃないのか?」
「そりゃそうだろ。それ以外に考えられねぇからな。でも理由が解からん。一番考えられるのは、政
 府の奴らと取引したって事だ。でも、何を取引するんだ?IDカードか?でも俺らにはそんなもん
 は必要ない。」

 確かにそうだ。
 限りなく過去の世界に近い風景。完備してある食料。充実した設備。
 何を地上に求める?
 その時、ハインケルを追って部屋から出てきたドライが口を開いた。

「壁の制御装置は心臓部にあるのだろう?」

 突然口出しされたからか、青は驚いたようにドライを見た。だが、直ぐに頷く。

「ああ。心臓部の核燃料保存室の近くの部屋にある。あの辺りには、壁以外の棺の制御装置もあるん
 だ。その辺りのパスワードは全部持ってる。」

 それなら、そこへ行くべきなのだろう。そこへ行けば、取り合えず壁を下ろす事が出来る。
 そう言うと、青も、解かっている、と頷く。そして彼は跪き、傍らに佇む子供と目線を合わせ、ハ
インケルには解からない言葉で何か言った。子供は少し泣きそうな顔をしたが、青が更に何か言うと
大きく頷き、青にしがみついた。
青もその身体を抱きしめ、優しく背を叩いてから身体を離す。そして立ち上がる。

「俺は心臓部へ行ってくる。お前らは………。」
「我々もそこへ行く。」

 青の言葉を遮って、ドライがきっぱりと言った。ハインケルは眼を見開いてドライを見る。ドライ
がこれほどまでにはっきりと自己主張した事があっただろうか。
 ドライはハインケルの視線を受けて答える。

「我々の標的である人形が、そこにいる。」

 ハインケルは言葉を失う。
 ライミイが此処へ来ている。
 一体いつ入ってきて、そこへ行ったのだ?

「先程、心臓部のセンサ妨害がなくなった。心臓部に動体反応を感知した。形状、行動パターンから、
 おそらく我々の標的である人形だ。」
「いつ入ってきたんだ?壁が上がってからか?」
「いや。それまでセンサに感知できなかった。それに壁が上がってから七百三十八秒しか経過してい
 ない。その時間で壁から心臓部に行くのは、あの人形のスペックでは不可能だ。それらの事を踏ま
 えると、おそらく心臓部にある別の入口から入ってきたのだろう。」
「他の入口か………。」

 ハインケルは問い掛けるように青を見るが、青は首を振る。

「何度も言うけど、心臓部は俺らにもよく解からねぇんだ。」

 それに、と彼は続ける。

「人形がいようがいまいが、そこに行くしかねぇだろ。」

 その通りだ。
 目下のところ、それ以外にするべき事はない。
 行こう、と青を促して外へ出ると、先程まであった星空は完全に消え失せ、壁の外にある薄暗い光
が覗いている。その状況に、未登録住人達が右往左往している。壁が上がるというのは、天変地異に
も勝る緊急事態らしい。
 その中の一人が、おろおろとして青に話しかけてきた。

「青、一体どうしたっていうんだ?」

 壮年の男は悲壮感を顔いっぱいに浮かべている。それに対して青は、ややぶっきら棒に答える。

「わからねぇよ。けど一応、壁だけは下ろしに行く。家にあいつを残してるから、面倒見といてやっ
 てくれ。」
「あ………ああ。」

 あいつ、とは妹の事だろう。男は頷き、走り去る青を不安そうに見送る。
 平穏な空を奪われた夜の中を、三つの影はひた走った。舗装された道路を駆け抜け、メイン・スト
リートを目指す。青の家はどちらかと言うと壁の近くにあるため、心臓部と呼ばれる科学研究施設ま
で貫くメイン・ストリートまで行くのにも時間が掛かる。
 時折、数人の未登録住人に出会った。彼らは口々に不安の言葉を述べて、不安そうに青を見送る。
 そんな未登録住人も見当たらなくなった時、急に周囲が真昼並の明るさに―――いやそれ以上の明
かりが灯った。
 しかし空は青くもなく、雲に閉ざされてもいない。太陽の欠片すら見えない。ただ、味も素っ気も
ない白い天井に塗られた蛍光塗料が、白々しく光っている。
 空を奪われたシェルターは、のっぺりとした空間にビルや木が立ち並んでる。
 もし俯瞰したとしたなら、今この場所は巨大な箱庭に見えるだろう。
 突然の周囲の変貌に、ハインケルは思わず足を止める。同じく青も。その人間二人に倣うかのよう
に、ドライも足を止めた。
 直後、何処からか掠れた歌声が響き始めた。箱庭の中を、その歌声は漂っていく。スピーカーが設
置されているのだろうか。歌声はあらゆる場所に留まり、流転して、解けていく。
 その声をハインケルは知っている。
 
「ライミイ………。」

 不意に歌声が止んだ。
 ハインケルは息を呑む。
 そして、滑らかな女性の声――ライミイの声が恭しく、棺の中全体に流れ出た。

『日本第七番シェルター科学研究所、核燃料保存庫1105室、核開発部の管理コードに基づき、製
 造番号5694核弾頭を発射段階に移行します。発射角度、方向、ロック・オン。発射時刻を二時
 間後に設定。カウント開始………』

 その場にいた全員が、伝えられた内容に絶句した。

「核が、発射される………?」

 何処へ?
 発射しても此処は地下だ。地上に突き抜けても標的に届く前に爆破してしまうだろう。
 だが、次の瞬間思い至った考えに、ハインケルは凍りつく。
 そう。核弾頭はおそらくトキオ・ドーム近辺で爆破する。地上に辿り着かず地下で爆破するか、地
面を突き破ってトキオ・ドームで爆破するか、それともドームまで破って海中で爆破するか。いずれ
にせよ、結果は最悪だ。
 トキオ・ドームは、壊滅する。

「………そんな簡単に核は発射出来るものなのか?」

 重厚にロックされているべきではないのか。それとも設置した人物が手を抜いたのか。まさか、こ
うなる事を予測していたのか。

「シェルター内を統括する中枢コンピュータとリンクすれば、ロックの解除は容易だ。」

 静かにドライが告げた。
 しかし、その中枢コンピュータに簡単にリンクできるものなのか。そう言うと、ドライも口を噤ん
だ。代わりに青が口を開いた。

「核は多分、此処で爆破する。此処の天井も核に耐えられるから、突き破る事は出来ない。でも、壁
 が開いている以上、爆撃は抑えられずに地上に到達する。地上は壊滅する。」

 絶対的に安全な場所はない。
 ハインケルは立ち尽くす。
 博士がいれば、何か適切な助言をしてくれたかもしれない。しかし現に此処にいるのは博士ではな
い。核の止め方など、ハインケルには見当も付かない。むしろ、下手に弄って爆破を早める可能性の
ほうが高い。
 太陽光線の代わりに絶望が降り注ぐ箱庭の中に、ライミイの歌声が再びたゆたい始めた。

「貴方はシェルターから出ろ。」

 ライミイの掠れた歌声をバックに、ドライが静かに言った。弾かれたようにハインケルはドライを
見て、その言葉の意味を図ろうとする。しかし、ドライはハインケルの視線を受け流して続ける。

「壁は俺が下ろす。このシェルターは本来、核に対する為の物だ。壁さえ下ろせば、爆撃は防げる。
 トキオ・ドームの壊滅は免れる。貴方は安全圏への後退を。」

 希望の言葉を告げるには、ドライの声はあまりに淡々とし過ぎているが、間違いなくその言葉は希
望だ。確かに、青はこの壁は核にも耐えうると言っていた。そして、先程は天井も突き破る事は出来
ないと。
 だが、とハインケルは壁を下ろした後の事を考える。

「君はどうなるんだ?」

 壁を下ろすという事は、畢竟、壁の中に閉じ込められるという事になる。門を開くにはパスワード
が必要なのだ。仮にドライが門まで戻ってきてから、門を外から開けるにしても、ドライが帰ってき
た事をどうやって知ればいい?
 それに、と思い出す。核の設置されている場所――心臓部に入るのにもパスワードがいる。ドライ
一人では心臓部に入れない。しかも、心臓部の中を歩き回るにしても、やはりパスワードは必要だろ
う。
 思って青を見ると、青も頷く。
 
「此処はパスワードで管理されてる。心臓部は特にな。俺らの持つパスワードがないと入る事すらで
 きねぇよ。」
「パスワードがないと無理、か。」

 そう言って、ハインケルは、はたと思いつく。
 パスワードを知っている人間が此処にいるのに、何を考える必要がある?

「………君がパスワードを教えてくれればいいんじゃないのか?」

 その台詞に、青の眼が大きく見開いた。まるで、前代未聞だと言わんばかりに。しかし、ハインケ
ルはそれに気づかない。

「パスワードさえ教えてくれれば、ドライが心臓部に入って壁を下ろし、帰ってくる時も彼一人で門
 を開く事が出来る。」

 自分達はその間に、他の未登録住人を棺の外に避難させる。そうすれば被害は『憂いの棺』の内部
だけに留める事が出来る。そして、ドライが棺の中に閉じ込められ、犠牲になる必要はない。
 が、その考えは青に遮られた。

「駄目だ!」

 拒否は、予期せぬほど大きかった。

「ふざけんな!教えられるわけがねぇだろ!」

 炎を噴出しそうな勢いで青が叫んだ。あまりの剣幕に、ハインケルは唖然とする。間違いなく自分
は彼らの忌諱に触れたらしい。パスワードとは彼らにとって、神にも等しいものなのかもしれない。 
 しかし、今はそんな事を言っている場合ではない。

「君がドライと一緒に行くわけにはいかないだろう。君には他の住人の避難誘導をしてもらわないと
 ………。」
「うるせぇ!」

 まるで、頑是無い子供のような青の態度に、ハインケルは苛立つ。何故、これほどまでに頑ななの
かが解からない。
 しかし、青は言い募る。

「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!」

 声は、絶叫に近かった。
 それに重なるようにして、ドライが鋭く叫んだ。

「ハインケル、避けろ!」

 何を、と聞く暇もなく、眼前に黒々と開いた銃口を見た瞬間、身体は反応している。その直後、銃
声が轟き、ハインケルの髪が数本、宙を舞った。

「青?!」

 銃弾が顔を掠めた衝撃に耐えながら、ハインケルは、唐突に銃を向けてきた男の名を、疑問を含ま
せて呼んだ。

「一体…。」

 答えるのは銃声のみで。
 しかし青を見ると、その顔が引き攣っている。まるで、自分のしている事が解からない、というよ
うな表情だ。その表情のまま、撃ちつくした自動拳銃を捨て、腰のマシンガンに手を伸ばす。そして、
よく訓練された動きで引き金を引く。
 本来ならば刀を抜いて応戦するところなのだが、青の表情と行動に、あまりにも差が出ており、刀
を抜く事に躊躇いがあった。しかしそうなると、自動拳銃ならばともかく、一秒間に数十発を撃ち込
むマシンガンの弾を避ける事は、ハインケルといえども難しい。
 躱せない。
 そう判断した時、ドライの身体がハインケルの前に滑り込み、ハインケル身体に腕を回し、跳躍す
る。マシンガンの轟音が、それを追って数十発の弾を吐き出した。吐き出された弾は、ドライとハイ
ンケルの足元を掠めていく。空の薬莢が地面に転がる音が、小さく、しかし妙に響き渡った。
 ドライとハインケルは、少し離れた場所に足をつける。そこへ再度、銃口が向けられる。その銃口
が震えた。見ると、青の身体全体が強張り、震えている。それは、動こうとする身体を必死に牽制し
ているような痙攣だった。

「あ……か、身体が………。」

 青の唇が震え、身体と同じような強張った声が絞り出された。

「から……だが、勝手、に……。」

 焦点を定めまいと抵抗する青の顔は、己の行動に対する恐怖を物語っている。
 
「や…めろ……。」

 舌すら行動を制限されているのだろうか。引き攣れたような声に反し、その手は、今まさに引き金
に力を込めようとしている。
 ドライは、いつでも逃げ出せるようにハインケルの身体に左腕を回したまま、もう片方の手で銃を
抜く。普通ならば、それだけで相手を牽制できる行動だが、身体が勝手に動くと言っている今の青に
は効かないだろう。
 まずい、とハインケルは思う。
 間違いなく、ドライの今の行動は牽制に過ぎない。相手が人形ならば、ドライは牽制もせずに躊躇
いなく銃を撃つだろう。しかし青は人間だ。
 ドライは青を撃たない。
 いや、撃てない。
 人間を傷つけてはいけないという禁則事項に縛られるドライは、青を撃つ事が出来ない。
 もし、今此処で青を撃ったなら、ドライはドライでなくなってしまうだろう。人間を傷つけると言
う事は、ドライにとって自己の崩壊を意味するのだ。現に、ドライは銃を牽制する形で留めたまま、
マシンガンの咆哮から逃れる為に、ハインケルの身体に回す腕に力を込めて飛び退った。人間には有
り得ない脚力で、その場から逃れようとする。
 ゆっくりと青が引き金を引いた。
 直前に、一発の銃声が貫いた。
 一筋の硝煙が、ハインケルの直ぐ近くでたなびいた。
 ハインケルは視線だけを動かし、硝煙の来た道筋を辿る。辿り着いた先には、ドライのほっそりと
した手が握る大型拳銃が口を開いていた。
 そして銃口の直線上にいるのは、青。
 しかし、ドライは、人間を撃つ事が出来ない。
 ―――はずだった。
 ドライが引き金を引いた銃は口から、ただ一発、銃弾を放ち、瞬く暇すら与えず青の腹腔を貫いた。
 眼が零れんばかりに見開かれたハインケルの視野は、それ一点に収束する。
 ドライに掴まれて景色を遠ざけている間、その景色だけは妙にゆっくりと時間を動かしていた。ゆ
っくりと、大きく仰け反る青の身体。上を振り仰ぎ、顔が見えなくなる。腕が落ち、膝を折り曲げ、
そのまま地面に下ろす。音がしたと思った瞬間、天を見上げていた青の顔が元の位置に戻り、その位
置を通り過ぎ俯き、それに伴って身体が前のめりに倒れる。膝がついた時より、一層大きな音がした。
 そして、永遠に視界に留まるかに思えたその姿は、一瞬にして遠ざかった。