コンクリートが光の照り返しで白々としている。その中、一層白い影が揺らいでいた。 
 ドライは、青が住居としている五階建てのビルの屋上に立っていた。
 此処にあるビルは高層とは言い難い。地下である以上、天井があるからだ。だが、それは防御壁に
囲まれたドームやエリアも同じである。違うのは、壁が透明かどうかぐらいだろう。
 しかし、周囲を壁に囲まれてなお、此処は地下だと言うのに地上よりも地上らしかった。
 思う存分に枝を繁らせる木々は、ドームの保護区で窮屈そうに管理されている同じ物とは思えない。
ドームでは、雑木林のように様々な種の植物が植わっている場所もあるが、基本的には種によって別
々に生育させられている。そして一般的に、個人で栽培する事は禁止されている。飼育動物にしても
栽培植物にしても、政府の許可がいるのだ。従って、植物が見られるのは政府が管理する公園や公共
の施設のみである。それが、あの町並みをくすんだものにしているのかもしれない。
 その隙間を縦横無尽に駆け巡るのは風だ。これもドームではお目にかかれない――見える物ではな
いが。どこかに、そういう仕組みでもあるのかもしれない。
 風に乗って鳥が羽ばたく。白い鳥だ。一匹や二匹ではない。かなりの数が飛んでいる。先程も述べ
たように、飼育動物には政府の許可がいるのだ。そして金が掛かる。
 鳥達は、青空を突き抜けていく。
 壁の上には巨大スクリーンが張り巡らされているのだろう。全面に空が映し出されている。雲まで
流れている。そして、壁とスクリーンの間には球体――太陽が時間に従って微細に動いている。雲に
隠れる事もある。
 ドームにも似たような光源があるが、あれは動かない。ドームの輝きは常に天頂にあり、夜が近付
くと輝きを薄れさせるのだ。雲などは映し出されない。
 エリアには本物の太陽がある。しかし、氷に閉ざされた土地では逆に照り返しが強すぎるのだ。そ
れに紫外線も強い。
 ドライはすっと立ち、天井近くで正午周辺を告げる球体を見上げる。
 太陽と酷似する動きを見せながらも、太陽より遥かに低い熱を放つそれの光が、ドライの身体に当
たる。ドライの身体を覆う白い服が、生き物のように揺らいだ。数ミクロンの粒子の複合体であるそ
れらは、複雑に動きながらドライの身体に降り積もる光粒子を捉える。 
 降り積もる光の粒は、ドライの身体の上――数ミクロンの粒子の一つ一つに埋め込まれた微細な光
電池と統合する。取り込まれた光はドライの機体に送り込まれる。
 ドライの身体が輝いた。照り返しなどではない。内側から輝いている。光を吸収しているのだろう
か。白い身体は輝きの所為でいつも以上に白い。
 ドライから放たれる光が陽炎のように、しかし、それよりもはっきりとした実在性を持って立ち昇
った。
 それに眼を留めたのだろう。ビルの下を走る道路を歩く人々が、屋上を振り仰ぐ。小さくそびえる
ビルの真上には、擬似太陽の、本物と違わない鋭い光が満遍なく放たれている。そしてその真下――
ビルの屋上には、太陽とはまったく別の、眩しさのない青白い静かな光が湛えられている。その中に、
一層白い影が沈んでいる。
 滑らかな輝きの中にあってその影は、手の爪の先、顎の輪郭線、髪の毛の一本一本まで、くっきり
と確認できる。
 ほんの僅かな時間の空隙。
 その空隙は、確かに時間に囚われずに、時を止める。そして。
 風が、緩やかに突き上げた。 
 その風に、白い髪が、微かな囁きさえ漏らして揺れる。
 かそけく零れるような囁きが聞こえたのだろうか。まるで、それに答えるかのように羽ばたきが翻
った。白い鳥達が、立ち昇る青白い光に促されるように天に舞い上がる。   
 緩やかに届くのは、その光景を眼にした人々の声。彼らは口々に呟く。

「天使だ………。」





 結局、ハインケルは夕飯まで青に面倒を見てもらう事になった。
 青は意外ときっちりとした性格らしく、料理は――ハインケルにとってはありがたい事に――全て
手料理だった。ジャンク・フードといった物はもちろん、冷凍食品すら使わない。

「こいつの身体の事を考えてんだ。」

 青は、彼の同居人である子供をしゃくって言った。確かに、成長段階の子供にはジャンク・フード
は好ましくないだろう。冷凍食品も出来る事なら避けたい。
 しかし、この二人の関係は何なのだ。

「兄)妹だよ。おかしいか?」
「いや………。」

 歳の差に驚いただけだ。まあ、歳の離れた兄弟など、何処にでもいる。両親が見当たらないと言う
事は、やはり亡くなったのだろう。
 目の前に並べられたチキンライスとポタージュを見る。この料理は兄妹愛の結晶か。
 ハインケル達が現れてからずっと黙りこくっていた子供も、青の側にいて安心しているのか、笑顔
さえ浮かべてチキンライスを頬張っている。

「………料理の材料は何処で手に入れるんだ?」

 家族愛など理解する事の出来ないハインケルは、話題を変える。

「上には行かないんだろ?何処かで栽培してるのか?」
「ああ。此処は災害の非難所だからな。それくらいの設備は整ってるんだ。心臓部の近くに養殖所が
 ある。野菜とか、米とか。牛とか豚とか、魚なんかもいるな。」

 凄まじいほどの万全ぶりだ。ドームの人間を羨まない理由が解かる。しかし―――。

「心臓部というのは………?」
「此処に来る途中に言っただろ、俺らにも手が出せない場所があるって。そこを含んでる場所だ。そ
 こで壁の開閉も管理してるし、核弾頭もそこで見つかった。」

 中枢機構に当たる場所なのだろう。

「核弾頭が設置されている場所も手が出せない、なんて言うんじゃないだろうな?」

 問題はそこである。
 まさか、見えるけれど硝子張りで手が出せない、というわけではないだろう。 

「ああ。あそこは手が出せない部分の近くにあるんだ。」

 青が言うにはこうである。
 棺の中心部分には巨大な科学研究施設があり、そこの事を心臓部と呼ぶのだそうだ。そこに入るに
はパスワードが必要らしい。そのパスワードは大洪水時の日本政府が設定したものであり、政府高官
の一部しか知らない。そして、政府が何度目かの立ち入り検査をしたところ、施設の核燃料保存室に
核弾頭が設置されていたらしい。

「その………核燃料保存室の扉はロックされてなかったのか?施設の入口だけにしかパスワードが設
 定されていないって事はないと思うんだが………。」

 本来、重要部であるならば、外界との出入り口だけでなく、各部屋にパスワードが設定されている
はずである。
 されてたさ、と青は呆れたように答える。

「だから言っただろ?政府の高官は施設内のロック解除の為のパスワードは、ほとんど知ってるんだ。
 でも、全てを開くにはパスワードの数が足りない。特に、棺の底に行く為のエレベーターのパスワ
 ードは、棺の中にも政府にも残ってないんだ。だから、俺達もその先に行った事はない。というか、
 行けない場所なんだ。」

 つまり、そこが手の出せない場所。
 そこに何があるのかわからないが、過去の知能を復活させるには、海底になす術もなく沈んだ遺跡
や忘れ去られた遺跡を紐解いていくしかない。だから政府も、何度も調査団を送り込んでいるのだろ
う。
 しかし―――

「君は何故、それほどまで詳しいんだ?」

 コンピュータを扱えるにしても、政府が手を拱いているような場所を、何故それほどまでに理解し
ている?
 何故、それほどまでに探る事が出来た?

「あのな、俺一代で調べたわけじゃねぇんだぜ。」

 溜息を吐いて青は、チキンライスを口に放り込んだ。

「俺らは何代も此処に住んでんだ。住みやすいようにする為に、住居の事を知ろうとするのは当然だ
 ろ。そうやって、パスワードやら通路やらを探して、代々残してきたんだ。」

 そういうものだろうか。
 青は納得してなさそうなハインケルの顔をちらと見て、明日連れて行ってやるよ、と言った。

「え?」
「おい、零すな。」

 青はハインケルの疑問符に答える前に、ポタージュをテーブルの上に零している子供を見咎める。
そして布巾でテーブルを拭きながら、先を続けた。

「心臓部だよ。核弾頭が見たいんだろ?その為にきたんだろ?」
「あ、ああ………。」

 確かに『新聞記者』として行動するのなら、核弾頭は見ておかなくてはならないだろう。………青
が果たして『新聞記者』という言葉を信じて言っているのか、甚だ疑問だが。

「お前らだけじゃ入れないからな。」
「だろうな………。」

 パスワードが必要だとさっき言っていた。まさかパスワードまで教えてくれるとは思わない。そこ
まで期待していない。
 お代わりをねだる子供の皿チキンライスを盛ってやりながら、ところで、と青が逆に訊いてきた。

「お前の連れ―――何も食べてないみたいだけど、大丈夫なのかよ。」
「ああ………。」

 連れ。
 昼間屋上へ行っただけで、それ以降は宛(あて)がわれた部屋から出ずに何も食べようとしない。
 ハインケルは、静かに佇(たたず)んでいるであろう白い存在を思い浮かべた。