ハインケルは眩しさに眼を細める。

「……!」

 光源から、何か声が聞こえた。日本語らしい、という事は解かるが、ハインケルには意味を汲み取
る事は出来ない。光源を手にしている影は熱心に、傍らにいる小さな影に話しかけている。その小さ
い影は上下に動く。おそらく、光源の持ち主の言葉に頷いたのだろう。
 すると、光源の持ち主はハインケル達に向き直る。そして今度は英語で言った。

「お前ら何者だ?いや………聞く必要もないか。どうせ政府の連中だろ。」

 声は男のものだった。男は懐中電灯――こういう時の光源はいつの時代でも懐中電灯だ――をハイ
ンケル達に向けたまま言う。いい加減、眩しいのだが。

「おっと、動くなよ。」

 眩しさを軽減する為に、手を眼の上に翳そうとすると、何を思ったのか懐中電灯を持っていないほ
うの手を上げる。その手の中にあるのは、ハインケルもよく見た事のある、鈍く輝く厳しい物体だ。
 ハインケルは動きを止め、眩しさに耐えながらも、男の足元に縋りつく小さな影に視線を向ける。
光が邪魔でよく見えなかったが、どうやら先程の子供らしい。

「どうする……ドライ?」

 ハインケルは傍らにいるドライに訊いた。強行突破するべきだろうか。しかし、ドライは黙って、
掲げていた銃を下ろした。そしてそれ以上は何もしようとはしない。
 その行動を見て、ハインケルはドライに掛かっている禁則事項を思い出す。
 最大禁則事項第一条。人間を傷つけてはいけない。
 目の前にいる彼らが人間である限り、彼は手が出せないのだ。

「よし……それでいい。」

 ドライが銃を下ろすのを見て、男は満足気に頷く。

「で、何の用だ?」

 視線はひしゃげた列車を向いている。

「あんな物までぶつけてよ。」

 その視線は胡散臭そうだ。ハインケルにしてみれば、目の前にいるこの男のほうが胡散臭いのだが。
 しかし、そんな事を言うほどハインケルは愚かではない。取り合えず、今はこの状況を上手く切り
抜ける事が重要だ。ここを切り抜ける事が出来るかどうかで、後々の運命が決定するだろう。そして、
この男を味方につけるかどうかが、一番のポイントなのだろう。どうにかしてこの男から警戒心を解
かなくてはならない。
 だが、ハインケルは、本当の事を言うべきかどうか迷った。何を言っても、この男から警戒心を解
く事は無理な気がする。自分達は政府関係者でこそ無いが、それに近い。そう言ったら、そのまま挽
肉にされてしまいそうだ。

「……俺達は新聞記者だ。」

 咄嗟にそんな言葉が出てきた。
 かなり無理があるが、言ってしまったものは取り消せない。

「新聞記者ぁ?」

 案の定、男の口からは怪訝そうな――というより突拍子もない声が出てきた。

「何でそんなのが列車で突っ込んでくるんだ?」

 もっともだ。
 せせら笑うような口調から、男がハインケルの言う事など欠片も信じていない事が解かる。ハイン
ケルも同じ立場だったら信じないだろう。

「上で大規模な人形の暴走があった。その中の一体が警察隊の包囲網を潜り抜けた。警察の不祥事だ。
 それを記事にするには、証拠として人形がいる。それを追っている内にこうなってしまったんだ。」

 ふぅん、と男は呟く。

「って事は、俺らの住処をそいつが荒らす可能性もありって事か………。」

 男は呟いて眉を顰めるが、すぐにそれを解いて、ハインケルを見る。その視線はさっきよりも鋭い。

「で、それだけかい?」
「それだけ?」

 それで終わりか、という口調ではない。言外に、他に目的があるだろう、と言っている。そして男
は、他の目的について小さく口走る。

「あれの事だよ。本当に知らねぇの?」

 あれ。
 ハインケルは、自分達のもう一つの目的をそれに当て嵌める。しかし、本当にそれの事を言ってい
るのか。知っているのだとしたら何故知っているのか。
 すると、男はハインケルの心を読んだかのように付け足す。

「あれは俺らの住処で見つかったからな。政府の連中が気づくよりも先に、俺らはあれの事を知ってた。」
「いつからあったんだ?」
「さあな。気がついたらあったな。いつ運んだのかは俺も知らねぇ。」
「君は、シェルターで見つかったあれの事を何処まで知ってるんだ?」

 男は口角を軽く持ち上げた。

「あれの事は政府高官しか知らねぇ。でも、お前らは高官って柄じゃねぇな。」

 ハインケルは確信する。
 あれとは、あれの事だ。

「……君は知ってるんだな?シェルターで見つかった物が核だって事を。」
「ああ。お前ら、取り合えず害はなさそうだな。新聞記者っつたな。」
「ああ……。」

 不本意ながら、今だけは。

「核弾頭が何処にあるのか、君は知っているんだな。」

 知ってる、と明快な答えが返ってきた。

「あれは、お前達がシェルターと呼んでる場所、『憂いの棺』の中にある。」
「『憂いの棺』?」

 突然出てきた言葉に、ハインケルは首を傾げる。それを見て、男は口角を更に吊り上げて笑った。

「俺の名は青。棺の中の住人だ。『憂いの棺』ってのは俺達の中でのみ使われる、シェルターの呼び
 名だ。」

 来いよ、と、青と名乗る男は言った。

「はぁ?」

 ハインケルは、我ながらおかしな声を出した、と思う。しかし、それに値する言葉を吐いたのだ。
目の前にいる未登録住人は。
 本来、存在そのものが違法である彼らが、存在を証明されている人間と係わり合いを持つ事は、と
ても危険だ。だから、彼らはけ決して日の当たる所へ出ようとはしない。ましてや自分達の居場所を
教えるなど、言語道断のはずだ。確かに、この場所で味方につける事は後々の為にもよい事だが、こ
うも簡単にいくと、逆に警戒してしまう。
 まじまじと見つめるハインケルに、青は口だけの笑みで答える。

「こんな事で餓死されたら、こっちが迷惑だしな。それに此処は俺達の住処だ。お前ら如き、いつで
 も始末できる。」

 つまり、下手をすればいつでも首が飛ぶという事か。
 当然の処置だな、とハインケルは呟く。

「来いよ。」

 青がもう一度言った。それにハインケルは頷く。

「ああ。」

 行こう、とドライを振り返る。ドライも静かに頷く。どうやら、人形を見失ったようだ。ならば、
シェルターに行くべきだと考えたのだろう。
 じゃ、行こうぜ、と青が先立って歩き始める。その後を、一言も発しない子供が続く。その後を、
少し離れて歩きながら、ハインケルは気になっていた事を青に尋ねた。

「何故、シェルターの事を『憂いの棺』と呼ぶんだ?」
「知らねぇよ。昔からそう呼んでるんだ。」
「昔から……?」
「ああ。俺らが生まれる前からだ。」
「生まれる前?」
「俺は棺の中で生まれたからな。こいつもだ。」

 青は、顎で足元の子供をしゃくりながら言った。

「そういう奴は大勢いるぜ。俺らのほとんどが、大洪水前に密入国してきた連中の末裔だからな。俺
 らは上に行った事はねぇよ。」

 懐中電灯の光だけが、闇を切り裂く。

「俺らはずっと此処で生きてきた。だがな、だからと言って出来が悪いわけじゃないんだぜ。俺なん
 かはこう見えても頭はいいんだ。」

 青は、ちらりと振り返る。

「言語だって、英語も話せない奴は大勢いるけど、俺は英語の他に中国語と日本語が話せる。棺の中
 は全てコンピュータで制御されてるから、必然的にコンピュータも使えるようになる。でも上には
 行けない。」

 いるはずがない人間だからな、と付け加える。
 青のような未登録住人には、存在証明であるIDカードがないのだ。

「ま、上に行きたいとは思わねぇな。」

 強がりに聞こえる言葉も、あながち間違ってはいないのだろう。
 IDカードを持たない者は、政府の庇護を受ける事が出来ない。
 パスポートは当然の如く発行されないし、何らかの免許を取る事も出来ない。いや、それ以前に免
許獲得の為の試験すら受けられない。公共の施設は、一切利用できないし、学校も―義務教育すら―
受ける事が出来ない。また、病院にも行くことが出来ない。銀行など、もってのほかだろう。
 上に行っても、彼らには何の得もないのだ。 
 それとも、棺の中というのはドーム以上に住みやすい所なのだろうか。
 そう訊くと、青は首を竦めてみせる。

「言ったろ。比べようにも俺らはドームってのがどんな所なのかよく知らねぇんだ。知識としては知
 ってるけどな。行った事ねぇし。」
「じゃあ、『憂いの棺』っていうのはどんな所なんだ?」
「どんな所っつってもなぁ。見たまんまだしな。ま、広いな。」
「広い……。」
「ああ。俺らが充分住めるくらいだからな。後は……よく解からねぇな。」

 住んでいるのではなかったのか。

「住んでるけど、あの場所には俺らにも解からねぇ部分があるんだよな。ロックされてる場所もある
 し。どんなに弄くっても開かねぇんだよな。全然、手が出せない。」

 ぼやきながら青はある壁の前に立った。
 
「此処だ。」

 青は、その黒ずんだ壁を指差す。汚れていて、他の壁と大差ないような気がするのだが。
 何だ、と訝しげに青を見やると、青は口角を吊り上げて笑い、壁に手を当てる、当てた手を少し這
わせ、ある場所に行き着くと、そこで手を止めた。手で触れるからこそ解かるのだろう。眼で見ただ
けでは、やはり他の部分との違いが見えない。
 青は手を止めた場所を軽く押す。瞬間、壁が動いた。まるで引き戸のように開き、小さな部屋が現
れる。
 間違いなく、それはエレベーターである。

「これで『憂いの棺』まで直行する。」

 それを聞いてハインケルは怪訝そうな顔を作る。
 以前述べたように、シェルターへの通路は政府関係者ですら把握していない。点検の為に使用され
る通路は一本だけで、かなりの距離だと言う。列車で何処まで来たのか解からないが、決して地上か
ら遠く離れてはいないだろう。ならば、この『直行できるエレベーター』は何なのだ。
 ハインケルの顔色を見た青は素っ気無く言った。

「このエレベーターの事は、政府も知らねぇよ。」

 教えてやる義理はねぇからなと言って、早く乗れよと急かす。

「………。」

 ドライがハインケルを振り仰いで小さく言った。

「対象物はこのエレベーターを利用していないようだ。」

 それに対してハインケルはそっと囁く。

「何処にいるのか、解かるのか?」
「いや……俺の感知領域を外れたらしい。視覚、聴覚、及び赤外線にも動態反応は感知できない。」
「地下は?」
「地下に向かったのは確かだ。先程までセンサの領域範囲のボーダー・ラインで地下へ向かっている
 のが感知出来ていた。別のエレベーターで移動したのかもしれない。」

 エレベーターの扉の境目で小声でやりとりする二入に業を煮やしたのか、青が遂に怒鳴った。

「ぼそぼそしゃべんのは中でもできんだろ!早く乗ってくれよ!置いていこうにも、んなとこで突っ
 立てたらドアが閉められねぇだろ!」

 そして強引にハインケルとドライをエレベーターに押し込む。そしてようやくドアを閉める事に成
功し、最下層までのボタンを押す。瞬間、部屋が動き出した。青は動く小部屋の壁にもたれる。

「これで『憂いの棺』まで一直線だ。」
「いいのか?」

 悠然と見ず知らずの人間に秘密を見せても。

「言ったろ。お前らなんていつでも始末できるって。それに地下は広い。お前らが無事に上に戻れた
 としても、もう一度此処まで来れるか?」

 それは無理だ。
 途中まで暴走列車に乗ってきて、しかもハインケルは、そのほとんどをドライに顔を押さえつけら
れていて周囲を見る事など出来なかったに等しいのだ。覚えているのは飛び散る火花くらいである。
その上、壁を触って、このエレベーターの入口を探すなんて芸当は出来そうにない。
 だから青は、ハインケル達を連れてきてもいいと判断したのだ。
 そして、ドライならば再び此処に来るのは可能だろうが、多分、青はドライの正体に気づいていな
い。ドライは青に会ってからあまり喋っていない。何かを言うにしても、先程のように小声だった。
 エレベーターが止まる。
 出ろ、と青が扉を開く。
 少しずつ大きくなるスリットからは、ぼんやりとした光が通り抜ける。ハインケルは、エレベーター
から出て、辿り着いた場所を見る。
 そこは確かに壁に薄暗い蛍光灯がある分、光に愛されているが、やはり埃に塗れた瓦礫の山だった。
むしろ光がある分、荒廃ぶりが目立つ。ただ、光以外に違うのは、ひたすらに天井が高いという事だ
った。上が見えない。

「此処が『憂いの棺』なのか?」

 閑散とした場所には人間はおろか、鼠といった、こういう場所定番の生き物すらいない。
 青は、ハインケルの問い掛けに首を横に振った。

「違う。此処はその前門だ。ほら。」

 青が指差すのは、せり立つ壁だ。天井が高いので、まさしくせり立っている。

「この中が『憂いの棺』だ。そしてこの壁が前門。逆には後門がある。」

 青は壁に手を掛け、エレベーターの入口を捜す時のように手を這わせる。しばらくして壁の一部が
開き、その中には幾つかのボタンが並んでいる。

「何だ?」
「パスワードを入れねぇとこの門は開かない。門の開き方には二段階があってな。全開錠で壁全体が
 上がる。一部開錠で壁の一部が全開錠の半分の高さまで上がる。普段は、この一部開錠を使うんだ。
 全開錠は、まず使われねぇ。壁は俺らにとっての防御機構だからな。いざって時には、政府の連中
 にも開けられねぇように、壁の開閉を制御する装置のリンクを切っちまうんだ。おまけにこの壁は
 核にさえ耐えるんだぜ。」

 すごいだろ、と言わんばかりの青の台詞に、ハインケルは呟いた。

「じゃあ、人形が中に入れないか……。」
「まあな。でも念には念を入れといて、中の奴らにも言っといたほうがいいだろ。離れろ。門が開く
 ぜ。」

 重たげな音と共に、壁に大きく光の切れ目が入った。此処に満ちている光よりも遥かに強烈な輝線
だ。そして、その輝線に従って、壁の一部が持ち上がる。
 持ち上がり始めた場所から、ドームの中では有り得ない光が周囲を舐め尽していく。ハインケルは、
その光の洪水を、手を目の前に翳してやり過ごす。そして眼に光が慣れた瞬間、絶句した。
 地下にある為、決して高層とは言えないがビルが立ち並び、その隙間を埋めるのは、エリアでは絶
滅し、ドームでは保護区域で管理され、公共の植木にしか使う事を許されない木々である。しかもハ
インケルが始めてみる背の高さだ。ドームでは、これほどまでに大きく成長しない。
 風が突き抜け、鳥が羽ばたく。羽根が見事なまでに鮮やかに舞い踊る。
 つられて視線を上げると、青い空が広がっている。そしてその空の頂点には、強い光を放つ球体が
浮かんでいる。眩しすぎて、直視は適わない。太陽だ。
 有り得ない風景。
 消えてしまった風景。
 そう。
 目の前に広がるのは、数百年前、海中に溶けて消えた、滅びの風景だった。
 青は振り返り言った。

「此処が『憂いの棺』。過去の記憶が眠る場所だ。」