店内の椅子やテーブルは薙ぎ倒され、テーブルの上に並べられてあった食べ物は、泥のように床に
ばら撒かれ、踏み潰される。騒然とする中、それらは何事もなかったかのように立ち上がる。

「機械人形………!」

 ハインケルに切り崩された物体と、眼の前に立ち尽くすそれらを見比べ、ローズは憎しみを込めて
呻いた。
 しかし呆然としてる暇はなかった。
 それらに気を取られている隙に、先程までは何ともなかった店のウェイトレス用人形が、客を締め
上げにかかったのだ。

「………暴走か!」

 機種に係わらず暴走している。しかも、かなりの広範囲で。
 ウェイトレス用人形に締め上げられている客の顔色が、変わり始めた。その途端、人形は切り裂か
れている。

「ハインケル、取り合えず店の中の人形をどうにかしてしまおう。」

 ミヤビが、人形を切り裂いた円月輪を両手で回しながら言った。そしてハインケルが頷くより早く、
その奇形の刃はミヤビの手を離れ、弧を描く。その軌道上にいる人形達は、瞬く間に上半身と下半身
に切断されている。そしてその時には、円月輪はミヤビの腕に戻ってきている。客は一人として傷つ
けていない。
 店で働く人形は、その攻撃で全滅している。
 
「さて………残る連中も片付けようか。」

 逃げ惑う客の悲鳴の入り混じる中で、ハインケル達は飛び入りの人形達と相対した。そして視線を
感じる。人間ではない。窓の外に集まるのは、逃げる人間や警官隊だけではない。硝子の眼を煌かせ、
四方から押し寄せてくる様々な顔をしたそれら。
 無表情ではない。しかしその表情が示す物は、怒りでも恐れでも憎しみでもない。
 街中から集められた、たくさんの柔らかな微笑。
 子供好きのするその微笑は、無表情よりも遥かに、場の異常性を高める。

「…何処かのショップから来たのか。」

 ハインケルは、それらの中にまだ値札が付いている物がいる事に気づき、呟く。街中から集まって
きた、尋常でない数のそれらはまだ、動こうとしない。
 いや――――動いている。
 唇が。
 ハインケルだけでなく、ミヤビも眼を見張る。
 その整った唇から零れるのは、意味を為さない言葉などではない。ましてや、不快感を煽るような
不協和音でもない。はっきりとした音階を持ち、様々な楽器の音が、その唇で奏でられている。
 完璧な、旋律。

「歌っている……のか?」

 耳に入ってくる音は、徐々に大きくなっていく。それは紛れも無く、歌声。そしてそれを歌うのは、
人間ではなく、人形。
 引き裂かれた店の中、悲鳴が張り詰めるそこで、微笑を浮かべて歌う人形達。
 奇怪である事、この上ない。
 その凍りついた世界で真っ先に動いたのは、ローズだった。この異状な場でさえ、彼女の中に滾る
憎しみを止める事はできなかったようだ。ローズの手に嵌められたカイザーナックルは、慈悲の一片
もなく、歌う人形の顔面を殴り飛ばし、そのまま顔を引き裂いた。ナックルに取り付けられた鋭い爪
に、人形の擬似神経が絡まっている。続けざまにローズは、その拳から破壊音を生み出している。原
料は、憎しみ。

「………。」

 呆れるような憎しみに、ハインケルとミヤビは呆けそうになる。が、そういった状態に陥らなかっ
たのは、人形達が唇以外も動かし始めたからだ。
 歌いながら、その曲に乗せて踊るように、それらは四方から襲い掛かってきた。人間とは思えない
速さで繰り出される、人間の柔らかさと人間以上の硬度を併せ持つ手足は、疲れる様子を微塵も見せ
ない。
 その中で、ハインケルは身体を回転させながら刀を振るう。その隣でミヤビも、舞うように円月輪
を回転させている。
 白刃が正確な円を描き、人形以上の速さで人形の身体を切断していく。残骸が地面に落ちて音を立
てた時、ハインケルの身体は軽やかに宙を舞い、白く輝く刃を地面で蠢く微笑に向けて一閃する。斬
撃が、地面諸共、人形の笑みにひびを入れる。
 しかし、歌声は止まない。悲鳴も、鳴り止まない。地面を覆い尽くすのも金属部品だけでなく、人
間しか相手にしたことのないであろう警官隊の血が混ざっている。その傍らに落ちる、黒光りする物
は警官隊の持つ散弾銃だろう。そしてそれを拾い上げたのは、人間が理想とする形の手だった。
 それらは微笑みながら銃を持ち上げ、ハインケルに照準を定めた。一斉に引き金が引かれた。普通
ならば次の瞬間に襤褸切れのように吹き飛んでいるだろう。しかしハインケルは刀を目の前に翳すと、
眼にも止まらぬ速さで刃を振るい、銃弾をことごとく叩き落している。
 その一瞬後には、ミヤビの放った円月輪によって、人形達は首と胴を離され、地面に顔を埋めてい
る。 
 だが、人形は後から後から出てくる。
 きりがない。
 そう思った時、小さな声が届いた。
 軽やか音楽と、破壊と血の叫びしか聞こえないこの場所にあって、まったくそぐわない幼い声が世
界を貫く。

「ライミイ?」

 黒と赤が世界の色を決めている中を、小さな姿が視界の端を横切った。先程、ファースト・フード
店にいた少女だ。一つの名前を呼びながら、一体の人形に駆け寄っていく。その人形も、ファースト・
フード店で見た、少女の人形だ。
 先程と同じ、穏やかな笑みを浮かべて幼い主人を待っている。そしてその手には、厳しい黒光りす
る物体が握られている。

「………っ!」

 選択できる回答は一つしかなかった。時間が、そうさせた。
 ハインケルは、咄嗟に少女と人形の間に、身体を割り入れた。散弾銃の銃口は、惜しみなく鋼の死
神を吐き出した。そこでハインケルは、己の愚を悟った。咄嗟の事だったとはいえ、刀を握る手を少
女の側に向けていたとは。この状態で刀を振るえば少女も斬ってしまう。
 鋼鉄の死神は、そんな事、意にも介さず顎を開いて向かってくる。
 火花が散った。
 しかし、血の花は咲かなかった。
 火花の中に、白い背が映える。
 緩やかに、彼はハインケルを振り返った。

「負傷状況を………ハインケル。」
「ドライ………。」

 白い殺戮人形の手には、厳しい巨大な銃が構えられ、歌う人形達を違える事無く捕捉している。銃
を下げる事なくドライは言った。

「戦闘続行の意志はあるか?無いならば安全圏へ後退しろ。」

 言うや否や、ドライはターゲット・アイの照準を合わせ、拳銃が凶暴な咆哮を上げている。瞬く間
に、人形数体が頭部を吹き飛ばされて倒れる。ドライは空になった薬莢を銃把から排出しながら跳躍
し、再補充すると同時に、ほぼ一つに聞こえる銃声が、周囲を駆け巡る。
 建物に銃声が反響し、硝煙が糸を引く中を、一つの銃弾がドライを掠めて走った。
 銃弾は、ライミイと呼ばれていた人形の放った物だった。彼女は銃を構えながらも後退していく。
その姿を追うように進みながら、ドライは銃を撃ち続け、人形を破壊していく。彼の歩む道には、人
形の残骸と空の薬莢しかない。
 世界を支配していた歌声も、ノイズを交えながら徐々に小さくなって、代わりに空気を揺らし始め
たのは、ドライの放つ銃声だった。
 やがて、歌声はライミイのもの一つだけになった。
 ドライは、巨大な銃をあれほど撃ち続けたにも拘らず、腕を下ろそうとはしない。人間ならば、発
砲時の反動の衝撃で、手が使い物にならなくなっていてもおかしくない。しかし、ドライは平然とし
てライミイを捕捉する。ライミイも銃を掲げる。
 が、彼女は銃弾をドライではなく、自分の主人である少女に再び送りつけた。その時には、ドライ
の銃も咆哮を上げている。  
 一瞬の空隙の後、ドライの右側に立っている看板が、人形から数メートル離れて立っている左側の
電柱が、それぞれ音を立てて粉々に砕けた。その時には、人形の姿は消えている。
 ドライの握る大型拳銃から吐き出された銃弾が捉えたのは、人形ではなく、人形の放った銃弾だっ
た。噛み合った二つの銃弾はそれぞれの軌道をずらし、全く無関係の看板と電柱に当たったのだ。

「敵性体失探………。」

 ドライは、先程までライミイがいた場所を見て呟いた。彼は銃を腰のホルスターに納めると、ハイ
ンケルを振り返り、言った。

「俺はあの人形を追跡する。あの人形は銃を所持していた。放置しておくのは危険だ。貴方は博士に
報告を。」

 刹那、ドライは一陣の風となって、その場を離れている。

「待て!」

 ハインケルが叫んだ時には、その姿は路地に消えようとしていた。

「ミヤビ!」

 ハインケルは、刀を握ったまま同僚を呼んだ。

「俺は彼を追う!師匠には君から報告しておいてくれ!」
「しておいてくれって………。」

 言い放ったハインケルの耳に、狼狽したミヤビの声が届く。しかしその声は、もう一つの声に掻き
消された。

「ライミイ!」

 悲痛な声は、少女のものだ。悲鳴と血に彩られた世界で、唯一意味のある言葉を放ち、揺ぎ無い。

「ママ、ライミイが何処か行っちゃうよ!ライミイも一緒に連れて帰ってあげなきゃ!」

 必死の叫びは母親に向けられている。だが―――

「あんな人形、また買ってあげるわ!」

 少女の鳴き声が甲高く響いた。それを背中に、ハインケルは、二体の人形の消えた路地に足を踏み
入れた。