ドライの白い姿が、青白い廊下に残像を残しながら走っていく。
 彼は研究室を出た後、エレベーターを目指す事をしなかった。いくら高速エレベーターとはいえ、
待ち時間や降下時間が無駄だ。そして何より自分の後を追う人形がいる事に気づいている。それを此
処に置いていくわけにはいかないし、だからと言ってエレベーター内で始末をする事は出来なくもな
いが危険が多すぎる。彼の戦術思考は、そう判断していた。
 追ってくる三体の人形を、優秀なセンサで正確に補足しながら、突き当りを右に曲がり外に面した
通路に出た。その通路には、壁いっぱいの強化ガラスが嵌め込まれている。
 その窓に向かって走りながら、ドライは銃をガラスに撃ち込んだ。強化ガラスとはいえ、銃弾に噛
み付かれ食い込まれて、ひびが入る。そこへ、速度を落とす事なく、ほっそりした身体をぶつけた。
銃弾に噛まれて脆くなったガラスは、ドライの重量に耐える事は出来なかった。
 ガラスが、儚い音を立てて砕け散る。
 太陽さえ見えない海底。しかし外はドームの外壁に埋め込まれた人工光で明るい。 
 磨かれたガラスは、今までにないほど光を取り入れ、反射し、煌いた。水飛沫のように宙に舞うそ
れらを後光のように背負い、ドライは地上三百メートルから飛び降りた。 
 降臨する天使さながらに舞い降りるドライの聴覚センサに、後方で窓枠を蹴る音が入る。それが何
を意味するのかを確かめるような事はせず、ドライは空中で身体を捻り、今しがた飛び降りたばかの
窓を振り返る。まだ数秒と経っていないのに遥か後方に引き剥がされたその場所より少し手前に、三
つの人型がいた。
 ドライは銃を掲げる。
 彼の硝子の瞳は刹那の内に、銃弾の軌道を、その軌道の上に踊りかかる三体の人形が位置するよう
に修正している。
 立ち上がった銃声は、ほぼ一発だった。
 だが、硝煙が彼の手の中の鋼鉄の顎から細くたなびいた時、三体の人形の頭部は身体から離れてい
た。
 それを見届ける事すらせず、ドライはもう一度身体を捻り体勢を整えてから、地面から二、三メー
トル上空でビルの壁を蹴り、そこから数メートル進んだ所に着地した。その背後で、何かが落下し潰
れる音がしたが―その時には彼は、その場にいなかった。





 全世界にチェーン店を持つファースト・フード店で、ハインケルは溜息を吐いた。
 目の前に並べられているのは、色鮮やかなソースやサラダ、そしてハンバーガーである。色鮮やか、
というのは好意的な見方で、中には原色の毒々しいと言わざるを得ない物まである。
 もう一度、ハインケルは盛大に溜息を吐いた。
 基本的にハインケルはファースト・フードという物を食べない。古い、と言われるかもしれないが、
一般的な家庭料理のほうが好きである。実際、ハインケルはそれなりの料理を作る事が出来る。その
所為か連れてきてもらっても食べる気がしない。
 再び溜息を落とし、ハンバーガーとフライドポテト、そしてサラダを胃に詰め込む事に専念してい
る二人の連れを見る。
 ブルネットのアメリカ人と、髪をピンク色に染めた日本人。この二人は、ハインケルの胃袋が受け
付けたがらない物体を、平然と食べている。しかも大量に。そして食べながら喋っている―――特に
アメリカ人が。

「信じられないわ。」

 ローズが熱っぽく言った。別に相槌など期待していなかったのだろう、そのまま熱心に続ける。

「博士はもっと分別があると思っていたのに。それなのに機械人形を作るなんて。」

 信じられないと繰り返し、握り締めたフォークをサラダに突き刺す。ぐしゃりと残酷な音がして、
フォークの先にレタスが数枚、刺さった。

「ロボットは人類の夢だなんて、馬鹿みたいだわ。人間の仕事を奪っておいて、失業者の増加に一役
買っておきながら何が夢よ。挙句の果てには暴走して死傷者まで出す始末。それなのに、エネルギー
だけは無駄に必要とするんだから。どうして、もっと早くロボット規正法が施行されなかっ
たのかしら。」

 というより禁止法を出すべきよね、と再び乱暴にサラダを突き刺しまくる。
 確かに、乱暴ではあるがローズの言い分は一理ある。
 機械人形の導入により、今まで人の手で行われていた作業がロボットに任せられ、失業者が増加し
ている。そして、当初の目的である暴走については、何も補足すべき事がない。
 しかし、ローズの言い分はもっともであるにもかかわらず、何故か素直に頷けない。それは、やは
りその言い分が公正な判断ではなく、彼女の過去のトラウマが根底に横たわっているからだろう。
 八年前の悲劇の時、まだ十五歳だったローズは、家族の仕事の関係でフィレンツェ・ドームを訪れ
ていた。その滞在二日目の夜、謎の機械人形――というかドライ達SJシリーズが、襲撃したのである。
彼らの強さは、ドーム常駐のサイボーグ部隊では歯が立たず、彼らを破壊するために、装甲車に搭載
された機関砲は躊躇う事無く火を吹いた。その爆撃に巻き込まれ、ローズの家族は命を落としたらし
い。
 ――らしい、というのは、犠牲者の数が多すぎて完全な確認が取れなかったのだ。
 いずれにせよ、その時からローズは機械人形に対して、並々ならぬ憎しみをぶつけるようになった
という。家族の命を奪ったのは人形ではなく、装甲車だと言っても無駄であるらしい、。根本原因を
作ったのは機械人形、という事になるようだ。
 もし、ドライが博士の作った護衛ロボなどではなく、その根本原因である機械人形だとローズに知
れたら、想像するに恐ろしい事になるに違いない。

「昔のアニメーションじゃあるまいし、人形に心があるなんて考え方、間違ってるわ。人形に心を求
めるなんて、愚かだわ。機械は機械なんだから、他の機械と同様に、危害があった時点で廃棄処分に
するべきなのよ。ううん。それ以前に人形自体が必要ないのよ。」

 ローズは、同じ結論しか見えてこない台詞を延々と続けている。そしてそれは、正しいようで何処
か間違っている。それに対して、ハインケルは何も言えないし、言う気もない。ハインケルは、機械
の暴走を止めはするが、それに対して特に意見を持っていないのだ。
 そんなハインケルに代わって口を開いたのは、チーズバーガーを四つ食べ終えたミヤビだった。

「確かに、人形に魂や心は宿らないだろうね。」

 そう言って、今度はフライドポテトに手を伸ばしている。
「この国の昔話では、永く使い続けた物には魂が宿ったりするんだけど、今ではそんな事ないだろう
ね。まず、有り得ない。」
「当たり前でしょ。そんな非科学的な事。」

 ローズは呆れたように――というより怒ったように言う。その口調にミヤビは苦笑する。

「君の考えてるのとは違うよ。もちろん非科学的な事だけどね。ボクが言いたいのは、この時代じゃ
物に魂を宿す事は――科学的にって意味じゃなくて――無理だって事さ。」

 だって、とミヤビはハインケルを見る。その視線は、何だか博士に良く似ている。

「ボク達、魂や心を宿せるほど永く、物を使わないじゃないか。」

 フライドポテトから手を引っ込め、再びチーズバーガーに手を伸ばし―飽きないのか―呟く。

「でも、その逆ってのもあるのかな………。」

 永く使わない事の逆―――使い捨て。

「永く使わないから暴走した………か?」

 ハインケルは、初めて口を開いた。やっと、溜息以外で息を吐き出した事になる。

「それも、何かの昔話か?」

 その問いかけに、ミヤビは肩を竦めて首を横に振る。

「さっき思いついただけさ……。でも、永く使って魂が宿るよりも、使い捨てして欲しくないから魂
が宿るっていうほうが有りそうな気がするけどね。」
「………。」

 馬鹿馬鹿しい、とローズが吐き捨てるように言った。

「一体、いつの時代の考え?永く使っただけで魂が宿ったり宿らなかったり。人間は神じゃないのよ。」

 ミヤビは眼を細めてローズを見る。

「………魂を宿す事が出来るのは、神だけかい?」
「当たり前でしょう。」
「君は、科学を信じてるんじゃなかったの?」
「信じてるわ。けれど科学で証明できない事だってあるわ。でも人形の暴走は人形が欠陥品だから。
非科学的でも何でもないわ。魂が宿ったからじゃない。何度も言うけど機械は機械。人の形をしてい
ても物である事に変わりはないわ。もしこれが冷蔵庫やテレビの形をした機械でも、心が宿るなんて
言えるかしら。」

 言えるんだよ昔話では、とミヤビは呟いたが、その言葉はローズには聞こえていないようだ。
 しかし、とハインケルは思う。
 ローズは、機械は物だと言いながら、それらに対して人間に対するものと同じ憎しみを持っている。
 この矛盾。
 彼女の言うように、機械人形が冷蔵庫だと同じだと言うのなら、冷蔵庫によって人が傷ついた時、
人は冷蔵庫を憎むだろうか。――いや、冷蔵庫ではなく冷蔵庫を作った会社を恨むはずだ。
 ああ、とハインケルは納得する。機械人形を物だと捉えるならば、機械人形が起こした事故は製作
者にあるのだ。 
 憎まれるべきは製作者。
 博士が再三言っていた事ではないか。
 欠陥のある物は、欠陥部分を修理すればいい。破棄までする必要はない。欠陥があった事を把握し、
二度と起こらないようにする事が大切なのだと。
 妙に一人納得するハインケルをよそに、ローズは顔を顰めた。別にハインケルに対して顔を顰めた
のではないようだ。
 ならば―――?
 ハインケルは彼女の視線の先を辿る。その先にあったのは、少女とその母親。そしてもう一人、若
い女性――の形をした機械人形。顔には小さな笑みを湛え、ほっそりとした手は主人である少女の手
を柔らかく包んでいる。彼らはハインケル達の近くのテーブルに着いた。ローズが顔を顰めた原因は
その人形だろう。
 ミヤビもそれに気づき、首を捻って人形を見る。そして、そっと囁いた。

「あれが今回暴走した人形『シンギング・ドールU』の前機種さ。けど、歌うだけじゃない。介護と
かメイドとか、ベビー・シッターとかの機能も付いているから、値段はそれなりにするけど、結構市
場に出回ってる。」
「そうか……。」

 前機種は問題なかったのか、と思っていると、ミヤビが頭を掴んでこちらを向かせた。

「それより、本来の目的はどうするんだい?」

 本来の目的――日本で発見された核弾頭の調査である。イギリスで発見された物と同じ型であるら
しく、博士が調査を命じられているのだが。

「行き詰ってたんだよね?」
「………。」

 頷くしかない。
 人形なんか作ってるからよ、とローズが口を挟んできたが、それは無視する。

「実はね………。」

 ミヤビもローズを無視する事に決めたのか、突然ハインケルの母国語で話し始めた。

「どうも、中国でも核弾頭が見つかったらしい。」

 周囲に聞こえないように言語を変えたのだ。
 因みに、ほとんどの人が母国語の他に、世界共通語である英語が使える。ただし、英語を母国語と
している人は英語しか使えない、という事がある。ローズもその一人だ。

「何……?」
「もしかしたら、アメリカ、ロシア、フランス……その他の国でも見つかってるのかもしれない。ボ
ク達が知らないだけでね。」
「……組織的な動きがある、と?」
「そう考えるのが普通だろうね。偶然にしては時期が重なりすぎてる。それに、核なんてものは個人
で取引できるような代物じゃない。」
「ラング博士でもか?」

 この世で最も悪名高き科学者の名前を挙げてみる。

「それが司令官の見解?確かにラング博士が製作に関わっているっていうのは有り得る。けど、ラン
グ博士だけじゃ無理だ。核を作る材料は、それなりの組織がないと手に入らない。」
「そうか………。」

 やや物騒な会話をファースト・フード店で繰り広げていると、表から何処か無機質な喧騒が響き渡
ってきた。それが会話を中断させる。

「何だ…?」

 ハインケルは、感じた事のある喧騒の波に腰を浮かす。立ち上がりながら、刀を引き寄せる。
 このざわめきは、よく知っている。無機質で規則正しく鳴り響く悲鳴。
 転瞬、店の窓ガラスが砕け、何か重たい物が中に飛び込んできた。その硬い音が響き渡ると同時に
刀を抜いたハインケルが、硝子の粉を纏う影を薙ぎ払う。鋭く響く音を立てて床に散在した硝子の透
明な輝きの中に、明らかに金属光沢のそれらが混じる。そして、その他の影達は軋みながら着地した。
踏みつけられた硝子が、儚い音を立てた。