「それで…。」

 イシヅキ博士は、仕事をドライに任せっきりにしている博士を見て、訊いた。

「あれは何なの?」

 あれ、とはドライの事であろう。現に彼女の眼は、博士からドライに移っている。

「護衛ロボ、と言っても信じないだろうね。」
「普通の護衛ロボなら、ハインケルまで連れてくる事ないでしょう。あなたと護衛ロボだけで用は足
りるわ。それに、あれは護衛ロボ、というより愛玩人形と言ったほうが信じられるわ。」

 ほっそりとして色白の、到底、武器を持つ事など出来ないような人形。博士は通りすがりにドライ
を何度も振り返る人々を思い出しながら反論する。

「僕にそんな趣味はないよ。」
「そう………。」

 微妙に疑問符がついていたような気がする事に、内心異議を唱えながら、博士はパイプの噛締めな
がら言った。

「彼は曰くつきでね………。」
「不法改造でもしたの?」
「僕が改造できるような代物じゃないよ。せいぜい、修理できるくらいだ。しかも彼の圧縮データに
ある、彼の設計図を見ながらね。」

 博士は、その時の事を思い出して表情を曇らせる。
 聖家族教会から帰還する時、潜水艦の中で見た、ハインケルのつけたドライの傷は酷いものだった。
ハインケルが最初、突き立てただけだったのを、ドライはハインケルを庇う為に動き、その所為で刀
はドライの胸を中央から斜め下右へ動き、ドライの身体を抉ったのだ。それでもドライは動き続けて
いた。潜水艦内でドライは、自らの手で応急措置を施し、博士に自分の設計図を渡したのだ。もしあ
の場に誰もいなかったら、ドライは自分の手で自分を直していたのだろう。それが出来る身体なのだ。
 そして、その設計図は、当然の事ながら博士にとっては未知の世界の物だった。辛うじて擬似神経
の接合法までは解かったが、彼の動力源については、全くと言っていいほど解からなかった。人工内
臓が使われているという事は、生物と同じく食物からエネルギーを供給する事が出来るという事だろ
う。現に彼は、唯一の生体部位である脳の為に、時折、水分と栄養剤を首筋の孔の一つから補充して
いる。
 しかし、それ以上栄養分を取ろうとはしない。つまり、現在、人工内臓を利用したエネルギー供給
を行っていないという事だ。
 では、どのようにして彼はエネルギーを補給しているのか?―――解からない。

「製作者は誰なの?」
「不明だよ。」
「教えられない、という事?」
「そうじゃない。本当に判らないんだ。」

 ラング博士が絡んでいるのかもしれない。しかしドライは違うと言っている。それは信じていいと
博士は思っている。ラング博士の製造するLシリーズとは、構造が全く違っているのだ。むろん、新
しいタイプだという事も考えられる。しかし、いくらラング博士といえど、ここまでの物が作れるか
というと、疑問が残るのだ。

「ふ……ん。曰くつきなわけ、ね。」

 イシヅキ博士は煙草を、灰皿代わりの紙コップに押し付ける。

「仮に、製造者がラング博士だったとして……そうなると資金源について考えないといけないわね。
人形の価格は値下がりしているとは言っても、曰くつきの人形は、それなりの資金がないと作れない
わ。」
「その資金の為に核の取引をした……かい?」

 飛躍しすぎだよ、と博士は言った。

「ラング博士が、核の取引をしたという証拠は無い。それに、どこから核のデータを発見したのかも
解からない。」
「死人に口無し、ね。亡くなったんでしょう?」
「判らない。」

 博士は、ヴィンセントに伝えた事をそのまま、イシヅキ博士にも伝える。

「ラング博士が、自分に似せた死体を作った、という事も考えられるからね。遺体は失われてしまっ
たから、確認できないけれど。」

 博士はイシヅキ博士の側に寄り、身を乗り出して、パイプの灰を紙コップの中へ入れる。

「此処で見つかった核弾頭に、何か残されていればいいんだけどねぇ。」
「期待はしない事ね。もし、一連の人形の暴走と核弾頭の事が繋がるのなら、手がかりなんて簡単に
見つからないわよ。」

 でも、と彼女は続ける。

「何故、あんな場所にあったのかしらね。」
「何が?」
「核弾頭………。大洪水時のシェルターで見つかった。けれど、あの場所の事を把握している人間は、
あそこに住む未登録住人ぐらい。それも完全とは言えない。」
「大洪水前からあったとは考えられていない……。イギリスで見つかった物と同じく、部品は新しか
ったそうだね。」
「埃もあまり被っていなかったわ。核弾頭を安全に運ぶのは難しいから、誰があの場所に核弾頭を設
置した。それがが問題になるわ。設置した人物は少なくとも、あの場所を把握していた事になる。」  
「未登録住人と、繋がりがあった………。」

 イシヅキ博士は、腕を組んで頷く。

「その可能性が―――。」

 その時、ドライが声を上げた。
「シンギング・ドールU2504に、アドレス不明のアクセスが入った。アクセス拒否不可。接続開
始―――。」
「何?」

 イシヅキ博士は、思わず腰を浮かせる。その間も、不法アクセスの接続は進められているらしく、
ドライが淡々と現状を伝える。

「本機体のシステムに介入。これより不正アクセスと見なし、解析、及びファイア・ウォールを実行
する。」

 ドライの薄氷じみた瞳の奥で演算の光が瞬き、凄まじい勢いで解析が進められていく。その様子を
見ながら、イシヅキ博士は呟いた。

「ハッカー……では、なさそうね……。」 

 もし、政府あるいは連邦の機密情報をハッキングする事が目的ならば、この人形にアクセスする事
は無意味に等しい。この人形は、暴走した人形で、政府とは何の関係も持っていないからだ。まして、
完全に初期化されている。ハッキングしたところで、いかなる情報も得る事は出来ない。
 博士も頷く。

「遊び半分で侵入してきたってとこかな。」

 それならば、特に心配する必要もない。平穏が少し震わせられた程度だ。しかし、この小さく震え
ていた平穏は、次の瞬間、一気に瓦解した。
「………!」

 ドライが突然、項の接続孔からコードを引き抜いた。コードが大きく弧を描いて宙に舞うと同時に、
作業台に横たわっていた少年人形が飛び上がった。手足を固定している拘束具を引き千切り、文字通
り跳ね上がる。その反動のまま、肘の関節部を剥き出しにした腕を、ドライに突きつけている。
 娯楽用と言っても、機械は機械だ。人間を遥かに上回る力とスピードで繰り出された腕には、鉄板
を凹ませるほどの威力が備えられている。
 しかしドライは、その凶器を軽いバックステップのみでかわす。そしてその両手には、いつの間に
取り出されたのか、黒光りする厳しい巨大な拳銃が握られている。その銃口は、少年人形の、黒髪に
覆われて整ったこめかみに狙いを定めていた。
 凶暴な銃弾が、頭部を打ち砕いた。
その轟音が、全てのゴングとなった。
 研究室に安置されている全ての人形達の目に演算の光が瞬き、動き出したのだ。
 固定器具が飛び散り、千切れたコードからは細かな火花が舞い上がった。そこかしこで、どこか歪
な、関節の曲がる音がする。照明を落とされた部屋で、人形達の壊れかけたガラスの瞳は、掠れた光
を放ち、床に着地した。
 標準よりも美しい顔の人形達は、傷ついた身体で大きく跳躍し、ドライに飛び掛る。その時には、
ドライの瞳が強い光を放っている。

「行動支援プログラムを戦闘モードに切り替え……常駐戦術思考を起動。戦闘開始。」

 一瞬の内に思考を切り替えるや否や、ドライの手は旋回し、息を吹き返した人形達に、今度こそ確
実な死神を送り込み始めた。
 瞬く間に、人形が四体、上半身を部品に戻して吹き飛んだ。ドライは、それに対して何の感慨も持
たず、更に二体の人形の顔に銃弾を叩き込んでいる。その銃弾は正確に、額から人工知能を含む中枢
演算機構を粉砕し、貫通した。中に詰まった擬似神経が気前良く噴出し、首無しの人形が床に転がる。

「なんだか、大変な事になったわね。」

 イシヅキ博士が、引き出しから小型拳銃を取り出し、銃弾が入っている事を確かめながら、変わらぬ
口調で言った。博士も、仕込み杖を身体の前で優雅に構えて言った。

「僕らが手出しするまでも無く、ドライ君だけで十分だと思うけどね。」

 目の前で、ドライが大活躍している。

「愛玩用でない事が証明されたわね。」

 銃弾を確かめ、女性用人形の膝関節を撃ち抜きながら言うイシヅキ博士に、博士は唇を尖らせた。

「何度も言うようだがね、僕にそんな趣味はないよ。」

 言いながら、杖の取っ手部分にあるスイッチを押す。杖の先端から、榴砲弾に匹敵する威力のある
火炎が噴き出した。薄暗い室内が照らし出され、影が床や天井を踊り回る。同時に、火災警報器が悲
鳴を上げ始める。

「うるさいねぇ。たかが二千度程度の火で、騒ぐんじゃないよ。」

 任務を全うしている火災警報器を侮辱し、博士は再び杖を人形に向ける。その時、天井に取り付け
られているスピーカーから、泡を飛ばしそうな勢いの声が降り注いだ。

『イ、イシヅキ博士、緊急事態です!』
「そんなの見れば解かるでしょ。」
『しっかりしてください!ぼけるのは引退してからにしてください!』

 スピーカーの向こうにいる人間が、こう言ったのも無理は無い。彼は、研究室で何が起きているの
か知らないし、逆にイシヅキ博士達が、彼の言う緊急事態について知っているはずがないのだから。

『都心で人形が暴走しています!新宿を中心に、そこで活動している機械人形が人間に暴行を………!
その数、数百体!』
「数百体?」

 杖を動かす手を停止させ、博士は僅かに眉根を寄せた。
 驚いたのだ。
 欧米でも、ウイルス防衛機構の取り入れられた現在では、そんな大規模な暴走はめったにない。…
……もしかしたら、この研究室内での暴走も、外の暴走のとばっちりかもしれない。

「新宿、と言ったね………。そこには弟子達がいると思うけど。」

 今朝、ついていくと言って聴かなかった弟子に、新宿にでも行ってこいと言ったのだ。するとミヤ
ビが案内すると言っていた。しかし、仮にいたとしても、ハインケルとミヤビ――おそらくローズも
いるだろうが、数百体の人形を相手にするとなれば、厳しい戦いを強いられるだろう。

「こっちも大変なのよ。」

 銃を構えたまま、イシヅキ博士がスピーカーに向かって言った。

「解体調査中の人形達が暴走してるわ。数百体もいないけど、かなりの数を保管してるから、鎮圧す
るのには時間がかかるわ。」

 今すぐに、外に手を回す事は無理だろう。

 傍らで凶暴な銃声が鮮やかに人形の喉笛を噛み千切った。博士は、ちらりとそちらに眼を向ける。
白い人形が 同胞達に鋼鉄の顎を掲げている。その場にいるどの人形よりも美しく、その顎から死神
を放っていた。

「ドライ君。」

 最も美しい人形が振り返る。そして、その無表情に相応しい抑揚のない声で尋ねる。

「なんだ?質問ならば、速やかに行う事を推奨する。」

 素っ気無い言葉に博士は答える。

「弟子の所へ行ってくれないかな。きっと新宿にいる。君のセンサなら新宿全体を把握し、彼らを探
し出せるだろう。」

 博士は少し言葉を区切った。
 此処は自分とイシヅキ博士だけで抑えられる。しかし外のほうは簡単には収められないだろう。し
かし、ドライならば、僅か十体でフィレンツェ・ドームを壊滅に追いやった彼ならば、この状況を打
開できるだろう。

「ハインケル達と共に、人形の暴走を止めたまえ。」

 博士は、最後に、厳かに付け加える。

「これは、命令だよ。」

 ドライは、強い蒼を湛えた硝子の眼を博士に向ける。もしかしたら、彼も博士と同じ答えに辿り着
いているのかもしれない。

「………了解。」

 返答に間があったのは気のせいだろう。ドライは返事をしたとたん、博士に背を向けたのだから。
 身を翻しざま、ドライは後方に銃を横薙ぎに振るった。その一振りの間に放たれた、それぞれ軌道
 の異なる六発の銃弾は、それぞれ六体の人形の頭部を粉砕している。そして、それらの人形が床に
 崩れ落ちた時には、ドライの姿は既に部屋の外に踏み出している。

「さて、と。」

 ドライの姿を見送った博士は、人形達に向き直る。

「ここからは、僕達が相手だ――。」

 が、優雅に杖をかざす博士は、震える人形達の砕けた硝子の眼には入っていないらしく――――
 がつり。
 硬い音で床を蹴り上げ、人形達は博士を素通りした。一見、間の抜けたような状態だが、その間に、
博士の中で何かが引っかかる。その何かを頭の中の篩に留めて、ドライを捕らえようとするかのよう
に跳躍する人形達目掛けて杖を掲げ、噴き出す炎で三体を叩き落とす。
 しかし炎の中を、残る三体が幽鬼じみた手をドライに伸ばしながら、駆け抜けていく。
 ドライを追いかけていく。
 何か求めるように、まるで縋るように、まるで―――助けを請うように。
 同じような光景を、博士は見た事がある。つい最近の事だ。
 機械達が、ドライを縋って―――

「まさか………。」

 ありえない、と博士は人形達の動きを奪いながら呟く。

「しかし、けれど、それなら、彼らの目的は―――。」