次の日の朝早く、博士はドライだけを連れて、件の暴走した人形の保管してある人類共同連邦日本
支部会館付属の研究室に辿り着いた。
 ハインケルは当初、ドライだけを連れて行くことについて怪訝そうにしてた。そして、自分もつい
ていくと言ったのだが、博士はそれに対して首を縦には振らなかった。ハインケルには、ローズの動
向を見張っていて欲しかったからだ。そのほうが、誰にとっても安全だと思ったのだ。
 人類共同連邦日本支部は、かなり大きく、また新しくもあった。昨日、ホテルまで連れて行ってく
れた黒塗りのリムジンが再び現れ、入口まで連れて行ってくれたのである。従って、入口の守衛は黙
っていても通る事が出来たが、研究室の前に佇立する守衛をやり過ごす事は出来なかった。ドライと
いう、部外者がいるからだ。

「俺は、此処で待機していてもかまわないが。」

 身分証明書を見せて、ドライが自分の連れである事を理由に立ち入りの許可を迫る博士に、ドライ
が言った。しかし博士は、その必要はないと手を振り、守衛を半ば脅す形で研究室へ入っていく。

「俺のような部外者を入室させてもよいのか?」

 在り得ない事だが、ドライの機械音声の中に、僅かに呆れたようなものが混じる。
 
「かまわないよ。」

 博士は、平然と研究室に足を踏み入れて言った。
 
「部外者、と言っても、僕も一緒にいるわけだしね。誰も怪しまないよ。」

 無理やり押し入ったくせに、堂々と言い放つ。それに、とエレベーターに入り、人目が遮断されて
から博士は先を続ける。

「君を一人にしておく事のほうが危険だからね。誰かが君に危害を加えない、とも言い切れない。」

 エレベーターの階数を示すランプは、徐々に大きな数字に変化していく。
 
「君だって気づいただろう?昨日の彼女の様子に。」

 ドライは頷き、淡々と告げる。
 
「ローズ・クーパーには、機械、特に機械人形に対する、異常な嫌悪が見られた。」
「嫌悪、というより憎悪だね、あれは。彼女は君達によって家族を奪われた。直接の原因は、連邦軍
が発射した戦車の主砲によるけれど、それを撃たせたのは君達だからね。彼女の機械――特に人形に
対する憎しみは、そこからきている。」

 四十二階を示して、エレベーターは止まった。『開』のボタンに明かりが灯り、扉が開く。
 着いたようだね、と博士はエレベーターから、外の世界へ一歩足を踏み出す。そしてその狭間で立
ち止まり、肩越しに振り返る。彼は、ドライにしか聞きとれないであろう声を、口の中で紡ぐ。

「気をつけたまえ。君に責任が無いとは言い切れない。しかし、君だけの責任でもない。むしろ、責
任は、僕達人間にあるのかもしれない。けれど――。」

 その事を忘れている人間もいる。
 そう言って、博士はもう片方の足をエレベーターから出す。ドライは、博士の言葉など既に忘れて
しまっているかのような無表情のまま、黙ってついていく。背後で、滑るような音と共にドアが閉ま
った。
 エレベーターから通じる白い廊下は、天井に埋め込まれた青白い蛍光灯を照り返している。その所
為か、妙に寒々しく思えた。その中を、二つの硬質な足音が進んでいく。人類共同連邦日本支部の何
処よりも人気が少ないのか、自分達の足音以外の気配が無い。両側に、ぽつりぽつりとある部屋も、
誰も所在していないようだ。
 博士が、磨硝子の嵌め込まれた扉の前で、足音を立てるのを止めた。このような研究室には珍しく、
識別パネルも、呼び出し音声機も、何もついていない旧式の扉だった。博士は、それに驚く事無く、
扉をノックしてから中へ入る。

「誰が何の用?」

 部屋の中は、廊下と同じ蛍光灯で青白く照らされていたが、照り返しで眩しい、という事はなかっ
た。ほどよい明るさの、何処か寒々しい中に、幾つもの作業台が並べられ、その上に解体された人形
が横たえられていた。そして天井からは、首の接続孔に幾つもコードを繋いだ人形が、ぶら下がって
いる。その更に奥に、白衣の背中が見えた。

「久しぶりだね、イシヅキ博士。」

 その背に向かって、博士が声をかける。呼ばれて振り返った初老の女性は、博士とそれに付き従う
ドライに目を留める。

「どうしたのかしら、いつものお弟子さんは?それとも、ハインケルを従者代わりにするのを止めて、
本当の従者を雇ったの?」

 溜息混じりの声に、博士は、ふふっと笑ってみせる。そして、彼女の目の前に置いてある煙草の吸
い殻でいっぱいになった紙コップを目ざとく見つけ、

「という事は、煙草を吸っても良いという事だね。」

 と、いそいそとパイプを取り出す。そしてパイプを口に咥えながら、ドライと彼女を見比べる。

「判ったかい?」
「何が?」

 横目で尋ねる博士に、彼女は尋ね返す。ふむ、と博士はパイプを大きく吸い込んだ。

「ロボット工学者として、数千体の機械人形を見てきた君でも判らないかね。」

 博士の台詞に怪訝な顔をしているイシヅキ博士を少しの間無視しておいて、博士はドライに話しか
ける。

「ドライ君、こちらはサチコ・イシヅキ博士だ。ロボット解剖学の権威でもある人だ。そして昨日会
ったミヤビ君の伯母にあたる。」

 イシヅキ博士を紹介し終わると、無視する事を切り上げ、今度は彼女にドライを紹介する。

「イシヅキ博士。彼はドライ。機械人形だ。」

 一拍の沈黙があった。
 イシヅキ博士は煙草の煙を吐く。

「それだけじゃないんでしょう。」

 イシヅキ博士は咥えていた煙草を、灰皿代わりにしていた紙コップに押し付けて火を消す。

「ただの機械人形なら、あなたが付き添う必要はないわね。それにハインケルも連れてきてるらしい
じゃない。」
「僕が作ったとは考えないのかい?」

 博士の心外そうな顔に一瞥をくれて、イシヅキ博士はもう一本、煙草を取り出す。

「人形を考えもなしに作らない事は、よく知ってるわ。」
「……何か、考えがあるとは考えないのかい?」
「それなら、どんな考えなのかお聞かせ願いましょうか。」

 かちりと音がして、ライターの先に小さな炎が灯る。それに細い煙草が近付き、炎を一瞬共有して、
離れる。

「どんな考えがあるのかは知らないけれど、人形を連れてきたって事は、此処には今、ドール・キラー
がいる事をご存知ないのかしら。」
「知ってるよ。ローズ君には昨日会ったからね。」
「だからハインケルを連れてきた………。そんな事しなくても、その人形を置いてこればいいだけで
しょう?それとも、置いてこれない事情があったのかしら。」

 なるほど、と博士は感心したように言った。
 ここまで正確に把握していると、普通の相手なら期待しない。だが彼女は普通の相手ではない。

「そこまで推理できるとは、たいしたものだね。」
「こんなもの、推理とは言わないわ………。」
「で、彼が何なのか訊かないのかい?」
「それより、本来の目的はどうしたのかしら。」

 かなりの時間を無駄にしていると、暗に言っているのだ。

「そうだったね。」

 博士は、それ以上ドライについては何も言わず、天井から伸びる固定器具に首を掴まれ、宙吊りに
されている人形の一体に近付く。黒いナイロン系の物質で出来た髪の下にある顔は少年のそれで、四
肢も子供のように小柄だ。人工皮膚を剥(は)がされ、身体の各部位の接合部分が露わになっている。
胸部と腹部を繋ぐ丸い関節部分は内部を除かせ、幾つものコードが突き刺されている。

「このロボットが『シンギング・ドールU』だね。」

 解体途中の人形の眼に、自分の姿を映しながら、博士は言う。

「彼に対する君の所見を聞きたいね。」
「そうね………。」

 イシヅキ博士の指の間で、煙草に灯る小さな炎は、掠れるように瞬き続ける。

「よく出来てるわ……特に口の関節や、それと人工知能を繋ぐ擬似神経が。自然に歌っているように
見えるように、擬似神経は特別製ね……。」
「それで彼らを提出する事を、よく拒まなかったね。」
「拒んだら、それこそ怪しいでしょ……。」
「それで、何かあったのかね?」
「今のところは、特に何も。」

 イシヅキ博士は口から煙草を離し、首を振る。その時僅かに腕が震え、灰が白衣の上に落ちた。

「人工知能も、機能停止と同時に初期化されてるわ。」
「まあ、普通はそうだろうね。」

 メーカーが、ソフトの技術情報を守るための通常処置だ。怪しい事ではない。

「とりあえず、プログラムに不備が無かったか調べてみるわ。メーカー側は、無しと言っているけれ
ど、それを鵜呑みにするほどお人好しじゃない事は解かってるでしょう。」

 イシヅキ博士は、室内の明かりを落とし、傍らの映写機のスイッチを押す。暗く、何も無い宙に、
オレンジ色の像が形を結ぶ。立体的で半透明なそれは、誰が見ても、今問題となっている人形だった。
その上に重なるように文字の羅列が流れる。

「これが、プログラムだね。」

 博士は、宙にある見えないモニタいっぱいに書かれた文字を指差す。

「ドライ君が、この人形のプログラム・データを受領している。メーカー側が正しいものとして送っ
てきたデータだ。これには不備が無かった。これらの人形と、ドライ君の持つデータが一致すれば、
彼らに不備はないと実証できる。」

 この、とオレンジ色の立体画像を指して尋ねる。

「プログラムは、どの人形のものなんだい?」
「それよ。」

 イシヅキ博士は、並んだ作業台の一つに横たわる人形を、顎でしゃくる。
 博士は、暗い部屋の最も深い場所に佇立するドライを振り返った。

「ドライ君。君の受領したデータと、彼のプログラムで齟齬が無いか、調べてみてくれたまえ。」
「了解。」

 平坦な声で応じ、ドライは作業台に歩み寄り、自分の項からコードを一本、引き出した。そのコー
ドを、人形の首筋に開いた接続孔に突き刺す。

「接続プラグを接続…アクセス開始―完了。プログラム・サーチ開始。」

 彼は人間のように滑らかに、そして機械的に告げた。薄氷のような瞳の奥で、演算の光が瞬いてい
る。
 博士は、少し動き、ドライとリンクしている人形を見下ろした。それは他と同じく解体途中で、や
はり人工皮膚を剥がされ接合部を剥き出しにしている。先程見た人形と同じ少年型であったが、顔立
ちは全く違い、そして足を一本損失していた。

「いろんなタイプがあるね……。」

 同じ少年タイプでも、先程の吊るされた人形と、作業台に横たわる人形とでは全く違う。顔はもち
ろん、身長、体格、もしかしたら足のサイズまで違っているのかもしれない。

「オーダーメイドなのよ。」

 イシヅキ博士は素っ気無く答える。

「今はまだ、金持ちの娯楽道具よ……。もう二、三年もすれば値下がりして出回るでしょうけど。そ
れまではまだ、一号が市場を賑わすでしょうね。」
「という事は、エリアには出回っていないんだね?」
「常に氷点下の世界を楽しみたい金持ちがいない限りはね……。」

 以前もいったように、エリアはドームのように完全防備ではない。それはドームを調整する為の装
置――コアを使用していないからだ。コアは旧時代から残された技術のうち、最も古い物で、その原
理は今だ理解されていない。その理由として一番に上げられるのは、コアが現在も使用され続け、解
体して調べる事が出来ないからだ。従って、エリアの防御機構はコアを真似て作っているものの不完
全で、温度を外界よりも遥かに高く一定に保つ事は出来るが、それでも零度を下回る。そのような所
に住むのは、相当の物好きだ。
 しかしドームに住める人数は決まっており、ドームの土地は高い。そのため、ドームに住むのは高
額納税者ばかりとなり、地上と海底で貧富の差が生じるのだ。これは、ドームによる社会問題の一つ
となっているが、大きく取り上げられる事は無い。仮にあったとしても、具体的処置を決めぬまま、
立ち消えてしまうのだ。それは――その通りなのだろうが――政治家達がドームに住んでいるからだ
と言われている。