案内されたホテルは、ハインケルが今まで利用した宿泊施設の中で、最も高価な部類に入った。連
邦の職員と言えど、ハインケル達のように極秘裏に活動する事の多い者は、格安のホテルに泊まるの
が普通だ。先程のような、仰々しい出迎えもない。

「案内は此処まででいいよ。後は自分でなんとかする。」

 博士は、案内役を仰せつかった役員に軽い労いの言葉をかけた後、フロントに行く。フロントから
は、異国の言葉と、それに対応して同じ異国の言葉を操る博士の声がしている。ハインケルはこの国
の言葉は解からないが、それでもチェック・インしている事だけは解かる――それ以外に考えられな
いからだ。
 立ち尽くすハインケルの斜め後ろで、同様にドライも立っている。ただし、こちらは言葉を完全に
理解している可能性がある。

「……ドライ。」
「なんだ?」
「君は、この国の言葉は解かるのか?」
「データとして受領済みだ。日常会話においては問題ない。」
「……そうか。」

 つまり、ホテルのチェック・インに使用される会話ぐらいは理解も出来るし、使用する事も出来る
という事か。この場で完全に異国の人間なのは、自分だけと言う事だ――ドライは人間ではないが。
 やがて博士が戻ってきて、一人と一体の肩を押した。

「さあ、こっちで待っていよう。」

 博士は、ハインケルとドライをロビーの一角に並べられたテーブルとソファーの所へ連れて行く。
 博士がハインケルとドライをテーブルまで連れて行く途中、博士はホテルの従業員や、その他の客
が視線を送ってくる事に気づく。その視線の先が、ハインケルとドライである事を理解し、苦笑する。
 確かに、この二人の従者は目立つ。ハインケルは北欧特有の白い肌に、憂いを帯びた美貌の持ち主
だ。そしてドライは、人形ではあるが従来の人形よりも遥かに美しい。彼の中に、無骨な金属が詰ま
っているなどと誰が思うだろう。

「師匠?」 

 苦笑いが顔に出たのかもしれない。弟子が怪訝な声を上げる。それに対して、博士は茶目っ気たっ
ぷりに――中年紳士が茶目っ気を出してはいけないなどという決まりは何処にも無い――言った。

「ハインケル、気づいているかね?」
「何がです?」

 ハインケルが、小声で尋ねてくる。博士は笑いながら答える。

「みんなが、視線を送ってくるよ。」
「彼が人形である事を気づかれたんでしょうか?」
「………。」

 気づいていないようだ。
 博士はそれ以上何か言うのを止め、そのまま着席を促す。
 ピンク色、と言うには少々落ち着いた色ではあるが、ハインケルの語彙力ではピンクとしか言いよ
うの無い色のソファーに座りながら、ハインケルは博士に尋ねる。

「待つって、誰をです?」
「ミヤビ君さ。」

 博士も、ちょうどいいくらいの硬さのソファーに沈み込みながら答える。

「いや、ミヤビ君だけじゃないね。きっとローズ君も来る。彼女は、機械人形には首を突っ込みたく
て堪らないだろうからね……僕達が事件の引継ぎをする事を快く思ってないはずだ。だから、一言、
言いに来るよ。」
「それで、良いのですか?」
「悪くたって、いずれは顔を合わせるんだ。それなら早いほうがいい。」

 それに、と博士はドライに視線を走らせる。

「彼とも会わせないといけないしね。」

 その台詞にハインケルは絶句する。博士は最初から、ドライとローズを引き合わせるつもりだった
のだ。危険だという事を解かっていながら。ドライの正体を言うつもりはないが、それでも気づかれ
てしまう恐れがあるにもかかわらず。気づかれた場合、気づいた相手がローズでなくても、危険であ
る事極まりない。
 ハインケルは、知らず知らずのうちに非難のこもった視線を博士に向けていたのかもしれない。博
士が珍しく、ハインケルに対して弁解じみた事を言ったのだ。

「会わせないに越した事がないのは、重々承知の上だよ。ローズ君がいる場所にドライ君を連れて
くる事は、出来る限り避けるべき事なんだろう。けれど、彼を一人にしておくわけにはいかないだろ
う?いくら十三課の本部においていくと言っても、決して安心は出来ない。エスメラルダに任せてお
くっていうのも一つの手だけれど、彼にもしもの事があった時、いくらなんでも彼を直す事は出来な
いよ。それに、彼が暴走しないとも限らないしね………だから君を彼の側に置いてるんじゃないか。」
「…………。」

 博士の言う事は、いつもの事ながら正しい。 
 ドライをローズと会わせる事は危険だが、一人にしておくのも危険なのだ。ドライの正体がばれて
破壊されるかもしれない。ドライが自分達を騙していて、過去と同じように破壊活動を行うかもしれ
ない。そうでなくても、ドライも他の人形と同じように暴走してしまうかもしれない。だから博士は
ハインケルを、ドライの見張り兼護衛にしたのだ。

「博士!」

 突然、元気のよい声がロビーに響き渡った。博士とハインケルだけでなく周囲にいる客、そしてホ
テルの従業員ですら、そちらを見た。
 二つの影が揺れ、その内の背の低いほうが周囲の視線など気にせずに手を振り、近付いて来る。声
 を上げたのは、この背が低く、子供のような容貌を持つほうだろう。そしてその髪は、人目を引き
 付けるに十分な色をしている。日本人には有り得ない色――鮮やかなピンク色に染まっているのだ。

「久しぶりだね、ミヤビ君。」

 テーブルの前に立った子供に博士は応え、ソファーを進める。生まれも育ちも日本の派遣員、ミヤ
ビ・イシヅキは、へらっとした笑顔を見せてソファーに座る。そしてハインケルにも、へらっと笑い
かける。ヨーロッパの平均身長を遥かに下回る日本人を見下ろし、博士は口を開く。

「元気そうで何よりだよ。君の伯母上も元気かね?」
「元気ですよ。黒酢を原液のまま一気飲み出来るくらい。」

 ミヤビは高い声で答える。

「今日も会いたがってたんですけどね。人形の解体が忙しいみたい。なんせかなりの数が暴走しまし
たからね。アジア圏発でもあるし、力入れてるみたいです。」
「なるほど。相変わらずって事だね。今日会えない分は、明日にとっておく事にしよう。それから本
腰を入れて、事件の捜査をしようか。」
「その必要はありません。」

 冷たい声が、穏やかな博士の声を中断させる。その声は、ミヤビの後ろのもう一つの人影から突き
刺している。

「今回の事件は機械人形の暴走、その一言に尽きます。捜査の必要などありません。するべき事は一
つだけ――人形の廃棄です。」

 茶色のストレートの髪も長い女性が、幼さの残る顔立ちに似つかわしくない口調で言い放つ。ロー
ズ、と憮然としてミヤビが牽制するような声を上げる。しかし、彼女はそれを完全に無視した。

「人形の廃棄は、私一人でも十分出来ます。こんなに大勢は必要ありません。」

 さっさと帰れ、と言っているのだ、彼女は。
 しかし百戦錬磨の博士は――彼女の姿を見た瞬間、僅かに表情を曇らせたが――そんな台詞にはび
くともしなかった。

「ふむ、確かにそうだね。しかし、それならば帰るべきは僕じゃなくて、帰還命令の出ている君だろ
う。機械の処分は僕にだって出来るからね。」

 その台詞に、ローズは、きっと博士を睨みつける。

「この事件に、最初に手を出したのは私です。」
「違うね。ミヤビ君だろう、それは。ミヤビ君はこの国の派遣員なんだから、この国で起きた事件は
少なからずともミヤビ君の手に渡る。君は、たまたま此処にいて、首を突っ込んだだけだよ。」
「目の前で事件が起きているのを、黙って見過ごせ、と仰るんですか?」

 さすがに、台詞の中の棘に――棘があるというより、台詞自体が針のようなのだが――気づいたの
 だろうか。茶色の髪が激しく揺れ、声も大きくなる。それを見て博士は頭を振る。

「問題をすり替えないでくれないかね。僕はそんな話をしているんじゃない。人形暴走の件は、僕が
引き継ぐ事になったんだ。君は此処にいる必要は無い。加えて、君には帰還命令が出されている。十
三課の人手だって足りないんだ。人手が足りてる所にいて、どうするのかね?」 
「ですから、私一人で十分だと言っているでしょう?貴方に引き継ぐ理由が解かりません。」

 それに、と彼女は続ける。

「本来の任務はどうなされたんですか?解決したという話は聞きませんけど。」
「今まで通り、暗礁に乗り上げてるよ。」

 博士の声は、のほほんという言葉の境地)に達している。それに対するローズの言葉は、まさに針
千本である。

「なるほど…自分の任務もまっとう出来ないのに、他人の任務に口出しするのですか……。」
「忘れないでおくれよ。これは司令官の命令なんだ。」
「司令官もそのような人に任務を下されるとは。それに……。」

 ローズの視線は、博士を刺す事を止め、先程から置物のように佇んでいるドライを突き刺す。

「何故、部外者がいるんです?」

 常人ならば、このような視線を受ければ逃げ出すしかないだろう。しかし、そんな針のような視線
に貫かれても、ドライは動じる気配すら見せなかった。
 ローズがドライに視線を移した時、ハインケルは表にこそ出さなかったが微かに緊張したのだ。だ
が、ローズはドライを見ても、不信感以外の何かを見せる素振りはない。もしかしたら、人間だと思
っているのかもしれない。

「彼は、機械人形だよ。」

 博士は、あっさりと言った。瞬間、ローズの表情が凍りつく。そして、ゆるゆると瞳に憎悪としか
言いようの無い色が浮かび上がる。

「僕の作った最新型護衛ロボの試作品だよ。」

 ローズの瞳に憎悪が浮かびきる前に、博士は言い募る。更に、良く出来てるだろう、とまで自慢げ
に言い放つ。それに対してミヤビも、昔のアニメのロボットみたいだ〜、などと言っている。二人と
も、もはやローズの固まり具合は気にしていない。 
 ミヤビの反応に気を良くしていた博士は、ようやくローズに気を留め、ぴっと人差し指を立てる。

「ああ、壊すのだけは止めてくれたまえ。もし壊したら、修理代を請求するよ。」

 個人で支払うのは難しいかもしれないねぇ、などと言ってのけ、ハインケルとドライに立つように
言う。

「さて、そろそろ部屋に引き上げようか。長旅で疲れてるからねぇ。いやいや、歳はとりたくないも
んだね。」
「おやすみなさ〜い。」

 ミヤビの、間延びした声が、会話の終了を告げた。