「株式会社トリッキ製、タイプ三四八二『シンギング・ドールU』。評価(ひょうか)試験中には異常
はなかったが、全国的に販売し三ヶ月経った昨月、一体が暴走。同社が全機体を回収。しかし、当局
に提出された最新報告書によると、機体、及びソフトウェアにはいかなる欠陥も存在しない、と。」
今は海底に沈んだ極東の島国へ向かう変形型潜水艦の中で、博士はブリッジのメインモニタに浮か
ぶ文字を読み上げた。
巨大なモニタには、人形の解剖立体映像とプログラムの文字列が所狭しと並んでいる。それを憂鬱
そうに見ているハインケルに、聞いていたんだろうね、と訊いた。
師匠の声に、ハインケルは頷く。
「欧米での事件と同じですね。人形が暴走して、その人形には欠陥が無い………。この現象が広がっ
ているのなら、原因はやはりウイルスだと考えるのが妥当です。」
別にそこまでは訊いていないよ、と博士は言う。
「けど、せっかくだから、他の意見も聞いてみようか………君はどう思う?」
博士は振り返る。ハインケルもその視線を追う。ぶつかった先には白い姿の細い背中がある。柔ら
かな白い髪と服に挟まれた項にはジャックポットが開き、一本のコードが深く噛み付いている。やが
て、船が揺れても微動だにしなかった背中がすっと動き、手が滑らかに動いてコードを引き抜いた。
『シンギング・ドールU』のプログラム・データの受領が終了したのだ。
ドライはジャックポットを閉じて、不自然すぎるほど自然な動きで振り返って、博士との会話を始
める。
「何に対してだ?」
「『シンギング・ドールU』に対してさ。」
「何故、暴走したのかについてか?」
「まあ、そんなところかな。」
「……不確定要素が多すぎて、確固とした結論は出せない。だが、先程ハインケル・ゲーテが言った
ようにウイルスである可能性が高い。『シンギング・ドールU』は最新の音楽をダウンロードする為
に、他の玩具用人形よりもネット接続する割合が高い。従って、現段階ではウイルスによるものだと
推測される。」
「ふむ。ま、それが妥当だね。」
これにラング博士が噛んでいるかどうかは、また別の問題だ。それは現地の派遣員に、ラング博士
の影が見えているかどうか訊いてからでも、十分に対処できる。それよりも、もう一つ、本来の目的
について話しておかなくてはならない。
「さて、ここからが本題だよ、二人とも。」
博士は効果的に言葉を区切ってから、ハインケルとドライを見比べる。ハインケルは背筋を幾分か
伸ばしたようだが、ドライは何の反応もしない。
機械人形に対してはあまり効果的ではなかったようだが、博士は気にせず続ける。
「今言った人形の暴走の任務は、本来の任務の隠れ蓑だ。………だから手抜きをしても良いってわけ
じゃないんだけどね。」
後半は、口の中でぼやきに変化する。
「僕達の本来の任務は日本で見つかった核弾頭の調査だ。」
言った瞬間、ハインケルが顔を上げた。それでも、いつもの気だるげな雰囲気は変わらない。
「また、見つかったのですか?」
「うん。見つかったのは旧東京湾地下。イギリスで見つかった物とタイプは同じ。大洪水の時のシェ
ルターがあった場所に設置されていたらしい。だが、設置されたのはつい最近のようだね。この辺り
もイギリスと同じだ。」
「発見者は政府関係者ですか?」
「まあね。あの場所には何人もの調査団が入っているらしい。けれど、まだ全体を把握できていない
んだ。それで、何度目かの調査で、シェルター内の科学研究所らしき場所で核弾頭が発見されたんだ。」
ただ、と博士の表情が苦い物に変わった。
「シェルターの辺りは管理が甘くてね………放置されていると言っても過言ではないそうだ。だから、
エリアにもドームにも住めない人々が住みついているらしい。」
ドームとエリアに住む人々は、むろんの事ながら住民登録されている。登録者である事を証明する
ためのカードを、世界中全ての人々が持っているのだ。そのカードによって人々は識別される。そし
てこのカードが無ければ、病院などの公共施設は利用できないのだ。なくした場合は、再発行できる
のだが、その為の身分証明は面倒臭い。
しかし、このカードを持っていない人間がいるのだ。
地価の高いドームには住めず、しかしエリアに住む為にもそれなりの設備が必要であり、その資金
はかなりの金額である。国民保護を受ける事も可能だが、カードを持っていない事には不可能である。
おそらく大洪水前に密入国してきた彼らは、カードなど持つ事が出来ないのだ。それ故彼らは、旧
時代の廃墟などに住み着くのだ。
彼らの事を未登録住人、と言う。
「しかし、彼らはその後どうしたんです?核弾頭が見つかったとなると、そこには住めないでしょう。」
「いや、住んでいるらしいよ。言っただろう?政府は、そのシェルター全体を把握出来てない。立ち
退き命令を出したらしいんだが、彼らは行くところが無い―――エリアもそれなりの設備を購入しな
いと住めるような所じゃないからね。彼らは、きっとまだいるよ。」
博士は、しばらく火のついていないパイプを弄っていた。だが、やがて、この話はお終いだと言う
ように顔をドライの方にだけ向ける。
「それよりも君に言っておく事がある。」
「なんだ?」
ドライは、自分に向けられた言葉に、絶妙の角度で首を傾げる。いくら中枢演算機構に人間の脳が
使われているとはいえ、人形である事に疑いを抱くほどの仕草で。
しかし、百戦錬磨の――何に対する物かは知らないが――博士が、そんな仕草に惑わされるはずも
無く、淡々と告げる。
「今から行く場所には、君を傷つけようとする人間が一人いる。彼女は君を、ひたすらに憎んでいる。
けれど、君の顔は知らない。だから、君は自分の機体名称を言ってはいけない。もし、君が『SJ』と
いう機体名称を持つと知ったら、彼女は間違いなく、君を破壊する。もちろん、君の近くには僕かハ
インケルがいるように心掛けるつもりだ。けれど、万一という事もあるからね。解かったね?君は自
分の機体名称を言ってはならない。」
「了解。」
平坦な声で、機械人形は命令を受領した。
そして、博士はハインケルを見る。
「解かっているね。君もだよ。」
「わかりました。」
こうして、おそらく史上最強であろう機械人形を守る手筈が整えられると同時に、潜水艦は日本領
海へと入っていく。
窓の外で領海を示すランプが点滅した。その赤い光の先に、更に濃い光の渦がある。その光は半球
状の透明な物質の中で渦巻き、それからは幾筋もの輝くパイプが伸びており、そこからは何体もの潜
水艦が出入りしている。
出て行く船は、深い闇の中に自身のサーチライト一つを頼りに沈んでいく。逆に、入っていく船は、
光に満ちた高層ビル群へ、自らの光を足していく。ハインケル達の乗る潜水艦は、前者である。ゆっ
くりと闇色を染み込ませた海の中を降下し、半球内と海中を繋ぐパイプに吸い込まれていく。
透明で外の風景を見せていたパイプは、半球内に入った途端、無骨な機械部分を見せた。金属板
に覆われたパイプの中で、潜水艦は一度止まり、再び泳ぎだす。しかし、それは自らの力ではなかっ
た。パイプ内部の壁の一部が開き、そこから細長い三つ指の機械の腕が出てきて、潜水艦をしっかり
と掴んだのだ。そしてそのまま、ドッグへと運んでいく。
二十体もの潜水艦を保有できるドッグに運ばれ、変形型潜水艦『トリトン』は水を押しのけて浮上
した。軽い音を立てて、エンジンが止まる。
着いたよ、と博士が立ち上がる。それを見て、ハインケルも立ち上がる。人間二人が立ち上がった
後、ドライは二人に、何か問い掛けるような――そう見えるだけなのだが――眼差しを送る。まるで、
自分もついていって良いのか、と言うような仕草に、博士は苦笑いを浮かべて、おいでと言う。その
言葉を聞いてから、やっとドライは立ち上がる。
それを、苦笑いを消さないまま見てから、博士はハッチの近くにあるパネルに触れた。隙間から空
気が漏れるような音がして、ハッチが左右に開いた。
優雅な所作で潜水艦から降りる博士に続くと、オイルの臭いと轟音に近い機械音が、一気に立ち込
めた。そのまま降り立ち周囲を見回すと、無骨な金属も剥き出しの潜水艦ドッグの中で、十三課の白
い潜水艦の曲線は異様に際立っている。
ハインケルがそんな事を思っていると、その潜水艦よりも美しい体形を持った人形が、柔らかな動
作で降りてきた。彼が降りきったところで、数人の男が近付いてきた。その先頭に立つ男の胸には、
連邦日本支部の役人章が光っている。役員章は博士もハインケルも持っているが、着けた事は数える
程度しかない。一度は特務室に配属された時、後の数回は、今目の前にいる彼らのように公務で誰か
を迎える時だった。
「特務室第十三課の方ですね?お待ちしておりました。」
男は恭しく一礼をする。
「ホテルを用意しております。そちらのほうに派遣員も待機させております。ホテルまでご案内しま
すので、どうぞこちらへ。」
そして、役人が合図をすると、彼の後ろに待機していた数人の男達が、ハインケル達の荷物を運び
始めた。
役人の後を追い、ドッグから出ると、先程のオイルと機械音が嘘のように、辺りを静けさが支配し
た。しずしずと歩く自分達の足音だけが、良く響く。
異常に大きな足音を響かせる廊下を渡りきると、エントランスに出る。ホールの強化ガラスの扉か
ら、僅かだが外の雰囲気が窺えた。背の低い植木の向こうにある通りは、まだ夜明けが遠いのだろう
か、人通りは少ないように見える。
「こちらです。」
恭しい物腰を崩す事無く、役人は出入り口に向かい、一台の車へと案内する。黒塗りのリムジンの
周りには、二人の男が直立不動で立っていた。きっと、車の見張りをしていたのだろう。
彼らは、ハインケル達が近付くと、さっと車の扉を開いた。そして荷物を持っていた男達は、車の
後ろに回りこみ、トランクを開けて、荷物を壊れ物でも扱うような手つきで丁寧に収納した。
ハインケル達三人が後部座席に乗り込んだ後、役人が助手席に着席する。すると、制服をかっちり
と着込んだ運転手は、エンジンをかけた。荷物持ちと見張りの男達は、車の横に一列に並び、直立不
動姿勢を保ち、車が発進すると軍人のように一礼した。
その姿が点になったところで、博士が口を開いた。
「ホテルで待機している派遣員は誰かね?」
それに対する答えは、恐ろしく速かった。
「当初予定されておりましたのはミヤビ・イシヅキのみでしたが、ローズ・クーパーが参加しまして、
現在この二名が待機中です。」
「ふむ………。」
やはり、と思ったが、それは敢えて口にしなかった。
「それで、問題の人形達は何処に保管されているのかね?」
「はい。会社が暴走の事実を発表した際、アジア地区初の人形の暴走という事なので、会社から該当
機体を全て押収し、人類共同連邦日本支部会館付属の研究室に保管しております。」
「解体は誰が?」
「サチコ・イシヅキ博士が、総責任者となっております。」
「そうか………彼女が。」
博士は、安心したようにも聞こえる声を出した。
「では、明日から会館のほうに宿泊するよ。しばらく徹夜だろうからね。わざわざホテルに戻るより
も、そちらのほうが効率がいい。そのように手筈を整えてくれないかね。」
「承知しました。」
恭しい声を最後に、車内からは会話が途絶え、静かなエンジン音のみが鼓膜を振るわせる。
ハインケルは、高層ビルの立ち並ぶ景色を黙って見ていた。
いったい、何処からこれほどの電力を持ってきているのかわからないくらいの光の粒が、窓の外に
散らばり、固まり、色を飲み込み、夜景というものを作り上げていた。すれ違う車のメタルフォーム
が、それらで縁取られ、少しだけ色づいている。おそらく、この黒のリムジンもそうなっているのだ
ろう。
このように、星空をそのまま引き摺り下ろしたような街は、世界中の至る所にある。だが、それは
本当の宇宙に比べれば小さな物でしかないのだろう。そもそも此処は海底だ。宇宙と同じくらい暗い
海底で、かろうじて宇宙と同じような光が、此処にある。しかし、それも限られた空間だけだ。ドー
ムの中でしか銀河を作る事は出来ない。
視界の端で、小さな銀河が輝いた。それに焦点を合わせようと視線を少し動かすと、そこにはドラ
イがいた。白い身体を持つドライには、すれ違う車よりも大量の銀河が降りかかり、縁取るどころか、
様々な色に淡く染め上げられていた。人工星の光に当てられたその身体の中で、一際大きく星が輝い
た。それが、彼の薄氷色の眼に反射した街頭の光だと気づいた時、車の速度が緩んだ。
目の前に、黒く巨大な、そして数多くの星を宿したホテルが、そそり立っていた。