「八年前の遺物か………。」

 広い窓に分厚いカーテンを掛け、白い光が満ちた執務室で、ヴィンセントは呟き、机の前で佇んで
いる博士を見る。
 彼らに下した本来の任務は、最近頻発している人形の暴走の原因解明――それに先立って、聖家族
教会に潜伏して、ウイルス製作やサイボーグの違法改良をしていると考えられているラング博士の確
保だった。そして、イギリスのロンドン・ドーム地下の軍事施設で発見された、核弾頭との関与につ
いても追求する方針だった。 
 そのはずだった。
 が。
 彼らは、肝心のラング博士の遺体を発見しただけで遺体を持ち帰る事はなく、代わりに、持って
帰ってくる必要の無い物を持って帰ってきたのだ。

「とんでもない物を拾ってきてくれたな………。」

 何処か、咎める様な――しかし何だか諦めている――眼で睨むが、博士の表情は涼しいものだ。

「彼以外に、つれてくる者がいなかったものですから。」

 ならば、つれてくる必要はない。

「十三課以外に知られたら大騒ぎだぞ。」
「十三課以外に知らせるのですか?」
「知らせない!」
「では、問題ないですね。」
「………。」

 ヴィンセントは思わず、握りこぶしに血管を浮かべそうになったが、それにおそらく気づいていな
い博士は、表情を変えずに言う。

「八年前の事件、それに現在の事件についても、何か知っていると思ったのですよ。その時は。」

 それ以外には、馬鹿弟子が世話になった、というのがあるが、博士がそれを口にするような事はな
い。その馬鹿弟子の所為で出来た人形の傷は、博士が直した。あれは大変な作業だった、と感慨深げ
に思い出している博士を、何も知らないヴィンセントは不審そうに見る。その視線に気づいた博士は、
失礼、と話題を先に進める。

「その時は、何か知っている、と思ったのですよ。その時は。」
「知らなかったのか、その人形は。」
「いえ………知っているのは間違いないんでしょうね。ただ、訊き出せない。」

 ヴィンセントの不審気な表情は、溶解するどころか、ますます硬化し始めている。

「何故だ?三大禁則事項は適用されている、と言っていなかったか?」
「適用されています。ちゃんとプログラムがありました。外れないよう、ガードされて。」
「ならば………。」
「無理だったのです。」

 一向に先に進まない会話に、ヴィンセントの表情の不審の文字は、くっきりと浮かび上がっている。
しかし、博士は相変わらずのペースで、答えをようやく言った。

「製作者が彼に、八年前の事、及び製作者自身の事について答えないように命令したようです。我々
にはアクセス権がない。」

 その台詞に、ヴィンセントは素っ気無く、メモリの解析は、と尋ねた。

「アクセス権がなくても、メモリ内容を解析すればいいだろう。」

「残念ながら、無意味でしてね。」
「無意味?無理の次は、無意味か。」

 無理でもいいんですよ、と博士は答える。

「メモリには、八年前の事、及び製作者についての事は保存されていませんでした。」
「削除でもされていたのか?それともまさか、八年前の人形とは別物だと言うのか?」
「いいえ。彼は八年前の人形――今日の人形の暴走の先駆けとなったと考えられている人形ですよ。
間違いなく、彼は八年前の事を知っている。ただ――メモリとは別の所で、その記憶を保存している。」
「ならば、そこを探せばいいだろう。」
「無理です。」

 博士は、あっさりと言い放った。

「それこそ、我々人間にはアクセス権のない場所でしてね。」

 何、とヴィンセントは、表情を変えない部下を見る。

「人形は人工知能によって自らの行動を判断します。人工知能にプログラムされた学習能力によって、
言語能力など、一応、成長らしきものを見る事が出来ます。しかし、所詮は人間の作り出したもので
あって、それ以下でもそれ以上でもない。つまり、何か新しい物を考え出すという事はないのです。
人間の脳には程遠い。」
「だからなんだと言うんだ。」

 ヴィンセントの苛立ったような声に、博士は、ただ目を細めただけだった。

「彼は果たして人形なのか、人間なのか。その判断が難しいのですよ。」

 言って、博士は少し、パイプを噛締めたようだった。

「彼に人工知能は搭載されていません。彼の中枢演算機構を占めているのは、人工知能などではなく、
人間の脳です。」

 博士が一息に言い放った瞬間、ヴィンセントの表情からは苛立ちが消え、凍りついた。

「あれは、サイボーグだと……?」
「そうとも言い切れない。彼の場合、失った身体を機械で補うのではなく、機械に足りない部分を人
間の生体で補っているのです。その証拠に、彼の脳には感情を抑制するリミッターが取り付けてある。」

 それを聞いて、ヴィンセントは舌打ちする。

「なんという事だ……。」

 もしこの事が広まれば、波紋を呼ぶ事は間違いない。脳を――ましてや人間の脳を人工知能代わり
にして機械に取り付けるなど、倫理的に問題が有り過ぎる。そんな事、幼子でも判る事だ。宗教団体
は、これ見よがしに騒ぎ立てるだろう。メディアも、八年前の事を取り出し、機械人形を取り逃した
事を批判するだろう。

「なんとしてでも製作者を見つけねばならない、という事か。」

 八年前の機械人形の生き残りがいる事が公になる前に、製作者をは白日のもとに曝さねば、人類共
 同連邦への批判は免れない。

「ラング博士の事はどうします?」

 歯噛みするヴィンセントの心中を推し量りながら、博士は言った。

「ラング博士の遺体を見つけた、と報告したのですが、それは確かな事実とは言えないのです。」
「今度は何だ。」

 次から次へと舞い込む問題に、頭痛でも起こしたような表情を、ヴィンセントは作っている。

「あの人形の製作者が、ラング博士だったとでも?」
「その可能性は少ないと思いますが……。そうではなく、あの遺体は、本当にラング博士のものなの
か、と思いましてね。」
「確認したんじゃないのか?」
「ええ、我が弟子が。しかし、外見だけで判断したに過ぎないのですよ。遺体は失われてしまいまし
たからね。」
「遺跡にあった死体はラング博士のものではない、と?」
「彼は生体にも造詣が深かった。だから人工臓器なども作れたのでしょうけれど。ならば、死体を自
分のように見せる事は簡単でしょう。無論、直ぐにばれてしまいますがね。隠れるには十分な足止め
にはなるでしょう。現に、出来ているようですし。」

 博士の台詞に、ヴィンセントは眼に微かな憂いを込める。

「ラング博士生存のほうでも調査せねばならない、という事になるか……。」

 相手の尻尾は気が遠くなるほど長く、捉えどころがない。一筋縄ではいかない。つまり、こちらも
長い手と、幾つもの線が必要となってくるという事だ。
 博士、とヴィンセントが呼んだ。

「この任務はエスメラルダの専属任務に切り替える。あなたには別の線を切り崩しに行ってもらう。」
「ラング博士――いや、人形の暴走に関わる線が、まだあったのですか?」
「原因不明の人形の暴走が、またあった。」
「何処でです?」
「アジア地区だ。」
「アジア?」

 アジアでも人形の暴走は欧米と同じくあった。しかし、原因不明の報告を受けるのは、これが初め
てだ。

「……何処です?」
「トキオ・ドームだ。」
「日本ですか。」

 極東の、小さな島国だった国。海に沈んだ今では、島国という言い方は出来ない。大小のドームの
連なる、決して大きいとは言い難い国だ。旧時代は先進国と呼ばれる国の一つでもあったらしい。そ
の証拠に、そこの海底で見つかる過去の遺物は、他と比べて発達している物もある。博士は見た事が
ないが。

「広がっているのかもな。」

 不意にヴィンセントが言った。だとしたら、と幾分自嘲気味に続ける。

「本当に、感染症のようだ。」

 人間の中で蔓延する、インフルエンザ・ウイルスなどのように。旧時代にヨーロッパに壊滅的な打
撃を与えたペスト菌のように。
 機械人形の感染症。
 それは、人間の害にしかならない。

「僕に、日本に行け、と?」
「そうだ。あなたが一番適任だろう。」

 ヴィンセントは、博士に書類らしきものの束を博士の前に出す。分厚くはないが、薄くもない。ぱ
っと見たところでは、文字の羅列が窺えるだけだ。………博士が近眼の所為もあるかもしれないが。

「暴走した人形の資料だ。向こうへ行く途中で、眼を通して置くように。」

 博士の返事も聞かずに、そう言い放つ。

「それに、ついでだが日本の派遣員から連絡が入った。」
「なんです?」
「日本でも核弾頭が見つかったらしい。」

 博士が、微かに眉を上げた。それに気づいているのかいないのか、ヴィンセントは淡々と告げる。

「政府は、まだこの事を公表していない。これについて知っているのは、日本政府の中の少数と、我
々十三課の人間だけだ。」

 ここまで言って、ヴィンセントは改めて博士を見る。

「どうだ。この任務、引き受けるか?」

 つまり、人形の暴走の件は、核弾頭の調査のよい隠れ蓑というわけだ。
 無論、博士にも任務を承諾しない気はない。ただ一つ、気にかかる事がある。

「彼は、どうするのです?」
「彼?」

 誰の事だ、とヴィンセントは訝し気に首を傾げる。

「ハインケルなら、連れて行ってもかまわないが?」
「いえ、ドライ君のことです。」

 ああ、と彼女は頷く。

「その人形についてはあなたに任せる、と言ったはずだ。」
「では、連れて行ってもかまいませんね。」
「かまわないが、その場合は現地に着いた後の事を考えておいたほうが得策だな。」
「現地に何かあるのですか?あそこにいる派遣員は、ミヤビ君でしたね。」

 博士は。問題となっている土地で起きた出来事について、思い巡らせる。

「確か先月、麻薬ルートの壊滅のために、派遣員を一人導入しましたね。」
「それが、まだ帰ってきていない。」

 ヴィンセントは吐き捨てるように言った。

「貴方が聖家族教会へ言っている間に、任務は完了してた。が、まだ居座り続けている。」
「……彼女、ですね。」

 博士は、やや問題のある派遣員の姿形を思い浮かべる。そして、微妙に表情を曇らせた。

「問題が有るとしか言いようがないですね。彼女は、機械絡みになると冷静な判断が出来なくなる。
何故、呼び戻さないのです?」
「呼び戻したとも。だが、いっこうに聞く気配がない。完全な命令違反だ。」
「既に冷静な判断が出来ていない、というわけですか。……しかし、困りましたな。」

 彼女は八年前の悲劇の被害者だ。あの事件によって家族を失った。そんなだから、機械に対して好
い感情など持っているはずがない。ましてやドライは事件の元凶そのものだ。会わせるのは非常に危
険と言ってもいい。

「まぁ……弟子に見張らせましょう。」

 一つの策を考え出した部下を見て、ヴィンセントは改めて任務を下す。

「では、トキオ・ドームにおける機械人形の暴走の原因解明を、任務として貴方に下す。明日にでも
出発を。」
「了解。」
「それと………。」

 若き司令官は、最後の最後に爆弾を落とした。

「先の任務で改造した潜水艦の改造費の領収書は、貴方宛にしておく。」