死に絶えたような青く暗い部屋で、ハインケルは機械の死骸から流れ出る火花を、血糊の様に浴
 びていた。光の消えた部屋では、機械に内蔵されたセンサランプの明滅だけが、浮かんで見える。
  ハインケルは、床を埋め尽くす残骸の上に立ちながら、それでもなお、数多くの機械と対峙して
 いる。オイルで滑りやすく、そして、てかっている床に、ハインケルと幾多の機械の陰が揺らめい
 てい た。
  そしてもう一つ―――。
  先程不意に現れた、暗い空間にあって青白い身体から放っている影がある。
  瞬間、たじろいだかのように、僅かだが機械達の動きが止まった。ハインケルも動きを止める。
 凍りついた部屋に、深海に光が差し込むかのように、青白い光がすっと舞い降りた。

 「誰だ?」

  鮮やかな、しかし眩しくはない光の中に、白い姿がハインケルの翠瞳に入った。
  ハインケルがその姿を完全に認めきる前に―――つまり機械達が再び動き出す前に、白い身体か
 ら光が残像のように震え、銃声が轟音のようにその場を貫き、その直後には、群がる機械達の頭部
 が粉砕していた。
  鏡の様に磨かれ、今は、てかっている床に、機械人形から弾け出した金属が落ちて、四方に飛び
 散った。オイルで濡れた床に再びオイルが広がり、機械から部品へと戻された金属を飲み込み、床
 に映る白い姿を塗り潰していく。その上に、原形を留めぬほどに引き裂かれた人形の外殻が落ち、
 油で汚れていく。
  ハインケルは総てが終わった後、唖然として、その姿をようやくはっきりと見る事が出来た。
  改めて見ると、闇の中でくっきりと浮かび上がるその姿は、ほっそりとしていて小柄で、歳も二
 十代前後の青年だった。そしてその小柄な身体に似つかわしくない、厳しい大型拳銃が、その両手
 に握られていた。全体の印象は白で、服も髪も、眼の色さえ白に近い青で染め上げられていた。
  それらが微かに発光している。その事が、彼が人間でない事を物語っている。

 「何者だ……?」

  落ち着いて考えてみると、此処にいるのが普通の存在であるはずがない。ハインケルは一瞬のう
 ちに間合いを詰め、白い影の、その白い首筋に刀の切っ先を突きつけた。
  しかし、普通ならば何らかの反応をすべきなのだろうが、その白い影は、両の手にある拳銃を掲
  げるどころか、微動だにすらしなかった。ただ、形の良い口が滑らかに動いただけだった。

 「説明している暇はない。これより五百四十八秒後、此処は崩壊する。俺と同行を。」 
 「崩壊する……?どういう事だ?」
 「説明している暇はないと言ったはずだ。」

  ハインケルはしばらくの間、まじまじと目の前の白い存在を見ていたが、やがて納得したように
 言った。

 「なるほど……君は機械か。どうりで気配がないはずだ。」

  そう結論付けたハインケルの目の前で、白い影は、人間と変わらぬ割合で瞬きをする。

 「確かに俺は機械だ。同行を要求する。」

  しかし、人間と全く変わらぬ仕草をしながらも、表情一つ変えずに告げる機械人形の首からハイ
 ンケルは刃を離そうとはしない。そのままの姿で質問をする。

 「ラング博士に造られたのか?」
 「いや。ラング博士の製作品、Lシリーズではない。俺は、機体名称ゼーレン・イェーガー三号機。
  SJ-V。」

  直後に、ハインケルの美貌が凍りついた。

 「SJだと………?八年前、フィレンツェ・ドームを破壊した………?」

  対照的に、人形は瞬き以外、表情を変える事なく頷く。

 「そうだ。」

  今にも壊れそうな部屋の中で、ハインケルと白い人形は動かない。白い首に添えられた刃は、硬
 質な輝きを滴らせている。その輝きだけが、震え、動いている。
  凍りついた中で、先に動いたのは人形だった。何かを言おうとしただけのようだったが、ハイン
 ケルもその時には動いて、更に強く力を込め、刀の切っ先を一層突きつけている。
  普通の人間ならば、息をする事にすら恐怖を覚えるだろう状況で、人形は、あまりにも自然な眼
 差しでハインケルを見ている。そして、変わらぬ口調で同じ事を告げる。

 「俺と同行するのか、選択を。」

  返答を求める人形の首を今にも切り落としかねない状況で、吐く息がかかりそうな距離まで顔を
 近づけ、ハインケルは口を開く。

 「お前についていけば助かる、と?」
 「そうだ。」

  首肯する人形に、ハインケルは更に詰め寄る。

 「八年前、五千人以上の死者を出した惨劇を引き起こしたのに、今は人間を―俺を助けるのか?」
 「俺は機械だ。機械は人間の為にのみ存在する。従って、俺は貴方を助けねばならない。」

  その台詞に、ハインケルは皮肉めいた笑みを浮かべる。

 「ならば、何故フィレンツェを襲った?」
 「今、説明している暇はない。同行を………。」
 「俺がお前を信用するとでも?」

  ハインケルの言葉に困惑するふうでもなく、人形はハインケルを見ている。そのガラスの眼の奥
 では、忙しなく演算の光が瞬いている。その光の瞬きが終了すると同時に、世界の崩れる前兆音が
 空気を震わせた。その時には、人形の白い身体が動いている。コンマ数秒遅れて、ハインケルも刀
 を引く。
  しかし、人形の手の方が、ハインケルの刀がその端正な身体を両断するよりも早く、ハインケル
 の身体を突き飛ばし、壁に押し付けている。人形の両腕は、ハインケルの首の両側にそれぞれつい
 て、顔はハインケルよりも低い位置にある。
  そんな、ハインケルを庇うような姿で、人形の動きが一瞬、人間で言う『強張った』ようだった。
 その間にも震音は続いている。

 「崩れるのか……?」
 「……そうだ。」
 「そうか……。」

  ハインケルは、自分より頭一つ分低い位置にある人形の顔を見た。
  人形の表情に変わりはない。しかし、硝子の眼の奥の光が微妙に変化したようだった。次の瞬間、
 口から赤い雫が滴り落ちた。ハインケルの口元に微かな笑みが浮かぶ。一体と一人の足元には、小
 さく赤い溜りが出来ていた。

 「このような事、俺には無意味だ。」 

  唇に朱をさしたまま、人形は言った。その白い胸には、刀が深々と突き刺さっている。両方とも
 美しい身体を持っているので、そのような状態でさえ、皮肉なまでに似合っている。

 「確かに無意味かもな。だが、このまま切り裂いて、機能停止せずにいられるかな?」

  ハインケルの手中で、鋭く輝く刃は、今にも動こうとしている。きっと、切り裂かれても、この
 人形は美しいままなのだろう。
  人形は、刀などには眼もくれず、ハインケルを見ている。

 「いいのか?助からなくても?」

  口から流れ出る皮下循環剤は、人間の血液に似せて作られたのだろう。もしこれで、死の恐怖の
 片鱗でも見せてくれたなら、いかにハインケルといえども、刀を動かす事を躊躇ったかもしれない。
 しかし、白く美しい人形は、相変わらずの無表情でハインケルに尋ねた。それに対し、ハインケル
 も、死の恐怖など感じていないような顔で答える。

 「今、此処でお前を破壊しておく。」
 「つまり、助からなくてもいい、という事か?」
 「そうだ。」
 「そうか。」

  人形の声には、何の感情も漂っていなかった。ハインケルは人形の機体を切断するべく、刀を握
 っている手を横に動かした。
  刹那、彼らの横の壁が轟音と共に砕け、崩れ去った。部屋を縦横無尽に走っていたパイプが引き
 千切られ、壁を覆い尽くしていたモニタが割れ、その破片が機械だった金属粉に降り注ぐ。
  ハインケルは弾かれたように、粉砕された壁を見る。人形はハインケルを庇うように身体を動か
 し、その拍子に、突き刺さっていた刀が大きく横に動き、細やかな機体を横薙ぎに切り裂いた。皮
 下循環剤がその白い身体を汚す間にも、ハインケルと崩れる壁の間に割り込み、飛び散る破片から
 ハインケルを庇う。
  そんな人形の向こうで、音を立てている壁に開いた穴からは何やら白い物体の巨大な頭が覗いて
 いた。
  形状は人間の姿を模倣しているように見えるが、大きさが尋常ではない。動甲冑の何十倍の大き
 さがあるだろうか。しかし、ハインケルには、その物体に何かの面影を感知した。というか、その
 物体に、自分の所属部署を表す十三の文字が、赤く染め抜かれている。それに気づき、ハインケル
 は絶句する。手足がついて、姿形こそ違えど、それは自分達が乗ってきた潜水艦に違いないからだ。

 「師匠!」

  こんな事しでかす人物は一人しか思いつけない。ハインケルはなんとか声を絞り出した。それに
 答えるかのように、巨大ロボットに変形してしまった潜水艦の、多分、ハッチであろう場所が開き、
 博士が姿を見せた。現れた博士は、弟子の混乱を見事なまでに無視し、一人と一体を見下ろし、何
 をしているのかね、と言った。しかし、それはハインケルの言うべき台詞である。
 
 「師匠、それは、一体………。」

  なんとも感想し難い姿になってしまった潜水艦を見て、ハインケルはつっかえながら訊く。それ
 に対する博士は、片眉を上げる。

 「何を言っているのかね。君達の帰りが遅いから、この対水中戦用ロボをわざわざ発動させ、君達
 を迎えに来たんじゃないか。」

  自慢気に言う博士に、ハインケルは、さっきまでの緊迫感を忘れ、肩を落とした。
  かつて博士は、人が人に似せた機械を作るのは旧時代のアニメーションの影響だ、と言った。し
 かし、それは博士も同じだったらしい。確かそのアニメーションでは、変形ロボットが数多く登場
 していた気がする。

 「師匠………破門してください。」
 「さて。では二人とも、乗りたまえ。」

  ハインケルの落ち込んだ台詞を無視して、博士は乗船を促す。仕方なく、肩を落としたままハイ
 ンケルは変形した潜水艦ロボに近付く。が、博士の台詞に引っかかる部分があり、途中で立ち止ま
 る。

 「師匠………。二人ともって、誰と誰の事です?」

  エスメラルダは、既に乗船しているので、『乗りたまえ』という台詞は彼女に向けられたもので
 はない。ハインケルとエスメラルダに言ったのなら、『乗りたまえ』ではなく『帰ろう』と言うだ
 ろう。では――この場合の二人は、ハインケルと――。

 「君と君。」

  博士は、ハインケルと、その後ろで皮下循環剤を流し続ける人形を指差す。

 「何故、彼も!」
 「此処にいたんだ。此処で何があったのか、知っているかもしれない。だから、証言してもらわな
 いとね。」
 「しかし……。」
 「安心したまえ。彼には三大禁則事項が適用されている。僕らに危害を加える事はないし、僕らの
 命令には従う。自壊する事もない。」

  そうだね、と博士は、赤く染まった白い人形を見る。人形が首肯するのを見て、博士も頷く。

 「ついて来たまえ。これは命令だ。」
 「……了解した。」

  人形は様々な物体の破片の間を通り、変形してしまった潜水艦へ向かう。既に潜水艦のハッチに
 向かっていたハインケルの横に辿り着いた時、博士が再び声をかけた。

 「時に、君の事をなんと呼べばいいのかな?君はこれまでなんと呼ばれてきたんだい?」

 博士の問い掛けに、人形は顔を上げてこう言った。

 「三号機。」

  味も素っ気も無い答えに、さすがの博士もたじろぐ。

 「……それはちょっと。」
 「もしくは、ドライ、と。」
 「……意味する事は同じ気がするんだが、まあ、いい。とにかく早く上がりたまえ。」

  博士が急かす。博士の質問の所為で止まったのだが、人形――ドライは何も言わず、潜水艦に足
 をかけた。しかし、彼は、突然足を止める。
  不審に思ったハインケルが、刀に手を掛けながら、どうしたと尋ねる前に、背後で錆び付いた歯
 車が軋むような音が反響した。続いて、何か液体の滴る音が。
 音の出所は、ゆっくりとだが移動している。ドライが振り返ると同時に、黒い油状の液体が降りか
 かった。

 「なっ…!」

  ドライより半拍遅れて振り返ったハインケルは、眼に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
  先程、自分とドライが破壊して活動停止させた機械が立ち上がり、傷んだ機体を駆使して飛び掛
 ってきたのだ。金属の擦れ合う耳障りな音は、あちこちからしている。

 「早く乗りたまえ!」

  いつになく厳しい博士の声がした。その声が終わるかどうかという時に、ドライが跳躍し、ハイ
 ンケルをハッチに向かって突き飛ばし潜水艦の中に押し込んだ。
  ドライが再び跳躍し、自分も潜水艦のハッチに飛び込もうとした時、ドライの細やかな身体に金
 属の手が絡んだ。ぎりぎりと締め上げるような、機体の限界を訴える音を響かせ、流れきったオイ
 ルの代わりに火花を流しながらも、機械人形はドライを行かせまいとするかのように彼の服を掴む。
 一体が掴むと、他の機械も一斉にドライに群がる。
  だが、そのほとんどは、掴むと言うよりも縋ると言った方が正しいような手の動かし方だった。
 その時、一際大きな轟音と共に世界が震え、天井が落ち始めた。

 「早く!」

  人間達が叫んだ。それに答えるべく、ドライは機械達に向き直った。そして彼らに右手をかざす。
 かくんと右手が手首の部分から曲がり、黒光りするノズルが顔を覗かせた。そこから、青白い炎が
 噴出した。 二千度を超える炎が人形達を直撃し、薙ぎ倒す。
  その隙にドライは下肢を稼動させ、ハッチに駆け上がっている。ハインケルが手を差し伸べた時、
 ハインケルはドライの背後に、再び群がり始める機械人形達を見た。
  ドライが手を差し出す。背後では錆色の機械が、その青白く美しい体に飛び掛ろうとしている。
 ハインケルは、差し出された白く滑らかな手を右手で掴み、引き寄せ、残る左手で腰掴み、艦内に
 白い身体を引き入れる。
  ドライの爪先がハッチをくぐった瞬間、飛び掛る人形の剥き出しの光学センサが、軽い音と共に
 ドアで遮断された。
  がくんと潜水艦が揺れ、博士の声が耳に届く。

 「二人とも、どこかに掴まっていたまえ!」

  既に、発進できる状態にあったのだろう。がるん、という音がして、崩れる建物と、甦った機械
 人形達が襲い掛かる中、元潜水艦が走り始める。
  今頃、白く変色した聖家族教会の残骸が、泥を巻き上げながら震えながら崩れているだろう。そ
 の中を鉄色の身体から出る錆びた音を、水に掻き消されながら、機械人形が舞い上がっているだろ
 う。そして、瓦礫の中に、セピア色に埋もれてしまうのだろう。
  ハインケルは閉ざされたハッチから、目の前に揺れる白い髪に視線を移した。
  唯一生き残った、この世で最も美しく、最も危険な人形は、人間と同じように瞬きをしながら、
 人間とは全く違う無表情を見せている。
  薄氷色の硝子球には、目の前に広がる風景以外は、何も映していなかった。