地下聖堂は、冷たい岩肌をくりぬいたもので、岩肌が剥き出しになっている。その中央には古ぼ
 けた棺が一つ、変わらない空気の中に沈められていた。博士はそれに手を掛けてみたが、棺の蓋は
 釘で打ち付けられているわけでもないのに、ぴくりとも動かなかった。
  そんな棺を背後に、博士は機械の明滅する眼の光と、床に映るその光と相対していた。それを前
 にしても博士の声は些かの乱れも無い。

 「おかしいと思っていたんだがね………どうして違法サイボーグが出てこないんだろうね。」

  言うや否や、仕込み杖から白刃を背後に放った。鋭い金属音に続いて、がしゃりと何かが崩れる
 音がした。顔だけでなく全身で振り返ると、先程の一撃を胴にめり込ませた、金属光沢を剥き出し
 にした機械人形が倒れている。そして、黒いオイルの溜まりの向こうの床に、幾つもの脚が映って
 いる。

 「ただの機械の不法投棄だったらいいんだけどね。多分、そんな事はないだろうね………。」
 『機械が………暴走している?』

  嫌な――しかも恐らく当たっている――想像に、やれやれと溜息を吐いている博士の、その嫌な
 想像をエスメラルダが言葉にする。

 「今までこの建物内にいる機械を見てきたけど、ほとんど戦闘タイプの機械だったからね。普通は
 不法投棄なんかしない。金持ちが違法に作って持て余して捨ててない限りね。今も言ったように、
 此処にいるのは戦闘用の人形だ。そうでなくても、人形はそれなりに戦える。いざという時、人間
 を守る為に。だから、此処にいる彼らには、違法改造のサイボーグでさえ敵わないかもしれない。」
 『では、ラング博士は―――。』
 「此処にいるのがラング博士と決まったわけじゃないが、いずれにせよ、最悪の事を想定しておい
 たほうがいい。まぁ、何があったにせよ、僕達はとんでもない時に、此処に来てしまったみたいだ
 ね。」

  博士は棺に手を掛け、迫りくる機械人形の群れを見つめる。仕込み杖から抜き放たれた白刃は、
 いつでも獲物を捕らえる事が出来るような緊張を持っている。
  だが―――

 「む。」

  今にも襲い掛かろうとしていた機械達に対峙していた博士が、唸(うな)り声ともつかない声を上
 げた。彼が背にしていた棺が、突如として青白い光を放ったのだ。
  さすがの博士も思わず振り返り、機械人形達でさえ動きを止めた。
  がくりと音がした、棺の中から。
  光はまだ零れ続けている。そして、光に持ち上げられるように蓋がゆっくりと開いた。先程まで
 より遥かに濃い光が膨らみ、あふれた。
  博士は光に圧倒されているような人形達から注意を逸らさずに、光り輝く棺の中を見下ろした。
  棺の外観自体は古いのだが、内側は金属張りで、ジャックポットだと思われる穴が幾つも開き、
 そこに青白い光が流れるコードが、何本も差し込まれている。そして、中に触れる事の出来ないよ
 うに、棺の縁まで透明な物質でコーティングされている。その中に沈められ、棺の中に安置されて
 いる物は人の形を持っていた。
  その棺の中に、本来安置されているべきものは、この建物の設計者の遺体だ。
  しかし、今此処に在るのは―――。
  遥か昔に息絶えた人の姿とは程遠い、小柄な身体のそれは、年の頃なら二十代前後の青年といっ
 た所だろうか。短く刈られた白い髪の下にある顔は端正で、睫毛は長く、絶妙のバランスで閉じら
 れた瞼を縁取っている。横たわる四肢は、人が神に望む最高の理想の形を維持している。もし、そ
 の身体が棺の中のコードと繋がっていなければ、人間と間違えてもおかしくない。
 棺の中に、人間の遺体のように横たわるそれは、人形だった。
  いや―――それ以前に、機械顔負けの速さでその身体をチェックしていた博士は、その右手首に
 施された刻印を凝視した。
  刻印は、人形達の製造者や機体名、製造年月日を表す。では、この人形の刻印は―――。
  白い右手首に黒く施された色が示すそれは、まぎれも無く『SJ』とよむことが出来た。
  『SJ』の意味が解からぬ者はいまい。
  その人形は、今は全身のメンテナンスポットを総て開き、そこへコードを差し込んでいる。一際
 大きく開いた胸のポットから除くのは、青く輝く線の走る丸い物体――コアだろうか――で、それ
 にも数え切れないくらいのコードが突き刺さっている。コードの中を流れるのは、溢れんばかりに
 輝く青白い光だ。
  その光りはコードを通じてコアと思われる部分へ流れ込み、棺の中で横たわる人形に繋がる人形
 に注入されていく。取り込んでいく人形の身体は、光が身体の中に溜まっていくかのように、徐々
 に輝きを増していった。
  この時の博士ほど、忙しい眼の使い方をした者はいないだろう。
  輝きに怯む事を止めた機械が迫り来るのを見ながら、棺の中の人形の変化も見逃さないようにチ
 ェックする。
  人形の身体から放出された輝きは、ゆっくりと実体を取り始め、手で触れられるほどまでの固さ
 を持ち、やがて白い布になり、人形の身体を包み込んだ。そして、眩)いばかりの光は人形の中に
 封じ込められて、少しずつ薄れていった。
  輝きが納まり、辺りが以前のような冷たい暗さを取り戻した時、以前とは時の流れが違う事を証
 明するかのように、棺の中にいる彼の、白い睫毛に縁取られた瞼が、ゆっくりと開かれた。
  絶妙の曲線を描く瞼の下からは、薄氷色の無機質な瞳が覗いている。その瞳の奥に、微かな光が
 明滅すると同時に、棺に沈む人形の形の良い口から、感情の片鱗すら窺えない機械音声が零れた。

 「機体名称『ゼーレン・イェーガーV』の自己診断プログラムを開始―終了。異常個所無し。動力
  炉確保。起動条件オール・クリア。ゼーレン・イェーガーVを起動する。」

  白く細長い指が、自分を覆う透明な物質を押した。すると、人形の指は何の音も立てずに、その
 謎の物質を通り抜けた。そして謎の物質は、人形の身体が指から手全体、腕へと通り抜けていくに
 従って、そのほっそりとした身体に張り付き、吸収されていった。人形に繋がるパイプは瞬く間に
 棺の中のジャックポットから外れ、人形の体中に収納され、殺戮兵器と呼ばれる機械人形が立ち上
 がった時、棺の中には何も残されていなかった。
  博士は、自分を排除しようとしている機械に囲まれながらも嘆息した。
  たった今、目覚めたばかりの人形は、今、博士が対峙しているどの機械よりも、今まで見てきた
 いかなる機械よりも、滑らかな動きで唇を動かし、立ち上がり、氷のような瞳を動かし、博士を光
 学センサに捕らえている。いや、見ていると言った方が正しいかもしれない。

 「さて、どうしたものか。」 

  明らかに絶体絶命の状況なのだが、博士は、この世で最も美しい人形――もしかしたら自分を殺
 そうとしているかもしれない――に感心しきっている。
  そんな博士から眼を逸らし、人形は群がる機械達に照準を合わせている。その瞬間、何を認識し
 たのか、人形のガラスの瞳の奥で、数秒間に数千の細かい光が明滅し、瞳孔が蒼く輝いた。
  博士は人形に確かに変化があったのを認め、僅かに身構える。が、その博士を素通りし、人形の
 白い身体は、機械達の前に舞い降りるように立っている。そして白く形の良い足が床を蹴り、白い
 服が空気を孕んで翻り、機械達と体が交差した瞬間、一発の銃声が轟いた。
  膨らんだ白い服が静かに元に戻った時、機械達の身体は頭部を金属屑に変え、一拍遅れて床に広
 がった。銃声は一つに聞こえたにもかかわらず、総ての人形が崩れ落ちている。いつの間に手にし
 たのか、ほっそりとした両手に握られた大型拳銃から空の薬莢が排出された。
  完全に無視された形の博士は、身構えた姿のまま、白い人形の挙動を見物している。
 だが、そのどこか間の抜けた状態も、そう長くは続かなかった。白い人形は、再び博士に眼を向け
 たのだ。その瞳は今だ蒼い。

 「僕も殲滅対象に入るのかね?」

  機体名称『SJ』――八年前、フィレンツェ・ドームを壊滅させ、先程、瞬く間に機械人形を殲滅
 させた人形に、博士は尋ねた。白い人形は、実に滑らかに博士に向き直る。

 「いや。」

  形の良い唇から、何の感情もない声が出た。オイルに濡れた部屋で、人形は、博士と静寂の間合
 いを取って、捕捉する。

 「俺は機械だ。従って、俺の行動は三大禁則事項に支配される。」
 「機械は人間を傷つけてはいけない―――三大禁則事項の中で一番上位のプログラムだね。それが
  君にも適用されている、と?」
 「そうだ。」

  頷く人形に、博士は少し意地悪な――機械流にいえば難解な――質問をする。

 「けれど、君は八年前、フィレンツェ・ドームを襲った。それは三大禁則事項に反しないのかね?」

  おそらく、こじつけであっても理由はあるだろう。機械とはそういう物だ。
  だが、人形が口を開く前に、何処かが崩れる音がした。
  地鳴り、と言うのだろうか。今、何かをすれば一気に崩れ落ちてしまいそうな危機を、この場の
 空気全体が孕んでいる。
  博士は人形を見る。偏見かもしれないが、今、一番疑わしきはこの人形なのだ。人形は、光を明
 滅させた瞳に博士の姿を映して、微動だにせず立っているいる。

 「何をしたのかね?」
 「俺が今から起こる事象に何らかの関係があるのかと言う事ならば、それは肯定だ。」
 まどろっこしい答えに、博士は質問を変えて、再度、訊く。
 「では、何が起こるのかね?」
 「この建物――聖家族教会は崩れる。この建物を維持する装置が地下に存在している。しかし先程、
 何らかのトラブルにより、その装置を稼動させるエネルギーの供給が作動しなくなった。そのエネ
 ルギーの供給源が俺の動力炉だ。従って、行き場の無くなったエネルギーは、俺の稼動エネルギー
 となり――。」
 「君は目覚めた、という事か。」
 「そうだ。エネルギー供給がなくなった後も、建物内に残っていたエネルギーによって、しばらく
 の間は建物はその形を維持できる。だが、長くは保たない。」

  震える空気の中、博士は今後の作戦を立て始める。

 「後、どのくらいで崩れるのかね?」
 「六百七十二秒。誤差は、プラスマイナス共に十秒。」
 「なるほど…。」

  つまり、約十一分しかないという事になる。普通に考えれば、此処から潜水艦に向かうのは、十
 一分もあれば余裕だろう。潜水艦に自分達の位置を知らせて、最短で出会えるような落ち合う場所
 を決め、そこまで行くだけだ。一つの点に二つの動く点が同時に向かうのだから、直ぐに出会える。
 かなり早めに避難出来る。はずだった。
  ―――しかし。
  ハインケルが迷子のままだ。十一分では、ハインケルを捜しに行く時間は、絶望的なほどに、足
 りない。
  不意に、視界の端で白い影が背を向けた。

 「何処へ行くのかね?」

  背を打つ博士の声に、人形の端正な顔が少しだけ振り返る。その仕草は人間そのもので。

 「先程から、建物内に生体反応を二つ感知していた。一つは貴方だった。だが、もう一つは不明の
 ままだ。まだ、人間が此処にいると推測される。俺は機械である限り、人間を守らなくてならない。」
 「何処にいるのか、分るのかね?」
 「俺は先程まで、この建物とリンクしていた。それはエネルギー機構だけではない。全システムとリ
 ンクしていた。従って、センサの記録も把握している。『彼』の位置は判明してる。地下二階のエネ
 ルギー統括装置室付近にいる。」
  滑らかにそう言って、白い身体は一瞬にして消えた。
  しばらくその残像を見送り、博士は同僚に話しかけた。

 「聞いたかね。エスメラルダ君。」
 『はい………。』
 「SJ-V………八年前の彼らと同じ機体名称だ。彼が、八年前の悲劇の主人公の一人である事に違
 いなさそうだね。見事に動いているね。惚れ惚れするよ。」

  のほほんとそんな事を言う博士に、エスメラルダは微かな不安をぶつけてみる。

 『いいのですか?ハインケル君を任せて。』
 「ふむ…。」
 『自分では三大禁則事項が適用されていると言っていますけど、信じてもいいのでしょうか?そも
 そも、どうしてこんな所に……?まさか、彼らの製作者はラング博士………?』
 「そう結論付けるのは、まだ早いよ。ラング博士の作る機械の総称は『Lシリーズ』と言われてい
 るからね。それに僕達は、ラング博士を発見できていないんだからね。」
 『けれど、過去に間違いなく、此処には何者かが出入りしています。そうでなくては、機械のメン
 テナンスを行う事が出来ず、メンテナンスを受けていない機械が問題無く動く事は出来ません。此
 処に出入りしている人物が、彼らに関係がないとは………。』
 「勿論、そうだよ。けれど、絶対にそうだとも言い切れない。何より一番の問題は、何故彼が此処
 で眠っていたか、だよ。此処にいる事も問題かもしれないけど、どうして彼は眠っていたのだろう
 ね?誰が此処にいて、誰が彼の製作者であろうと、何のために彼を眠らせていたんだろう。」
 『わかりません。ですが、彼が危険である事に何ら変わりはありません。』

  確かに先程は博士を助けたが、果たして、その中枢演算機構ではどんな計算をしているのか。そ
 もそも、八年前の事がある時点で、疑いを持ってしまう。

 「確かに君の言う事も一理あるよ。けれど、彼が危険である事の責任は彼には無い。罰せられるは
 彼じゃない。彼に、そんなプログラムを入れた人間だよ。」
 『でも博士。禁則事項の一番上位は、人間を傷つけてはいけない、でしょう?ならば―――。』
 「その通りさ、エスメラルダ君。機械は人間を傷つけてはいけない。これは機械にとって最大のル
 ールだ。これに逆らえば、彼らは自壊する。しかし一つ大切な事を忘れている。それも所詮、人間
 の作ったプログラムなんだ。彼を造った製作者が、もし、三大禁則事項のランク付けを明確にして
 いなかったら?いや、それでも彼が自壊する恐れはある。だから―――そう。もし誰かの命令なら
 人を殺しても良い、というプログラムも、インストールされていたら?彼は、人を殺すだろうね。」

  まあ、と博士は伸びをする。 

 「どうしようもないから、我が弟子の事は彼に任せよう。」

  完全に仕事を放棄した博士に、エスメラルダは呆れながらも頼んだ。

 『ならば博士、あなただけでも戻ってきてください。』
 「何を言っているのかね。僕が此処を動いたら、彼らが困るじゃないか。どうやって彼らだけで潜
 水艦まで戻るって言うのかね。」

  だから、と博士は続ける。

 「君が此処に来たまえ。ああ、此処は地下一階の聖堂だからね。そこまでの地図は、この建物の設
 計図に描かれているはずだよ。」

  平然と言い放つ博士は、潜水艦が通るにはこの建物の通路が小さすぎると言う事を忘れている。
 少なくともエスメラルダにはそう思えた。しかし、そうではなかったらしい。それは博士の次の台
 詞で明らかになった。

 「舵の横にある髑髏のボタンを押したまえ。君をこの場所まで誘ってくれる装置が解除される。安
 心したまえ。この僕が綿密に計算しつくした装置だ。さあ、早く!」
 『いえ……遠慮しておきます。』
 「何を言っているのかね!そのボタンこそ、僕らの運命を握っているのだよ!」

  なら、何故、髑髏!?と叫びたくなるのを堪えて、エスメラルダは、耳に博士の笑い声が聞こえ
 ないように塞ぐ。しかし、それでも博士の叫びは聞こえてくる。

 「さあ、早く!」

  エスメラルダは、もはや何をしても何を言っても無駄だと悟り、言われたとおり運命のボタンを
 押した。その直後、おおいに後悔した。
  博士の声が、今度こそ耳栓を突き抜けて轟いた。

 「さあ、見たまえ!僕の最高傑作!巨大変形ロボット!トリトン!」