ちりちりと電流が立ち上がった煙の中を走っている。動甲冑の残骸と砕けた床の中から、長く細
 い指を備えた白い手が生えた。その手は、がたがたと無骨な音を立てながら、それでも優美に動き、
 積み重なる瓦礫を払い除け、ようやく手の持ち主であるハインケルが姿を現し、生還を果たした。
  彼は納まりかけた煙の中で、煙の外の様子を窺う。これだけの音を立てたのだ、此処にいると言
 われている違法改造のサイボーグ達が駆けつけて来てもおかしくない。
  しかし予想に反して、動甲冑から流れ続ける電流の音以外に聞こえる音――特に足音など――は
 無い。そこで、煙幕の向こう側に誰もいない事を確認し、煙が邪魔をして薄くしか見えない扉に向
 かって歩き出す。
  その時から、ハインケルは、何かがおかしい事に気づく。何時でも引き抜けるように、刀の柄に
 手を掛けながら、拭う事の出来ない違和感の正体を見極めようとしていた。

  ――違法サイボーグが出入りしているかもしれない。

  上司の言葉を思い出しながら、ハインケルは素早く扉に近付き、気配を窺)って開け放つ。瞬間、
 刀を抜き放ち、掲げる。

 ――聖家族教会に、ラング博士が出入りするのが目撃された。
 ――しかし、出入りする大半は違法サイボーグ。

  エスメラルダの報告が、沈黙に包まれたハインケルの頭の中で回る。
  沈黙の広がるそこは、数百年間放置されていた教会の地下とは言い難い場所だった。ラング博士
 がこの様に改造させたのか、白く磨き上げられた床が奥まで続き、その両側は配管の走る金属の壁
 で固められている。その壁の中からは、何かの機械が稼動する音が響いていた。それ以外は完全な
 沈黙。
  しかし、沈黙の中にあって大いに語る物があった。床や壁、そして天井で光る蛍光灯に赤黒い物
 がこびり付いている。まだ乾き切っていないそれらは、人間の血液と機械のオイルの臭気を沸き立
 てている。
  それらから連想される事など、数多くない。
  ハインケルの連想を裏付ける決定的な証拠が、目の前に転がり込んできた。
  あちこちを赤く染め、自らも赤く染まり折り重なるように倒れる――崩れると言った方が正しい
 かもしれない――サイボーグ達が、機械の動作音しかしないこの空間に広がっていたのだ。血と皮
 下循環剤を織り交ぜた赤の中で、サイボーグ達は機械の身体をぴくりとも動かさない。それが視野
 を埋め尽くした時、ハインケルの頭の中にこびりついていた違和感の正体が判明した。
  ずっと感じていた違和感――サイボーグが出入りしている場所なのに、一人としてサイボーグが
 出てこないのだ。その理由は、これだ。彼らは出てこなかったのではなく、出てくる事が出来なか
 ったのだ。
  そしてその原因は―――。
 機械の崩れる音がした。
  生体と機械の入り混じって、どれがどの部分なのか判別しがたい塊の中で、確かに何かが動いた。
 ハインケルは、躊躇う事無く、金属と肉の塊の中に、そのほっそりとした白い手を伸ばす。そして、
 その手からは想像し難い力で赤い物体の中から、何かを引きずり出す。
  剥き出しの金属の腕。断ち切られ、火花を散らしている両足。人工皮膚の剥がれかかった顔。そ
 の顔に二つあるはずの眼は潰され、片方しか残っていない。残る一つの眼も、見えているのかいな
 いのか。
  がくがくと痙攣するその身体を引きずり起こし、ハインケルは、人工筋肉を覗かせる顔に、己が
  美貌を近づける。

 「聞こえるか?」

  無意味に明滅し、ハインケルを映す眼はひび割れている。

 「お前達は此処で何をしていた?そして、何があった?」

  囁くような声で問い質すハインケルを、サイボーグは黙っていたが、やがて、ごぼりと音を立て
 て皮下循環剤を口から流しながら、ノイズ混じりの声を上げた。

 「人形………。」
 「人形?」

  聞き取りづらいが、サイボーグは、はっきりとそう告げる。

 「人形がどうした?ラング博士の製作した人形か?」

  ハインケルはサイボーグの耳元で囁くが、サイボーグは痙攣しながら、ハインケルの言葉に対し
 て、ノイズを響かせて喋る。

 「……だけじゃない。機械――ロボットと呼んでいる物が全部……。」

  突然、サイボーグがごぼごぼと音を立て、大きく皮下循環剤を流し出す。痙攣は更に酷くなり、
 一つになった眼は大きく見開かれている。
  呼吸困難にでも陥ったかと思ったが、そうではないらしい。ほぼ全身を機械化しているはずのサ
 イボーグの表情は、明らかに驚愕――あるいは恐れに類する物だ。
  ハインケルは静かに愛刀を握り直す。
  機械音だけの沈黙が、終わりを告げている。近くも遠くもない場所で、確かに、硬質な物の打ち
 付けあう音が全方位から歩み寄っている。顔を上げて見回すと、夜の肉食獣の眼のように、周囲に
 機械の視覚センサの明滅が浮かび上がり始めていた。
  ハインケルは、状況を完全に認識する前に、崩れかけたサイボーグを片腕で引きずり上げ、金属
 の包囲網の一角に向けて、刀を走らせた。
  金属同士を擦り合わせる音と共に火花が散り、一瞬辺りがオレンジ色に照らされたかと思うと、
 床に広がるオイルの容積が更に増加するのが、明滅するように視界に映った。その中を、ハインケ
 ルはサイボーグを掴んだまま、オイルを蹴り上げて突破する。
  べっとりと油で濡れた衣服を、金属光沢のある手や、人間に模して作られた手が掠めていく。そ
 の度に、油特有の臭いが沸き立った。
  不意に、ハインケルの白い額を赤いレーザーがポイントした。それを完全に認識する前に、ハイ
 ンケルは赤い死神を避けた。が、それが間違いだと気づいたのは、銃声が轟いた直後だった。
  一体の機械の手にある銃から放出された弾は、赤い線上を違える事無く進み、その鎌首を避けた
 ハインケルの影を素通りし、その軌道上にいたサイボーグを打ち砕いたのだ。

 「くっ!」

  ハインケルは、生命活動を止めたサイボーグを機械の群れに投げつけ、その身体に尚も銃弾が叩
 き込まれるのを背中で聞きながら、最深部に行く事を余儀なくされている事を確認する。
  両側を機械で囲まれた廊下を、機械の足音に押されるように駆け抜け、固く閉じたオートロック
 の扉を切り裂き、部屋に飛び込む。その瞬間、広がる視界に、ハインケルは迫りくる足音に、数秒
 間向き合う事も忘れた。
  まず最初に認識できたのは、青い光と薬品臭、そして死臭。壁一面にモニタが張り巡らされ、様
 々な色の文字や図形が点滅している。モニタの隙間を、中を青い光が流れていく透明のパイプが部
 屋中にのたくりまわり、部屋の中央の青く輝く巨大カプセルに繋がっている。その巨大カプセルに
 もたれかかる人間の姿が網膜に映し出される。
  その人影を縁取るのは、青い光によって紫に変化した血だ。
  死んでいるのは、部屋に篭(こ)もる死臭からも一目瞭然だ。
  ハインケルは視野に広がる光景から数秒で我に返り、素早く死体に歩み寄り、死体の顔を上げ、
 その顔を見る。

 「………ラング博士。」

  人体実験を繰り返し、学会から追い出され、指名手配中の男の名を、ハインケルは呟く。指名手
 配の写真で見た顔よりもずっと小さく、白くなった顔は硬直し、少し動かしたぐらいでは表情が変
 わる事はない。
  血をたっぷりと吸った服を身に纏った変わり果てた姿を、ハインケルが調べ終える前に、無機質
 な足音が押し寄せてきた。
  ハインケルは振り返る事すらせず、光の具合で紫に変色した血溜まりに崩れている死者を、自分
 の背後で大きく口を開いている扉に投げつけた。
  その直後、ハインケルの姿は青い光を放ち続ける巨大カプセルの後ろに回っている。それを追う
 ように銃声が連続し、噴射された銃弾は、息絶えた身体を襤褸)雑巾のように引き裂いた。
  扉と言うよりも穴といったほうが正しくなった場所から、機械の手足が幽鬼のように伸びている。
 彼らの持つ機関銃――もとは此処にいたサイボーグの物だろう――が、再びハインケルの姿を求め
 て火を吹いた。
  金属で覆われた部屋に鋭い音が響き、部屋を縦横無尽に走るパイプの一つに弾が噛み付く。そし
 て、銃弾の喰い込んだパイプの中の青い光が、流れを止めた。
  たった一つのパイプが、光を流す事を止めた瞬間、その動きにつき従うかのように部屋中に満た
 されている光が、命の炎であるかのように、一度だけ、微かに――カプセル内に溜まる光も――揺
 らいだ。
  モニタに映し出されていた文字が、一つずつ消えていく。
  そして、部屋だけでなく建物全体の命が尽きるかのように、その輝きを薄れさせていった。