「久しぶりだな、エスメラルダ。」 

  光り輝く司令室で、ヴィンセントは半年振りに会う部下に椅子を勧める。妖艶に定型的な挨拶を
 述べると、エスメラルダは勧めに従って椅子に座る。その後ろで行き場を無くしたかの様に立ち尽
 くすハインケルに、博士は呆れた様に、席に着くように言う。
  なんとか部下が椅子に無事に収まったのを見ると、ヴィンセントはエスメラルダに報告を促す。

 「バルセロナに、重犯罪者が潜伏しているようだな。」
 「はい。バルセロナに千年以上前から放置され続けている遺跡、聖家族教会に侵入している者がい
  るようです。大部分は許可なく違法に高出力に改造したサイボーグですが、その中に、第一級犯
  罪者ジルビット=ラング博士の姿を見たと確かな情報筋から密告がありました。」
 「聖家族教会…。」

  博士が呻く様な声を出した。

 「あそこは立ち入り禁止区域だったね。千年前から残されている内部の資料はあるけれど、連邦の
  探査委員も詳しくは調査した事がない。」

  眉を顰めた博士に、エスメラルダは頷く。

 「ええ、二ヶ月前から出入りが見られたようです。しかし、ラング博士は一度きり入ったのが見ら
  れただけで、それ以降はどうやら入ったきりのようです。ラング博士はサイボーグの部品製造に
  も長けていますし、サイボーグの違法改造を引き受け、此処でそれを行っているのではないかと
  も言われています。」

  滑らかに報告するエスメラルダに、博士は首を傾げる。

 「しかし何故、聖家族教会なのかね?確かに隠れて何かをするには良いのかもしれないが、放置さ
  れているとはいえ一応、連邦の保護下にあるんだ。二、三日ならともかく、長期間の出入りはば
  れてしまうよ。現に今回、ばれているんだから。」
 「それほどの何かがあるのだろう。」

  ヴィンセントが言う。

 「そこで以前の人工臓器の実験を続けているのかもしれないし、エスメラルダの言うように、サイ
  ボーグの違法改造を行っているのかもしれない。もしくは――。」

  ここで言葉を区切り、彼女は部屋に入ってから一言も言葉を発していない部下を見て、先を続け
 る。

 「機械を暴走させるようなウイルス・プログラムを作成しているのかもしれない。」

  先程までずっと黙っていた部下が、少し身じろぎしたようだ。ヴィンセントは、ハインケル、と
 黙り込んでいる部下の名を呼ぶんだ。

 「何故、お前を呼んだのか、理解できただろう。」

  ハインケルは、ゆっくりと頷く。
  自分が呼ばれる理由はそれほど多くない。博士のように分析力があるわけではなく、エスメラル
 ダのように情報収集に長けているわけでもない。此処に呼ばれた時点で見当はついていたはずだ。
 ましてや機械の暴走に関連するとなると――。

 「今からバルセロナの聖家族教会へ行け。エスメラルダ、到着したばかりですまないがもう一度バ
  ルセロナに戻って、彼のサポートを頼む。博士、あなたもだ。サラ、潜水艦の用意を。」

  ヴィンセントは、ひらりと手を振り命令を下した。それと、と続ける。

 「もう一つ念頭に置いておく事がある。」

  彼女はちらりと博士を見てから告げる。

 「博士の現在の任務がどういうものか、知っているな?」

  尋ねられて、ハインケルは質問の意図がよく解からないままに再び頷いた。

 「イギリスで見つかった核弾頭、それを造ったのはラング博士である可能性がある。」

  ヴィンセントは、ハインケルの反応を窺うように言葉を区切った。ハインケルは特に反応しなか
 った。驚いた事は驚いたに違いないのだが。

 「ラング博士は、イギリスに潜伏していたようだ。その時にイギリスの陸軍サイボーグ部隊の将校
  と接触している。」
 「その時に、取引をした、と?」

  博士が口を開き、疑問符を吐き出す。

 「しかし、どのようにして?核弾頭は簡単に運べる物ではありませんよ?」
 「製造はサイボーグ部隊が行ったのかもしれないわね。」

  エスメラルダが口を開いた。

 「サイボーグ部隊、と一口に言っても数多くの種類があるわ。質も、ね。問題の将校はイギリス軍
  の中でも、好意的な見方をしても評判は良くないわ。」

  つまり、最悪という事か。

 「核弾頭の製造データだけを渡した、と考えたほうがいいわ。」 
 
  いずれにせよ、とヴィンセントは言った。

 「ラング博士には、その辺りの事も聞く必要がある。可能な限り、生きたまま捕らえろ。―行け。」





  窓に映った自分の顔の上に魚が重なり、通り過ぎる。魚だけではない。白い粒が飛び交う中、青
 黒く染め上げられた岩達が無言で辺りに広がって、その中の幾つかが自分の顔と重なっては過ぎて
 いく。潜水艦のヘッドランプ、あるいは窓のから漏れる光で照らしきれない場所は酷く冷たく、人
 を寄せ付けない暗さを湛えている。

 「エスメラルダ、大変だねえ。バルセロナとの往復で。」

  操舵席に座っている博士の、のんびりとした声が、海底と同じ暗さを瞳に光らせて窓側の席に着
 いているハインケルの耳に入ってきた。自分に話しかけられたものではないが、それでも、この沈
 鬱な世界とは裏腹に穏やかな声だったので、顔を上げる。
  バルセロナに向かう潜水艦。しかし、それが今通っている道は、旅行者や公務で使う正道ではな
 い。今は廃墟と化している聖家族教会は、その使い勝手の悪さから、人類共同連邦の保護下にこそ
 入ってはいるものの、実質、見放されているに等しい。従って正式な航路は無く、ガイドブックに
 も掲載されていない。
  旧時代に名高い建築家が設計し、あまりの複雑さの為、設計者の死後何年もかけて建てられた聖
 家族教会は、水に飲まれた後、その精巧で複雑な造り故、いつ壊れるとも解からないと危険視され
 た。連邦の保護下に置かれた後も使い道が無い事もあり、かなり有名な建物だったらしく数多くの
 設計図が残されていたのをいい事に、ろくに調査もされず放置され続けている。

 「しかしラング博士は何故、聖家族教会何ぞにいるのかねえ。隠れるならもっと別の場所があるだ
  ろうに。それとも、あの場所に何かあるのかねえ。」

  博士のぼやきに、エスメラルダが答えている。

 「確かに、サイボーグの違法改造を行うにしては、場所が悪すぎる気がしますね。」
 「ふむ。君はサイボーグの違法改造を行っていると考えているのだったね。」
 「いえ……それだけに固執しているわけではありません。司令官のおっしゃった様に、かつての非
  人道的実験を行っているのかもしれませんし、ウイルス・プログラムの作成をしているのかもし
  れません。」
 「あるいはその全部、だね。」

  けれどねぇ、と博士は、ぽりぽりと頭を掻く。

 「何か?」
 「いや、そのどれをとっても、資金はどうしているのかな、と思ってね。」

  博士はパイプを咥えかけて、エスメラルダに、禁煙、と言われてパイプを取り上げられる。

 「違法サイボーグ達がうろついているという事は、君の考えが当たっている可能性が大だ。しかし、
  何の為にサイボーグを改造しているのか?仮に彼の目的が実験やウイルス作成だったとして、そ
  の資金集めだとすると、割りに合わない気がするんだよ。サイボーグの部品は高額だ。それに利
  益を求めると、サイボーグ達がそれだけの金を支払えるかな?」

  基本的にサイボーグ化は国家の支援のもとで行われる。それはサイボーグが軍事活動を行うから
 に他ならない。一般人がサイボーグ化する事など、めったにない。事故で身体の一部を失ったとい
 う理由から、失った身体の一部を機械に置き換えるという事はあるが、それも高額納税者に限られ
 てくる。普通はもっと単純な義手や義足である。それ以外でサイボーグ化を行うとすれば、よほど
 の物好きか、裏社会の人間だろう。

 「それとも、サイボーグ達さえ実験体として考えているのかな。しかし、その実験も何の為のもの
  なのか。」
 「誰かに頼まれて?」
 「もしくは、ただの研究欲さ。純粋な、ね。その為の資金源として、核弾頭製造データを何らかの
  方法で見つけてサイボーグ部隊の将校に売った…とも考えられる。ただの仮説だけどね。そうい
  えば、その将校はどうしてるのかね?」
 「先月、死亡したそうです。」
 「死因は?」
 「それが、ものすごい力で首が引き千切られていたらしく、違法改良したサイボーグの仕業ではな
  いかと。」
 「…それにもラング博士が関わっているかもしれないわけだね。」
 「ええ、口封じの為に自分の配下のサイボーグに殺害を命じた。」
 「普通は、逆だとも思うけどね。」

  二人の話を聞き流しながら、ハインケルは再び窓の外に翠瞳を向ける。
  家々が景観に現れた以外、単調な景色が続いている。今この水中を走る船は、何処を泳いでいる
 のだろう。フランスとスペインの国境辺りだろうか。だとすれば目的地はもうすぐなのだが。
  最高速度で、尚且つ、最短距離で目的地へと海中を駆け抜ける潜水艦は、迫り来る廃墟をいとも
 容易く避けていく。かつては人が住んでいたのだろうが、水に沈んだ今となっては、その面影の片
 鱗も見せようとはしない。沈んだ大陸の内、ドームとして残る事の出来た都市は、各国の主要都市
 だけである。地方はこの廃墟のように誰の手も差し伸べられる事無く、また、誰の手も差し伸べる
 事が出来ず、沈められたのだ。もし沈む事がなければ、此処はどのような風景を見せていたのだろ
 う。今、此処にいるハインケルには、それを知る術は無い。

 「…ハインケル、聞いているのかね?」

  不意にハインケルの耳朶を博士の声が打ち、沈められた廃墟の思い出から一気に潜水艦の椅子の
 上へと引き戻される。

 「何ですか、師匠。」

  気だるげな視線を払拭し、慌てた様に改めて見てくる弟子を嘆かわしそうに見て、博士はやれや
 れと言わんばかりに首を横に振る。

 「やはり聞いていなかったか。困った子だ。」

  更に博士は言い続ける。

 「いいかね、ハインケル。紳士というものはね、人の話をきちんと聞くものだよ。例え、どんなに
  退屈な話であっても、そういう素振りを見せてはいけない。」
 「はぁ…。それで一体、何の話だったのでしょう?」

  放っておくとこのまま滔々と紳士論を講義しそうな勢いの博士を止めるべく、ハインケルは素直
 に尋ねる。

 「聖家族教会への侵入なのだがね。」

  渋々、独自の紳士論を披露する事を断念し、博士は実際問題の方を話し始める。

 「あそこはドームに覆われていないから、今は完全に海底遺跡になっている。だから、普通に入っ
 ていく事は出来ない。潜水艦で入るわけにもいかないしね。なにより、潜水艦だと目立ちすぎる。」
  だから、と博士は人差し指を伸ばす。

 「泳いで行くしかないだろう。何、ラング博士がいて(多分)普通に生活しているんだから、どこ
  かに彼の生活圏があるんだ。まさか、そこまで水浸しって事はないだろう。何らかの方法で空気
  を送り込んでいて、空気のある場所があるさ。」

  博士は軽く片眉を上げて言った。そしてハインケルの顔を見て、嬉しそうな表情を見せる。
  ハインケルは経験上、博士がこういう顔をするのは、何かの実験を行う前触れなのである。その
 時、ハインケルは少なからずとも不安そうな顔をしたのかもしれない。しかし、仮にそんな表情を
 していたのだとしても、博士はそれを海底を泳ぐという事への不安と受け取ったらしい。

 「ああ、泳いでいく事が心配かね?そう、水圧の事もあるからね。それに海は酸性だ。しかし心配
  は要らない。こういう時の為に僕の開発したウェットスーツがある。これを着れば海底など怖く
  はない!」

  どうやらこの任務は博士の実験の舞台でもあるらしい。