ハインケルは数人の同僚とすれ違いながら、白いリノリウムの床の上で静かに歩を進めていた。
 歩くにつれて、天井のセンサが反応し、明かりが付いて床を照らす。白い床に白い光が反射して、
 廊下は白で埋め尽くされていた。よく晴れた、雪の降り積もった場所ですら、こんなに白く輝きは
 しないだろう。
  世界最大機関である人類共同連邦の中で、比較的、新しい特殊部隊――通常法では対処しきれな
 い犯罪やテロに対し、非合法、超法な的な行為を取る事を許されている――連邦特務室第十三課の
 本拠地が、この建物である。連邦の本部から少しばかり離れた所にあるのは、その任務の特異性か
 らだとも、仕事柄、疎まれているからだとも、また、やはり仕事上、隠しておかねばならない事が
 多いからだとも言われているが、おそらく、その総てが当たっているのだろう。
  円盤型で、中央に一際高い塔が建っており、その塔の最上階に司令官の執務部屋がある。その部
 屋に続の一際大きな扉の前に、十三課の派遣員の一人であるハインケルは立った。そして、扉の横
 にある人物識別機のパネルに手を置く。手を置くだけで、手を置いた人物の指紋、声紋、網膜まで
 読み取るパネルが、一瞬、認識の光を放ち、次の時点では扉が左右に開かれている。開いたその向
 こう側で、白い輝きを放つ明かりを背負った大きな執務机の更に奥では、椅子がこちらに背を向け
 ていた。
  ハインケルが、天井に一つだけ輝き、それで十分な光を齎す明かりのある部屋に足を踏み入れる
 と、戻ったか、という女性の声と共に、椅子がゆっくりと振り返り、その椅子に座っていた人物が、
 明かりの輝きを後光の様に背負って姿を現した。長い金髪を括りもせずに、ただそのままに垂らし
 優雅に足を組んで椅子に座っているのは、まだ二十代半ばの女性――十三課の司令塔である、ヴィ
 ンセント・ゾーゲンリッツだった。十八歳という異例の若さで司令塔になった彼女は、黒いスーツ
 の上に軍用コートを羽織り、どこか旧弊的な考えが今だ残っている組織で、女性だという侮りなど
 欠片も寄せ付けない。
  ヴィンセントは、足の上で組んでいた指を解きながら言う。

 「また、機械人形の暴走があったそうだな。」

  声は甘やかではあるが命令する事に慣れた響きを含んでいる。ハインケルが頷くと、見事な金髪
 を掻き揚げ、揶揄するように言った。

 「大騒ぎだぞ。警官一人を殺害した人形を、警官達を押しのけて破壊した美形は何者なのか、とな。」

  窘める様な、しかし笑いを含んだ声は続ける。

 「もう少し大人しく出来なかったのか?サラから、お前が事態を収拾したと聞いた時には、もうそ
  の話で持ち切りだ。事態を収拾したお前が、また騒ぎを起こしてどうする。」
 「………身分を明らかにする暇がありませんでした。」

  それは事実だ。面倒だったというのも本心だが。
  それに対し、ヴィンセントは十八歳らしい笑みを微かに見せると、慣れたように直ぐに次の支持
 を出す。

 「お前が処理した機械人形については、すでに回収し、博士に復元を頼んでいる。まだ、作業は終
  わってはいないだろうが、後で結果を聞きに行くといい。」
 「博士が復元を………?では、我等が捜査をするのですか?」

  ハインケルは内心で首を傾げながら、自分より若い上司に尋ねる。
  機械の暴走は、数年前から見逃しがたい事件と見なされ、軽視こそ出来ないが、十三課の介入す
 る事ではない。機械メーカーを立ち入り検査し、暴走した機種の不備を調べ、裁判により和解金や
 ら慰謝料の額を決める。機械化する現代では、特に機械に関する法の整備は厳しいのだから、その
 地域の特警でも十分対処できるだろう。それとも、メーカーの方に何か特別な事情でもあったのだ
 ろうか。だとすれば十三課の介入も頷けるのだが。
  ハインケルの疑問は顔に出たのかもしれない。ヴィンセントは、そんな部下に対して首を振る。
 そして質問を許さぬ口調で続けた。

 「我等の介入が必要かどうか――それも含めて調査する。―――行け。」





  博士と呼ばれ、めったに本名を呼ばれる事のない十三課の派遣員は、十三課の本拠地に宛がわれ
 た自室兼研究室で、ハインケルの手で壊された人形の復元を行っていた。

  『博士』という彼の愛称は、決して的外れなものではない。理工学、文学、医学など、五つ以上
 の博士号を持つ彼は、この世界で正しく『博士』と呼ばれるのに相応しい人物である。また、剣術
 の達人でもある彼は、ハインケルの師であり、ハインケルからは『博士』ではなく、文字通り『師
 匠』と呼ばれる。

 「全く、もっと綺麗に壊してくれれば、復元も楽だったんだがねぇ。」

  光を嫌う薬品の為に暗くしている部屋の中で、打ちのめされた人形と弟子を交互に見て、博士は
 盛大に溜息を大サービスする。
  綺麗に壊すとはどういう事だろう、完膚無きににまで破壊し尽くす事が綺麗に壊す事なのだと世
 間では言っている気がするのだが、などと幾つかの疑問を頭に浮かべながらも、ハインケルは師に
 頭を下げる。口答えしても、博学な――尚且つ、論理学にも精通している――師匠に口で勝つ事な
 ど不可能に等しい。

 「あの、師匠、それでその人形に何か異常は?」

  ガトリング砲の様に吐き出される溜息の合間を縫って、ハインケルは、何とかそれだけ質問する。
 まだ作業中だったので、解かっていないのかもしれないと思っていたが、博士は間髪入れず、無い
 ね、と短い答えをくれた。部屋に一つだけ付いている豆電球の頼りない明かりを受け、白い体を見
 せている壊れた人形を一瞥し、博士は説明を付け加える。 

 「まぁ、もっと詳しく分析してみないといけないんだが、設定プログラムに異常は見られなかった
  よ。ウイルス感染もしていなかったし。何処にでもある――玩具の兵隊並みには人間に似せて造
  られた―普通の養護用ロボだね。子守、老人の介護などが行動支援プログラムの主な部分を占め
  ていた。」
 「原因不明の暴走ですか………。最近、多いですね。」
 「僕らの知らないウイルスが感染していた可能性だってあるよ。例えば、機械が破壊されると同時
  に自滅するような。」 

  ぼやくような声を出し、博士は続けて言う。

 「司令官は懸念しているようだね。」
 「ええ。我々の介入も考えておられるようです。」
 「だろうね。それは決して過剰な事ではないよ。」
 「そうでしょうか?」

  ハインケルは上司にはぶつけなかった―というかぶつける事を許されなかった―問いを、自分の
 師に投げかける。

 「確かに、機械の暴走は軽視すべき事ではありません。しかし、十三課が介入すべき事では―――。」
 「本当に、そう思っているのかい?」

  振り返りハインケルを見る博士の瞳に、直ぐに消えてしまったが、一瞬、翳りが見えた。それを
 見た瞬間、ハインケルは己の間違いに気づく。そしてその美しい美貌に、博士と同じ翳りを落とし
 た。弟子の美貌を飾る陰を見て、彼が何を想像したのか思いついたのだろう、博士は頷く。

 「思い出したようだね。八年前、相次いで殺傷能力の高い人形達がウイルスにより暴走した事を。
  その発端となった事件が、僅か十体の機械人形が、フィレンツェのドームを襲撃、壊滅させた事
  件だ。」

  ハインケルは無言で頷く。
  十体の機械人形達によるフィレンツェ占拠事件。
  製造者も、作られた目的も解からない、ただ『SJ』という機体名称しかわからない人形達が、突
 如として、フィレンツェのドーム内の空調、酸素濃度、圧力を制御する装置――コアと呼ばれてい
 る――の納められている場所を襲ったのだ。その際、直接、機械人形に殺されはしなかったものの、
 多くの人間が巻き込まれ、犠牲になった。  
  まるで、殺戮の為に存在するかのような強さを持つこの人形達には、当時フィレンツェに駐留し
 ていたサイボーグ部隊も、設置されていた兵器も役に立たず、最終的に連邦直属のサイボーグが投
 入され幕が下りた。しかし、彼らがフィレンツェに到着した時、ドーム内は壊滅状態だった。挙句
 人形を見た者のほとんどが死亡したという事もあってか人形の型を特定できず、その人形達は連邦
 軍の包囲網を逃れたのだ。
  しかし、事件はそれだけでは終わらなかった。
  まるで、その事件に触発されるかのように、兵器として製作された機械人形が、ウイルスにより
 相次いで暴走し、死者を出したのだ。結果、騒ぎが治まるまで、兵器人形を総て機能停止させた。

 「ハインケル、あの時、不幸中の幸いというか、あの人形達はコアを破壊しなかった。彼らが破壊
  したのは、旧時代に閉ざされた『開かずの間』の向こうにある何かだ。もちろん、とても貴重な
  物があったのかもしれないし、その時の破壊活動に巻き込まれた人々は五千人を超える。でも、
  コアを破壊されていたなら、犠牲者は更に増えていただろうし、フィレンツェ・ドームの復興は
  不可能だっただろう。コアは旧時代に存在した技術――今は失われてしまった技術の生き残りの
  一つなのだからね。けれど、本当に彼らは――今だ明らかでない彼らの製作者は、それで諦めた
  のかな?」

  博士は窓に近付き、カーテンを開ける。 めったに開かれる事がないという事を証明するかのよ
 うに、カーテンからは埃が舞い散った。同時に、薄暗い研究室内を青い光が照らし、その中に浮か
 ぶ埃の中を、魚影が通り過ぎた。

 「別に、あの人形達の製作者だけに限ったことじゃない。あの後、相次いで兵器人形がウイルスに
  よって暴走した。ウイルスを流して喜ぶ輩は、嘆かわしい事だが大勢いるのだからね。あの時と
  同じような事が、現在起きてもおかしくない。今のところ、目立った事件は愛玩用や、保育、介
  護用の機械人形が起こしている。けれど、いつ、兵器人形が暴走するか分らない。いや、人工知
  能の埋め込まれた人形に限った事じゃない。ドーム自体だって、人工知能が使われていないない
  というだけで、同じ機械の塊だよ。僕達はもっと危機感を持つべきだ。」

  博士の視線は、作業台に乗せられた人形の残骸に向けられている。今や、ひび割れた硝子玉と成
 り果てたその眼は、ほの暗い青に染まった研究室の天井のみを映している。

 「しかし、どんなに僕達にとって人形が――機械が危険な物であったとしても、それら無しで生き
  ていく事を、人間は拒むだろうね。いや、寧ろ、それら無しでは生きていけない。海に飲まれ、
  機械に支配してもらわなければ生存場所さえ危うい、この水の惑星ではね。」

  水の惑星という言葉に、ハインケルは頷く。
  その通りだ。
  今から五百年前、過剰に発達した工業と、爆発した人口が齎したのは、自然の還元能力をはるか
 に上回る二酸化炭素。そして、結果として巻き起こった異常気象。それにより、生物種のほとんど
 は絶滅の縁に追いやられ、それな人類も例外ではなかった。このようにして、人類滅亡のカウント・
 ダウンは華やかに幕を上げたのだ。
  最初は夏の猛暑、異常な雨量だったのだが、何が起こるか解かっているにもかかわらず、その警
 告は悉く人類によって無視された。そして数年越しで訪れる破滅に対して、すでに人類にはなす術
 がなくなっていた。日を追うごとに激しくなる気候変動を、そしてそれにより引き起こされる災
 害を、受け入れるしかなかったのだ。
  災害期間中、極少数の者は宇宙空間に逃げたが、その行方はようとして知れない。それ以外の生
 き残った者は地球に残り、持てる限りのありとあらゆる技術を駆使し、地下に、海底に町を造った。
 今の技術では造る事の出来ない、異常な高度を誇る透明物質で街全体を覆い、人の生活圏を確保し
 たのだ。それがドームである。そうする事により、人類は滅亡を免れた。
  最終的に南北極の氷が総て溶け、人々の地上の生活圏を奪う事で、この活劇は幕を下ろしたのだ。
  そして地球は、昔からの賛美を表す名の通り、僅かな陸地――かつては山岳地帯だった場所――
 と氷の陸地を残し、水の惑星となった。
  水の惑星となった地球は、海抜が上がり、海面は氷で覆われるほどの冷気が吹き荒れるまでの高
 さになった。しかし、人類は氷漬けになった陸地を手放そうとはしなかった。海底、地底にドーム
 という街を造ったように、陸地にもエリアと呼ばれる街を造った。しかし、ドームがコアにより
 完全防備であるのに対し、コアの無いエリアは簡単な防護装置としてのドームに覆われてはいるが
 、常に厳しい寒気に曝されている。そんな環境では、人よりも機械に作業をさせるしかない。生き
 抜くには、どうしても機械の力が必要だった。
  ドームにしても同じ事だ。機械人形は、作業用だけでなく、介護用、愛玩用と多機にわたるのだ
 から。稼動している人形の数は、ドームとエリアでは大差ない。

 「ハインケル、今、僕達が利用している機械のほとんどは、六百年前の技術を海底から拾い上げ、
  使えるようにしたものばかりだ。五百年前の技術は今よりも高度だが、その時も、やはり今もみ
  たいに機械に支配されていたんだろうか?」

  博士は、作業台の脇に置いてある、常人なら何に使うか理解し難い機械を撫でる。艶やかなメタ
 ルフォームのそれは、今は青い光で縁取られ、持ち主の顔を映している。

 「もし、そうだとしたら………。」

  歴史は繰り返すのかもしれないね、と静かな声が、ほの暗く青い部屋に反響した。

 「師匠、一体何の話です?」

  ハインケルは、壊れた人形を視界の端に入れながら、窓の外の濃い魚影を眼で追いかけている師
 に尋ねる。博士は振り返ってハインケルを見た。振り返る時、一回り大きな魚が突っ込んできて、
 魚の群れが散り散りになる。同時に、部屋の壁や床を泳いでいた影も、霧散する。その遠くに見え
 る、黄色い点の様な光は、塔の一階にあるこの研究室の周りで円を描く、廊下伝いに設置された部
 屋の明かりだろう。かつての時代なら、今では日常化してしまったこの景色も、名景として旅行会
 社のパンフレットに掲載されたのかもしれない。

 「ハインケル、気をつけたまえ。」

  そう言う博士の表情は、何時に無く真剣だ。

 「機械――人形達の暴走が、誰かの意志でないとは言い切れない。だから、はっきりした事が解か
  るまでは一人で突っ走るのは止めてくれ給え。生き急ぐのは、まだ、早いよ。」

  もし誰かの意志だとすれば、機械を味方につけている敵の方が有利なのだからね、と博士は付け
 加える。それは間違っていないだろう。水に沈んだ機械都市では、機械に勝つ事など不可能なのだ。
  しかし―――
  本当に機械が、誰か一人だけの味方になるなどという事があるのだろうか。
  暴走した人形は、果たして誰の敵だったのか。
  人類共同連邦か、あるいは、人間か。
  少なくとも、今、此処で壊れて存在している人形は、誰の味方でも敵でもなくなっている。動く
 事が出来ずに。何も話さずに。ひび割れて何も認識する事の出来ない光学センサに、暗く青い光を
 宿したままで。自分を壊した手を持つ者が、同じ部屋に居るという事すら、解からないままで。