夜に紛れて、ひらりひらりと屋根の上を舞う人影がある。
  星一つない闇夜に、深夜であるが故に家の明かりもぽつりぽつりとあるだけだ。そして僅かに灯
 る明かりと明かりの間にある暗いは、光があるからこそ余計に闇に沈んでいるように見える。
  それでも闇に逆らおうというように、僅かに残る明かりからは、さんざめく人の笑い声が、喧噪
 となって渦を巻いている。酒の匂いが今にも漂ってきそうな喧噪は、しかし遠くから聞けば、やは
 り逆に夜の静けさを引き立てるものだった。
  如何に人が世界に広がり、光を灯そうとも、夜は暗く沈黙している。
  故に、闇の中で生きる人間は、決して絶滅しないものだ。
  喧噪の渦に追い立てられるように、ひらりと屋根の上に飛び乗り、屋根から屋根へと飛び移る。
 明かりの間を駆け抜けて、足音は出来うる限りに殺しながらも素早く飛び跳ねる。そうやって、徐
 々に上へ上へと上り詰める。
  脚で屋根を蹴り、腕を伸ばして人のいない闇だけが蟠るベランダに掴まり、身を翻してまた屋根
 へと飛び移る。
  小さく粗末な小屋から、大きく豪奢なホテルや豪邸へと、飛び移る。
  そうして、より高みへと伸ばしていた掌が、螺鈿の美しい柵を探り当てたところで、その身はく
 るりと一回転し、バロック模様の柵や豪奢な花が飾られたベランダに降り立った。そして、林檎や
 葡萄が描かれた刷り硝子の嵌め込まれた窓に駆け寄ると、指先を器用に動かす。傍から見ると何を
 しているのか分からないが、数秒と経たぬうちに窓が静かに開かれたのを見ると、鍵を開けていた
 のだと理解できる。
  開かれた、明かりの灯らない窓からそっと忍び込んだ身体は、そのまま奥へと消えていった。
  しばらくして――おそらく一時間と経っていない――再び現れたその身には、何やら重そうな袋
 がぶら下がっている。引き止める者も、咎める者もいないまま、現れた時と同様の身軽さで、幾分
 か重くなった身体は再び闇へと消えていった。

  

     翌日、とある町の浮浪者達に金品がばらまかれた。
  最近そのような事が多いとぼやくのは、保安官達だ。同時に、金持ちからの金品を盗まれたとの
 被害届が多いとも。
  多少の前後はあるもの、ほぼ同時期に発生し始めた二つの事柄が繋がっている事は、誰の目から
 見ても明らかだった。
  金持ちから盗まれた金品が、食うに困っている者、家のない者、貧しい者にばら撒かれているの
 だ。
  まさか宝石やら金やら紙幣やらが自発的に、己がいるべき場所は此処ではないと悟り、金持ちの
 家を離れて貧乏人の所に行くはずもない。
  誰かが金持ちから奪い去り、貧乏人にばらまいているのだ。
  その事実はあれよあれよという間にアメリカ西部を駆け巡った。
  19世紀後半のアメリカは、ゴールド・ラッシュという歴史の荒波に呑まれている時代だった。そ
 の波に乗った者と乗り遅れた者とでは、その先の一生には雲泥の差がある。仮に波に乗れたとして
 も、いつ波に飲み込まれるかも分からない、そんな一寸先は闇のような時代でもあったのだが、最
 初から波に乗れなかった者としては、一部の人間だけが栄華を誇っているのは理不尽にも思えた事
 だろう。
  事実、西部には貧しい者が多い。
  金鉱脈という名に惹かれて、或いは新天地という言葉を信じて、何ら準備もないままに西部にや
 って来た者が多いのだ。財を成せるのは、それなりに計画を立てたか、元々それなりの財を持って
 いるかという者で、甘い夢だけを期待した人間は夢と現実の差を埋める事が出来ぬまま、貧しい暮
 らしを余儀なくされるのだ。
  そんな貧しい人間が多いから、金持ちから金品を奪いそれをばらまいていくという存在は、貧し
 い彼らにとっては、なんとも眩しく見えたに違いない。むろん、その行為について訝しむ者もいた
 が、己が境遇に理不尽さを多少なりとも感じている場合は、概ね好意的に受け入れられた。
  若くして春を鬻がなくてはならない娼婦達や、葉巻の吸い殻を拾い集めてそれに火をつけて楽し
 む浮浪者、家のない子供達にとっては、金を落とさぬ金持ちから金を奪う――しかも自分達に分け
 与えてくれる存在と言うのは正義の味方と言っても良かった。
  特に、行き場のない子供――親がいなかったり、いたとしても碌な親でなかったりする場合が多
 い――には、名前も姿も知れぬ彼は、俄然人気であった。
  一体誰が言い出したのか知らないが――おそらく大方、多少の学のある斜陽貴族か誰かが言い出
 したのだろうが――中世イングランドの伝説上の義賊の名前で、彼の義賊の事を呼び始めた。
  即ち、ロビン・フッド、と。
  子供達はこれをいたく気に入り、ならば自分はリトル・ジョンだ、スカーレットだ、とロビン・
 フッドの仲間の名前で己を名乗り出す始末である。
  そんなふうに自分達を呼び合って、ロビン・フッドの仲間だと名乗る子供達を、そして肝心の義
 賊当人についても保安官達はどうにも扱い兼ねていた。
  義賊当人については明らかな犯罪者である。
  被害にあった金持ち達からは早く捕まえろとせっつかれている。金持ちにしてみれば、稼いだ金
 がごっそりと奪われ、なんら恩義もない浮浪者共にばら撒かれたのだ。腹が立たぬはずがない。そ
 れに、また、いつ何時被害に会うかも分からぬのだ。逮捕を願う事は当然であった。
  だが、保安官達にとっては彼の義賊が民衆の支持を得ている事がどうにもやりにくい。金持ちの
 言い分を無視する事は、今後の町の保安の運営にも関わってくるので避けたいところだ。
  しかし、義賊を逮捕して、娼婦やら浮浪者やら、そしてその他民衆の怒りを買う事も避けたかっ
 た。彼らの日頃の鬱憤が、今は義賊の活躍で晴らされているところが、保安官達に向かえばどうな
 るか分かったものではない。
  一方で、ロビン・フッドの仲間を名乗る子供達の行く末が気にかからぬでもない。義賊という者
 に憧れる、大人よりも影響されやすい子供達が、ならば我等もと叫んで金持ち達を襲撃せぬとも限
 らない。襲撃して、騒ぎになるだけならばまだ良いが、しかし万が一にも襲撃が首尾よく進み、味
 を占めた子供達が再び同じ事を繰り返したなら。
  それは決して愉快な想像ではなく、なんとしてでも避けねばならない事であった。特に、ロビン
 ・フッドの仲間の名を名乗り合っている子供達は、要注意であった。
  けれどもそんな保安官達の懸念を嘲笑うかのように、注意深い眼を嗤笑するかのように、事は起
 こった。いや、むしろ注意していたからこそ、その程度で済んだのかもしれない。 
  ロビン・フッドの仲間を名乗る10人の子供達が、今にも金持ちの豪邸を襲いに行こうと、銃刀を
 持って潜んでいたのだ。むろん、彼らは捕えられた。捕えられたと言うか、余程激しく抵抗した所
 為か、大部分がその場で射殺された。彼らは子供の浅知恵で、金持ちの使用人の一人に成りすまし
 て屋敷に侵入しようと考えていたらしく、町に出ていた使用人の一人を誘拐していた。誘拐された
 使用人は、子供とはいえ大勢に取り囲まれて押さえつけられたため、圧迫死した。
  しかし、何故子供達はこんな凶行に及んだのか。
  確かに、その兆候はあったが、唐突に金持ちの屋敷を襲おうと思い至ったのは何故か。ロビン・
 フッドに任せておかなかったのは何故か。
  答えは簡単である。
  ロビン・フッドには、もう頼る事が出来なかったのだ。
  ロビン・フッドは子供達が事を起こす1か月前から、消息を絶っていた。金品を与えにやってこ
 なくなっていたのだ。誰が待てど暮らせど、彼の消息はしれなかった。
  知っているのは、賞金稼ぎのマッド・ドックくらいなものだった。
  何故マッドが知っているのか。
  この答えも簡単である。
  マッドが、彼のコック・ロビンを撃ち殺したからだ。
 















弦楽四重奏曲第17番