無法松がテンプルに入ったのは、そう昔のことではない。
 無法松は今現在、二十一世紀初頭を監視するテンプル派遣員として動いているが、そもそも無法松
はこの時代を拠点としていた時空犯罪者のリーダーだった。今はタイ焼き屋として、その売り上げを
孤児院に寄付するという生活を隠れ蓑にして、かつて自分がリーダーを務めた時空犯罪者集団の動き
を見張っているのだ。
 アキラという、とある超能力者の少年の動向も、共に。
 無法松がアキラを見張っているのは、アキラが超能力者として時空犯罪者達に悪用されないように
するため、そしてもう一つは、アキラの身の上にある。
 そもそも、無法松が時空犯罪者を止め、テンプルに入る発端となったのがアキラ――彼の父親にあ
る。
 無法松はアキラの父親を殺した。
 そして、無法松がアキラの父親を殺した時に、無法松と無法松を裏で操っていたODIO、そし
てアキラの父親を捕えに来たマッドに会ったのが、無法松がテンプルに入ることを決定づけたのだ。
 当時のマッドは今とほとんど変わらない、皮肉めいた笑みを口元に湛え、アキラの父親を殺したば
かりの無法松を睥睨したのだ。今と違うところと言えば、まだマッドにも幼い色が残っていた事くら
いだろうか。
 しかし、幼さが何処となく残っていようといまいと、マッドはマッドだ。時空犯罪者を捕え、引き
立てる根本は変わっていない。そしてその頃から、マッドはODIOを捕える為にあちこちを駆け巡
っていた。
 だから、ODIOの手先として動いていた無法松やその他のクルセイダーズを捕える為に、マッド
が姿を現したのは分かる。
 だが、マッドはアキラの父親も、捕獲対象として見做していた。
 そして当時の無法松も、アキラの父親を消すべき存在と見做していた。
 テンプルと時空犯罪者両方から、快く思われていない存在。それがアキラの父親だ。
 何故、アキラの父親は、法の執行者と犯罪者の双方から疎まれていたのか。答えは、彼が元テンプ
ルだったからだ。いや、正確には最後までテンプルではあった。ただし、テンプルの規定に最大限に
背いていた。
 テンプルの規定に背いた結果が、アキラだ。
 テンプルの規定は無数にあるが、その中で最も重要視されるのが、己の存在が、その時代に存在し
ていたことを、明確に残してはならないということだ。だから、派遣員達は、任務終了後、撤収する
時は自らを死んだように見せかけて、その時代から立ち去る。中には、ざきのようにその後も継続し
て任務に当たるような場合もあるが、大抵の場合は、派遣員は任務の最後に『死亡』する。
 テンプルは、己の痕跡を、死の焼き鏝以外の方法で、残してはいけない。
 監視対象時代において、誰かと結ばれて、まして子供まで作るなど言語道断だ。
 アキラの父親は、その規定に背いて子供を作っていた。二人も。しかも両方に、微々たるものだが
超能力の兆候があるという。
 だから、マッドはアキラの父親を処分するために、無法松がアキラの父親を殺害するその現場に現
れたのだ。そのついでに、無法松も捕える為に。
 マッドがやって来た時には、既に無法松はアキラの父親を殺した後だった。後々にマッドが語った
ところによれば、手間が省けた、と思ったとのことだ。つまり、アキラの父親は殺処分されかねない
状況だったのだ。
 そしてマッドは、血の湯気の立つアキラの父親は放置して、無法松の前にやって来た。実はこの時、
マッドはクルセイダーズを食い散らかした後だった。もしかしたら、マッドは無法松にアキラの父親
を殺させるつもりでいたのかもしれない。
 いずれにせよ、無法松が見たのはマッドによって撃ち落された自分の部下達で、マッドはそれをつ
まらなさそうに睥睨していた。
 そして、マッドの銃口は、倒れ伏したクルセイダーズなどもはや歯牙にもかけず、次の粗点を無法
松に合わせたのだ。
 無法松は抵抗した。
 当然だ。
 悪人の矜持は、最大限の抵抗を生み出した。
 ただし、マッドはそれを呆気なくへし折った。
 無法松が這いつくばって、許しを請うほどに、圧倒的な力で無法松のこれまでの矜持を打ち砕いた。
 そうして、無法松は飼い慣らされた犬のように、テンプルの中に組み込まれたのだ。
 テンプルに組み込まれた無法松に与えられた任務は二つ。
 一つはクルセイダーズの残党が残る二十一世紀初頭を監視すること。
 そしてもう一つは、テンプルの子種の行く末を監視すること。

「ガキに罪はねぇが。」

 マッドは、相変わらず口元に笑みを刷いたまま言った。

「だからといって野放しってわけにもいかねぇ。ある程度の監視下に置いておく必要がある。超能力
が悪用される可能性もあるし、暴走する可能性だってある。まあ、てめぇほどの超能力者が傍にいれ
ば、なんとでもなるだろうよ。」

 そういうわけで、無法松はアキラと、そしてその妹のカオリの傍にいて、名目は見守る、実際は監
視ということを長々と行ってきた。
 だが、それも此処で終わるようだ。
 ブリキ大王のコックピットを眺めながら、そろそろ潮時だ、と思う。陸軍に囚われていた孤児の一
人は無事に助け出す事が出来た。だが、その背後で蠢く、時空犯罪者達――いや、再び降臨したOD
IOによって作りだされた液体人間が目覚めようとしている。
 遥か未来のサイボーグ技術の一つである液体人間の作り方が、何故二十一世紀初頭に存在している
のかは愚問だ。時空を越えてやって来た連中が、この時代に置いていったのだ。本来ならば、人間一
体に対して一つの義体を準備し、そこに液状化した人間を注ぎ込むのだが、ODIOが作り上げたの
は、二千人の人間を、一つの器に注ぎ込んだ存在だった。
 既に個としての理性を失い、どろどろと混ざり合った感情に、一切の歯止めはない。己が何者であ
るのか分かってさえいないのか、それとも分かっているからこそ反発し、暴走しているのか。
 いずれにせよ、人として立ち止まれないであろう二千人は、無理やりに詰め込まれた器を引き摺っ
てこちらに向かっている。
 無法松は、それを迎え撃つ。
 迎え撃つために、ブリキ大王を動かす為に、マタンゴという薬物に手を出して、そうして死ぬのだ。
 もしも、無法松がテンプルではなく、そしてこの時代の人間であったなら、普通にブリキ大王を動
かして死にもしない。無法松の超能力ならば、ブリキ大王なんてものを動かすなどわけないことだ。
 けれども、テンプルである以上、無法松はそれをしてはならない。
 此処で死んで、アキラとカオリの監視任務から外れなくてはならない。

『情でも沸いたか?』

 コックピットでしばし無言になっている無法松の耳に、管理室でサポートしているざきの声が届く。

『長かったからな。だが、此処でのお前の任務は、一旦終了だ。また、別の形で関わるかもしれないが。』
「別に、情がどうとか言うんじゃねぇ。」

 ざきの言葉に返しながら、無法松はブリキ大王の操作を始める。

「ただ、少し。」

 どうしようもない超能力ばかり使っているアキラを思い出す。超能力がいつの間にか埋没してしま
ったカオリを考える。そういえば、あの二人の父親は知っていても、母親は知らない事に気づく。
 そしてマッドは、あの家族の肖像を知っている。

「マッドは、どうしようもねぇくらい悪い野郎なんじゃねぇかって思っただけだ。」

 肖像を引き裂くほどに、任務に忠実。
 それは果たして正義なのか、悪なのか。
 嗤う無法松に、一瞬、通信が静かになった。しかし、その静けさの中で、ごく自然にざきは再び口
を開いた。

『無法松。』

 ざきが静かに、遠い時空の果てで告げる。

『マッドが正しいと俺は思わんが、一番の悪は、こういう種を撒き散らかした、あの子供達の父親だ
と俺は思うぞ。』

 彼らの父親が間違わなければ、こうはならなかった。
 ただし、アキラもカオリも、生まれはしなかった。
 そう言い返してやれば、ざきが微かに笑った。皮肉ではなく、ただただ純粋な、何かの喜びを告げ
るような笑いだった。

『無法松。』

 笑みの中で、ざきが穏やかな声で言った。

『俺は、マッドの采配が常に正しいとは思わんが、お前に関しては、正しかったんだと思うぞ。』

 お前は、と言いながら、無法松を義体とすり替える転送準備をしているのだろう。通信の中で入力
音が響いている。

『随分と、人間らしくなった。マッドのやり方に疑問を抱くのが、その証拠さ。』

 何、と問い返す暇も与えられず、ざきは次いで無法松に帰還命令を出した。

『無法松の義体の転送完了。速やかな帰還を。』
「……了解。無法松、帰還する。」





 何もかもが終わったブリキ大王の前で。
 ブリキ大王を所有している藤兵衛が、うろうろしている。何かをぶつぶつと呟きながら、しかし口
元がにやけている。
 孤児院では恩人を失ったと沈痛な空気が漂っているのに、藤兵衛は何か予期しないものを手に入れ
たかのような、ちょうど宝くじがあたったかのような、隠そうとしても隠しきれない喜色を湛えてい
る。

「……そう、これで儂のことを知る者は全員いなくなった。」

 ブリキ大王を見上げ、彼は喉をひくつかせる。今にも、大笑いしてしまいそうな顔で。

「長く隠れていた甲斐があったというもの。ようやくこの時代で、安心して暮らせるわい……。」

 くつくつと、とうとう笑い出した藤兵衛は、己に舞い降りた僥倖に支配されて、すぐ傍まで硬質な
足音が近づいている事に気づかなかった。
 その頭に、冷たい銃口が口付けるまで。

「楽しそうだな、藤兵衛。」

 笑い含みの、穏やかな声。
 振って舞い降りた声と、その声とは対照的なほどに厳めしい後頭部への口付けに、藤兵衛は笑いで
震えていた肩を止めた。口を開いたままの状態で、全身の筋肉が固まる。

「なあ、お前のお楽しみに、俺も混ぜてくれねぇか?構わねぇだろう?これだけ熱い口付けをしてる
んだから、俺がヤル気になってる事くらい分かってるだろう?」

 蜜のような囁きに、藤兵衛は動けない。動くことが出来ない。ただ、先程まで笑いを堪えようとし
ていた口から、掠れ切った声を零しただけだった。

「マッド・ドッグ………。」
「覚えてくれてたみてぇだなぁ。俺も、てめぇの事は一夜たりとも忘れた事はねぇぜ。」

 元テンプルで、ODIOに液体人間の作り方を売り飛ばしたお前のことはな。
 いつもと変わらぬ、いや、いつもよりももっと甘ったるい声音は、まるで閨での睦言のよう。だが、
マッドが誘っている閨は、一度踏み入れば二度と目覚めぬシーツの上である事は明白だった。そして
藤兵衛に、それを拒否する選択権がない事も。

「まったく、大掛かりなことをしてくれたもんだ。過去でブリキ大王を作り上げて、それを未来で自
分で掘り出す。それをテンプルにいる間にやってくれてたんだ。おまけに、ODIOにも繋がってた
なんてなあ。」
「い、いつから………。」
「最初から、見てたぜ?ただ、あの液体人間に対抗できるのがブリキ大王しかなかったってことで、
今まで泳がせてただけだ。」

 ぐり、と銃口を深く食い込ませると、待て、と藤兵衛が情けない声を上げた。

「こ、此処で儂を殺してみろ!大騒ぎになるぞ!さっきまで、陸軍もうろついていたんだから……。」
「この時代の殺人が、どうやって俺達に関係するんだ?それに、安心しろ。てめぇが死んだ後は、て
めぇの代わりに別の義体を置いておくさ。」

 そんな事くらい、元テンプルだったんなら、分かるだろう。
 マッドの声がすぅ、と氷点下に凍てつくと同時に、音もなくバントラインが銃弾を吐き出した。