「キャプテン・スクエア。」

 宇宙船コギト・エルゴ・スムの内部を、キャプテン・スクエアの『眼』を通じて見ながら、マッド
はこの宇宙船内部にジャックできる部分がないか検索しているであろう人工知能に話しかける。
 宇宙船という閉ざされた空間においては、マッドが外部から侵入し、歪を制圧するという事が出来
ない。故に、今はなんの不審も抱かれずに宇宙船にアクセスできる人工知能を通じて、内部の様子を
窺うしかできない。

「今、その宇宙船内でお前の協力者となる存在はいるのか?」

 キャプテン・スクエアから送られてきた情報を見る限り、宇宙船の乗員は既に半数が死傷している。
残りは、宇宙船の技師と、乗客でありそしてベヒーモスを捕えた軍人である。
 この軍人が、何らかの意図を持って――歪として働きかける意図を持ってベヒーモスを捕えたのか
と思い、その経歴を洗ってみたが、どうやら彼はただ軍人として職務を全うしているだけらしい。
 けれども、技師にしても軍人にしても、宇宙船のマザー・コンピュータに深く浸透したODIOを
制圧することに協力するに適任かといえば、そうではない。
 軍人は、キャプテン・スクエアからの言葉を聞いても嫌悪感を剥き出しにすることが予想できるほ
どのコンピューター嫌いであるし、技師はキャプテン・スクエアの言葉を真摯に受け止めるだろうが、
如何せん実力不足だ。戦うには向いていない。
 キャプテン・スクエアが無理やり、マザー・コンピュータにアクセスし、ODIOにより感染させ
られた歪を駆逐しても良いだろうが、けれども後々謎として残るだろう。不要な疑念は持たせるべき
ではない。だからこそ、協力者が必要なのだ。
 しかし、今のコギト・エルゴ・スムには、協力者としての適正を持つ者はいない。
 だが、マッドの問いかけに、キャプテン・スクエアは応じた。

「技師カトゥーの制作した作業用ロボットがいます。このロボットを通じて、マザー・コンピュータ
を制圧します。」

 モニタに映し出された、丸い形状が特徴的なロボットを一瞥し、マッドは再度問うた。

「このロボットにハッキングをかけるのか?」
「いいえ。このロボット――人工知能キューブを、マザー・コンピュータの中枢機構まで誘導します。」
 
 中枢機構をキューブに攻撃させ、それによる制圧を図るのだという。
 だが、キューブは作業用ロボットでしかなく、そもそも起動してからまだ数時間としか経っていな
い。当然のことながら、他の人工知能をハッキングしたこともないだろう。

「私がサポートします。」
「お前がいたという形跡が残るんじゃねぇのか。」
「私はキャプテン・スクエアというゲームのキャラクターとして、あらゆる時代に存在しています。
このゲームをプレイしたことにより、キューブの学習機能は、一通り私の行動をトレースしています。」

 キャプテン・スクエアは、同名のゲームによってあらゆる時代に存在するシステムだ。あらゆる時
代といっても、ゲーム機という概念が現れてからに限るが、ゲーム機でネットに接続することが可能
となってからは、その作業の一部を別の機械にダウンロードし、それによって歪を攻撃することもで
きる。
 また、キャプテン・スクエアのゲームの内容は、当然色々と脚色されてはいるが、モデルとしてい
るのは紛れもなく歪との戦いだ。ゲームの中では、あらゆる歪との対抗策が描き出されている。
 老師が、歪と戦う人員を見出し育てるのならば、キャプテン・スクエアは、一通りの知識を分け隔
てなく与える役割を担っている。

「ですが、マザー・コンピュータからは既にODIOは撤退しています。マッド・ドッグ。貴方がこ
ちらの地点にいる必要は低いと判断しますが。」
「いいや……ODIOの奴は、何処かに潜んでるぜ。お前の『眼』で俺が宇宙船内部を見ていること
も知ってるはずだ。」

 キャプテン・スクエアから弾き出された、マザー・コンピュータの動作記録を眺めながら、マッド
は確かに、既にODIOがマザー・コンピュータからはアクセスを切っていることを確認する。宇宙
線の内部に漂うのは、ODIOが生み出した残像のような歪だけだ。
 けれども、マッドは知っている。
 ODIOがそうそう簡単に、この場から立ち去っていないであろう事を。
 キャプテン・スクエアのような人工知能には感じられないだろう。これは、かつて歪に限りなく近
づいた者だけが分かる、本能だ。
 モニタや電子機器を解しても分かる気配に、マッドが神経を研ぎ澄ませているのを、果たしてキャ
プテン・スクエアは理解できたのか。

「………人工知能キューブの誘導に成功しました。」

 人工知能は、静かに協力者の誘導に成功した事を告げた。マザー・コンピュータからは切り離され
た独立した機械であるキャプテン・スクエアを解することで、キューブはマザー・コンピュータの中
枢機構に向かう事になったようだ。
 あとは、キャプテン・スクエアがマザー・コンピュータにアクセスし、マザー・コンピュータの防
衛システムを破壊して乗っ取れば良い。
 あくまで、それらは全て、キューブが行うのだが。
 マッドはその光景をモニタ越しに見て、居住まいを正す。マッドはモニタに映し出された幾つもの 
画面を忙しなく視線を動かして、それぞれに異常がないか探し出す。
 今から、歪を制圧しにかかる。
 キャプテン・スクエアはほとんど、マザー・コンピュータへのアクセスにかかりっきりになるだろ
う。ならば、もしもODIOが今もこの地点の何処かに潜んでいるのならば、動くのはその瞬間、キ
ャプテン・スクエアがマザー・コンピュータの防衛システムを破壊する、その時だ。
 ちらり、と。
 モニタの片隅に、虹色の煌めきが見えた。
 滑らかな動き。鋭い無数の牙。そして爪。様々な時代に現れ、そして伝説の中だけで語られるべき
存在。時空の狭間に住み着く異形。
 ベヒーモスだ。
 宇宙船内部を今も自由に闊歩する巨躯は、未だ別の次元に移ろうつもりはないらしく。てらてらと
血の跡がついた顎をガチガチと鳴らすや、躊躇いなくコギト・エルゴ・スムの中央端末室に躍り込ん
だ。 
 その中にいるのは、キューブをマザー・コンピュータと接触させようと――キャプテン・スクエア
がいるのだから全く無駄な行動なのだが――端末機を弄っている軍人ただ一人だ。
 鋭い咆哮が一閃。 
 同時にそこから発せられた歪。
 重なって聞こえたのは、はっきりと、ODIOの嗤笑だった。
 対する軍人はひるまずに、しかし彼が持つのはレーザー銃一本だけだ。レーザー光線など、ベヒー
モスの皮膚の大半の部分は弾き返してしまう。

「キャプテン・スクエア!」 

 マッドが端末を取り出しながら、防衛機構を突破しているキャプテン・スクエアに怒鳴る。

「サポートの必要はねぇ。ただ、あの軍人のレーザー銃の型式だけこっちに寄越せ!」

 叫ぶや否や、現れたレーザー銃の型式を見て、マッドはそれが無線通信可能なものであることを確
認するや、腰に帯びていた黒光りする自分の銃にも端末を差し込む。途端に、銃口が微かに煌めいた
ようだった。
 
『2XXX地点座標軸Y1034X4587検索……コギト・エルゴ・スム中央端末室において、フォルト社製レ
 ーザー銃RH−AGTSを認識……接続を開始します。』

 そして、恭しい声が、黒光りする銃から響いた。まるで、主人の到来を待ち兼ねていたかのように
 マッドのモニタは既に軍人の視線に移っており、そしてその眼前には、ベヒーモスの巨大な口が涎
を引きながらぽっかりと開いている。

『RH−AGTSとの接続に成功。これより、音声入力を可能とします。指示をどうぞ。』

 命令を待つ銃に向けて、マッドはきっぱりと命じた。

「これより、RH−AGTSを起点とするRH−AGTS所有者への一定期間の干渉を行う。」
『管理パス、及び、状況識別カテゴリSの判断が必要です。』

 マッドの言葉に、一瞬反論したかのように見えた銃は、しかし即座に再び言葉を翻す。

『管理パスを確認。マッド・ドッグを認識。及び状況識別カテゴリSと判断。干渉を許可します。』

 途端に、ベヒーモスが暴れ回り、ぶれていたモニタの中で、ひしりとレーザー銃の粗点が定まった。
先程まではがむしゃらにレーザーが飛び交い、ベヒーモスの肌に当たっては壁や床に叩きつけられて
いただけだった。
 ベヒーモスは首を振り動かし、獲物を食い千切ろうと牙を剥き出しにしている。尾は激しく床を抉
る。そしてその動きは、巨躯からは想像も出来ぬほどに、素早い。
 狭い端末室の中で、軍人の動きは間違いなく追い詰められていた。軍人が吐き出すレーザーは、も
う少しでエネルギーが枯渇しようとしている。
 それでも、なおも撃とうとしていた銃は、ひたりと粗点を合わせるや、鳴りを潜めた。
 この状況に、軍人は確かに焦ったようだ。レーザー銃が『詰まる』なんて事は有り得ないのだから。
そしてエネルギー切れは、先に見えているがまだではない。
 焦って、何度も何度も引き金を引く軍人を他所に、モニタの向こうで、銃が告げる。

『バントラインによる、RH−AGTSを介した所有者の干渉に成功しました。』
「OK。これより、マッド・ドッグによる時空への干渉を行う。対象者はダース伍長。干渉制限時間
は10秒。干渉による波及効果はレーザー銃一弾によるベヒーモスの死亡。干渉開始。」

 マッドの言葉と同時に、何度引き金を引いても口を閉ざしていたレーザー銃が、モニタの向こうで、
再び口を開いた。重なるようにして、ベヒーモスの大口がモニタいっぱいに映る。レーザーの一弾は、
その口腔に吸い込まれていった。
 そして、何かが弾かれる音が瞬く間に何度もしたかと思うや否や、ベヒーモスの身体を無数の光の
線が放射状に貫いて出ていった。ベヒーモスの身体からは、光が出ていった跡から、微かに湯気が立
っている。
 その場にいたなら、焦げ付いた匂いが鼻を突いたかもしれない。
 ぐらり、とベヒーモスの巨躯が崩れ、どう、と横倒しになった。
 マッドは端末を引き抜き、呟く。

「干渉終了。波及効果確認。過不足なし。マッド・ドッグ撤収する。」

 それに合わせて、キャプテン・スクエアも機械音声を響かせた。

「マザー・コンピュータの防衛システム突破。制圧完了。キャプテン・スクエアも撤収します。」