次の瞬間、けたたましい警報が鳴り響いた。
 管理室にいたマッドと老師、そして其々のモニタの向こうで神妙な顔をしていた無法松とざきが、
弾かれたように顔を上げる。
 ODIOの宣戦布告を告げるワッペンから眼を離し、マッドは警報を鳴らしているキャプテン・
スクエアに問うた。

「おい、どうした。」

 部屋の中に点滅する赤は、どうしたって人の不安を掻き立てる色をしている。まして、今まで自分
達の敵であるODIOについて話をしていたのだから、警戒心剥き出しの心にこの警報は鋭く響いた。
 ノイズが入り混じるキャプテン・スクエアの立体画像から、平坦な声が紡ぎ出される。

『――2XXX年代においてワタナベの破壊を確認。宇宙船コギト・エルゴ・スムにインストールさ
れているキャプテン・スクエアより、緊急警報が発令されました。レベル5。救援要請が出ています。』

 ワタナベが歪を察知するためにあらゆる時代、あらゆる場所に配置されたネットワーク・システム
であるならば、キャプテン・スクエアはそれらの破壊を確実に知らせる為の人工知能だ。キャプテン・
スクエアとしての知能は一つだが、それ自体はあらゆる場所に存在し、そこで得られた情報を管理室
にある本体に吸い上げ、そして全ての時代に存在するキャプテン・スクエア達にその情報を並列化す
るのだ。
 今回の警報も、数あるキャプテン・スクエアの端末の一つからの発せられたものだ。 
 しかし――

「レベル5だと?何があった?」

 レベル5の警報など、普通はまず起こらない。普通の歪でレベル5が出るなど有り得ない。よほど、
様々な要因が重なり続けたのか。

『コギト・エルゴ・スム内に次元生物ベヒーモスを確認。また、コギト・エルゴ・スムのマザー・コ
ンピュータに何者かが別次元よりアクセスしています。既に一名が死亡。ベヒーモスが宇宙船内に解
き放たれています。』
「ベヒーモスだと?」

 ざきが狼狽えたような声を上げた。考古学者である彼は、地質や歴史にも造詣がある。当然、博物
学者としての知見も持っている。博物学という学問の中には、もちろん生物に関する知識も含まれて
いる。ベヒーモスの事も、ざきは知識として持っているのだ。

「何故、そんな希少なものが?密猟者でも見つけ出す事は難しいぞ。」

 時空生物という名の通り、ベヒーモスは時空の果てや狭間に存在する。そして、ごくごく稀に、時
空の割れ目を通って表舞台に姿を現す。虹色に煌めくその巨体は、ドラゴンや龍、或いは何らかの畏
怖すべき獣として、伝説として語り継がれてきた。
 そう、あくまでも伝説上の生き物なのだ。
 人々が姿を見ることは、本当に、偶然に偶然が重なった時だ。
 しかしそれが捕獲され、宇宙船内にいる。しかも宇宙船内を闊歩しているというのだ。ベヒーモス
は決して好戦的な生物ではない。だが、気が立っている時は電子銃でさえ弾き飛ばすという存在だ。

『ベヒーモスの現在の体色は赤が6、黄が3、青が1。完全に臨戦態勢に入っています。』

 それでは、おそらく接触しただけで引き裂かれるだろう。宇宙船の中にはレーザー銃くらいの装備
はあるだろうが、それでも急所――ベヒーモスの眉間、攻撃する直前に一瞬だけ現れるという第三の
目を撃ち抜くしかない。

「マザー・コンピュータに不正アクセスしてるのは誰だ?辿っているんだろう?」
『現在、接続先を解析中です………しばらくお待ちください。』

 キャプテン・スクエアが、無機質な言葉を繰り返している間、人間達は何処とも言えぬ場所を見つ
める。彼らの中でも、テンプルとしての本能が警告音を発し始めていた。ノイズの混じるキャプテン・
スクエアの機械音声も、やはり警告の一環だ。
 そこに、ワッペンを掲げて黙っていた無法松が小さく舌打ちした。ノイズに紛れてしまいそうな音
だったが、マッドは聞き逃さない。

「そっちはどうした。ワタナベが壊れたか。」

 普段と変わらぬ飄々としたマッドの声に、無法松が忌々しそうに、その通りだよ、と応える。

「よりにもよってこんな時に、な。だがこっちにはODIOが絡んでる。それに俺の古巣も、だ。俺
はこの時代のテンプルとして、こっちを優先させるぜ。」

 そう言って切断しようとする無法松に、マッドが頷こうとした正にその瞬間、キャプテン・スクエ
アの立体画像が大きくぶれ、ノイズが一際大きくなった。そのノイズの中に混ざる何者か。いや、そ
れは人ではない。人ではなく、ただの文字列が、ノイズを作り上げている。
 遠目に見れば砂嵐でしかないそれらが、主張しているもの。

「ODIO……。」

 ノイズの中で、確かに誰かが笑った気配がした。

『アクセス解析完了……。アクセス地点は不明。しかしながらアクセス端末はODIOである事を確
認……。』

 キャプテン・スクエアの声が無機質に不気味に響く、凝然とした空気の中、マッドが口を開いた。
葉巻を燻らせるような、ゆったりとした口調で。

「ざき、てめぇは一旦そっちの任務から離れて無法松を手伝え。無法松のところにはブリキ大王って
いう遺失物もあるんだろう。」
「あれは遺失物ではなく、本格的な古代の遺物なわけだから、俺達が取り上げるわけにはいかないん
だが。」
「ああ、古代に流れた遺失物が、ああやってあの時代に発掘されちまったんだからな。おいそれと手
は出せねぇだろう。だが、取りこぼした遺失物で悪さされないように見張っとくのも、仕事だろう?」
「無法松ほどの超能力がないと、あれは動かせないけどね。」

 モニタの向こうで呟きながら、けれどもざきは頷く。古代バビロニアの遺物として発掘されてしま
ったものを、だからといって放置するわけにもいかない。事が済んだ後、誰にも動かせないように強
力な制御装置をかけるのも、彼らの役目だ。

「老師、あんたも無法松のサポートに回れ。無法松が『死に別れ』たら、帰還準備と、不要な記憶の
処理を進めろ。あと、クルセイダーズとやらの残党の捕縛もな。奴らにはODIOの事を吐いてもら
う。」

 まあ、無駄だと思うがな、とマッドは口の中で小さく呟いた。
 強張りのないマッドの頬を見つめ、老師は、お前はどうするんだ、と問う。マッドは、ようやくノ
イズのとれたキャプテン・スクエアの立体画像を見つめながら答えた。
「俺はキャプテン・スクエアの援護に回る。ODIOがアクセスしたということは、コギト・エルゴ・
スムとかいう宇宙船は、完全に歪になったと見て間違いない。」
「……それは。」

 宇宙船にいる全てが歪になったという事だろうか。顔を歪めた派遣員達に、マッドはアクセス端末
を繋ぎながら、薄らと笑う。安心も不安も感じさせない、ただの微笑みだった。

「さて。いずれにせよ、宇宙船の中には歪が伝播しまくっていると見て間違いない。いざとなれば、
最悪、宇宙船ごと時空の狭間にでも放り込むしかないだろうよ。」

 何せ、あの中で、誰か一人でも時代の協力者として残っているかも分からない。
 そして、何よりも閉ざされた宇宙船の中に、派遣員の誰かが忍び込むなんてことも出来ないのだ。
キャプテン・スクエアを除いて。

「さあ、キャプテン・スクエア。宇宙船コギト・エルゴ・スムの中ではお前だけが頼りだ。何とかし
て、歪を治めるぞ。」
『了解。これより宇宙船コギト・エルゴ・スム号のキャプテン・スクエアと並列化を行います。宇宙
線内部の状況を確認中――――。』

 コギト・エルゴ・スムの内部をハッキングしているキャプテン・スクエアを一瞥し、マッドは残り
の派遣員に言い放つ。

「さあ、てめぇらもぼやぼやしてないで、ODIOが宣戦布告していった置き土産を片付けて来いよ。」

 俺は、こっちを片付ける。
 短期決戦型の派遣員の言葉に、残りの派遣員は二十一世紀へとアクセスする。彼らの残像に重なる
ように、無機質な機械音声が重なる。

『―――歪の存在を確認、及び接触。音声メッセージがあります。再生します。』

 耳元で、囁くような、嘲るような声が届いた。

 ―――KILL YOU………

 それは確かに、取り逃がしたODIOの声だった。