マッドとストレイボウのやり取りを横目で見ていたざきは、小さく溜め息を吐く。やがて、ストレ
イボウが力なく笑ってルネサンス期のヨーロッパに戻ったのを見送った時も、やはり小さく溜め息を
吐いた。
 深々と辺りに響き渡った吐息に、残るマッドが振り返る。

「何を溜め息なんか吐いてんだ。とうとう遺物探査の仕事が嫌になったってのか。」
「まさか。」

 マッドの言い様に首を竦めて否定する。すると、マッドも、だろうなと頷く。

「てめぇのそれは病気みたいなもんだからな。」
「病気だなんて。学者堅気なんだと言ってくれ。」
「だったら学者は全員病気だ。」

 来る日も来る日も、あちこちに散らばったオーパーツを探し回るなんか、俺は嫌だね。
 マッドはそう言い切る。
 オーパーツと言えば、何やらロマンに溢れて聞こえるが、実際は単にその時代にそぐわない――正
確に言うならば、そこにあってはならない時空旅行者の落し物だ。それが何たるかを知っている自分
達にとっては、ロマンの欠片もない。ただの遺失物拾得係だ。
 しかし、ざきにとってはそれはまるで嫌な事ではない。
 考古学者であり言語学者でもあるざきにとって、遺失物に対する人々の反応やらは学問の対象であ
るし、そもそも時空を行き来すること自体が彼にとっては夢のような出来事だ。遺失物を探して、人
々と会話し、その時代の文化や言葉を学ぶ事が、もはや趣味の領域に達している。

「先史時代の人々と触れ合い、彼らの言語を実際に使い、更に我々が使用している遺物を彼らが見て
何と思うのか――これを全て体験できるんだ。素晴らしい事だと思わないか?」
「どうでも良いが、遺物を見つけた奴らの記憶は、ちゃんと消してるんだろうな。」
「当たり前だ。領分は弁えてる。」

 シャンポリオンに憧れ、ロンゴロンゴ文字でさえ読み解くことができる学者は、当然の顔で言った。
 なら良いが、とマッドが呟いたのを聞き、だが、とざきは逆にマッドに問う。

「ストレイボウは大丈夫なのか?」
「さてな。」

 学者の問いかけに、マッドはしれ、と素っ気なく答える。あまりにも冷たすぎる言葉に、ざきは眉
根を寄せた。

「俺なら、ストレイボウにあの地点での任務はさせないね。」
「お前でなくてもそうするだろうな。」
「じゃあ、なんであいつはあの時代の任務に当たってる?」
「あの時代以外の任務を任せたところで、あいつはあの時代が気になって仕事に手が付かないだろう
よ。」

 あいつは、あの時代の二十年前に、オディオと対峙したから。 

「ストレイボウは、もう一度オディオがあの時代に来る時を、待ってるのさ。」
「あの時代でなくても良いだろ。そもそもストレイボウはオディオが尻尾巻いてお前から逃げた時、
その場にいた。オディオにとっては屈辱的な様を見られたんだ。お前の次くらいに、ストレイボウを
狙って、その姿を現すだろうよ。」
「分かってる。だが、ストレイボウの奴は、敢えてあの時代に拘るんだ。たぶんオディオもそうだろ
う。」

 みすみす逃げ出さざるを得なかった時代に、オディオもまた執着している。あの二人は、あの時代
で対峙することを望んでいる。

「あとは、ストレイボウにはあの時代をオディオから守りたい理由があるのさ。」

 マッドが囁くような声で呟いた言葉の続きを、ざきは待つ。だが、マッドはその先を続けようとは
しない。
 訝しんでマッドを見れば、マッドはひやりとした眼でざきを見つめていた。口は梃子でも開かない
と言わんばかりに固く引き結ばれている。その口が開いた時、マッドはざきをくるりと反転させた。

「おら、てめぇもさっさと任務に就け。遺物拾得係ってのは、暇じゃあねぇだろう。」

 突き飛ばされるようにして先史――所謂原始時代と呼ばれる時間と接続される。同時に、服も一瞬
で剥ぎ取られる。全裸で股間にトカゲを貼り付けただけという、変態この上ない姿になるも、ざきは
別に羞恥心を抱いたりはしない――原始時代ではこんな恰好をしていたのか、と学問的興奮を覚える
だけだ。
 しかし今はそれよりも、マッドの呟きのほうが気になるのだが。けれどもマッドの姿は既になく、
ざきも薄暗い洞穴の、岩肌も顕わな壁を眺めているだけだった。
 小さく舌打ちをし、頭を一つ振って思考を切り替える。今は、ストレイボウについてはひとまず置
いておこう。それよりも今この時代における問題を解決するべきだ。
 何せ、マッドには黙っていたが――ばれているだろうが――捕えていた時空犯罪者に逃げられてし
まったのだから。
 あの女、とざきは内心で呟く。まさか原始人を垂らしこんで逃げ出すとは思わなかったのだ。
 げっそりした気分で、女が残していったコーラの瓶を蹴り飛ばす。最初は、ポイ捨てをするマナー
のなっていない旅行者だと思っていたのだ――原始時代でコーラの瓶をポイ捨てする事は大いに問題
なのだが。
 が、実際に女を捕まえて見れば、実際は密猟者だった。原始以前の時代の絶滅動物を捕えては売り
捌くという、非常に危険な輩だったのだ。
 密猟者からしてみれば、恐竜や原始時代の生き物は腐るほどにいるのだから、何匹か捕まえても問
題ないと思うだろう。だが、原始以前の生物の中には、間違いなく今に連なる動物の遺伝子を持った
存在が確実にいるのだ。下手をしたら人間に連なる存在もいるかもしれない。
 万に一つ。
 だが、それらを区別する術はない。
 それに、過去を見れば人間の業の深さなど分かるだろうに。腐るほどいる生物があっという間に死
に絶えた例など幾らでもある。例えばリョコウバト。夥しくアメリカの空を覆っていたあの鳩は、フ
ロンティア開拓と共に、巣ごと根こそぎ奪われ絶滅した。人間ならばイースター島の住人。奴隷とし
て連れ去られ、白人の持ち込んだ病原菌により、一時は二百人以下にまで人口が減った。
 故に、時空密猟者は重罪だ。
 捕えられたら、初犯であっても実刑。しかも一年や二年ではなく、十年以上だ。
 だからこそ、あの女も死に物狂いで逃げたのだろうが。しかしあれ程までに逃げ惑ったところを見
るに、初犯ではないだろう。
 ざきは薄暗い気分になり、洞穴の外に出る。
 思ったのは、女に垂らし込まれた原始人の子供だ。何も知らないが故に、あの女に付け込まれた。
だが、もしかしたらあの女はあの子供でさえ商品として持ち帰るかもしれないのだ。そう思うと、や
るせない気分になる。
 そうなる前に、なんとしてでもあの女を捕えなくては。
 そして。
 地の底から、低い唸り声が聞こえた。あの女が狩った、別の次代から連れてきた肉食恐竜。あれを、
元の時代に戻すのだ。遺物拾得係として、務めは果たす。
 既に手は打って、彼らが逃げ回れないように村には入れなくしてある。荒野に追い出された彼らは、
獣達に追われ、安全な場所を探し求めてこの洞穴へとやって来るだろう。煌々と輝く焚火は罠の色だ。
あの女は罠だと気づくだろうが、どうする事もできまい。他に、行く宛はないのだから。
 近づく足音を聞きながら、ざきはワタナベが破壊される音を聞いた。

 
 
 
 
   女を引き摺りながら、荒野を進む。
 夜であっても、獣がうろついていてもテンプルとしての装備を与えられているざきには、恐ろしく
も何ともない。そんなことよりも、ワタナベが破壊された事のほうがざきの心を揺さぶっていた。

「離しなさいよ!離せぇ!」 

 少年の前では乙女ぶっていた女は一瞬で豹変し、己を引き摺るざきに向かってがなり立てる。品の
ない声は、喉に超音波でも仕込んでいるのかもしれない。
 事実、べる、と名乗っていた女は、何度も何度もざきに音波攻撃を仕掛けてきた。それらはざきの
もつATフィールドで掻き消されてしまったが。 

「騒ぐな、鬱陶しい。騒がれることをしたお前が悪いんだろうが。」 
「煩い、股間トカゲ!テンプルってのは、あたし達を捕まえるためなら変態にも成り下がるんだ!」
「ああ、そうだ。お前達みたいな時空変質者がいる所為で、俺達も変態の真似事をしなけりゃならん。」

 ざき自身は自分の姿を、この時代の正装であると知っているので、変態だとはまるで思っていない
が、しかし変態呼ばわりされて黙っているわけにもいかないので、ビキニ姿で走り回る女に対して、
同じく変態のレッテルを張ってやる。

「安心しろ、お前みたいな変態も当分は世間様を騒がせずに済む。密猟者は有罪判決が出れば、初犯
であっても十年以上の懲役刑だ。お前は、」

 初犯じゃないだろう。
 肩越しに振り返り言ってやると、べるは目を伏せた。

「初めてだよう。ちょっと友達に誘われたのさ。」
「初めてで肉食恐竜なんぞ捕まえられるか。」

 ざきは冷ややかに笑う。
 そして腹の底で心底嘲笑う。この女は、自分が何をしたのかまるで分かっていないのだ。自分が、
この時代の歪の生みの親になった事を、理解していない。

「お前、まさかとは思うが、お前を助けたあの子供も、獲物として売り捌こうだなんて思ってたんじ
ゃないか?」
「まさか。」

 眼が泳ぐ。
 ざきは、暗澹たる気分になった。ざきの悪い予感は当たっていた。この女は、根っからの悪人だ。
だからこそ、歪が産まれた。

「全く以て、見事な母親だ。」
「何言ってんのさ。あたしには子供なんていないよ。そんな面倒臭いもの。」
「ああその通りだ。お前は面倒臭い子供の母親だ。」

 ざきは捕まえていたべるの腕を離したかと思うと、その身体を突きとばす。突然の事にそのまま尻
餅を突いた女に、ざきはその顔を寄せた。

「お前も悪人の端くれなら知っているだろう。歪を。」

 べるは眼前にあるざきの顔を、訝しげに見つめていたが、ややあってから頷いた。

「お前は、それの生みの親だ。」

 お前の所為で、歪が産まれた。
 極め付けると、べるの眼が見開く。こんな女でも、歪が何を意味するのか知っていたのだ。そして
歪を生み出した存在は――その時代の人間ではない限り、その場で消去される運命だ。べるはこの時
代の人間ではない。
 彼女は、もはや密猟者としての刑期だけでは済まないのだ。

「あたしがそうだって、決まったわけじゃないじゃない!」
「いずれ、分かる。」

 歪の中心が何であるか。今のところ、べるではないが、しかし彼女もまた歪が伝播している。ざき
と同じく、歪が何処にいるのか、本能で察している。

「もうすぐ、お前がただの懲役刑で済むか、それともこの場で消去しなくてはならないか、分かるさ。」

 もう、ざきには分かっているけれども。
 だから、ざきはキャプテン・スクエアを呼ぶ。べるそっくりの、義体を準備するように、と。
 あの少年が、せめて何も知らないままにその生を終えられるように。