エリアルの銘を持つヘルムにグラブ、メイルにブーツ、そしてリング。
 この世ならざる場所としか言いようのない場所で見つかったそれらは、しかし剣だけが欠けている。
 これだけ全身揃っているのなら、剣もあって然るべきだ。
 そう訴えたのは、派手な色の髪をした少年だったが、そういうものであるのかどうなのか、サンダ
ウンには分からない。ただ、不気味な空間を支配していると思しき輩達に、意味ありげに持たされて
いたエリアルの銘を関するそれらの武具がルクレチアの空の下に引き摺りだされた途端、ルクレチア
を覆う灰が微かに薄らいだ事は感じ取れた。
 冷たい霧とも亡者とも判別つかぬ影が蠢く通路で、広げられた武具だけが燦々と煌めき、その周囲
は静かに浄化されているようだ。
 だが、と手を見下ろす。
 ごつごつと不格好な己の手は、じわりじわりと灰に侵食されている。最初は小指の先だけであった
のが、今では掌全体を覆い尽くし、その舌先を手首に伸ばしている。エリアルと呼ばれる武具でも、
それを治癒する事は出来ないようだ。
 サンダウンは、ちらりと武具を取り囲んで、ああでもないこうでもないと言い合っている少年達を
見る。
 彼らは、気が付いていないのだろうか。
 その首、或いは背、もしくは額に、サンダウンと同じように、侵食する灰がある事に。
 この少年達は、とサンダウンは思う。おそらく、自分と同じように呼び出されたのだろう。事実、
彼らもそう言っていた。謎めいた言葉と共に、この世界に引き寄せられた、と。だが同時に、そこに
は、マッドが何らかの形で介入しているはずだ。
 マッドは、他の何者かにも『唾を付けた』と言っていた。サンダウンが一番最後だ、とも。マッド
の言葉を信じるならば――そもそもあのマッドが、本物であるならば――サンダウン以外にこの世界
でまともに生きているのは、この少年達だけだ。
 ただ、分からないのは、彼らの何を以て、マッドは選び出したのか。服装も髪型もてんでバラバラ
で、そして彼らの言い分を真面目に受け止めれば、彼らは別の時代からやって来たという。未来から、
或いは過去から。
 にわかには信じがたい事である。そしてそれら全てが真であるならば、マッドは何故、それら全て
の人間に手を出す事ができたのか。
 ふつふつと、マッドに対する疑惑が深まる。
 いや、そもそもマッドとは、疑惑を深めるほどの深い仲でもなかった。賞金首と賞金稼ぎという間
柄でしかなかった。だから、その心臓を撃ち抜く事にも、些かの躊躇いもなかった。はずだ。マッド
に向けるのは疑念ではなく、ひたすらに黒々とした銃口であるべきだ。
 だが、あの男は。
 乾いた砂の上で倒れたはずなのに、いつものように現れた。そしていつもならば有り得ぬ事を吐い
た。

 ――あんたに請いに来たのさ。

 何をだ。
 あの、何にも頭を垂れぬ男が、一体何を請うているのか。それは、この灰の侵食に関係しているの
か。
 燦然と煌めくエリアルが、灰に侵される指の隙間から、その光を零す。亡者達は、この光の元には
辿り着けない。辿り着く前に、掻き消されてしまうのだ。文字通り、塵も残さずに。
 
『どうか、その光を隠してください。』

 光の粒が転がり広がる通路で、か細い声が響いた。少年達が一斉に顔を上げ、声のした方を見る。
ある者は身構え、ある者はぽかんとした表情を浮かべる。
 転がる光の先、薄暗い亡者漂う通路の先、仄かに浮かび上がったのは、女の姿だった。ただしやは
り、亡者。
 紫紺の髪を長く垂らした女は、純白の服に身を包み、胸の前で指を組み、此方に請うている。

『どうか、その悪しき光を消してください。』
「誰だ、あんたは。」

 女の声に反応したのは、派手な髪をした少年。斜に構えた少年の態度に、女は怯む様子もなく、た
だ、悲痛な声で呟き続ける。

『どうか、その光を消してください。その光は、私達を苦しめる光。私達をこのような姿にした元凶
です。死んだ後も私達を焦がし続ける……。』

 涙をぽたぽたと零しながら、涙のような言葉を落とし続ける。
 だが、サンダウンの眼から見れば、その言葉は事実と真逆を向いているようにしか思えない。エリ
アルの銘を持つ武具から零れる光が毒であるならば、この女は灰と同じ組成をしているのではないか。
 しかし、少年達にはそれが分からないのだろうか。何処か狼狽えたように、身構えながらも光の粒
を隠すべきか悩んでいる。

『止せ。』

 止めたのは、サンダウンではなかった。
 薄暗い通路の向こう側、仄暗く蟠る闇の中から杖に縋るようにやって来た若者が、酷く疲れ切った
表情で、しかし剃刀色の瞳だけは鋭く煌めかせて女を見つめる。それは、さながら、終焉を迎える星
が最期の光を放つかのようだった。

『その光を閉ざすな。それはエリアル。歪を浄化する為に先人達が生み出した、唯一無二の祭具。そ
の女の言葉には耳を傾けるな。』

 鈍色の髪をどす黒く濡らした若者は、じりじりと此方に向かってくる。エリアルの光を一瞬眩しそ
うに眺め、サンダウン達を一瞥し、小さく微笑んだ。疲れ果てた、けれども何か待ち望んでいたもの
がようやく来たかのような、そんな笑みだった。

『その女こそが、ルクレチアを壊滅させた元凶――否、元凶はこのルクレチアそのもの。この女は、
オルステッドを魔王に仕立て上げた引き金。』
『自分の事を棚に上げて何を言うの。』

 女の紫紺の眼が、唐突に吊り上がった。

『貴方が、オルステッドを裏切ったから。あの人への嫉妬心を抑え切れず、欲望に身を任せて裏切っ
たから、あの人は!』

 騙されてはいけません、と女は大きな身振りでサンダウン達に訴える。

『あの男は、昔からオルステッドに勝てないままで生きていた。わたくしとの婚約が約束された武闘
大会でもそう。わたくしの目の前でオルステッドに負けた事を恨みに思い、オルステッドに王殺しの
罪を着せたのです。』

 震える、白百合のような女の指先に、若者は動じるでもない。
 ただ、静かに頷いた。

『その通りだ。俺はオルステッドを裏切った。だがそれは、貴女が魔王に攫われたあの時ではない。
二十年前、貴方の母君が魔王に攫われたその時だ。俺は、自分が息子の事を忘れてしまうという事実
に耐えきれず、息子がODIOに侵される事を防がなかった。マッドが、俺ではなく、オルステッド
を、俺の息子を、連れて帰るべきだったのに。』

 マッド。
 その言葉に、サンダウンは思わず反応してしまった。確かに、この若者の亡者は、マッドと言った。
サンダウンのそんな反応など見えていないのか、若者は呟く。

『俺は、ODIOの毒牙から息子を護れなかった。だから、せめて、オルステッドを解放する為に、
ODIO、お前の首を刎ねる為に、マッドが集めた牙を折らぬようにする事が、魂の一欠けら最期に
至るまでの使命だ。』

 残念だったな。
 剃刀色の眼が、エリアルの光を受けて蒸発する。その間際、信じられないくらいに閃いて煌めいた。

『ODIO。まさか、あの一撃で、マッドを殺せたなんて思っていないだろう?あの男の牙は、お前
の思惑に飛び乗って、確かにお前に届いているぞ。あの男を弾き飛ばして、無法松やざきや老師、そ
してキャプテン・スクエアも切り離せば、思い通りに事が進むとでも思ったか?』

 若者の言葉に、少年達の何人かが、ひくりと反応した。おい、と誰かが声を上げる。だが、その声
に若者は返事をするよりも先に、女の亡者に飛び掛かる。その瞬間、光の粒が若者の身体を直に焦が
した。
 蒸発する若者の身体は、けれどもその指先は女の亡者の喉元に届いている。咄嗟に後退った女の首
には、若者の手形が、くっきりと焦げ目のようにこびり付いていた。
 飛び退った女は、そのまま闇の中に沈み込んでいく。逆に、光で蒸発する若者は、消えゆくその間
際まで女を見つめ、囁いた。

『俺は先に逝く。お前と、息子を、川の向こうで待っている。』


 ぶつり、と音を立てて世界は途切れ、サンダウン達は亡者集う通路から、冷たく白い丘の上に放り
出される。
 顔を顰めて、世界の切り替わりを眺めるサンダウンの傍では、少年達が呻く声が聞こえる。

「無法松、だって……?」

 困惑に近い声が、上がる。あの亡者の吐いた言葉の中に、サンダウンのように知った名でもあった
のか。一方で、何の事か分からないという表情をしている者もいるから、全ての者の琴線に触れる名
があったわけではないようだ。
 ただ、分かったのは、あの若者はサンダウン達をマッドの牙だと思っていた事だ。ODIOとやら
を斃す為の。

 ――あんたに、請いに来たのさ。
 
 マッドが何を請うていたのかが、ようやく、分かった。
 探していた答えの一つを手にしたサンダウンの目の前で、ぎらり、と何かが光る。
 冷たい丘の上、無造作に突き立てられた黒い剣だった。