『ワタナベのルクレチア到達を確認。ワタナベからの画像転送を行います。』

 キャプテン・スクエアの声に微かにノイズが混じる。ODIOの影響は未だに延々続いているのだ。
事実、ルクレチアにいるワタナベから送られてきた映像も、ノイズが酷い。キャプテン・スクエアの
解析によりかなりましになっているのだろうが、しかし所々にひび割れた線が無数に入る。

「随分と薄暗い映像だな。もっと明度上げらんねぇのか。」

 ぼやく無法松に、ざきが、いや、と呟く。

「これが、ルクレチア本来の明度なんだろう。」
「はあ?今、ルクレチアは真昼間だろうが。いくら雨でもこんなふうに暗くなるもんかよ。」

 常に靄がかかっているような視界。灰色の世界は、雨が降っているというよりも、火山灰に覆われ
ていると言ったほうが近いのではないか。
 しかしルクレチアには火山などはなく、幾度かストレイボウからルクレチアの映像が送られてきた
事はあったが、その時は緑溢れる森が延々と続いており、このような灰色に焦がされてはいなかった。

「おそらく、これもODIOの仕業なんだろうね。」

 老師の言葉に、ざきは頷く。それ以外に考えられない。あの、ひたすらに混沌を喜ぶ人の形をした
歪ならば、これくらいの事はやるだろう。その為に、一つの国を弄ぶ事について、一切の躊躇いをし
ない。それによる影響など、完全に演算しきっているだろうが、しかしそれを歯牙にもかけないのだ。

「誰か人はいないのかね?」

 この状況では、いても歪の影響を強く受けてしまっているだろうが。鬱々とした声で問う老師に答
えるように、ワタナベは移動を開始する。
 めくるめく灰色の世界の中には、確かに幾多の生命反応はあった。しかし、そのいずれもが派遣員
達の求めているものではなかった。
 無数の手がある女、機械に捻じれ上がった蟲、凶暴化した動植物。いずれもが、本来ルクレチアに
いる生命体ではない。これらは何処からやって来たのか、と考えれば、嫌な予感しかしないものだ。

「まさかとは思うが、この国の人間全部が、ああなっちまったってわけじゃないだろうな。」

 皆が感じた嫌な予感を、無法松が口にする。
 老師とざきの沈黙は、二人の予感が無法松の予感に共感するものだった。
 しかし、一拍の時間を置いて反応したキャプテン・スクエアは、それを否定した。

『遺伝情報から、あれらの生物からはルクレチアの人間の痕跡は見当たりません。」

   否定に安堵する三人は、しかしではあれらの生物の出所という問題にぶち当たる。
 如何なる世界にも存在しないはずのあれら。遺失物拾得係であるざきでさえ、あれらのいる世界を
知らない。
 ああいう生物がいるとすれば。
 次の瞬間、ワタナベから送られてくる映像のノイズが激しく波打った。白黒の線が縦横に入り、眼
にも止まらぬ速さで画像を分断して早送りする。

「おい、何が起こった?!」
『外部から直接的攻撃を受けています。』

 凄まじく動き回る画像に、ワタナベ自身が攻撃されているのだと理解する。じわりじわりと映像に
広がる灰色が、世界がワタナベの視界を侵食しつつあるのだという事も。
 凝然とする派遣員の目の前で、ワタナベから送られてくる映像は、おそらくワタナベが倒れた状態
で立ち止まる。その間もセンサを侵食していく灰。その中に、するりと降り立つ黒いしなやかな影。
ゆらりと揺れた、素晴らしく長い尾が、一つセンサを打った。
 その一撃で、ワタナベの視覚センサが破壊されたのか、鋭いクラッシュ音と共に、映像はぶつりと
途絶えた。
 だが、最後の一瞬の映像に、派遣員達の眼が大きく見開かれる。

「な……っ!」
「デスプロフェット?!奴が何故ルクレチアに?!」

 呻く人間達の声に重なるように、キャプテン・スクエアが無機質な機械音声で、それが本物である
と告げる。

『映像より、デスプロフェットである事を確認……。おそらく、ODIOにより『牢獄』の扉が開い
たのではないかと。』

 牢獄とは、文字通り囚人達を捕えて置く為の場所だ。ただし、この場合は時空犯罪者やそれに類す
る者を閉じ込めておく場所を指す。いや、正確に言うならば、時空犯罪者ごと切り取ってあらゆる時
空から隔離された場所の事を指し示す。
 時空犯罪に関わった者は、そのほとんどが極刑に処される。ざきがべるを捕えた時に告げたように、
時空犯罪者は、その存在そのものを抹消されるのだ。何一つとして後世にも先達にも残されないのだ。
だから、本来は時空犯罪者の牢獄などというものは存在しない。
 だが、稀に、本当にごく稀に、場所そのものが歪と化して、もはや手の付けようのない事態となる
場合がある。そんな事は、過去に数回ほどしかないのだが。
 その場合、歪と化して治める事が出来なかった場所ごと、それの原因となった時空犯罪者を隔離す
るのだ。場所が歪と化した場合、その場に存在する者は――当然の事ながら時空犯罪者自身もそこか
ら逃げ出していない限り――全て悉く世界から切り取られる。
 デスプロフェットは、その中の一つだ。
 いつの時代だったかに、何処かの王に触れただけで黄金を生み出せる力を与えた犯罪者。しかし揺
蕩う黄金は何もかもを冷たい黄金に変え、黄金化された大地は多きく歪んだ。それは黄金に飲まれま
いとする、大地の抵抗だったのか。黄金の縁から固い石に変貌し始めた大地の上で、同じように黄金
と石を交互に繰り返す生物の身体があった。
 派遣員がそこに降り立っても、おそらく、黄金と石の身体になるのが落ちだっただろう。
 だから、そこだけを世界から、時間から、隔離する事にした。いつか、そこが浄化されるであろう
時を願って。

「待て、じゃああの化け物どもは、牢獄から出てきた奴らって事か。だが、どう見てもデスプロフェ
ットのいる牢獄から来た奴じゃない奴もいたぞ。」
「ああ、おそらく。」

 ざきが苦々しげに吐き捨てる。

「他の牢獄も、開いている。来るぞ、奴ら。ヘッドプラッカー、ユラウクス……隔離された既に理性
もない犯罪者共が。」

 ルクレチアを起点に、牢獄から流れ出した犯罪者共が、世界に広がろうとしている。
 もはや、ルクレチアだけの問題では済まされない。最悪、他の牢獄と同じように、ルクレチアも切
り離さなくてはならない。しかし、それをする為にはルクレチアと接続しなくてはならないが、ルク
レチアとの接続はODIOによって阻まれている。
 事態は、ODIOの望むがままに、最悪の方向に転がりつつある。
 昏い色が立ち込め始めた管理室内で、真っ暗になっていたモニタが、ぶつぶつと声を上げ始めた。
何処とも接続していないはずのそれは、ぶつぶつと音を立てながら、火花が爆ぜるようにパルスが点
滅し始めた。そして、やがて縦長のノイズが。
 と、見る間にモニタに絵が広がる。それは、先程途絶えたルクレチアの灰色の世界だった。ただし
場所はワタナベがデスプロフェットの攻撃を受けた場所ではない。白亜の、城の中の風景だ。

「なんだ、この映像。誰が飛ばしてるんだ?」
「ワタナベの子機が生きていたんじゃないのかね?」

 唐突に広がった光景に、誰もが戸惑いを隠せない。その中、人工知能らしく黙々と作業を続けてい
たキャプテン・スクエアが、やはり答えを出した。

『接続先判明―――作業用ロボット『キューブ』から送られてくる映像です。正確に言えば、『キュ
ーブ』に付けられた枝から送られてくる映像です。』

 キューブという名前に、皆が一瞬、きょとんとしたが、真っ先に思い出したざきが声を上げる。

「キューブって、あのベヒーモスに襲われた宇宙船に乗っていたロボットの事か。」

 マッドが『偶然』という名前で介入した、そしてODIOが乗っ取っていた宇宙船で生み出された 
ロボットの事だ。
 しかし、何故そのロボットから映像が送られてくるのか。しかもロボットのセンサに付けられた枝
という事は、隠し撮りという事だ。

「ODIOの野郎の仕業か……?」
「いや、ODIOがそれをする意味がない。我々に絶望を見せつけようという悪趣味も考えられるが。」

 呟いて、やがて全員が顔を見合わせる。

「……マッドか?」

 ODIOから弾き出された、しかし転んでもただでは起きないあの男が。マッドならば一度キュー
ブにも介入時に接触しているし、その時に枝を仕込む事は出来ただろう。或いは、

「歪を介して、歪化しやすい者に枝を付けたか。」

 ODIOが、あるいはルクレチアに蟠る歪が、歪化しやすい者どもを掻き集めるであろう事を予見
して。

「ODIOは確かに、歪化しやすい者の前に姿を現しては取り込んでいたから、マッドがそう判断し
てもおかしくはないな。ODIOに手を出される前に、自分の唾を付けておこう、ってな。」

 ODIOが席巻する世界に、進められる駒として。めぼしい連中に唾をつけていたのなら。

「ここから先は、マッドとODIOのチェスのようなものだ。ODIOだって自分で勝負を仕掛けた
りはしないだろう。牢獄の連中を使って、駒を進めるだろう。」

 それとも案外、マッドが牢獄を開いたのかもしれない。これを機に、本気でODIOを潰す為に。

「歪を浄化するためのエリアルは、牢獄に置いてあるから。」

 エリアルを一番最初に使った歪である男は、その威力を知っていたからこそ、根こそぎODIOを
削り取るつもりで、牢獄を開いたのかもしれなかった。