上々の出来だ。
 マッドは膝を突いたO.ディオを見届けて呟く。O.ディオの傍らに放り出されたガトリング銃は、
しゅうしゅうと湯気を上げて、もはや動きそうにない。電子銃の一撃に曝されて、内部まで焼け爛れ
ているのだろう。
 電子銃を持ち出さねばならなかったのは、少々宜しくない事だった。けれどもギャラリーであるこ
の時代の住人達は、皆が皆マッドが何をしたのか理解していないようだった。ただ、倒れたO.ディ
オの様子を固唾を飲んで見守っている。
 マッドはこの時代にあり得ぬ弾を吐き出した銃を、腰のホルスターに戻しながら、サンダウンの様
子を窺った。
 サンダウンもまた、マッドが仕出かした事について、気づいていないようだった。
 ならば、良い。
 マッドは微かに笑む。マッドがオーバーテクノロジーを使用した事に誰も気が付いていないのなら、
彼らの記憶を消さずに済む。
 後は、この時代におけるマッドの始末をするだけだ。
 いや。
 眼の前で、人間の姿から馬の形に戻ったO.ディオを見て、マッドは腹の底で溜め息を吐いた。
 あの馬を、捕える仕事が残っていた。
 だがそれは、別に後でも良い。今のあの馬に、再び歪を生み出すだけの力は残っていないようだ。

「キャプテン・スクエア。」

 誰にも聞こえぬ声で、人工知能を呼ぶ。返答はすぐにあった。

「O.ディオの位置にマーカーを付けろ。後で捕まえに行く。」
『ODIOの痕跡が残っているからかもしれないからですか?』

 無機質な問いかけに、マッドは頷いた。
 あの馬の身体に染みつき、そして人間に変貌した歪の正体は、ODIOだった。直に会って、すぐ
に分かった。何かを確認する必要もない。三年前、ルクレチアで出会った時と同じ、あの感覚がひた
ひたと波打っている。
 ODIOに対して、電子銃一つを使っただけで、後は通常のこの時代にあるものだけで撃退できた
のは、ある意味幸運とも言える。
 それとも、ODIOにはこの時代に歪を生み出す以外に何か目的があったのだろうか。
 マッドの前に直に現れる事か。
 それとも。
 マッドはもう一度、サンダウン・キッドを見る。あの男の中に蠢く歪を、引き摺りだそうとしたの
か。しかしもしもそうならば、その目論見は見事に外れた事になる。サンダウンの中で蠢いていた歪
は、ODIO撃退と同時に、静かに萎んでいった。再び芽吹く事は、きっとないだろう。
 何故そのような事になったのか、と問われれば、マッドには答える術がない。サンダウンの心裡な 
どマッドは知らない。
 ただ、どうしてそんな事が言えるのか、と問われればマッドにはこう返す事が出来る。自分がかつ
てそうだったからだ、と。

『マッド・ドッグ。帰還準備は整いました。ですが、もう一人分準備しましょうか?』

 キャプテン・スクエアの言葉に、マッドは、いいや、と答える。
 マッドはサンダウンに、この世にある全てを捨てる事が出来るか問いかけていないし、それにその
問いをする暇は、今はない。今は一刻も早く帰還し、ストレイボウの身に起こった事態を把握しなく
ては。

「勧誘はまた後の話だ。此処は一旦、帰還する。」
『了解。帰還準備を始めてください。』

 キャプテン・スクエアの声を聴きながら、マッドはO.ディオが消えた事を喜ぶ住人達に水を差す。
たった今、ホルスターに納めたばかりの銃を取り出しながら。銃からは、既に電子の粒は消え失せて
おり、ただの鉛玉を吐き出す顔をしている。

「喜ぶのは、まだ、早えぜ。」

 サンダウンの隣を通り過ぎ、マッドは酒場の前の通りに立つ。タンプル・ウィードが転がっていく
様を眺めながら、今しばらく、この光景ともおさらばだな、と思う。さくりと踏み締める乾いた砂の
感触も、埃っぽい空気とも。どうせ、一定期間過ぎれば、また今度は別人としてこの地に降り立つだ
ろうが。
 先程追い抜いたサンダウンを振り返り、銃の先で帽子を持ち上げる。銃身越しにサンダウンを見つ
め、微かに笑みを浮かべる。

「ディオを殺る為に一時的に手を組んだ……そうだろ?」

 そうとも。
 それに付随する何らかの物事があったとすれば、マッドがサンダウンもまた此処で始末しなくては
ならないという事だけだ。だが、それは幸いにして回避する事が出来た。ならば、今はまだ、これ以
上の事象は必要ではない。
 決闘を促すマッドに、住人達が何事か叫ぶ。だが、マッドはそれを一蹴する。

「口出しすんな。これは、俺達の問題だ。」

 そう。この時代の人間が、別次元に住まう存在に口出しする事は出来ない。それと同等に、マッド
もまた、これ以上時代への介入は出来ない。
 あと、出来るとすれば馬の回収と、サンダウンに問いかける事だけだ。ただしそれは今ではない。
 騒がしい住人達とは裏腹に、サンダウンは相変わらずの無言だ。マッドの中を読み取っているわけ
ではないだろう。ただ、この男は沈黙が金である事を知っているだけだ――もしかしたら、口を開く
事が億劫なだけかもしれないが。
 ただ、青い眼が何か困惑めいたものを浮かべている。何か逃げ道を探すように瞬く瞼に、マッドは
笑みを深くする。
 もしも、住人達と同様に、マッドとの決闘を回避する方法を探しているというのなら、それは全く
意味のない事だ。マッドはこの決闘を持って帰還するつもりであって、故にサンダウンが弾道をわざ
とマッドの心臓から逸らしても、それ以上の力を持ってマッドはその銃弾を自分に撃ち込んでみせる。
 サンダウンが、マッドの心臓を撃ち抜く事に躊躇いはまるで必要ない。
 どうせ、とマッドは笑う。近いうちにまたもう一度会うのだ。その時、マッドはサンダウンに選択
を迫るだろう。
 この世の全てを捨てる覚悟があるか否か。
 もしもなければ。
 サンダウンが青い眼に、悲愴に限りなく近い決然とした光を湛えて此方にやってきた。覚悟が決ま
ったのか。
 もしも、サンダウンにこの世の全てを捨てる覚悟がないのなら。
 その時は、マッドはこの時代から自分自身がいたという記憶を、根こそぎ消し去っていくだけだ。
 耳に木霊する銃弾を聞きながら、マッドは呟いた。

「マッド・ドッグ帰還する。このままルクレチアに送還を。」
『了解。マッド・ドッグの転送開始……。』





 魔王山は深い森に囲まれた、岩肌剥き出しの奇怪な山だった。
 魔王山を領地として有するルクレチアは小さな国で、名産となる物は何一つとして持たない弱小国
家でもあった。
 交通の要所でもなく、何か恵まれた鉱山や豊かな土地があるわけでもないが故に、戦火を免れてき
た。それは別の方面から見れば、誰にも顧みられる事がない国だった、という事だった。
 他国との交流を必要としないその国は、不要な摩擦も生じないが、しかし一方で他人への配慮も希
薄な人々が脈々と生み出されてもいた。
 だから、小さな単位で繋がり合い、しかしだからこそ配慮のない人々が暮らす国だからこそ、三年
前――ルクレチアの時間軸ならば二十年前、ODIOに歪の巣窟となるべき場所として眼を付けられ
たのだ。
 閉鎖されているからこそ誰にもばれず、緊密であるからこそ国内には一瞬で歪は伝播する。
 ODIOはそう判じた。
 彼はルクレチアの国王に取り入り、彼の妻である王妃からも気に入られ、じわりじわりと己の権力
を確保しようとしていた。
 その様に、真っ先に危機感を覚えたのが、当時、城でお抱え魔術師として勤めていたストレイボウ
――その時は別の名を名乗っていたが――だった。
 魔術師と言えば、政敵を呪術で殺したり、世継ぎが産まれるようにと薬物を使ったりとする怪しい
職業だが、田舎であるルクレチアではそういった事はとんと遠い世界の話で、ストレイボウは専ら傷
薬やら風邪薬やらを作っていた。
 だが、王宮の後ろにまで入り込めたのは事実。
 後宮に入ることを許されたストレイボウは、故にODIOの不気味さにも即座に気づいたのだ。け
れどもそれを進言したところで王と王妃は聞き入れず。逆に不興を買い、挙句、ODIOに王妃誘拐
の罪まで着せられたのだ。
 王妃を攫ったのは、勿論ODIOだ。王妃を攫って、ODIOが何をしたかったのか、それは今で
は図る術はない。だが、おそらく王妃の腹を使って、何か良からぬ物を生み出そうとしていたのは、
想像に難くない。
 その、良からぬ事を成そうとしていたのが、この魔王山だ。
 今は完全に岩山となってしまったが、あの頃はまだ幾分か緑が生い茂っていた。だが、ODIOを
撃退した当時の影響が未だに強く残っているのだろう、緑は既に失われ、まるで墓標のように森の中
で聳え立つ。
 三年ぶりにその地を訪れたマッドは、かつてそこでODIOと相対した場所が崩れ去っているのを
見つけた。そしてその中で蹲る鈍色の髪を。

「ストレイボウ。」

 一言、有無を言わせぬ声で呼びかける。
 今まで誰の声にも応じなかった男は、ひくりと肩を震わせた。長い鈍色の髪の間から、微かに白い
顔が見える。

「何があった。」

 ワタナベをいきなり破壊したという事は。

「俺の中の、歪が、発現したんだ。」
「見え透いた嘘を吐くんじゃねぇ。」

 マッドはストレイボウの言葉を、溜め息交じりに一蹴する。

「てめぇが歪だなんて誰も思ってねぇ。」
「本当なんだ!」
「俺らの勘が、てめぇの中に歪を感じてねぇ。」
「勘なんて!」
「俺が、今まで一度でも感を外したことがあったか?三年前、お前を牢から出した時から、一度でも。」

 マッドの黒い眼がストレイボウの鈍色の髪の中を覗きこむ。ストレイボウの剃刀色の眼が牢屋の向
こう側にいた時のように微かに揺らぎ、そしてマッドの視線から逸れる。

「マッド、お前の勘は何と言っている……?」
「歪は確かに発現している。だが、それはお前じゃない。お前は、歪の発現を俺達から逸らす為にワ
タナベを破壊したんだろ。お前がそうまでして庇いたい人間は、この時代において一人しかいない。」

 途端に、ストレイボウが弾かれたように顔を上げた。曝された剃刀色の眼は、縋るようにマッドを
見ている。

「マッド、あの子は。」
「無理だ。もう発現している。しかも後戻りできない。奴は、三年前のあの時から、ODIOに眼を
付けられていたんだ。それに、歪となるだけの要素もあった。」

 何せ。
 マッドは傍らで崩れ落ちている騎士の死体をちらりと見やり、ストレイボウと見比べる。

「父親であるお前を拷問した連中が勇者だの賢者だの持ち上げられた挙句、父親であるお前はこの国
に抹殺されたようなものだしな。」

 お前の息子である、オルステッドは。