マッドは撃ち抜かれた手綱を摘み上げ、ふらふらと風に揺らす。サンダウン・キッドが駆け去った
方向は土埃が舞い上がり、当の本人の姿は既に豆粒だ。
 久しぶり――と言っても、マッドにしてみればつい先日も会ったばかりなわけだが――に会った賞
金首は、相変わらずこちらに興味も示していない態で、こちらを一通り翻弄した後、逃げ出した。い
つもの通りのやり取りだ。
 ただし、そのいつもの通りのやり取りの間に、マッドがサンダウンのデータを幾つも取っている事
にサンダウンは気づいていないだろう。
 サンダウン・キッドが時空の歪として発現する確率が、前回よりも高いか低いか。
 マッドはサンダウンと会うたびに――会う事は、当然意図して行っているわけだが――それを確認
している。
 歪になる要素というのは、一概には言えない。だから、サンダウンのデータを取ったところで、そ
れが正であるとは言い切れない。しかしそうしたデータがなくとも、マッドは確かにサンダウンの中
に渦巻く歪を嗅ぎ取っている。ただし、マッドの本能は本能でしかなく、数値化することはできない。
データはその補完だ。
 サンダウンの歪としてのデータは、横這いだ。間違いなく、歪を潜在している。ただし、それはマ
ッドが会うたびに高くもならなければ低くもならない。ただただ、じりじりとのたうつミミズのよう
なグラフを作り上げている。
 それならば、放っておけば良いと誰もが思うだろう。歪としての潜在力が上がりも下がりもしない
ならば、別に問題ないではないか、と。
 確かに、どのような存在にも歪としての潜在力は多かれ少なかれ存在する。サンダウンが特別では
ない。
 しかし、普通の存在に対しては、マッドの鼻は働かない。マッドの勘が働くのは、歪として発現す
る可能性が高いものに対してだけだ。
 それにサンダウンの場合、グラフは横這いだと言っても、かなり高い水準で横ばいしている。
 故に、マッドはサンダウンを危険であると認識しているのだ。
 ただ、サンダウンを撃ち抜くには、サンダウンの歪は未だ発現していない。けれども、それも、今
日で終わりかもしれない。
 サンダウンに先程吐き捨てた言葉を、マッドは心の裡で呟く。

『マッド、ワタナベの移動を確認しました。サンダウン・キッドの方向へ進んでいます。』

 耳の奥に、眼に見えないキャプテン・スクエアの声が届く。
 この時代にあるワタナベが、サンダウンに向けて動き始めたのが、一つの答えである。

「キャプテン・スクエア。サンダウン・キッドの位置は追跡してるな?」
『はい。この先10キロの位置にあるサクセズ・タウンにて停止しています。』
「転移準備をしろ。そこで、奴の状態を再度確認し、ワタナベの破壊があれば、奴を始末する。」

 今まで横這いだったグラフが目の前で点滅する。それは、今日というこの日を境に、一気に跳ね上
がっていた。

『転移準備完了。マッド・ドッグ、転送します。』

 キャプテン・スクエアが事務的に告げると共に、マッドの姿は荒野の一点から掻き消えた。マッド
の身体があった部分を、砂が一滴攫っていった。





 サクセズ・タウンと呼ばれる町は、酷く沈鬱な気配に押し潰されていた。
 たった今撃ち抜いた、二人の歪の影響を受けたならず者達の屍を、町の住人が始末しているのを、
マッドは暗澹たる気分で見やる。
 嫌な町だ。
 マッドは、相変わらずの無表情のままでいるサンダウンを横目に、腹の底で呟いた。
 サンダウンに追いついた、と見せかけてやってきた町を、マッドは一目見るなり、これは歪の巣窟
になりやすい町だ、と判じた。
 歪を生み出しやすく、歪が根城にしやすい町だ、と言い換えても良い。
 酷く後ろ向きの、何処か我関せずとした住人達の隙間に、歪は静かに根を生やすものだ。彼らは歪
が生み出されたとしても眼を背け、絶望に気づかないように別の何かに没頭する。
 三年前、ODIOと対峙した時の舞台となった国――ルクレチアもこのような空気の満たされた場所
だった。
 あの時は、辛うじて勇者かぶれの戦士と、賢者であると己惚れた僧侶を利用して、なんとかODIO
を倒すという体裁を整えた。しかし、マッドの中には、あれはただ問題を先送りにしただけだろうとい
う思いが蟠っている。それは、ストレイボウも同じだろう。
 そして、似たような空気を背負う町を、マッドは再び訪れた。
 よりにもよって、歪として発現しそうなサンダウンがその町を訪れ、マッドがそれを追いかけた。ま
るで、あの時の再現のようだ。ルクレチアと同じような、国家単位で注意すべき対象が生まれるかもし
れないという事だろうか。
 そして、マッドの中に、もう一つの懸念が鎌首を擡げる。
 これは、偶然か。
 ルクレチアと同じような町に、境遇は違えど歪として発現しそうな輩が降り立つ。これは、果たして
偶然だろうか。
 まさか、これもまた、ODIOの遊びではないだろうか。三年前、それでもその眉間に刃を突き付け
たマッドへの復讐を絡めた、ODIOの遊びではないのか。
 マッドは、そう思って顔を顰める。
 ならば、早いところサンダウンを始末してしまわなくては。しかし、サクセズ・タウンの陰鬱な酒場
で出会ったサンダウンは、未だぎりぎりのところで歪になり切れていない。何か、サンダウンの中で静
かに泡立つ気配があるが、それも形を留めていない。
 けれども、マッドを認識した瞬間に、サンダウンの中の歪が確かに膨れ上がった。歪の天敵、テンプ
ルを認識したが故か。
 きっと、このまま決闘に雪崩れ込めば、サンダウンは歪として発現していただろう。
 酒場の前での決闘を思い出し、マッドは頷く。
 だが、実際はそうはならなかった。決闘の間際、マッドはサンダウン以外の歪の気配を、自分達の周
りから嗅ぎ取った。歪ではないが、歪に感化されて、放っておけば歪の手先として動き回るであろう輩。
 サンダウンも、自分の同族を嗅ぎ取ったのか。歪として膨れ上がっていたサンダウンの気配は、矛先
をマッドではなく、己よりも遥かに弱い歪へと向けられた。矛先が消えたマッドも、それでもまだ歪で
はないサンダウンを撃つよりも、まずはか弱い歪を捻り潰す事を優先した。
 だから、その時放たれた銃声は、サンダウンのマッドの二つ。後に転がったのは、撃ち抜かれた歪に
侵されたならず者の身体二つ。

「あんた達、クレイジー・バンチを倒してくれないかい?」

 ならず者二人の身体を、サンダウン以外の歪が何処かで芽吹いているのか、と苦々しい気分で見下ろ
していたマッドの声に、住人の一人の声が届く。若い女は、確か歪に抵抗していた存在だ。けれども、
マッドはそれにはすぐには頷かない。
 頷けば、ルクレチアの二の舞になる事は、眼に見えていた。
 マッドは確かに、誰かの力も借りずに、一人で歪を倒す権限がある。だが、今それをすれば、新たな
歪の住処になりかねない。例えば、サンダウンを神聖視して、サンダウンが歪化して気が狂っても、庇
い立てするような。
 だからマッドは、住人達を見まわして言い放つ。

「俺達だけに任せようってのは、ムシが良すぎるんじゃねぇのか?」

 人に頼る事に慣れきった人間は、己の責任の所在を見失う。だから罪を人に擦り付けても平気だし、
誰かを持ち上げてそれに追従して動く事に安穏とする。
 前者によって歪は発現するし、後者によって歪は覆い隠される。
 どちらも、マッドは避けなくてはならない。
 マッドの言葉に、彼らが乗るかどうかによって、全ては決まってくるわけだが。

「あたいはやるよ!」
「僕も!」

 マッドの賭けは、どうやら上手い方向に転んでくれた。住人達は、中にはしどろもどろなのもいた
が、それでも自分達でどうにかしようという気概を見せ始めた。おそらく、サンダウンとは別の、も
う一つの歪は、これで治める事が出来るだろう。
 サンダウンの事は、その後だ。
 しかし、もう一つの歪は、一体何物か。

「聞こえているか、キャプテン・スクエア。」

 倉庫の物陰に隠れて、ひっそりと遥か彼方の時空にいる人工知能を呼ぶ。応答はすぐにあった。

「俺が知りたい事は分かってるはずだ。もう一つ、歪がいるんだが、そいつについての情報を流せ。」
『了解……O.ディオについてアクセス……完了。O.ディオに関するデータは0件です。』

 何もない、という回答に、マッドは顔を顰めた。

「待て、そりゃあ、どういう事だ。」

 いくら歪になったとはいえ、そこに至るまでの経緯があるはずだ。人工知能ならば開発されてから
の、恐竜ならば卵から帰ってからの経緯が。如何なる存在であれ、データがない、という事はない。

「なにか、O.ディオはたった今産まれたとでも言うのか?」
『分かりません。ですが、O.ディオにはクレイジー・バンチのリーダーである、という経歴以外は
如何なる情報も存在しません。歴史上の如何なる人物とも、O.ディオは該当しない。』
「……時空犯罪者の手配書ともか?」
『はい。O.ディオの位置を確認し、その身体的特徴と指名手配されている時空犯罪者のデータと照
合しましたが、一致しませんでした。』
「……なんだ、そりゃ。」

 マッドはしばらくの間額を押さえて、困惑したような色を眼に浮かべていたが、ふと思い出したよ
うに、顔を上げる。

「おい。O.ディオの遺伝子採取は可能か?」
『可能ですが。』
「なら、やれ。奴が、本当に人間かどうか、調べろ。」
『マッド・ドッグ。意図が不明です。』
「……歪が人間を化け物にすることがあるだろう?なら、その逆もあるかもしれねぇ、と思ったんだ。」

 人間以外の何物かが、人間のふりをしている可能性がある。

『了解。手配します。』

 キャプテン・スクエアの通信が途切れると共に、倉庫の扉が開いた。四角く切り取られた空間に、
ぽっかりと広がる背の高い影。

「……マッド?」

 低い声が、マッドの存在を問う。
 底知れないものを湛えたサンダウンの声に、マッドは小さく頷いた。

「ああ、此処にいるぜ。何か用か?」