はて、とサンダウンは、埃っぽく土煙で視界がけぶる荒野を眺めながら首を傾げる。
 一人で、ぱかぱかと馬を走らせている事には随分となれたつもりだったが、ここ最近の数年間は、
独りという孤高の時間に身を投げ打つには、些か騒がしかった。
 五千ドルという賞金を首に懸けられている以上、その道程が到底穏やかではないものは重々承知し
ているが、サンダウンが見舞われている事態は、少々通常の物騒さとは異なっていた。
 物騒である事に間違いはない。
 穏やかさなど微塵もない。
 ただ、一方で妙に人間臭い、突き抜けて気持ちが良いくらいの我儘さを孕んでいる所為か、飲み下
した後もすっきりとした色合いがある。
 けれども同時に、底知れない混沌を深く孕んで、皮肉っぽく微笑むのだ。
 そんな賞金稼ぎに、サンダウンは追いかけられている。
 喧しく、仇っぽく、かと思えば妙に子供っぽく、その背中に視界いっぱいの青空を背負い込んで、
賞金稼ぎマッド・ドッグは、絶え間ないサンダウンの、長くもないこれから先の人生に、着実に楔を
打ち込むように姿を見せては、負けず嫌いな言葉を吐いて去っていくのだが。
 サンダウンは、もう一度、はて、と首を傾げる。
 執拗に追いかけては吠え立てる賞金稼ぎの姿を、ここ数日間見ていない。
 忙しいのか、と思う。
 賞金稼ぎとして、他の賞金首も追いかけているだろうから、それは忙しいだろう。
 サンダウンはそう納得して、再び、ぱかぱかと荒野を進み始めた。





 サンダウンの予想通り、マッドは忙しかった。目も眩むような忙しさだった。
 ここ数日間、やたらと頻発した時空の歪を治めるのに駆けずり回っていたのだ。しかし、多発した
歪の幾つかに――いや、もしかしたら全てに――かつてマッドが取り逃がした時空犯罪者が関わって
いたのだから、話はますますややこしさを帯びていた。
 ODIO。
 時空を掻き乱し、あらゆる時代で混乱を生み出し過去から未来全てを捻じ曲げる事に悦びを感じる
犯罪者。それ自体が既に、歪と言って差し支えのない存在。
 マッドが、ルネサンス時代のちっぽけな田舎で、一度撃退した犯罪者。
 それきり音沙汰がなかったのだが、ODIO自体は再び芽吹く時を、今か今かと待っていたらしい。
そして、幾多もの手土産という名の混乱を持って、今再び表舞台にその姿を現した。マッドへの宣戦
布告として、あちこちに歪を渦巻かせて。
 それら全てを叩き潰す事にかかりきりになっていた為、マッドは本来の自分の任務をしばらくの間
放置していた。

 人手が足りねぇ所為だ。

 マッドは荒野を馬で駆けながら独り言ちる。
 別に、マッドの任務はさほど連続性を要するものではない。簡単に言ってしまえば、何処か一所に
落ち着いている必要がないのだ。
 マッドが任務をするにあたり、隠れ蓑にするのは、傭兵や賞金稼ぎといった所謂根なし草だ。
 確かにそこにいたのだが、次の瞬間何処かに行ってしまっても誰も気にしないような皮をマッドは
纏い、あらゆる時代を闊歩する。
 常に一所にいる必要はなく、誰かと深い付き合いをする必要もない。存在する時間は一瞬でも良く、
いつ死んでもおかしくないからどれだけ離れていても誰にも気にされない。
 他のテンプル――ざきや老師、無法松などは長期に渡って任務に携わるが、マッドは点で動くから
短期で任務を終わらせる。
 ただし、だからこそ、マッドが手にかける歪は強大だ。
 傭兵や賞金稼ぎといったアウトローが蠢く時代は、ひたすらに混沌として、故に時空犯罪者たちも
紛れ込みやすく、混沌から生み出される歪もまた多い。
 マッドは、テンプルに所属して以降、それを屠り続けてきた。
 大抵の歪は、マッドの前には霧散する。頭を垂れるか尻尾を巻いて逃げ出すか、或いは反発するも
マッドによって捩じり切られるか。ただの歪は、マッドの前では無に等しい。どれほど老師が手を拱
いても、ざきが欺かれても、無法松が手こずっても、キャプテン・スクエアが処理しきれなくても、
マッド一人がそこに介入すれば、歪は消失する。
 テンプルであることが、歪を破壊するのに枷である、という事はなくもない。
 その時代を普通に生きる人々にばれずに、出来る限りその時代の人々の手で歪を治めさせるという
事は、実を言えばかなり困難を極める。仮に、それらを誤魔化す手段があったとしても、それでも、
人々の中にはテンプルの存在を何処かで嗅ぎ取ってしまう。だからこその、枷だ。
 むろん、マッドにも、その枷は当て嵌まる。
 マッドは任務の中で何度も誰かの手を借りたこともあったし、その誰かの目の前で死んでみせた事
もある――多すぎて、数を数えるのも止めるほどに。けれども一方で、マッドが一人きりで、歪を叩
き潰した事があるのも事実だ。
 或いは、その時代に偶然と言う名前で干渉する事が。
 マッド・ドッグにはその権利が与えられている。
 少し前に、遥かな未来の宇宙の中を漂う船で発生した歪を治める時、マッドは歪そのものに手は出
さなかったが、代わりに歪の一端を担った時空生物ベヒーモスを、偶然の名の下に撃ち落した。とあ
る軍人の手が滑ったという偶然の顔をして。
 ざきが遺物拾得係で、老師が育成者、無法松が裏世界として、キャプテン・スクエアが信号として
時空に寄り添うならば、マッドは偶然だ。
 マッドは無数の意味合いを持つ。偶然は奇跡として降り注ぐこともあれば、悲劇として爪を鳴らす
事もある。マッド・ドッグはそういう存在だ。
 そして、マッドが姿を現さない介入者としてではなく、普段通りに傭兵として、賞金稼ぎとして働
く場合、彼は悲劇の服を纏う事が多い。それは彼の、根なし草を隠れ蓑にするが故の特性にあると言
って良い。
 命を金に換える存在は、基本的には最後、悲劇で終わるものだ。
 戦記物が、西部劇が、必ず何処かに悲哀を孕むのは、命が金に置き換わっているからだ。
 だからマッドも、悲劇の顔をして最後は退場する。
 そうやって、任務を終えてきた。任務は短期であり、その時は悲劇だが、マッドが死んだ瞬間は、
偶然で終わり、悲哀はそう長くは続かない。 
 しかし、とマッドは頭を抱える。
 今回の任務は、マッドにしては少々長丁場だった。短期で動くマッドは、下手をすれば一週間で仕
事が終わる事もある。傭兵の仕事などそんなものだし、時間を好き勝手に動くマッドは、マッドの時
間では一瞬のうちに、とある時代では二ヵ月経っているという事もある。
 事実、今回の任務も、マッドの時間で言えば半年しか経っていない。ただし任務対象となっている
時代で言えば、三年である。それに半年と言えば短く聞こえるかもしれないが、マッドにしてみれば、
長い。
 歪が頻発した所為で、少々滞っていたという事もあるのだが、一番の問題は別にある。
 マッドが今回調査対象としたのは十九世紀アメリカ西部。インディアンの迫害と犯罪者が広がり、
そして南北戦争の影響の色濃く残る荒野は、乾いた混沌が蠢く命と金の鬩ぎ合う土地である。奴隷が
アフリカから引き立てられ、インディアンが虐殺され、黄金を夢見た白人達が嫉妬と羨望、そして諦
観に翻弄される時代だ。
 激動の時代では、いつ、何処で、時空が歪んでもおかしくない。
 そしてマッドは、本能的に次の歪となる存在を嗅ぎ取っていた。
 テンプルであるならば、誰もが持っている本能。蠢く歪の存在を嗅ぎ取り、それを見張る事が出来
るのはテンプルだけであり、マッドはその中でも突出して歪を嗅ぎ取る事に長けている。
 乾いた大地の上で、マッドは確かに歪の芽生えを感じ取った。
 だから、賞金稼ぎとして、ひらりとその姿を歪となるであろう男の前に現したのだ。男が歪となっ
た時、その眉間を一撃で撃ち落せるように。幸いにして男は天涯孤独だった。マッドが一人で処理し
ても、この時代の人間の手を借りなくても、処理できることだろう。
 しかしマッドが手を出すには、男が歪化しなくてはならない。
 マッドはその時を、ひたすらに待っている。
 そう、三年間、マッドの時間で言うならば、半年。
 長い。
 マッドは呟く。
 いや、三年というのは別に長くもなんともないのかもしれない。無法松などは延々と二十一世紀を
生き続ける必要があった。それを考えれば短いのかもしれないが、しかし、マッドの見立てでは、男
の中で歪が芽吹くのは、いつであってもおかしくなかった。
 自分の眼に、狂いが生じたのか。
 マッドは、いや、と首を横に振る。
 他の歪に対して、マッドの勘は正常に働いている。マッドが芽吹くと見立てた歪は、確かに発生し、
マッドはそれを撃ち抜いてきた。
 マッドの本能は、鈍ってはいない。
 ならば、あの男にもやはり、未だ歪は燻ぶり続けているのだ。失われぬままに、その腹の中で爆ぜ
る時を待ち侘びている。それが弾け飛んだ時、マッドのほうも待ち侘びていた獲物を食い千切る事が
ようやく出来るのだ。
 何日かぶりの、その時代の時間軸では数週間ぶりの荒野に降り立ち、マッドは鼻を蠢かし、獲物の
位置を探す。
 乾いた風に乗って流れてきた、歪な空気を嗅ぎ取り、マッドは小さく笑った。
 
 獲物の名前を、サンダウン・キッドという。