微かな電子音が、ノイズ混じりに点滅する。砂嵐のような音と、その中で微かに震えていた一定リ
ズムの撥音。やがて撥音が大きくなり、ノイズを掻き消し始めると、ノイズはそれ以上対抗していて
も無意味だと悟ったかのように黙り込んだ。
 ノイズが途切れると、電子音は長く尾を引くように連続して鳴り響くと、ふっと唐突に途絶えた。
 沈黙した空間は、けれども長くは続かない。
 次に発せられた音は、ノイズでも何かを示す電子音でもなく、それだけで意味を成す言葉だった。

『――西暦1996年の地点にて、ワタナベの父の破壊を確認。オディオが発現した模様。』
『1994年?その時代にオディオの兆候は確認できなかったはずだが………。』
『既にワタナベが破壊された後なら、封じ込めは不可能だな。オディオ本体を破壊するしかないぞ。』
『――手の空いている派遣員は、ただちに現場に急行してください。』
『おいおい、今何処に手の空いてる派遣員がいるってんだよ。』
『誰か、行けないのか?』
『いや、全員任務中だろ。』
『俺達の中で誰か一日でも任務に当たってない奴って今までいたか?』
『――1867年の地点でもワタナベの父の破壊を確認。こちらについてはキャプテン・スクエアに
て対応します。』
『同時発生するか……。』
『こういう時は、連続してくるんだよなあ………。』
『こっちのほうも、そろそろ発現するだろうから、切るぜ。』
『おい、1994年地点のほうは、』
『やれやれ、こちらのほうで対処するよ。ワタナベが破壊されるまで誰も気づかなかった程度のもの
 だ。人間レベルのオディオだろう。』
『頼む。こちらもそろそろ発現する。』
『そちらは長丁場だからな。こちらも離脱する。』

 光のように飛び交った会話は、一瞬のうちに四方八方に霧散した。空間には再び沈黙が訪れる。誰
もいない空間にある、電子モニタだけが、八つの光を点滅し、その存在を主張していた。




Odio Venator






 ゆっくりと視界センサを稼働させる。
 頸部を回して周囲を見渡せば、そこは光源の少ない小さな部屋の中であると知れた。少し視覚セン
サの感度を上げれば、辺りに古びた機械片が散らばっているのが判別できた。そして、機械の中に倒
れるようにして一人の男の首が転がっている。
 スキャンして死因を特定すれば、窒息死であった。周囲に散らばる機械は、おそらく転がる首の身
体だろう。酸素供給機能のある身体が砕け散り、脳内への酸素供給が不可能になり、敢え無く死んだ
のだ。
 そして、その身体を砕け散るまでに追い詰めたのは。
 キャプテン・スクエアは眼の前で真っ赤に染まった人影を、視覚センサに捕える。痩せ過ぎではあ
るが、健康そうな男児。まだ、成人はしていない――否、1800年代の日本の成人年齢を考慮すれ
ば、この男児は既に成人している可能性があった。

「……おぬしは。」

 酷く驚愕したような言葉の後は、続かない。
 男児が絶句するのも当然である。
 現在、キャプテン・スクエア、眼の前の男児と同様の姿形に変貌しているのだ。
 これは、キャプテン・スクエアにインストールされた機能によるものではなく、キャプテン・スク
エアがハッキングしたこの身体に元々備わっていたものだろう。そしてそれは、この時代にあるべき
ものではない。
 キャプテン・スクエアは、再び機械屑の海の中で事切れている男を見る。
 間違いがなかった。
 この男は、自分達の組織が時空犯罪者として指名手配していた男に脳の形状が一致する。
 タイムマシンが発明され、タイムトラベルが可能となった時代、様々な時空に人々は行くことがで
きるようになった。だが、そういった時空旅行者達全てが純粋に旅行目的であるわけがなく、時に、
犯罪目的で渡航する者も現れる。
 例えば、絶滅した動物を密猟したり、結果の判明している賭博に金をつぎ込んだり。だが、そうし
たものはまだ可愛いもので、中にはその時代には存在しないものを持ち込み、売り捌いたり、時には
それらを用いて歴史の改変を企む者もいるのだ。
 こうした犯罪者を取り締まるのが、キャプテン・スクエアの所属するテンプス・クーストースの役
割だ。
 1860年代日本――所謂、幕末と称されるこの時代において、源内の名を名乗っていた、今はた
たの肉塊と化している男は渡航時取締物所持、及び売買の容疑で長らく指名手配されていた。そして、
キャプテン・スクエア達は、この時代にこの男が潜伏していることも特定していた。
 指名手配犯死亡の情報をテンプス・クーストースの中央管理局に送りながら、キャプテン・スクエ
アは驚愕に満ちた男児の前に降り立つ。忍びの様相をした男児は、おそらく何も知らぬこの時代の一
人だろう。
しかし、こうして時空犯罪者とそれを裁く者と邂逅した以上、もはや彼は部外者ではない。
 源内が未来より持ち込んだ、忍びの眼から見れば奇怪としか言いようのない物体を数多く見たのだ。
このまま、黙って返してやるわけにはいかない。それは、この忍びに限った話ではないのだが。
 スキャンの範囲を拡大し、周囲の状況を探る。
 どうやら此処は、とある城の中のようだ。
 この中ではあらゆる時空が捻じ曲がっている。おそらく、源内があちこちの時代から、その時代で
悲嘆に暮れる存在を組み上げ、この城の中に配置したのだろう。
 彼らは皆、正規の歴史を憎む者。
 キリシタンとして非業の死を遂げた天草四郎、次代に翻弄され最後は自害したという淀君。
 源内は、死の淵にある彼らと接触し、拾い上げ、そして彼らのいない未来を見せつけたのだろう。
それは、心裡に確かに野望を持っていた彼らにとっては、否定されるべき未来だった。故に、彼らは
この先の未来をひたすらに憎み、次なる楔を打ち込む存在を破壊しようとしている。
 そして、それを成す為に、一つの藩主に取り入った。
 正規の歴史では顧みられることのない藩主は、源内からの未来の映像と囁きに、即座にその口車に
乗り込んだのだ。日本を戦乱の世に巻き戻し、正規の歴史上では決して手に入れられない栄華を手に
入れるために。
 そのために、楔を破壊する。  若き忍びは、楔を救う為に潜入した者のようだ。
 ただし、それはキャプテン・スクエアのように、時空を超えた救済ではなく、この時代の有力者が
課した正当な救済だろう。事実、彼は何も知らない幼子のように、目を丸くしてキャプテン・スクエ
アを見ている。

「……あやかしか?」 

 変声期途中の、微かな掠れの混ざった声と共に、素早い身のこなしで彼は細い刀をキャプテン・ス
クエアに突き付ける。若いが手練れであることが知れる切っ先は、キャプテン・スクエアの喉元を切
り裂くことができるだろう。
 だが、キャプテン・スクエアにとってそれは恐れるに足らない。それは、この身体がどうやら接触
した者と瓜二つに変貌する上皮を持った、所謂機械でしかないことと、そもそもこの身体――正確に
は機体は、キャプテン・スクエアの機体ではないからだ。
 キャプテン・スクエアの本体は遥か遠く、時空の果てに存在する。人工知能である彼は、今この時
代にあるこの機体にをハッキングし、乗っ取っただけに過ぎない。故にこの機体が切り裂かれようと
も、何の苦にもならない。
 しかし、一方で、今現在己に刀の切っ先を突きつける忍びの力が必要であることも、また確かであ
った。
 テンプス・クーストースの規定の一つとして、時空犯罪者を捕える際、出来る限り、その時代の人
々に不審に思われないまま、それを行うことが求められる。その時代に溶け込み、最小限の人々と関
わりあい、その人々と協力して――むしろ、その時代の人々が主体となって、
時空犯罪者を断じる。人々が主体となることで、時空犯罪者によって引き起こされようとしていた歴
史改変は是正されやすくなる。要するに、人々が主体となって事態を対処することで、『偶々その時
代に起きた不思議な出来事』として刻まれるだけで終わるのだ。
 つまり、テンプス・クーストースの存在や、時空の歪みなどについて、知られずに済む。
 テンプス・クーストースの最重要事項は、自らの存在を知られてはならないことだ。
 その為にはその時代の人々に溶け込む必要があり、人々の協力が必要であり、そして今のキャプテ
ン・スクエアにとって、その協力者は眼の前の若き忍びだった。
 故に、今この場で彼に切り裂かれるわけにはいかない。
 キャプテン・スクエアは、忍びを刺激しないよう、本当にゆっくりと腕を上げる。手には何も持っ
ていないことを示し、カタカタと口を動かす。しかし、それがいけなかった。忍びはその動きを不審
と見做し、襲い掛かってきた。
 流れる白刃の速さを即座に計算し躱すと、キャプテン・スクエアは、忍びの姿形だけではなく服装
さえも変形した機体の上皮から、上皮が硬化して作られた刀を一気に引き抜いた。そして、躱したば
かりの刃の刃先が、反転して再び此方にやって来るのを弾き返す。
 もしも、この機体がキャプテン・スクエアにハッキングされていなければ、忍びは機体を切り裂く
ことができただろう。しかし、テンプス・クーストースの一員として時空犯罪者に対処するように設
計されたキャプテン・スクエアは、あらゆる時代の最先端の髄を凝らしてある。忍びの行動など無数
のパターンを計算しつくしているし、精密性においても忍びの細い首を斬り跳ねることなど容易い。
 しかし、キャプテン・スクエアは忍びには勝たない。
 忍びは、あくまでのキャプテン・スクエアにとっては協力者だからだ。
 だから、忍びの太刀によって刀を取り落とし、身体も壁に吹き飛ばされる――ように動いた。それ
でキャプテン・スクエアを倒したと思い、背を向けた男児の後を、カタカタと音を立て、無邪気な様
相でついていった。
 音に気が付き振り返った忍びの顔は、驚きを通り越して呆気に取られているようだった。その後を
つかず離れずついていけけば、最初こそ刀を向けられたが次第に構っていられなくなったのか、放置
するようになった。
 どうやら、協力しあう関係まではいかないようだが、幸いにして目的がある程度一致している以上、
忍びがキャプテン・スクエアの望む方向には動いてくれるだろう。
 それは忍びの行動から算出できる結末であり、そして同時に、忍びの身体から立ち昇る死臭により
確定された未来であった。
 彼は、時空の歪に取り込まれようとしている者の一人だ。
 故に時空の歪の中心部に向かうことが定められている。
 時空の歪とは、時空犯罪者に限らず、通常の時空旅行者によってでも発生する、タイムトラベルの
弊害である。時空旅行者が時代と時代、時空と時空を超えることによって起こる小さな渦。それが歪
だ。
 だが、ただ単に時空を飛び越えるだけならば、その歪は時の中に埋没する。だが、その歪が更に歪
を生み出し、延々と回転し、巨大となると歴史の改変が起こり、亜空が産まれるほどの歪みとなる。
 それを未然に防ぐために作られたのが、ワタナベ博士により考案されたワタナベ・ネットワークだ。
ワタナベ・ネットワークはあらゆる時代に設置されたワタナベ・アンテナを通じて、時空の歪の種と
なるものがないかを監視するためのものだ。例えば時空旅行者の過失による落し物から、凶悪な時空
犯罪者の動向を、逐一中央管理局に送信することができる。
 このワタナベ・アンテナは、アンテナと言っても機械的姿をしているわけではない。
 いや、正確に言うならば、その時々に応じた姿形をしているのだ。だから、機械的形状を成してい
る場合もあるし、人の形を成していることもある。そして、必ず二つで動く。メインで動く『父』と
呼ばれるアンテナと、予備アンテナである『子供』と。
 そして、『父』が破壊された時が、いよいよ時空の歪の発現する時だ。
 時空の歪は、発現の仕方も様々だ。
 水が辺りに浸み込むように、しりじりと巨大となる場合もあれば、花火のように一瞬で膨れ上がる
こともある。
 今回は、どちらかと言えば前者に近い。 
 じわじわと膨らむ歪は、発現前に治めることも出来る。だが、それは発現する前にその切欠を摘み
取らねばならず、それは困難を極める。時空犯罪者が関わっているならば、犯罪者とのイタチごっこ
となり、更に難しくなる。
 そして何よりも、歪は伝播するのだ。人から人へ、物から物へ。伝播してもそれは途絶えることが
多いが、受信した場合、歪に羅患し、そして歪の中心へと引き寄せられる。
 例えば、この、若い忍びのように。
 そしてだからこそ、歪の真っ只中まで無事に進み、歪を破壊できる存在でもあると言える。
 キャプテン・スクエアは、そこに至るまでの道筋を作ることが、存在意義だ。

 言葉通り、血路を。

 歪に到達するその直前、分厚い壁となって立ち塞がる虚無僧を、自爆によって破壊した。これで後
に残るは歪の中央に坐する、藩主ただ一人。
 キャプテン・スクエアはこれ以上の介入はしないが――忍びが藩主に敗北しない限りは――残され
た記憶野で、最後まで見届ける。その後、記録だけ回収し、壊れた機体だけを残して撤収する。
 テンプス・クーストースの最重要規定の一つが、その撤収だ。
 任務を終えた派遣員は、その時代における継続任務に当たらぬ限り、その死、または破壊を人々に
認識させることによって存在をその時代から抹消し、撤収せねばならない。