ディオは、ぐるりと辺りを見回す。
  暗闇の中、ぼうっと光る七体の影はディオの眼にも見覚えのあるもので、またそこから発せられ
 る気配もディオには馴染み深いものだ。
  ぬるりどろりとした、身体に纏わりついて他者の脚を引っ張る事を是とする空気。
  かつてディオも、その空気の中に身を浸していた事があった。だが、黒く長い己の四つ足には、
 その時の重苦しい枷は何処にもなく、故にディオは何処にでも駆けてゆく事が出来る。
  けれども、この場に未だ蟠る七つの影は、溶けた飴のように纏わりつくぬめりから、足を洗えず
 に昏々と蹲っているのだ。
  そして、ディオは確かにそこから抜け出しているが、それでもまだ、腹の底にはぬめりの中に身
 を浸していた時に蓄えてきたものが、脈打ちながら蠢いている。だからこそ、彼らが集う敗者の欲
 望の間に入り込む事が出来るのだ。 
  尤も、ディオとしては入り込んだというよりも、呼びつけられたという気持ちのほうが強いのだ
 が。
  いつものように馬小屋で飼葉を漁っている時に、唐突に引っ張られて、気が付いたら此処にいた
 のだ。以前にも何度か同じ目に合っているので、特に驚きはしなかったが。
  とりあえず前回からの教訓として、引っ張られると分かった瞬間に、飼葉桶を咥えこんだのは正
 解であった。
  結果として、暗闇の中に場違いのように、ぽつりと古ぼけた飼葉桶が転がる事になったが。 




  A面






 「で、今度は、何の集会だ?ゴミ出し当番か?俺は別に此処に住んでるわけじゃねぇから、そうい
  う事は免除されて然るべきじゃねぇのか?」

  飼葉をもしゃもしゃと食みながら、くだらなさそうに言えば、他の七体の影がこちらを睨み付け
 た。
  しかしディオとしては睨まれても困る。
  勿論、ディオも彼らが何物なのかは重々承知している。憎しみの凝り固まった敗者。即ちオディ
 オを腹の底に溜め込んだ者。あらゆる時代あらゆる場所に点在する自分達は、故に全てを越えて、
 こうして集う事が出来る。
  例え身体が朽ち果てて、萎びきった魂だけになろうとも。砕けた意志を掻き集めて、恨み辛みを
 吐き捨てるだけの存在として此処に集うのだ。
  けれどもディオとしてはそんなものの一つに数えられ手も困る。
  確かに、ディオもかつてはその中に身を浸していた一つだ。十九世紀後半のアメリカ西部で、堆
 く積まれた死体の山から無念を受け取り、背負い、一時は人間と化す事さえ出来たオディオだ。け
 れども敗者となって以降は生まれ持った姿に戻り、馬としての余生を過ごしているのが現状だ。
  腹の中には過去に掻き集めたオディオが蟠っているとは言っても、ディオとしては隠居気分でい
 る。いや、馬としては現役だが。

 「………お前には聞こえないのか。人間共の声が。」

  暗がりの中から薄ら寒い呼気と共に、吐き出された声に、ディオは少し顔を顰めた。馬のなので
 表情の変化は他人には分からないかもしれないが、ディオ本人としは顔を顰めたつもりだ。
  声を発したのは、鬱金色の煌めきを昏く灯した青年だ。背に後光のように背負っているのは、肉
 色の翼だ。蛆が食い破ったばかりの遺骸の肉の色そのものの翼は、生物ならば誰でも嫌悪を覚える
 事だろう。
  そんな、おぞましい姿をしている青年に、不気味さを覚えない者はいない。同じオディオである
 他の六体でさえ、青年の白い呼気に寒気を覚えているようだ。
  生まれた場所も時代も、姿形も違うオディオの中でも、最も忌避されるこの青年こそが、オディ
 オそのものを体現したといっても過言ではない。

 「古びた年を捨て去って、新しい明日への希望を叫ぶ人間共の声……。これほどまでに醜い音はな
  いと思わないか。奴らはそうやって、他人を踏み躙った過去を亡きものにしようとしているのだ。
  我々の事も、全て。」
 「いやあ、それは被害妄想って奴じゃねぇのか。」

  ディオは、人間だったら鼻でもほじっていそうな声で、青年に答える。もしゃもしゃと飼葉を食
 べたまま喋っている時点で、ディオはやる気がない。
  いや、よくよく見ればディオだけではない。他のオディオ達もなんとなくやる気がなさそうだ。
 どうやら新年を迎えたばかりのこの時期、流石のオディオも少しばかり浮かれているのかもしれな
 い。
  新年など関係ないという顔をしているのは、ハゲとインコとマザーと恐竜くらいである。そして
 インコとマザーと恐竜は、大概の事には興味がないので、青年の言い分に頷きそうなのはハゲくら
 いしかいない。イケメンと蝦蟇蛇は新年の祝い事には多少の心得があるのか、新年早々働きたくな
 いという顔をしていた。

 「そんなわけで、ハゲだけを道連れにしろよ、ハゲだけを。確かにハゲは弱いから役立たずかもし
  れねぇけど。でもやる気があるみてぇだから、そこを汲んでやれよ。」
 「誰が弱いだ誰が!」

  ハゲ――もといオディ・オブライトがディオに噛みつく。けれどもハゲに噛みつかれてもディオ
 は怖くない。ディオのほうが強いからだ。

 「喧しいわ。吠えるんなら俺よりも強くなってから吠えやがれ。どうせ新年だって言うのに一緒に
  祝う恋人も家族いねぇんだろ。ぼっちなんだろ。だからオディオに付き合うつもり満載なんだろ。
  俺はてめぇみたいに暇じゃねぇんだ。」
 「貴様も食っているだけだろうが!」
 「俺は、緊急の事態に備えて食える時に飯食ってんだよ!こうしてる間も、いつ御主人が狩りに行
  くとか言い出すか分からねぇんだよ!」
 「人間なんぞに扱き使われているプライドのない貴様には何も言われたくはないわ!」
 「こっちこそ、人と付き合う能力がないだけのぼっちに、プライドがないとか言われたくねぇ!」

  罵り合う馬とハゲ。
  何も知らない者から見れば、非常に意味不明な状況だろう。
  鼻息荒く歯を剥き出しにして、今にもハゲに噛みつきそうなディオを、まあまあと蝦蟇蛇が宥め
 る。こちらは新年早々ぼっち組ではない側である。

 「少しは許してやれ。ぼっちだが今年が年男という事で張り切っているんだろう。」
 「年男?なんだそりゃ?」
 「干支と言ってな。十二の動物の年が一年ごとに巡ってきて、今年は午年だから。多分奴は午年生
  まれで張り切っているんだろう。」
 「うまどし?だったらそりゃあ、俺の年じゃねぇのか。」

  あいつどう見ても、馬って面じゃねぇ。
  ハゲを一瞥し、ディオはふん、と鼻を鳴らす。アメリカ生まれの馬に、干支を理解しろというの
 は少々困難であったようだ。あと、ハゲが午年であるかどうか真偽は定かではない。蝦蟇蛇が勝手
 言っているだけである。
  そんな曖昧な干支の話の中で、ディオが午年を馬の年と理解したのは、ある意味仕方がない事な
 のかもしれない。

 「つまり、俺の時代が来たって事だな。そして俺の時代が来たという事は、御主人の時代が来たっ
  て事でもある。」

  完全に、とある黒い賞金稼ぎの愛馬の顔をしたディオは、忠犬ならぬ忠馬である。既にオディオ
 としての顔はない。
  蝦蟇蛇が、どうしてそうなる、という顔をしているのも、完全に無視している。

 「別に午年だからと言って馬の時代がくるわけがあるまい。だったら何か。巳年だったら儂の年か?」
 「何抜かしてやがる。蛇の年だったら、やっぱり御主人の年だろうよ。御主人のスキルにサイドワ
  インダーっていう、ヨコバイガラガラヘビの名前を持ったもんがあるって事を知らねぇな。犬の
  年てもんがあったら、間違いなく御主人の時代が来たって事だ。」

  そう言ってから、ディオははっと気が付いて、先程から黙りこくっている――というか話につい
 ていけずに黙るしかなかった青年を見やる。

 「ってか、まあお前が何を考えてるのかは大体分かるぜ。新年早々あれだろ、憎しみだ何だを語っ
  て、如何に新しい年を祝おうともオディオがこの世から消える事はない、とか中二病みたいな事
  を言いたいんだろうよ。」

  でもな、と人間だったら肩を掴んで、言い聞かせるような声で、ディオは告げる。

 「今年は馬の年。つまり俺の年。俺の年って事は御主人の年。そして御主人は盛大なるオディオク
  ラッシャーだぜ。」

  青年が悲劇を迎えたあの時代でさえ、もしもその場にいたなら歴史を覆していたかもしれない。
 魔王山なんてものは、完全に開拓されているかもしれない。それくらいの事は、平気でやりそうな
 男が、今のディオの主人である。

    「そんな御主人の時代に、オディオの出る幕なんか、あるのか?っていうか、出番を貰えるのか?」

  多分、出番は貰えそうにない。