うっそりとした表情で、サンダウンは頭上に広がる黒い天蓋を見上げた。
  西部の荒野の空は、今日も晴れている。所々に流れる雲が千切れているが、それらは空を覆い尽
 くすほどではない。散り散りになんの統一感も無く、ひたすらに黙々と流れているだけのようだ。
  にも拘わらず、星が遠い。
  月も、薄い膜でも張ったかのようにぼやけている。霧などは出ていないはずなのに、夜空の光は
 どれもこれも色味を失って見える。
  風で砂が舞い上がって視界を遮っているのではない。霞みがかっているわけでもない。ただただ、
 光が遠い。
  それは、荒野に光が増えた所為か。
  サンダウンは短い枯れたような草しか生えていなかったはずの、硬い土に覆われた不毛の大地を
 見回す。
  未踏の大地として、人々が挙って西を目指した土地。カリフォルニアで一粒の金が見つかった途
 端に更に多くの人々の侵入を許した土地。そして幾つもの血が流れた土地。ゴールド・ラッシュの
 波が遠く過ぎ去った今、既に未踏の地は何処にもなく、人々の住まう場所も格段に増えた。それに
 伴って、不毛だった大地に人の営みに手が入り、夜を照らす光が星と月だけではなくなるのは、当
 然の話。
  そして、人が放つ光が増えれば増えるほど、本来あった夜空の星の光は遠くなっていく。
  それが喜ばしい事なのかどうなのか、サンダウンには判断できなかった。
  今でこそ賞金首に身を窶しているが、サンダウンの本分は元々は人を守る側にある。守るべき人
 々を血から遠ざける為に、保安官という身分を捨てたほどに。そう考えれば、こうして人の営みが
 増えていくのは喜ばしい事のように考えられる。
  しかし、保安官であったサンダウンはもういない。
  英雄の座を自ら捨てた後に残ったのは、死に場所ばかりを求める希望も何もない抜け殻だ。まる
 で魂も一緒に、銀に光る保安官バッジと一緒に置いてきてしまったかのようだ。だから、今となっ
 てはサンダウンにとっては人の営みも、その灯りが語る温もりも、遠い世界の出来事のようにしか
 思えない。
  それどころか、星を遠ざける人の明かりを邪魔だと思うなんて。
  サクセズ・タウンでならず者を撃ち倒した時は、確かに人を守る事が自分の本分なのだと思った
 はずなのに。けれども少し時間が経てば、やはり人の明かりに入り込めない事を思い出す。サンダ
 ウンはこの旅は死に場所を求めるものだと思っていたのだけれど、本当は保安官を止めたあの時点
 で、死んでいたも同然だったのかもしれない。
  いや、だからこそ、早く何処かに埋もれてしまいたいのか。
  遠ざかった星を見ながら、そんな事を考えていると、その考えを根底から覆すような気配が吹き
 上がった。
  何事、と思う暇もなければ、サンダウンもその気配について特に深く考えようとは思わなかった。
 サンダウンが考える暇もなく、その気配は自分が何者なのかを語るからだ。

 「よう。一人で月見酒なんか、寂しいおっさんだな。」

  ちびちびと酒を飲んでいたサンダウンを見下ろして、闇からそのまま抜け出てきたような黒い彼
 は、しかし闇から抜け出してきたとは思えないくらい軽い口調で告げる。闇に浮かび上がる白い顔
 に刻まれているのも、皮肉げではあったが確かに微笑みだった。
  しかし、その腰に帯びている黒光りする厳めしい銃が、彼の本分をしっかりと告げている。サン
 ダウンの本分が守る側であるのならば、この男の本分は裁く側にある。死神の鎌のように公正に、
 逃げ出して抜け殻になったサンダウンにもその鎌を突き付ける。そして根本的に卑怯なサンダウン
 は、死神の鎌を見た途端、先程まで死にたがっていた事を忘れたかのように逃げ出すのだ。
  とはいえ、サンダウンの首を狩り取りにきた賞金稼ぎは、今日はそんなつもりはないのか、つん
 つんとサンダウンの脚を蹴ると、サンダウンを少しどかせ、サンダウンがどいたその場所に居座る。

 「あんたさ、どっかで女を引っ掛けるとか考えねぇの?町に行きゃあ、娼婦だって相手にしてくれ
  んだろうが。」

     ぺたんと腰を降ろすと自分の酒を取り出して、こくこくと飲み始める。その様子を横目で見てか
 ら、サンダウンは再び空を見上げる。
  この男が現れた所為と言うわけでもあるまいが、先程まで鬱々と考えていた死に場所やら何やら
 の事は遠くに行ってしまった。しかし、それでも見上げる空の星は霞んでいる。それはそうだ。こ
 の男と言えど、人の営みを止める事など出来ないのだ。

   「あー、でも、あれだな。最近星が見えなくなったよなあ。」

  唐突にサンダウンの心を読んだような事を言われて、サンダウンは一瞬息が止まるかと思った。
 しかしその言葉を口にした本人は、のほほんとしている。まるで世間話の一環だと言わんばかりの
 表情で。

   「ま、こんだけ町が多くなって、しかも定住する奴が増えるとな。ゴースト・タウンなんて今じゃ
  新しく出来る事もねぇだろ。」
 「……お前は。」
 「うん?」

    サンダウンが思わず零した言葉を、しかも聞き逃さなかった。どうしてこうも耳聡いのか。
  八つ当たりめいた事を考えたが、聞き逃さなかった男はサンダウンの言葉の続きを待っている。
 仕方なく、思わず零してしまった言葉を、渋々続けた。

 「お前は、今の荒野でも満足しているのか?」

  星と月は遠く、最近ではより金になる羊を飼う牧場主が多く、カウボーイ達はどんどん隅へと追
 いやられて行っている。法整備は整い始めたが、それに伴って賞金稼ぎ達の仕事もなくなっていく
 はずだ。
  それでも、この男は満足しているのだろうか。

 「さてねぇ。俺は今は特に問題なく暮らしてるし、何かあったら何とでもするさ。今までだってそ
 うしてきたしな。」

  西へ西へ。その道は既に終わって、今はただ荒野を駆け巡っている。けれどもそれさえなくなっ
 たとしても、きっと何処へでも行けるのだろう。この男はいつだってそうだ。荒野にいるのだって
 気紛れのようなもの。サンダウンのように死に場所を求めている抜け殻ではなく、その身体一杯に
 魂を詰め込んでいる。
  抜け殻のサンダウンは、きっと何処にも行けない。保安官を止めた時に魂はそこに置いてきた。
 何処に行けず、星の消えゆく空の下で、同じように朽ちるだけだ。けれども、彷徨うだけの大地が
 その時、まだ残っているだろうか。彷徨う荒野でさえ、人の営みに塗り潰されてしまうのではない
 か。それならいっそ、この場で斃れてしまえば良いのに。
  新しい時代と場所に、きっとこの抜け殻の置き場はないだろうから。
  だが、心を読み取ったわけではないだろう。なのに、黒い眼がきらきらと瞬いて、自虐に陥りそ
 うなサンダウンを叱咤した。

   「安心しろよ。どっか行く前に、てめぇの首だけは撃ち取っていくさ。」

  荒野を去る前に、抜け殻となったサンダウンを狩り取って行くと言う。その一言を聞いた瞬間に、
 サンダウンはやはり死ぬのが惜しくなる。
  その黒い眼が、サンダウンを見るのを、もう一度、と思って。