少しばかり重く感じる身体を引き摺って、日勝は日の暮れた路地を歩く。
  こうやって、日暮れになるまで家に帰らないなんて、いつの時ぶりだろうか。少なくとも、大人
 になってからは、朝昼とトレーニングで外を駆ける事はあっても、夜になれば家に帰り、室内トレ
 ーニングに勤しんでいた。
  子供の頃は、確かに夜の闇の中であっても走り回っていたものだが。どれだけ物騒だ、危ないと
 言われても、けれど家で騒ぐわけにもいかないから、外で走ったりトレーニングをしていた。
  今となっては、別に夜の闇に物騒さを感じる事はないのだが。
  いや、勿論、闇に乗じた物騒な犯行は後を絶たないから、夜の一人歩きは危険だと思う。けれど、
 その危険さを回避するだけの能力が、日勝には既に備わっている。今、そこの路地の角からナイフ
 を持った男が現れても、日勝にはそれを捩じ伏せるだけの力がある。
  昔は、子供同士の喧嘩でも負ける事があったのに。
  きっと、昔の日勝を知る人物から見れば、今の日勝の姿は想像もつかないに違いない。
  各国を渡り歩き、その国の猛者を打ち破っていったなど、あの時の誰も想像できないに違いなか
 った。昔の日勝はどちらかと言えば痩せっぽちで、弱いほうに属する子供だったのだ。無論、弱か
 ったからと言って、泣き虫だとか苛められっ子だったというわけではないのだが。
  だが、だからこそ、当時の日勝を知る人間から見れば、何故日勝がこんなふうに最強に拘って、
 その果てに世界の頂点に立つまでに至ったのか、思い浮かばないだろう。苛められっ子や弱虫が、
 それを克服する為にというわけではないのだ、日勝の場合。
  しかし、ではどうして、と尋ねられても日勝にだって上手い具合には答えられない。
  別に、そこまで深い理由などない、というのが正直なところなのだ、実際のところは。
  苛めっ子を見返してやりたいなどという気持ちは、子供の頃から何処にも持っていなかったし、
 どちらかといえば非力だった事をコンプレックスに思った事もない。むしろ、そのうち何とかなる
 だろうと、気楽に考えていた節がある。
  では、格闘技を見てそれに憧れたのか、と問われれば、そうだったっけ、と首を傾げざるを得な
 い。そもそも尊敬する格闘家というものが一瞬で出てこないのだ。名だたる格闘家の名を告げられ
 ても、頷く事は出来てもあまり感慨がない。つまり、それらの人々に憧れたというわけでもなさそ
 うだ。
  勿論、名だたる格闘家のその力を越えてみたいという欲望はある。それは、格闘家として当然の
 ものであり、それがなくなっては先に進めない。しかし、それは憧れとはまた別のものだろう。尊
 敬はしているが、そうでありたいとまでは思わない。
  現に、日勝は異種格闘技の各々を代表する七人を打ち倒したが、けれども別段、彼らのようにな
 りたいと思って打ち倒したわけではなかった。日勝にとって、彼らは通過点に過ぎず、彼らに勝て
 ばすぐさま次の相手を探し、一刻でも早く頂点への階段を上りたかったのだ。
  だからといって、彼らの事を単純な踏み台と思っていたわけでもない。
  でなければ、ただの踏み台を殺されて、あれほど怒りはしなかっただろう。
  殺された彼らの事を思い出し、次に日勝は彼らを殺した相手の事を思い出し、少し顔を顰めた。
 あの後、彼がどうなったのか、日勝は知らない。世間一般の常識の範囲で考えれば、七人も殺した
 のだから、警察に捕まった後は普通に死刑だろう。ただ、殺した人間の国籍がばらばらなので、何
 処の国の司法で裁かれるにもよるのだろうが。
  しかし、あの男は、対戦相手を殺して、それで満足だったのだろうか。
  ただの殺戮だ、とあの時自分はそう言って、相手を詰った。しかしそれ以上に、言わなくてはな
 らなかった事があった。

 「全員殺した後で一人残って、それからどうするつもりだ。」

  と。
  現に日勝は、全員倒した後、少しばかり放心していた時期があった。最強となったは良いが、そ
 れからどうすれば良いのかと、愕然としてしまったのだ。
  だが、幸いにしてかつての自分のように、最強となった自分に挑んでくる者は大勢いたし、それ
 に以前打ち倒したはずの相手が、より強くなって戻って来る事もあったから、放心している暇など
 あっと言う間に飛んで行ってしまったのだが。
  だが、そういった人間を悉く殺してしまっていたら、それこそ最強の座に着いた後、どうすれば
 良いのか分からないだろう。自分に歯向かう者には死を与えると言わんばかりの事をしていたら、
 それはただ、恐怖によって君臨しているだけではないか。
  その事を考えなかったのか。
  それとも、それこそを望んでいたのか。
  日勝には、他人の感情など小難しくて分からない。
  ただ分かるのは、オブライトのように対戦相手を次々と悉く殺していけば、それ自体が罪である
 以上に、間違いなく天井にぶつかってしまうだろうという事だ。頂点に行きついた時の放心は、オ
 ブライトを打ち倒した後の放心の比ではないだろう。
  せっかく夢が叶ったというのに、最後は放心して終わるだなんて馬鹿げている。
  或いは。
  日勝は、自分がどうしてこんなに不安定であやふやな最強なんていう座を夢見ているのか、薄っ
 すらと分かったような気がした。
  単純に、次々と自分よりも強い者が出てくる事で、夢が叶った後放心する必要もないからではな
 いか、と。