コギトエルゴスム号から地球に降り立ってからの生活は、ある意味単調なものだった。
  むろん、キューブにとっては地球に降り立って、初めて見る地球の生活というのは生まれたばか
 りののAIには刺激的なものではあった。事前にネットから拾い上げていた情報が、実際に繰り広げ
 られて、情報とどのような差異があってそれを補っていく事は、一つや二つの事象だけではなく無
 数にあって、退屈はしない。ロボットに退屈などという概念はないが。
  しかしそれを言い出せば、刺激的・単調といった言葉もロボットには無意味な言葉だ。キューブ
 の仲間であるロボットの中には、それこそ単調なルーチン・ワークを業務としているものもおり、
 それに対してロボットが文句を言うなど有り得ない事だ。
  だが、そういったルーチン・ワークをする事はあっても、それ以外にどちらかといえば愛玩用―
 ―本来は作業用ロボットなのだが、その外見からしてどうもその色合いが強い――として造られた
 キューブには、単調な仕事というのがない。精々、自分の創造主であるカトゥーや、その友人であ
 るダースにコーヒーを入れるのが、毎日の日課という程度だ。それにそのコーヒーを入れる作業と
 て、今は味の調節などを細かく設定している状態で、単調といえるような作業になっているわけで
 もない。
  そんなわけで、キューブは地球に戻ってから、それなりに忙しく暮らしている。
  だが、コギトエルゴスムでの出来事が、生まれたばかりのAIにはあまりにも強烈過ぎて、それを
 越える経験というのがないのは事実だ。
  勿論、あの宇宙船では4人のクルーが死亡して、生き残ったカトゥーとダースも怪我を負ったと
 いう事実を考えれば、あんな事は二度と起こるべきではないのだろう。それは、キューブがロボッ
 トである以上、一番強く規定されている事だ。キューブがロボットである以上、人間が傷つく事を
 望むなど、あってはならない事だ。

 「しかし、現実にはそういった三大原則を外したロボットがいるのも事実だ。」

  そう言ったのは、ダースだ。
  何故そんな話になったのかと言えば、カトゥーがキューブを『退屈そう』と評したのが切欠だ。
 ロボットに退屈も何もないだろうという人間は、此処にはいない。

   「まあ、生まれてすぐにあんな状況を見ちゃったんじゃね。」
 「子供と遊んだするのも、退屈なのか?」
 「そういうわけじゃないみたいですけど、ただ、コギトエルゴスムの一件でキューブの状況対処能
  力は格段に上がっちゃったみたいで。だからちょっとやそっとの事じゃ、経験値が上がらないん
  ですよ。」

  子供は意外な行動に出る事が多い。けれどもあの宇宙船ではそれ以上に意外な事が多かった。だ
 から、子供と遊んでいてもそういった経験値獲得にはなかなか至らない。

 「……だからと言って、キューブを戦場に放り込んだりするなよ。」
 「そんな事しませんよ。大体、キューブにはしっかりと三大原則を適用してますって。」

  そして、最初の台詞に戻るわけだ。
  実際、ダースはそういった三大原則を外したロボットと戦場で戦ってきた。そして、三大原則が
 適用されていたにも拘わらず、暴走したロボットというのが、先の宇宙船にいたばかりだ。
  そういったロボット達の思考ルーチンがどのようになっているのか、キューブとて興味がないわ
 けではない。解析してみたいと考える事もある。だが、それは自分がそうならない為の解析であっ
 て、自分もそんなふうに暴走してみたいとかではない。経験値の上昇を考えないわけではないが、
 その為にの手段として人間を傷つけようという答えは、キューブの演算式からは弾き出されない。
  そうやって、キューブは自分の禁則事項が正常に働いている事を確認する。

 「大体、キューブは作業用ロボットなんですよ。戦場になんて連れていけるわけがないでしょう。」
 「……戦場でも、作業用ロボットは沢山いる。キューブほどの高性能なら、問題なく行けるだろう。」

    キューブには、言わば、人を傷つける能力が備わっているのだ。
  ただ、キューブの中にある禁則事項が、それをさせないだけで。
  だから、キューブは人間を傷つけようとは考えださない。
     そんな心配はしなくて良いのだ、と。それをはっきりと声に出して言うべきだろうか。ダースが
 ロボットに対して、未だに不信を持っているのはその声と表情から分かる。同時に、キューブに対
 しては信頼を持っている事も。
  彼は、ただ、心配なのだろう。
  いつかキューブが、マザーと同じ運命を辿るのではないか、と。
  そんな事、あるはずもないのに。キューブは、この地球での少しばかり単調な生活が繰り返され
 るものだと考えているし、イレギュラーな事――天候や地殻の変動は、ある程度予測している。だ
 から、不測の事態というのは、ある程度避けられるし、だからこの生活は続いていくものだろう。
  その中で、キューブは少しずつ経験値を稼いでいくのだ。微々たるものであっても、確実に。
  それが最善であると、演算からは弾き出されている。




  けれども、数年後。
  不安定だった火星自治区の情勢が、一気に均衡を崩した。自治区と、そこを自分達の領土である
 と主張する国家の軍隊が衝突繰り返し始めたのだ。
  それを期に、地球でも主張の衝突が始まった。軍を動かして他国を牽制する事が多くなり、情勢
 は悪化の一途を辿る。
  それは機械に携わるカトゥーにとってもダースにとっても他人事ではなくなり、軍事ロボットの
 市場が幅を利かせるようになった。福祉関係のロボットは、既に見向きもされない。いや、福祉ロ
 ボットを作ったとしても、そこにある程度の戦闘能力を求められるのだ。
  民間人もまた、自分達の身を守る為に、力を求めている。
  それほどに、事態は悪化していた。
  きっと、いつか、互いを牽制している砲撃は、自分達の頭上にも降って来るだろう。キューブの
 演算式は、嫌でもその答えを弾き出していた。
  そしてその時。
  キューブはカトゥーを守る為に、誰かを傷つけなくてはならないだろう。
  それは、どうしても揺るがせない回答だった。
  そんなキューブに、遠くからカトゥーの『こんな事はすぐに終わるよ』という小さな声が届いた。