サンダウンは、べったりとソファに張り付いていた。
  砂色の髪はべっちょりとしており、なんだか全体的にべっとりとした風情がある。そこから、例
 えようもない湿気が湧き出しているようだ。しかしそれは加湿器だとかそんな上等なものではなく、
 ただひたすらに、じめじめとした湿気でしかない。
  確かに最近気温が高めだという所為もある。馬に乗って荒野を駆ければ、数分としない内に汗が
 染み出してくるほどだ。
  だが、基本的に西部の荒野は乾いている。砂と風の土地だ。湿度とは程遠い環境にあり、雨が降
 ってもそれは突発的に降り出すスコールのようなもので、長雨というのは非常に珍しい。
  それにそもそも今現段階で、雨は降っていない。
  にも拘らず、やたらとべっとりじっとりした雰囲気を醸し出す賞金首は、どうやら数日、もしか
 したら数週間、風呂に入っていないのかもしれない。
  だったら風呂に入れば良いのである。幸いにしてサンダウンが今、べったりと張り付いているソ
 ファのある小屋は、台所も風呂も完備してあるという、荒野のど真ん中に置き去りにされているわ
 りには稀有な存在だった。
  が、サンダウンは無精なのか面倒なのか、はたまた必要ないと考えているのか、動こうとしない。
  いや、サンダウンにしてみれば、動く気力が湧かないのだ。
  動く気力となる賞金稼ぎに、最近逢っていない所為で。




  French toast





  根本的に、サンダウンは人に好かれようが嫌われようが、どうでも良い人間だ。
  保安官時代末期に、自分の所為と言えばそれはそうなのだが、ならず者達を呼び込んだ事につい
 て結構口汚く罵られていた事も災いして、あまりに人間とお付き合いしたくないという思いもある。
  そんな中、唯一の例外であるのが賞金稼ぎマッド・ドッグだった。
  黒い美人の、まめなところのある賞金稼ぎは、サンダウンの周りをうろちょろし、逢う度に決闘
 を挑んできては、返り討ちにされても悔しがるだけで、その後賞金稼ぎの大群を引き連れたり、罠
 を仕掛けたりという方法はまるで取ろうとしない、非常に不可解な賞金稼ぎだった。
  が、基本的に週一で現れては視界の端をちょろちょろするマッドは、慣れれば可愛らしいものだ
 った。
  恨み言を言ったりしないし、見ている事が苦にならない美人である。ついでに、料理も上手い。
 邪険に扱う理由が見当たらない。
  そんなわけで、サンダウンとマッドの仲は水面上では呟かれないものの、色々と公認になりつつ
 ある。どういうふうな仲であるのかは、口にしないが。
  しかし、マッドは仕事が忙しいのか、最近サンダウンの前に現れない。普段は週に一度の割合で
 現れる癖に。
  そして、マッドが現れない事で、サンダウンの生活は否が応にも荒んでいった。何せ、勝手にマ
 ッドを自分の伴侶と決め込んでいるおっさんである。マッドがいないと、馬に乗る以外の事は基本
 的に出来ない。要するに、人間としての基本的生活を送れない。
  だから、風呂にも入らずに、べったりとソファに転がっているのである。マッドが一番気に入っ
 ている小屋にも、その姿が見えないので、かなり不貞腐れている。不貞腐れて、既に人間を止めよ
 うとしているおっさんは、その挙句実を言えば食事も三日ほど取っていない。つまり、食事もとら
 ずに不貞腐れているわけだ。
    その結果、更にべっちょりとソファにへばりつく事となる。
  しかし、例え幾ら人間を止めても良いと思っているおっさんでも、このまま何も口にしないのは
 まずいと思っただろう。うぞうぞと動き、食糧を保管している場所まで毛虫のように這いながら移
 動して、中を漁る。そしてその中から食パンを引き摺りだした。生憎と、それ以外の食糧はないよ
 うで、サンダウンもそれ以上探すのは諦めて、もそもそと食パンを一切れ口にする。
  胃の中に、僅かでも食糧が入った事で、ようやく不貞腐れていたサンダウンの本能が目覚めたの
 か、くぅ、と腹の虫が鳴った。しかしサンダウンにはそれを宥める術がない。何せ、食糧は先程の
 食パンで尽きたのだ。
  再びべったりとして床に張り付き、人としてどうかと思われる状態に逆戻りする。
  どうせマッドがいないのなら、このまま餓死してもいいとまで遂に思い始めた男は、件の賞金稼
 ぎは知れば追いかけるのを見直すのではないかと思うほど、完全に駄目なおっさんである。
  べっちょりと床に張り付いて、そのままナメクジがナマコにでも転生しそうな男は、しかし最後
 の力――というか煩悩を振り絞って、てくてくと近づいてくる足音にぴくりと反応した。とある足
 音にだけは特化して反応する様子は、既に人間から逸脱しているような気もする。 
  徐々に近づく足音に、べっちょりと床に張り付いたまま、それでもひくひくと反応していると、
 やがて足音はサンダウンのいる部屋の前で立ち止まり、部屋の扉を開けた。

 「ぅおっ?!」

  およそ色気の欠片もない声が、頭上から降ってきた。その声に導かれるまま床に張り付いていた
 顔を持ち上げると、そこには待ち侘びていた姿があった。
  黒い賞金稼ぎが、サンダウンを見下ろしているのだ。その表情が些か引き攣っているようにも見
 えたが、それはサンダウンにはどうでも良い事である。

 「な、何してんだ、あんた……。」

  しかしサンダウンにはどうでも良くなくても、マッドにとっては看過すべき事ではない。床にべ
 ったりとへばりついているサンダウンの姿が。

 「なんか変なもんでも食ったか?拾い食いでもしたか……って、這ったまま近づいてくんな!気持
  ち悪ぃ!」
 「何も……。」 

  サンダウンは自分を薄気味悪い目で見て後退りしているマッドに、ねちょっと手を伸ばし、呟く。

 「何も、食べてない……。」
 「ああ?」

  食パンを食べた事は黙っておいて、憐れっぽくそう言ってみる。マッドに憐れっぽく聞こえたか
 どうかは甚だ疑問ではあるが。
  しかし、その後の、きゅうきゅうという腹の虫の鳴き声でマッドは理解してくれたようだ。

    「何考えてんだ、てめぇは!餓死するつもりか!」

  マッドが首根っこを掴んで、揺さぶりをかける。空腹もあって、地味に気持ち悪くなってきた。
  別にそれを悟ったわけではないだろうが、マッドはサンダウンを話して、自分の荷物袋を漁り始
 める。

 「つっても、今日は俺もそんなに食い物持ってねぇぞ。せいぜい、食パンくらいしか……。」

  そう言って、手に四角いパンの塊を乗せて見せるマッド。
  その仕草は可愛らしいが、食パンは先程食べたばかりだ。非常に味気ないものであった。

 「あ、あと、牛乳があるぜ。」

  あんた好きだろ、と言ってくれるが、牛乳で腹は満たせないだろう。じんわりと床にへばりつい
 ていると、マッドが他には、と言いながら卵を取り出している。卵ならまだ良いだろう。
  じわじわと起き上がろうとしている間も、マッドは砂糖を取り出している。

 「仕方ねぇな。食パン焼いて食うだけだとおもしろくねぇだろうから、フレンチトーストにしてや
  るよ。」