古今東西、女性というものは自分の美容に、多かれ少なかれ気を使うものである。それは、子孫
 を残すという種の保存としての競争からくる本能なのかもしれないし、ひいては強い男の眼に止ま
 りやすくするためなのかもしれない。
  こと、アメリカ西部における娼婦達については、その目的と同じくらいの重要さで、自らの命を
 長らえる目的として派手に着飾り、男達を誘うのだ。
  十九世紀アメリカ西部といえば、ゴールド・ラッシュの波が過ぎ去ったばかりで、けれどもまだ
 治安も確立しておらず、度々アメリカ原住民の襲撃の脅威に曝されているような混沌とした大地だ。
 そんな中に女性一人で飛び込む事は至難の業であり、そうした女性達、または家族と共にやってき
 たけれども死別した女性達が、安全に生き長らえる事は容易な事ではない。まして、そんな土地で
 は女性に出来る仕事などほとんどなく、結果として男達の癒しとなる娼婦に身を窶す者も少なくな
 かった。
  だが、娼婦になったからと雖も、楽に生きていけるわけではない。どれだけ女性の絶対数が少な
 いと言っても、男が歯牙にもかけぬ装いをしていれば買われる事もなく、買われなければ、そのま
 ま路頭に彷徨う生活に戻るだけだ。
  それを避ける為にも、彼女達は美しく着飾り、自らの価値を高めてそれを男達に認めさせるのだ。
 それ故、彼女達は総じて、一般市民である女性達に比べれば遥かに美しく、したたかだった。
  そういった彼女達の気質は、西部の荒ぶる男達には気に入られ、婦人連から睨まれようとも、男
 達に認められている以上、彼女達の地位は安泰だった。
  荒野の荒くれた男達の庇護の下で、彼女達は今日も新しい化粧道具について、まるで中世の貴婦
 人達のように話し合うのだ。

 「この口紅、どうしたの?」

  一人の娼婦が持っている珍しい色をした口紅に、彼女の仲間達が興味を示す。優雅な手つきでそ
 の口紅を唇へと運んでいた娼婦は、ゆったりと微笑んだ。

 「この前の客が貿易商でね。貰ったのよ。」

  一流の客が付けば、その分化粧道具も豪勢になる。客達は時として、金だけではなくこうした些
 細な贈り物を落としてゆく事があるのだ。尤も、それは本当に金のある上客だけなのだが。
  羨ましそうに仲間が見る中、その娼婦は見せびらかすわけでもなく、普段と同じに口紅を差して
 いく。口紅の色を確かめながら、彼女はゆったりとした手つきで、そういえば、と何かを取り出す。

 「その貿易商がね、こんなものもくれたのよ。」

  そう言って取り出したのは、小さな巾着だ。その紐を解き、中のものを摘まみ取って見せる。そ
 れは指の間からパラパラと落ちていく。粉状の物体を見た娼婦達は、一様に首を捻った。

 「何、それ。」
 「さあ……私も、その場で中身を見なかったから、聞きそびれちゃってね。」

    貰った娼婦も首を傾げる。

 「化粧品と一緒に貰ったから、その類だとは思うんだけどね。かといって、白粉にしちゃ色がくす
  んでるし。」

  なんなんだろうね、と呟く彼女の周りで、娼婦仲間もそれを眺めやるが、皆、一向に分からない。
 ああでもないこうでもないと口々に言い合っているうちに、いつの間にか仕事の時間になった事も
 気付かなかった。

 「お前らは何してんだ。」

  呆れたような賞金稼ぎの声がして、ようやく彼女達は我に返った。
  土埃を叩き落として店の中に入ってきた賞金稼ぎ達の先頭には、突き抜けて黒い王者が佇んでい
 る。マッド・ドッグの来訪に、彼女達は慌てて酒の準備を始める。
  それを横目で眺めながら、マッドは優雅な足取りで空いている席に腰掛けた。それに倣って、他
 の賞金稼ぎ達も思い思いに寛ぎ始める。
  テーブルにグラスが置かれ、その中に琥珀色のアルコールが満たされたのを確認してから、マッ
 ドは、それで、と問うた。

 「俺がいる事に気付かねぇほど、一体何に夢中になってたんだ?」

  グラスの中で揺れるアルコールの水面を楽しみながら問い掛ける男に、娼婦達は顔を見合わせた。
 マッドの様子を見て、別に怒っているわけではなさそうだと判断した彼女達は、巾着袋に入ってい
 る粉をマッドに差し出す。

 「これなんだけど、あんたはこれが何か分かるかい?」

  くすんだ色をした、匂いのする粉末。
  マッドはそれを手に取り、しばらくの間指先で粉を掻き混ぜていたが、やがて事も無げに言った。

 「入浴剤だろ。」

  入浴剤。   聞き慣れない言葉に、娼婦達は首を傾げる。

 「ヨーロッパのほうじゃ結構使われてるんだけどな。ま、貴族連中が特に使うから、知らねぇのも
  無理はねぇかもな。風呂に入れて、その匂いとかを楽しむんだよ。」

  薬用効果もあるらしい、と言う賞金稼ぎに、けれども娼婦達は戸惑ったような表情を浮かべるば
 かりだ。それもそのはず、いきなり風呂に入れるのだと言われても反応のしようがないだろう。荒
 野で水は貴重だ。潤沢な井戸でもない限り、庶民では簡単に風呂には入れない。
  だから、例え美容効果があると言われたところで、簡単に水の中――風呂の中には入れられない
 だろう。

    誰に貰ったのか知らないが、とマッドは思う。
  そいつはきっと、娼婦達の実情をほとんど知らない奴に違いなかった。





  マッドは、久しぶりに塒を訪れ、風呂の湯を沸かしていた。幸いにして水の潤沢な井戸のある塒
 では、風呂に困った事はない。基本的に綺麗好きなマッドが、この塒を気に入っている理由の一つ
 がそれだった。
  が、そのお気に入りの塒を、不愉快この上ないものにしているお邪魔虫が、今、マッドの背後に
 いる。
  何故か普通の顔をして、賞金稼ぎである自分の背後で晩ご飯を待っている賞金首サンダウン・キ
 ッドは、本当にどういうわけかマッドが塒を訪れた時に限って、塒の中にいる。もしくは塒にやっ
 てくる。そして、以前マッドが怒った事があるにも拘わらず、またマッドのお気に入りの毛布に勝
 手に包まっていたのだ。
  とにかく毛布をサンダウンから引っぺがし、マッドは風呂を沸かそうと風呂場にやってきたのだ
 が。

  晩ご飯を期待している――何故賞金稼ぎに晩ご飯を求めるのか――サンダウンは、マッドから離
 れない。じぃっと無言でマッドを眺めて、晩ご飯を待っている。

 「なあ、キッド。」
 「なんだ?」

  うざい事に、返答はすぐにあった。

 「酒瓶一本開けて良いから、俺が風呂に入るまで待ってくれねぇか。」

  何故自分がサンダウンに頼まねばならないのか全く以て理解できないが、とにかく酒を添えてそ
 うでも言わねば、多分、この男はマッドにへばりついて離れない。
  そして、ようやくすごすごと引き下がった男が、遠くで酒を漁り始める音を立て始めたのを聞い
 てから、マッドはようやく風呂に入る事ができた。

  その風呂の中に、マッドは娼婦から貰った入浴剤を入れてみる。湯の中に広がった粉末は、しば
 らくの間、水面を漂っていたが、次第に白を撒き散らしながら、下へと落ちていく。同時に漂うの
 は、ミルクとカモミールの匂いだ。
  どうやらこの入浴剤は、牛乳とカモミールを混ぜ合わせ、乾燥させ、粉末にしたものらしかった。
  そっと白く濁った湯の中に手を入れてみると、心なしか白い液が肌に纏わりついたような気がし
 た。ぬるりとしたその中に全身を静めると、全身に滑らかな膜が張ったような気分になる。
  おそらく、何処かの貴族が本当に使っているものなのだろう。きっと、相当高価なはずだ。湯の
 感触にうっとりとしながら、マッドは思う。
  匂いも悪くないし、こうして身を沈めているだけで、凝り固まった筋肉が解れていくような気が
 する。
  多分、肌もつるつるになるだろう。マッドの肌がつるつるになっても、あまり意味はないのだが。

  しばらくの間、湯船に身を凭せ掛けて、ぼんやりと湯の中を漂っていた。
  が、それを叩き壊すように、風呂場の外から、鬱陶しい気配がうろうろと蠢き始めている。サン
 ダウンが、一人の晩酌に飽きたらしかった。それとも、本当に空腹を訴え始めたか。
  放っておいたら、多分ずっとあのまま鬱陶しい気配を振り撒くであろう事は、眼に見えている。
  それを想像してげんなりとした気分になったマッドは、天国に別れを告げて湯船から這い出した。




  風呂場から出ると、サンダウンが空の酒瓶を持って纏わりつき始めた。そして、しきりに晩ご飯
 を訴え始める。
  だが、勿論マッドは晩ご飯の準備などしていない。先程まで風呂に入っていたのだから当然だ。
 とりあえず適当に作ろうにも、じぃっとこちらを見るサンダウンが非常に鬱陶しい。
  だから、マッドはサンダウンを、先程まで自分がいた風呂場に追い払う事にした。

 「てめぇが風呂に入ってる間に飯作るから。」

  そう言って、サンダウンを風呂場に追いたてる。アルコールが入った身体で風呂に入って大丈夫
 だろうかと思いもしたが、サンダウンだから大丈夫だろう。どうせ、アルコールなんぞ一分で分解
 するような男だ。
  しっしっと追い払い、マッドはやれやれと台所に立つ。何故自分がこんな事をしなくてはいけな
 いのか、と自問したところで答えは出てこないので、そんな虚しい自問はしないに限る。それより
 もさっさと作ってしまおう。
  卵と干し肉を保管庫の奥に見つけたマッドは、干し肉をとりあえず茹でる事にする。その他に人
 参とジャガイモも見つけ、ポトフでも作るかと算段した時。
  のそのそと、風呂場に追いやったはずのサンダウンが戻ってきた。
  なんだ、石鹸でも切れたのかと思っていると、サンダウンはマッドの前までやってくる。

 「マッド……あの、白い湯は、一体。」

  どうやら、この男も入浴剤なるものを知らなかったらしい。初めてみる白い湯に、戸惑ったよう
 だ。まさか牛乳と勘違いして――牛乳も入っているが決して飲んでいいわけではない――飲んだり
 していないだろうな。
  マッドが小さな懸念を覚えた時、サンダウンは真顔で問うた。

    「………湯垢、か?」

  それは、風呂掃除をしているマッドに対する、風呂掃除をしていないサンダウンが行った冒涜だ
 った。

 「てめぇ、そのまま沈んでこい!」