人殺しを匿っている女がいた。
  娼婦ではなく、ただの街娘だ。
  垢ぬけぬ田舎娘に、ドレスや宝石を買い与え、己の安全を保障させたならず者は、田舎娘にドレ
 スを手渡したその手で、恋人のいる若い娘を犯し、犯した娘の前で恋人を殺すようなそんな男だっ
 た。
  夜の闇に乗じて愛と恋を語らう若者達を、舌舐めずりして物色し、そして眼についた者がいれば
 襲いかかり、骨の髄までしゃぶりつくした後、荒野の枯れた草叢の中に放置する。
  そんな事を繰り返す男に、賞金が懸けられぬわけがなかった。
  殺された若者達の遺族の嘆きは深く、それは保安官に聞き入れられて男には賞金が懸けられた。
 まして、殺された若者達は銃を持っていなかった。銃を持たぬ者を撃つ事は、西部では万死に値し、
 銃に生きる者から見れば蔑みの対象だ。
  そんな、卑怯な男に殺された若者達の嘆きは、賞金を課しただけでは収まらない。一刻も早く捕
 え、縛り首にせねば、いつまた誰が殺されるとも分からない。だから、保安官が男を捕えるのを待
 っている猶予など、何処にもなかった。
  だから、殺された若者達の踏み躙られた尊厳を嘆く人々は、荒野の中で最も凶暴で、しかし尤も
 繊細な網を持つ嘆きの砦に向かって祈った。それは神に祈るよりも遥かに意義のある、そして実績
 のある行為だった。
  そしてそれは、ものの数日で聞き入れられた。
  掻き集められた1000ドルの賞金を捧げられた賞金稼ぎの王であり、嘆きの砦そのものであるマッ
 ド・ドッグは、札束を睥睨すると口元に微かな笑みを刷くと、1000ドルのうち半分の500ドルを前金
 として受け取り、醜い獣の討伐を請け負ったのだ。
 
  金を受け取った後の、西部の賞金稼ぎの頂点に君臨するマッドの行動は、素早かった。保安官が
 賞金を懸けた旨を伝える為の手配書を作成している間に、彼は荒野に散らばる網を手繰り寄せて、
 さっさと男の居場所を突き止めた。
  それは、件の街娘の家に、棲みついていたのだ。
  男を棲みつかせている街娘は、昨年の末に両親を病でなくしたばかりだという。家族三人で西部
 にやってきて、そして彼女は知り合いもいない荒野で一人きりになってしまった。そこに、男は眼
 を着けたのだろう。
  何せ娘は、取り立て何か眼を惹くようなものを持っていなかった。あるものと言えば家族と暮ら
 していた小さな古びた小屋だけで、金目の物は何一つとしてなく、娘自身美しいとは言えない容貌
 をしていた。背の低い、硬そうな身体は、なかなか抱きたいと思う様子をしていない。
  にも拘らず、卑下た男が近寄ったとなれば、せいぜい身を隠す為のものとして使おうという魂胆
 でしかないだろう。

  だが、マッドはその身体の固い娘を憐れに思うつもりはさらさらなかった。
  金銀宝石、装飾の美しいドレス。
  男は娘の眼を眩ますために、娘が今まで異性に言われた事がなかったであろう歯の浮くような台
 詞と共に、娘が手に入れた事もないであろうそれらを――それらはきっと、殺された若者達の者か
 或いは若者達から奪った金で買った物だ――与えたのだろう。
  腹の底で、それらに呆然として触れる娘を、嘲笑いながら。内心ではお前がこれを着るなどお笑
 いだとまで思っていたのかもしれない。だが、それを顔には出さずに、保身の為に差し出した。そ
 うする事で、世間知らずで垢ぬけない娘を籠絡したのだ。
  だが。
  マッドは、銃を掲げて娘の家の扉の前で、中の様子を窺いながら、男を守ろうとしているのだろ
 う娘を、やはり嘲笑う。
  娘は気付いていたはずだ。男が人殺しである事を。血腥い香りを漂わせて帰って来る男に、不審
 を思わぬはずがない。男のシャツに着いた夥しい血痕を見て、一体いつまで、怪我をしたという嘘
 を信じきれたのか。
  結局は、娘は男が人殺しであると、世間を騒がせている恋人達を殺し続けている賞金首だと気付
 きながらも与えられる宝石の輝きに眼が眩んで、口を閉ざしていただけだ。分不相応に与えられる
 宝石を自分の物だと欲深く勘違いして。それともまさか、春を知らぬ己を嘆き、草花の下を謳歌す
 る恋人達に薄暗く嫉妬し、彼らが殺されゆくのに喜びを感じていたのではないだろうな。
  まさかそんな事は、と思いつつも、マッドはそれが有り得る事を知っている。人とはその気にな
 らなくとも、何処までも醜くなれるものだ。

  首を一つ振って、マッドは扉を押し開ける。
  バントラインを、薄暗い家の中に指し向ければ、果たしてそこにはずんぐりとした身体付きの女
 が、酷く似合わないレース付きの赤のドレスを着て立ちはだかっていた。
  この荒野では、こうした体型の女は少なくない。皆、力仕事もせねばならず、どうしても二の腕
 に筋肉が付いてしまい、ほっそりとした腕は太く成長してしまう。
  しかし、それでも、日に晒された所為で茶色くなった肌をしていても、笑えば魅力的な女は何人
 も知っていたし、たくましく生きる彼女達にウインクを投げかける男だって少なくない。
  だが、同じような体型でも、眼の前の女は。
  どう見ても、自分の手で道を切り開かずに、転がり落ちてきた他人の財布を手放すまいとしてい
 る獣だ。
  類は友を呼ぶと言うが、どうやらこの女と、この女が匿う男は同類らしい。

 「どきな。女を殺す趣味はねぇんだ。」

  ひやりとした声で、眼の前の獣にとりあえず人の言葉で話しかける。すると、醜い獣は、その腐
 臭漂う身体から、薔薇の香水を振りつけて甲高い声で叫ぶ。

 「あんたなんかに、あの人は渡さないよ!」

  その言葉が、これは自分の金だというふうに聞こえて、マッドは顔を顰める。何よりも、女から
 放たれる噎せ返るような薔薇の香りと、眼の前に広がる醜い光景の差が激しく、目眩がしそうだ。
  頭痛さえ込み上げる、薔薇の香りと女の腐臭が混ざり合った臭いを堪えながら、マッドはもう一
 度、最後の警告をした。

 「良いから女は黙ってな。俺が用のあるのは、その奥で薄ら笑い浮かべてる男だけだ。」
 「うるさいね!出ていきな!」

  甲高い声で叫ぶなり、獣は丸太のような太い腕を振りかぶって、何かを投げつけた。どうやら男
 によって肥えさせられた女は、もはや家畜のように男に従うようだ。
  液体を撒き散らしながらぶつかってきた、この小屋の中にあるのは繊細すぎる細工のある硝子瓶
 からは、甘い薔薇の香りが惑わすように薫ってくる。その香りを割るように、ぶよぶよとした肉の
 塊が突進してきた。
  マッドはそれを舌打ちして躱し、肉の塊がその勢いのまま様々な物にぶつかって倒れるのに一瞥
 すら向けず、奥で薄ら笑いを消して逃げ出そうとしている、もう一匹の獣を探す。
  自分の身体から沸き立つ薔薇の匂いが、男に居場所を示してしまうのではないかとさえ思うほど、
 きつい香りがあちこちに漂い、マッドは顔を顰めた。
  しかし、マッドの懸念を余所に、男はすぐに見つかった。狭い小屋だ。何が起きたのか男は既に
 知っており、マッドが考えた通り逃げ出そうと小さな窓を潜ろうとしていたが、それをすぐに見つ
 ける事が出来るほど、小屋の中は小さかった。
  狭い窓から上半身だけを出した間抜けな姿を見て、マッドは鼻先で笑う。マッドの姿を認めた瞬
 間に慌てたように動く下半身に、マッドは無造作にバントラインを向けた。そして、その両腿を撃
 ち抜く。
  醜い悲鳴が上がり、男はそのまま上半身だけを地面に落した。








  サンダウンは、毛布に包まっていた。
  小屋の中にはサンダウンしかおらず、サンダウンは少しだけいじけていた。その気分を少しでも
 晴らそうと、こうして毛布に包まっているのである。

  サンダウンが身を包んでいる毛布は、マッドのお気に入りの毛布だ。肌触りの滑らかなそれは、
 少し強く扱えば毛羽立ってしまうような繊細なものだったが、マッドはその触り心地に虜になって
 いるらしく、ずっとその毛布を使っている。
  夜寝る時は勿論、転寝する時も、サンダウンに押し倒された後も、うぞうぞと動いてサンダウン
 から離れてそちらに行ってしまう。サンダウンとしては、抱き締めていた身体がさっさと何処かに
 行ってしまい、非常にやるせないのだが。
  とにかく、そうやってマッドがいつも擦りついているおかげで、この毛布にはマッドの匂いが染
 みついていた。
  そして、サンダウンは、染みついたマッドの匂いを嗅いで、マッドがいない間の寂しさを紛らわ
 せているのである。

  変態である。

  だが、自分が非常に残念な行為をしている事に気付かない男は、マッドに匂いに包まれてご満悦
 だった。
  サンダウンは、マッドの匂いが好きだ。
  以前、引っぺがしたジャケットは今でも時々顔に押し当てて、その匂いを探すことがあるし、マ
 ッドが傍にいる時は、隙あらば後ろから抱き付いて、耳の後ろやら項やらに鼻を突っ込んで匂いを
 嗅いでいる。マッドが好む、独特の甘い香りのする葉巻を掻き分けて、マッド本来の匂いを探り当
 てるのは、最近のサンダウンの楽しみの一つだ。
  マッドの肌の匂いが、甘い事を、サンダウンは良く知っている。
  風呂上がりの、マッドの肌同士が擦れ合う時、湯気と一緒に甘い香りがふわふわと漂ってきて、
 にじり寄りそうになった事が何度もあった。というか、何度もにじり寄ってそのまま押し倒した。
  その、風呂上がりのマッドの匂いが染みついている毛布を嗅ぎまわっているサンダウンは、何処
 からどう見ても、ただの変態である。本人に、自覚はないが。



  毛布に顔を押し当てて、少しばかり幸せな気分を味わっていたサンダウンの耳が、ぴくんと動く。
 そして、急にそわそわし始めた。
  無駄に、ある特定の馬の足音にだけ無駄に反応するように発達した耳は、その特定の馬の足音を
 確かに捕えたのだ。
  サンダウンはそわそわと毛布の中から顔を出し、期待を以て小屋の扉を見る。
  近付く馬蹄が、そのサンダウンの気配に気付いたのかどうかは定かではないが、一瞬躊躇したよ
 うに足並みを乱した事は、サンダウンにはどうでも良い事実である。
  非常に嫌そうな足取りで近付く馬蹄が、遂には小屋の前で立ち止まり、ごそごそと音がしていた
 かと思うと、ようやく待ち焦がれていた扉の開きが訪れた。

  が、その瞬間に、サンダウンは顔を顰めた。
  それと同じく、扉を開いたマッドも、眉間に皺を寄せる。

 「てめぇ、人の毛布に何勝手に包まってんだ!」
 「お前こそ、その気持ちの悪い匂いはなんだ!」 

  己の所有権を正当に主張したマッドに対して、サンダウンは事実ではあるが怒るほどの事でもな
 い抗議を口にした。
  確かにマッドからは、甘ったるい薔薇の香りが漂っている。しかし、それはサンダウンが抗議
 する謂れのないものである。抗議されたマッドも、眉根を顰める。

 「ああ?何だよ、てめぇは急に。」
 「私はお前を待っていたのに、お前は甘ったるい匂いをさせて。浮気でもしていたのか。」
 「分けわかんねぇ事言ってんじゃねぇ!」

  香水をぶつけられながらも一仕事終えて家に帰ってきたら、賞金首が奇妙な事を罵っている。そ
 の状況に、マッドは目眩がしそうだった。
  どうにかして、サンダウンのこれは病気だ、発作のようなものだ、と言い聞かせ、マッドは倒れ
 そうな自分を叱咤する。

 「てめぇこそ、人が仕事してる間に、人様の毛布に包まるなんざどういう了見だ、ええ?それが俺
  のお気に入りの毛布だって知ってやってんのか!」
 「当たり前だ!お前のお気に入りじゃないと、お前の匂いが染みついていないだろう!」
 「あ?!」
 「お前の匂いを嗅ぐ為に包まっていたという事が分からないのか!」

  叫ぶサンダウンに、今度こそマッドは目眩がした。
  というか、心理的に百歩ほど退きたい。
  事実、一歩下がった。
  分かりたくねぇ!という叫びが心の中で留まったのは、あまりのサンダウンの台詞に思考が拒否
 反応を起こした所為か。
  しかし、逃げようと一歩後退ったマッドを、サンダウンは長い脚を駆使して、マッドがよろける
 ように一歩下がっている間に五歩進んでいる。即ち、サンダウンの腕は、マッドをあっさりと捕ま
 える。

 「こんな匂いをさせて………。」

  ぶつぶつと呟きながら、サンダウンはマッドの首筋に顔を埋める。

 「うあっ、何すんだ、てめぇ!」
 「お前の匂いがしない………。」
 「俺の匂いなんかどうでも良いだろ!」
 「良くない。」

  ジャケットからも変な匂いしかしない、と苦々しげに呟く男は、マッドを腕の中でくるくる回転
 させながら、匂いを嗅いでいく。しかし、嗅げば嗅ぐほど、サンダウンの眉間に作られた谷間は深
 くなってく。そしてマッドは、新たに見つかったサンダウンの性癖に打ちのめされそうだった。特
 にその対象が、またしても自分であるという事に。

 「やはり、しない………。」

  苛立たしげにそう呟いて、サンダウンはマッドを抱き上げるとすたすたと歩き出す。

 「おいっ、何処に連れてくんだよ!」
 「風呂場だ。」

  洗い落としてやる。
  きっぱりとそう告げられて、マッドはその意味を一瞬考え、慌てて叫んだ。

 「いや、風呂には俺、普通に入るつもりだったから、別にあんたがわざわざ運ぶ必要ねぇよ、なあ、
  だから降ろせって!」
 「…………みっちり、身体の隅々まで洗ってやる。」

  言葉の節々に、匂いがしない事への苛立ちの他に、微かな喜悦が見え隠れしているのは気の所為
 か。いや、気の所為なはずがない。
  心なしか、うきうきとした足取りで風呂場に向かうサンダウンの腕の中で、マッドは絶叫した。
 「降ろせぇええええっ!」
  マッドが次の日、普通に動ける確率は、ゼロに等しかった。