最期の最期まで見苦しく抵抗した男は、泡を吹いて何事かを叫びながらマッドに突っ込んできた。
 金鉱が閉ざされた後、成す術もなく零落していった男は、それでも鉱山でならした太い腕を振り回
 す。
  如何にマッドが西部一の賞金稼ぎであり、常人に比べれば鍛え抜かれた身体をしていると言って
 も、鉱山で鍛えた男の身体に比べれば、如何せん身体の線が細すぎた。その腕の一振りが、身体を
 弾き飛ばすのは必然に見え、普通ならば男の突進は避けて然るべきところだ。
  まして、共に末端まで落ちた仲間が悉く撃ち倒され、赤い血を振り乱して地面に伏せたのを見た
 男は、仲間を殺されたという怒りと自分もそうなるのではないかという恐怖で、半ば錯乱状態にあ
 る。そんな状態で突進する巨体は、一体如何ほどの力が籠っているのか。
  雄牛のように突進してくる男に、他の賞金稼ぎ達は、わらわらと逃げ出す。
  しかし、土煙を上げて襲い掛かる男の直線上にいるマッドは、普段通りの何処かうっとりとした
 笑みを浮かべたままその場を動こうとしない。絶妙な角度を見せる首筋は、男の手刀一つで砕けて
 しまいそうなくらい、繊細だ。
  そんな、男の突進を受け取れば跳ね飛ばされてしまいそうな身体を、マッドは惜し気もなく男の
 真正面に据えている。砂埃だけでもその身を覆ってしまいそうだというのに。
  しかし、そんなマッドの細い指が絡みつくのは、けぶるように土埃で霞む世界の中でも、無情な
 ほど硬く煌めく黒だった。マッドの愛銃であるバントラインは、冷徹に黒い銃身を光らせている。
 その銃口が定めているのは、紛れもなく突進してくる男の額だ。
  そして、その引き金を引くマッドは、バントラインの冷たい輝きよりも更に冷徹だった。
  男が雄叫びを上げながら近付く様を、マッドは十分に自分の身体へと引き寄せる。だが、それま
 でバントラインの銃口は跳ね上がる事はない。だから、男にはマッドが怯えて立ち尽くしているよ
 うに見えただろう。もしもマッドの口の端に微かに浮かぶ笑みがなければ、賞金稼ぎ達もそう思っ
 たかもしれない。
  しかし、今にもマッドを叩き潰そうとした男が最期に見た景色は、己の所業に鉄鎚を下す黒い銃
 口だった。一瞬でもマッドを叩き潰せるという勝利感に酔った男は、次の瞬間にはその勝利感を打
 ち砕かれ、更にその直後には、頭の半分を吹き飛ばすようにして息絶えていた。
  呻き声一つ上げる事も許されず、男は頭から血と脳漿を吹き上げながら、仲間達と同じように地
 面に沈みこむ。彼らは鉱山が閉鎖された後、それを恨みに思って鉱山主とその家族を死ぬまで殴り
 続けた連中だった。そして自ら義賊と名乗って、鉱山主を次々と殺していく連中だった。
  なるほど、確かに彼らの嘆きも恨みも、理解しようと思えばできるだろう。だが、生憎とまだ閉
 鎖されてもいない鉱山の主を殺し、家族を殺し、しかもその家族の女子供は犯した上で殺したとな
 っては、義賊を名乗るには噴飯ものだ。
  鉱山主を失った坑夫達は路頭に迷い、犯され殺された若い娘の婚約者だという若者の悲鳴はまだ
 新しい。
  拳を振り上げた男の、その猛進する空気の対流が感じられるほど近くで引き金を引いたマッドは
 、一体どういう考えでその行動を決定していたのかと問いたくなる脳の切れ端と、それを覆う生臭
 い液体、それと夥しい血を浴びて、小さく舌打ちした。
  もはや何の役にも立たない男の身体を踏みつけて通り越し、髪から滴る血を軽く振り払い、口の
 中に入り込んだ男の血を面倒臭そうに吐き捨てる。
  その様子を見て、マッドと付き合いの長い賞金稼ぎ達も彼に駆け寄ろうとしてたたらを踏んだ。
  マッドの黒い髪とそのジャケットの色ならば、返り血を浴びてもあまり目立たないだろう。しか
 しその匂いはどれだけ葉巻の甘い香りで誤魔化しても掻き消せないし、何よりもマッドの白い肌に
 は嫌でもその赤が映えている。
  その様は壮絶で凄惨で、しかしその対比が美しい。
  マッドも自分の状態を理解しているらしく、眉根を寄せている。
  返り血を浴びたその姿では、如何にマッドと雖もサルーンに入っても娼婦達が怯えて寄りつかな
 いだろう。その手のおかしな趣向があるのならともかく、西部の娼婦達は基本的には、貴族達に比
 べれば遥かに健全な嗜好をしている。

 「これじゃ、街にも行けねぇな。」

  苦い声で呟く王に、賞金稼ぎ達は首を竦める。

 「そりゃ、お前が悪いんだ。もっと早く弾を撃ちこんでりゃ、そんな事にはならなかった。」
 「ああしてやりたかったのさ。死ぬまで人を殴り続けられる馬鹿には、あれくらい間近で死神を見
  せてやらねぇと、恐怖ってもんがわからねぇみたいだからな。」
 「よく言うぜ。お前自身は怖いものなんてねぇくせに。」

  銃弾さえ笑いながら飲み干しそうな自分達の王は、冷ややかな笑みを浮かべて、転がる骸を一瞥
 している。そこには死者を悼む光など何処にも灯っていない。

 「ま、仕方ねぇ。このカッコじゃ街には行けねぇからな。何処か塒を探すか。」

  じゃあな、と死体をそのままに、西部一の賞金稼ぎは身を翻し、死を背負った黙示の馬のような  愛馬へと向かっていった。




  塒のソファには、今、マッドが取り込んだばかりの洗濯物が大量に投げ出されている。それらは
 これから、マッドの手によってみっちりと皺がなくなるまでアイロンを掛けられるのだが、それま
 ではサンダウンが転がるソファの上で、サンダウンを埋めたままなのだろう。
  無情にも昼寝の最中に、大量の洗濯物を次々と被せられたサンダウンは、もぞもぞと身動きして
 洗濯物の山の中から這い出す。とは言っても無精なおっさんの事、顔を洗濯物の中から出したに過
 ぎない。
  マッドが今朝早いうちからせっせと洗って、せっせと干していたそれは、西部の乾いた風と強い
 日差しを浴びてすっかり乾いている。それらの中には、昨夜色んな事をして汚れたシーツだとか、
 枕カバーだとか、サンダウンが何日も着続けてマッドに『いい加減洗え!』と怒鳴られたシャツと
 かが入っていた。
  そして、昨日血濡れになったマッドの服も。

  昨夜、塒に帰ってきたマッドは、真っ先に血に汚れた服を脱ぎ捨てた。べっとりと身体まで染み
 込んだ血に顔を顰め、彼は風呂場の湯を桶に移し替えると、その中に汚れた衣服を全て放り込む。
 こうしておけば、汚れも取れやすくなるだろう。
  一式買い替えても良いのだが、その為には街に行く必要があるのだがら、結局は街に行く為の着
 替えが必要という事になる。
  まあ、ジャケットは買い替えるにしても、シャツは血を落とせば使えるしな。
  そんな事を風呂場で思っているマッドを、サンダウンはその背後で鬱陶しい気配を振りまきなが
 ら見ていた。というか、服を脱ぐところから見ていた。
  いくら男同士とは言え、その辺は礼儀というものがあるのではないだろうかとも思うのだが、そ
 れを咎めるようにマッドが睨みつけても、サンダウンは何処吹く風で、しゃあしゃあと言ってのけ
 た。

 「血の臭いがしたから、お前が怪我をしたのかと思った。」
 「は、この俺が怪我なんかするかよ。」

  嘘を吐け嘘を。脱ぐところとかを見たかっただけだろうが、あんたは。
  マッドは声に出さないものの、心の奥底から盛大に突っ込んだ。
  賞金首と賞金稼ぎがなんで互いの怪我の心配をせねばならないのか、などという突っ込みをする
 時期はとうに過ぎている。今はもう、突っ込みをするだけ無駄な時期だ。その事を既に悟っている
 マッドは、サンダウンの台詞を適当に受け流す。
  そのつもりだった。
  が、サンダウンはそれだけで終わらせるつもりはなかった。当然だ。マッドが服を脱ぐところを
 見た時点で、その先々の事まで考えるのは、男として当り前の事である――人としてどうか、とい
 う突っ込みは残念ながらサンダウンには効かない。

 「ふむ………本当か?」
 「ああ?」

  面倒臭そうに答えたマッドは、サンダウンを振り返って、その眼に得体の知れない――いや知っ
 ている、こういうのを欲に満ちた眼と言うのだ――光を湛えたおっさんを見つけ、嫌な予感がした。
 思わず、じり、と後退る。
  が、サンダウンの動きのほうが早かった。
  サンダウンは素早くマッドの腰を捕えると、自分の方へと引き寄せる。

 「ならば、確かめてやろう。」
 「いらねぇ!」
 「遠慮するな。」
 「遠慮じゃねぇよ、これは!」

  じたばたするマッド。だが、残念ながら今までの経緯を考えても、当然の如くサンダウンには叶
 わず。
  まあ、そんなこんなでシーツを汚して枕カバーまで洗濯する羽目になったわけだが。
  そのシーツも枕カバーも、血に汚れていたマッドの服も、今ではすっかり綺麗になっている。太
 陽光線をしっかりと浴びて、日向の匂いがする洗濯物に顔を埋め、サンダウンはなんとなく幸せな
 気分になる。
  何せ、自分がちょうど顔を埋めている洗濯物は、昨夜マッドが脱ぎ捨てていた服なのだ。
  マッドのジャケット。マッドのシャツ。マッドの靴下。マッドのズボン。マッドのパン………。

 「気持ち悪い事してんじゃねぇ!」

  頬ずりしていると、何処からともなく洗濯物籠が飛んできた。