可愛そうになあ、とマッドは足元に斃れた男を見下ろして言った。
  その声には全くといって良いほど感情は籠っておらず、むしろ笑い含みだった事からも、マッド
 が、足元に転がる男になんら憐憫めいたものを持っていない事は明白だった。
  それでもマッドが男を可愛そうに、と言ったのは、男のある性癖が生まれながらのもので、誰が
 どう手を施しても治らないものだったからだ。
  固い床の上で赤い血を胸から垂れ流して絶命した男は、しかし男にしては妙に長い髪を床に散ら
 している。まあ、男が髪を伸ばす事は、良くある事ではないが有り得ない話ではない。役者などは
 髪を伸ばしている事もあるし、放浪する男の中には髪を伸ばし放題でうろついている者もいる。
  ただ、一見して妙なのは男の髪がやたらと丁寧に手入れされている事だ。男に特有の、長く伸ば
 しっぱなしであちこちに跳ね回っているような髪ではない。とかく、綺麗に撫でつけられて、油で
 も塗りたくったかのように艶が出ている。
  役者ならば或いは、とも思うが、しかしいくら役者でも此処まで丁寧に艶を出す事はないだろう。
  そんな疑問は、しかし男の服装を見れば一瞬で吹き飛ぶようなものだった。
  賞金稼ぎマッド・ドッグがたった今撃ち落して、その血からはまだ湯気が立ち昇りそうなほど、
 ついさっきまで生きていた男は、真っ白なドレスに身を包んでいたのだ。
  腰を切り詰めた光沢あるドレスは、その裾からは見事なほどに繊細なレースが幾重にも折り重な
 って覗いている。袖にも同じような刺繍が描きこまれており、素人目に見ても、かなり高価な代物 
 である事が分かる。
  ただ、そんな衣服の高価さよりも、明らかに女物であるドレスを男が着ているという異様さのほ
 うが、その光景を眼にした者にとっては一番注視すべきことだろう。

 「全く以て、哀れだよ、お前は。」

  もはや物言わぬ男に、マッドはもう一度可哀想にと呟く。
  男は、俗に言う女装趣味があったわけではない。女の姿をする事が好きだったわけでも、女の姿
 のほうがしっくりくるという考えの持ち主だったわけでもない。
  別に男前でも、がといって醜男というわけでもない、平々凡々な顔立ちをしたこの男は、自分の
 中に、自分を愛してくれる女と言うのを作り上げてしまったのだ。
  普通ならばそれは、罪のないただの妄想で終わるのだが、男の場合はそれに歯止めがかからなか
 った。つまり、男が作り上げた女は、男が望むがままに男を愛し、そしてそのうちに嫉妬するよう
 になった。
  勿論、そこまでは罪ではない。そんなものに、マッドの出る幕は何処にもない。精々マッドは苦
 笑いをして、それで幸せならいいんじゃねぇか、と言うくらいである。
  けれども、男の作り出した女は、男の意に反して――いやそれも男が望んでいたのか――他の女
 達に嫉妬するようになり、男に話しかけた女達を次から次へと殺すようになった。どういう事かと
 言えば、男が自分の望む女の姿になりきり、凶行に及んだという事だ。

 「たぶん、誰にも理解されねぇぜ、こんな犯罪。」

  妄想の中の女の姿恰好を真似て、自分に気がある――それも勝手に男が思い込んでいるだけ――
 女を次から次へと殺していくなんて。
  滑稽で、けれどもあまりにも愚かしいが為に放置しておくわけにはいかない。
  殺された女達は一様に髪を無残にも切り落とされていて、現場近くでは逃げ去っていく女の姿が
 目撃されていた。だから女の犯行だと思われていたのだが。けれども残されていた足跡がどう考え
 ても男のものだったから。
  女装しても、流石にヒールまでは履けなかった男だろうとマッドは思ったのだ。
  そして、やたら綺麗な髪をしている男がいるという話を聞いた。女装しているという推測と、無
 残に切り取られた女の髪が、その男が犯人だとマッドに囁いた。だから、今しも女になろうとして
 いる――もしかしたら男に戻るところだったのか――男のいる部屋に踏み込んだ。
  マッドに撃ち落されて、男はなんと思っただろう。何故撃ち落されたのか理解できなかったか、
 それとも止まらない己の妄想による凶行を止められて何度したか、或いは何も思わなかったか。
  ただ、とにかく艶めくほどに手入れされた髪を見る限り、男は自分の中にいる女の存在に気づい
 ていたはずだろうし、己の中の女が凶行に及んだことも知っているはずだった。だから、マッドは
 男に対して何ら酌量の余地がなかった。
  床に散らばった金の髪は、まるで蜂蜜をぶちまけたかのように煌めいている。それが、ひたすら
 に場違いであった。
  斃れた男の身体から、血と硝煙以外の仄かな香りが漂ってきた。泡の匂いに似たそれが、男の髪
 への執着を表しているような気がした。





  塒にやって来たマッドは、ソファからにゅっと顔を上げたおっさんを見て、危うく眩暈を起こし
 そうになった。つい先程まで見ていた、おぞましくも美しい金髪と、目の前にあるもさもさでじゃ
 りじゃりの砂色の髪とのギャップに、記憶と視覚が混乱を起こしたのだ。
  いや、冷静になって考えてみれば、男の髪があれほどまで艶めいて輝いている事がおかしいのだ。
 普通、荒野を歩く男の髪は風に嬲られてばさばさだし、砂を孕んで固くもなる。癖も何もなく、鋭
 い光を放つほどの金髪など、男の髪では有り得ない。 
  が。
  マッドは思い直して、にゅっと顔を出している賞金首を見て、やっぱり溜め息を吐いた。
  賞金首サンダウン・キッドは、紛れもなく荒野を行く男であり、乾いた風を肩で切って進む道を
 歩いている。
  しかし、それを差し置いても、これはないんじゃないだろうかと思うくらいの小汚さっぷりであ
 る。
  通常の白人男性として金の髪と青い眼を持っているサンダウンは、しかしその金の髪は既に髭と
 繋がっており、何処から何処までが髪で髭なのかがさっぱり分からないし、見当もつかない。しか
 も陽の下に長らくあった所為か、金と言うよりも砂色――いやむしろ黄土色じゃないのか、あれは。
 青い眼だけは相変わらず青いが、その眼が爛々と輝いている様が既に別の生命体のようである。
  そして案の定、風に煽られるに任せたその髪は、好き放題にあちこちを向いている。髪だけでは
 なく髭も癖になっているのが、なんとも滑稽である。挙句、砂嵐の中を突っ切るという事を何度も
 しているのだろう、なんだか全体的に埃っぽい。指を差し込んでみたら――したくもないが――じ
 ゃり、という音と共に、盛大に砂が零れ落ちてきそうだ。それが髪と髭だけではなく、サンダウン
 の全身に言える事が、非常にお約束であると共に、残念な事実であって仕方がない。
  というか、このおっさん、風呂に入ったのは一体いつなのだろうか。
  荒野を放浪しているから毎日風呂に入る事は不可能だとしても、放っておいたら一か月以上風呂
 に入っていない可能性がある。その服も一体いつ着替えたものなのか。
  一つ疑問がわけば、後は芋づる式に疑問が湧いてくる。
  主に清潔面で。
  にゅっと顔を出してこちらを見ているサンダウンを、マッドはそれ以上近づく事を止めてじろじ
 ろと見る。近づいたら、一瞬でノミとかが移りそうなのだ。
  しかし、そんなマッドの気持ちを解さないのがサンダウンというおっさんである。むろん、その
 事はマッドも重々理解している。長い付き合いになるが、腐れ縁だが、サンダウンがマッドの気持
 ちを慮ってくれた事など、今の今までない。きっとこれからもないだろう。
  そんなサンダウンがソファの背凭れに顎を乗せてマッドを見ている――どうせご飯はまだかな、
 とか思っているのだろう。しかし近づいてこないマッドを疑問に思い、のそのそと近づいてこよう
 とするのは時間の問題だろう。
  なので先手を取って、マッドはサンダウンに命じる。

 「飯を作ってる間に、てめぇは風呂に入って着替えて来い。」
 「お前が良い。」

  サンダウンの返答に、マッドは割と本気で、今此処で決闘をしてやろうかと思った。だが、負け
 てサンダウンの思い通りになるのも癪である。

 「良いから風呂に入れ。ただ飯食ってる分際で、この俺様に歯向かう気か。」

  マッドの言い分は、全く以て真っ当なものであった。女子供ならともかく、自分よりも一回り近
 く年上のおっさんを食わせてやっているのである。というか、このおっさんはその事実を恥ずかし
 いと思わないのか。
  思わないんだろうな、と憮然としなから、マッドはサンダウンを風呂場に追い立てる。
  風呂に追い立てている最中、

 「……お前は入らんのか?」
 「俺は飯の後に入るんだよ。あんたと一緒になんか、死んでも入らねぇからな。」
 「……別に、私はお前は風呂に入らなくても良いと思っているが。」
 「俺はあんたと違って綺麗好きなんだよ。」
 「……お前の匂いが濃いのが好きなんだが。」

     気が狂いそうな会話に、マッドは自分が未だに正気である事が本当に不思議だった。