冷たくなってる、と娼婦の柔らかい指先がマッドの頬を包み込んだ。化粧と香水の匂いに包まれ
 たマッドは、黙って女のさせたいようにさせておく。そうしているうちに、投げ出していた両手も
 他の女達の手に包み込まれてしまう。
  緩やかな女の拘束に対して、マッドはけれども特に何の反応も示さなかった。
  マッド自身、女達の言う事は事実であると知っていた。先程まで冷たい風に切られていた身体は、
 どれだけコートとマフラーで包んだところで凍えの侵入に抵抗できるわけもなく、特に外気に一番
 良く触れていた顔などは、いつもの白皙は鳴りを潜めて仄かに赤く染まっている。同じく、手綱を
 握り締めていた手も、赤味を帯びていた。
  夏場ならば赤味を帯びた肌は熱を感じるだろうが、冬場のそれは寒さしか思わせない。
  酒場に辿り着いた賞金稼ぎを見て、娼婦達が外の寒さを思い、そしてその冷たさを一刻も早く遠
 ざけようと自分達の白い指先を彼の肌に伸ばす事は、当然の事だった。むろん、これはマッドだか
 らこそ齎される恩恵であり、他の賞金稼ぎ達に対しても彼女達が同様の事をするかと言えば、全く
 違う。
  賞金稼ぎの王であるマッドは、自らの特権を遠慮なく享受し、刺繍のあるソファに凭れてグラス
 が運ばれてくるのをまったりとして待っていた。
  ゆったりと女達が傅かれているマッドの身体に、次第に女達が身体を擦りつけ始めてきた。
  彼女達は娼婦だ。色とりどりのドレスに身を包み、時には豊満な胸元を惜しげもなく曝し、男達
 を誘う。そして、彼女達が今傅いている男は、傅いた分だけ十分な金と快楽を与えてくれる賞金稼
 ぎの王者だ。
  我先にとマッドに身を擦りつけ、今宵は自分をと咲き誇る彼女達を、しかし当のマッドはと言え
 ばのんびりとグラスを煽りながら、もう一方の手で葉巻を弄っている。一旦はグラスを置いても、
 それは彼女達の誰かを引き寄せる為ではなく、ナイフを使って葉巻の吸い口を作る為のもので、一
 向に周りに咲き誇っている大輪の華達に手を伸ばす気配はない。
  葉巻を緩く唇で支え、独特の甘ったるい匂いで香水やら化粧の匂いを掻き消してしまう。
  そんなマッドの様子に、娼婦の一人が焦れたように、マッドの薄桃色に染まった唇に指を差し込
 んだ。そうして、ようやくマッドは思い出したように周囲にいる女達を見やる。

 「随分な反応じゃない。あたし達がいるっていうのに。」

  拗ねたようにそう言って見せれば、マッドは視線を動かして唇に笑みを乗せた。

 「そいつは悪かったな。」

  ぞくりとするような低い声。腰に響くその声は、西部の荒野にあるには端正だが、洗練された声
 特有の冷たさはなく、微かに残る南部訛りの所為で、何処か柔らかく甘く聞こえる。その声にうっ
 とりとした様子になった女達は、いっそう自分達の柔らかな身体をマッドに押し当てる。
  が、マッドはそれに手を伸ばそうとはしなかった。
  代わりに、自分が咥えていた葉巻を、そっと手近にいた女の唇に挟み込むと、程よく温もった身
 体をしなやかに立ち上がらせる。

 「が、俺はこの後も仕事だ。」

  ひらり、とそのまま飛び立てそうな勢いで立ち上がった賞金稼ぎを、娼婦達は恨めしそうな眼で
 見つめる。が、それをみっともなく引き止めないのが西部の女だ。男達と対等であるという自負の
 ある彼女達は、そのような弱々しいところを見せるなど彼女の矜持が許さないし、それにマッドの
 職がなんなのか良く弁えている。
  賞金稼ぎの仕事が血腥いのは今に始まった事ではないが、その頂点であるマッドの仕事は、頂点
 であり治める側の人間であるが故に苛烈で、同時にやるせない程の誰かの涙を吸い取ったものであ
 る可能性が高い。その涙の重さに敵う引き止めの言葉など、きっとそれ以上に嘆きを孕んだ言葉で
 なければならないだろう。
  それを弁えた娼婦達に、賞金稼ぎの王者は一つ口付けを投げて、颯爽と、再び身を切る風の吹き
 荒れる荒野へと去っていった。





  凍える寒空の中、女児を連れ去っていった男を撃ち落とした。マッドが男を殺した時には、既に
 女児は欲望の餌食になって殺された後だった。それでも、子供の、特に女の子供の肉を好んだとい
 う男に、身体を食われる前にその身を取り戻したという事で、マッドは女児の両親兄弟から感謝さ
 れた。
  マッドの真新しいジャケットに包まれて連れて帰られた女児の葬式を見る事もなく、ただ花一つ
 だけを渡して背を向けたマッドは、酷く凍えていた。
  凍えた身体で新しい街へ向かう気力もなく、かといって娼婦達の詰める酒場や宿に行く気にもな
 らず、結局荒野のど真ん中にある自分の塒に辿り着いた。
  その、辿り着いた先に、見慣れた茶色い馬が繋がれている事に、マッドが微かな目眩を感じたと
 しても、別段おかしな話ではなかった。
  一瞬、回れ右をして立ち去ろうとしたマッドの前に、まるでマッドの気配を呼んでいたとしか思
 えないサンダウンが現れた。厩の入口に立ち塞がったサンダウンは、どう考えてもマッドがそのま
 ま立ち去ろうとしているのを阻止しようとしている。
  じり、と間合いをとるマッドに対して、サンダウンもじり、と近寄ろうとしている。

 「寒いだろう……こっちに来い。」

  厩の入口で発せられた賞金首の言葉に、マッドは乾いた笑いを浮かべる。

 「はん、遠慮するぜ。そんな薄汚いポンチョなんかよりも、俺の着てるコートのほうが温いに決ま
  ってんだろうが。」
 「……その下にジャケットは羽織っていないだろう。シャツだけのお前が寒くないはずがない。」

  見事マッドのコートの下の服装を言い当てたおっさんに、何でわかるんだよ、とマッドは呆れる
 よりも先に、なんだか薄気味悪さを覚える。しかし、それ以上に両手広げて近寄ろうとしているお
 っさんそのものが、気持ち悪い。

 「そんな恰好だと風邪を引く。」
 「だったらそこどけよ。俺はさっさと小屋の中に入りてぇんだ。」

  サンダウンのいるこの小屋の中に特別入りたいとは思わないが、サンダウンが逃がしてくれない
 事はサンダウンが厩の前に立ち塞がっている事からも明白だったし、変に抵抗をしてこの場で抱き
 竦められるという事態は避けたい。
  が、そんなマッドの思いを余所に、マッドの言葉を聞いたおっさんは、何を勘違いしたのか嬉々
 としてマッドに抱きついてきた。その事態だけは避けたかったのに、サンダウンはマッドが自分と
 一緒に小屋の中で過ごす事に喜び、ついでに理性も吹き飛ばし、マッドに抱きついてきた。挙句、
 お姫様抱っこまでした。

 「おい、なにしやがんだ、てめぇは!俺は小屋の中に入るっつってんだろうが!」
 「だから、そこまで運んでやる。大人しくしろ。」
 「いらねぇ!降ろせ!」
 「駄目だ。こんなに冷たくなっているのに。」

  そうほざいて、お姫様抱っこしたまま更にぎゅうとしがみ付くヒゲ。しかもその足取りは、着実
 に小屋に近付いている。
  両手の塞がっているサンダウンは、器用に足で扉を開け閉めして、そのままリビングに置いてあ
 るソファに直行し、マッドを抱えたままそこにダイブした。サンダウンに押し潰されるかたちとな
 ったマッドが、ぐふ、と呻いてもお構いなしである。
  冷えているな、とマッドの耳を噛んで、コートの中に手を伸ばしてくる。ついでに、顔を擦り寄
 せてくる。

 「温めてやろう。」
 「いらねぇ。」

  すりすりしてくる髭面に、マッドはにべもなくそう答えた。
  豊満で柔らかい女にならともかく、何が悲しくて髭面のおっさんに擦り寄られて身体を温められ
 なくてはならないのか。そんな事をするよりも、風呂に入ったほうが絶対に効率良く温まる。
  が、サンダウンは諦めない。というか、べったりと張り付いてマッドから離れない。離れる気が
 ない。

 「遠慮をするな。こんなに冷たくなっているのに、寒くないはずがない。」
 「寒いのは事実だが、あんたにひっつかれても特にあったまらねぇんだよ、残念ながら。」
 
  そう、新陳代謝の悪いおっさんにひっつかれても、特に温まった気はしない。血行の良くなさそ
 うなおっさんにひっつかれても、特に温かくはならない。むしろ、マッドがサンダウンの湯たんぽ
 になっているような気がする。血行とか新陳代謝とかの事を、要するに若さ的な事を鑑みれば。
  そう言って、マッドはサンダウンをべりっと剥がそうとする。が、サンダウンは剥がれない。何
 処かに吸盤でもあるんじゃなかろうかと思うくらいの勢いで、べったりとへばりついている。
  吸盤を持っている疑いのあるおっさんは、べったりとへばりついたまま、しかしマッドの物言い
 に、むっとしたらしい。
  或いは、その言葉を待っていたのか。

 「温まらない、か?」
 「ああ、あんた冷え症なんじゃねぇ?」

  だから、風呂に入る。
  マッドがそう言って、再びサンダウンを引っぺがそうとした時、マッドはサンダウンの意地悪げ
 な笑みという、この世ならざるものを見てしまった。
  それに対して悪寒を感じた時には、もう遅い。

    「ならば、ちゃんと、温めてやろう。」

  本格的に。みっちりと。
  言うなり、サンダウンはマッドのシャツをボタンごと引き千切った。ぶち、と。弾け飛んだボタ
 ンにマッドが呆気に取られている間に、サンダウンの手はマッドの肌に触れようとしている。

 「何すんだ、この変態!」

  しかし、サンダウンが肌に触れる前に、我に返ったマッドがその手を叩き落とす。

 「俺は風呂に入るって言ってんだろうが!」
 「その必要はない。私が温める。」
 「いらねぇって言ってんだろうが!」
 「風呂になど負けん。」
 「変な事に対抗心燃やしてんじゃねぇ!」

  何をとち狂ったのか、風呂と張り合おうとしている男は、これまでマッドが決闘を申し込んでも
 適当にあしらい続けてきた、それだけ競争本能の低いおっさんである。それが、今、風呂相手に張
 り合っている。その競争心を、何故にマッドとの決闘で出さないのか。
  が、そんな事を考えている間にも、サンダウンはマッドの腰のベルトに手を掛けている。

     「だあああっ!何やってんだ、止めろ変態!」
 「温めてやると言っているだろう。」
 「だからいらねぇって言ってんだろ!」
 「諦めろ。」
 「てめぇが諦めろ!」
 「どうせまたおかしな賞金首を撃って傷心中なんだろう。だったら大人しく私に身を委ねろ。」

  間違ってはいない。確かにサンダウンの言う事は間違ってはいない。何処か気の狂ったような箇
 所のある賞金首を撃ち取る事は、マッドが賞金稼ぎの王である以上は仕方のない事で、それが澱の
 ように自分の中に溜まっているのではないかと思う事も、ままある。
  しかし、それ以上に。

    「生憎と、てめぇが一番おかしな賞金首だ、馬鹿野郎!」

  蛸のようにべったりと張り付いて、すりすりしてくる5000ドルの賞金首に、賞金稼ぎは怒鳴った。