19世紀後半のアメリカは、ゴールドラッシュの荒波により、何もかもが目まぐるしく変化した。
  黒人奴隷を侍らせる貴族が出没したかと思えば、それに反抗するように戦争が起こり全てが没落
 し、その間に金鉱があちこちで開かれては人々が荒野を夢見て、そしてそこに住まうインディオを
 駆逐し、大陸横断鉄道を完成させた。
  半世紀ほどで姿を変えたフロンティアは、もはやフロンティアではなく、黄金の波も静かに通り
 過ぎ去って行く。
  しかしそれでもまだあちこちで残るのは、金の荒波に揉まれ、未だに燻り続ける人々の発展だ。
 黄金の波が過ぎ去った後も、それと同時に西部の大地にやってきた人々は一緒になって通り過ぎて
 いくわけにもいかず、乾いた砂地にひっそりと生きてゆく為の囲いを作った。その囲いは、黄金の
 慈悲が失われた事で、あえなく倒れる事もあれば、牛の牧畜によりなんとか生き延びるものもある。
  そんな、どこで町が失われ、どこで町が建ち上がるのか分からぬ中、その地は結局のところ酷く
 混沌としており、所謂無法の大地と化した。
  その無法の地で幅を利かせるのは、法の下にある保安官ではなく、自由の御旗を掲げる賞金稼ぎ
 なのである。
  無法の地は、当然の事ながら銃を規制する法などは基本的にはなく、そしてそれに伴って銃声に
 よる流血沙汰は絶えない。
  そもそも、西部には犯罪者が多い。それは西部に来てから犯罪を犯した者だけでなく、西部に来
 る前に犯罪を犯した者が、行くあてもなく西部に流れ込んでくるからだ。
  娼婦、没落貴族、賭博師、密売人。
  そんな、血の臭いに近い者が蔓延る荒野では、どうしたって無法者が多くなる。それに対して、
 彼らを取り締まる保安官の数は決して多くない。むしろ、中には無法者達と手を組んで、一般市民
 から搾取する者もいるくらいだ。厳正な法が下されぬ中、泣き寝入りする者は少なくなかった。
  そんな状況だった所為だろう。泣き寝入りする事を嫌がる者達が、自らの金を無法者達の首に掛
 けるようになったのは、ある意味必然だった。そしてそれを狙う賞金稼ぎが増えるのも、当然の事
 だった。
  むろん、賞金稼ぎ達は正義の名のもとにはない。それは即ち、彼ら自身もいつ無法者となっても
 おかしくない事を示している。
  それでも彼らの存在がなくならないのは、この西部のシステムそのものにあったのだろう。まだ
 不完全な法しかない荒野では、厳正なる法の執行者はいない。無法者達に辛うじて法の鎖を掛ける
 事ができる保安官と、彼らの下で嘆きを捧げる一般市民と、その嘆きを札束に変えて無法者を食い
 散らかす賞金稼ぎと。
  この四つの危ういバランスは、賞金稼ぎが一つでも間違えれば、あっと言う間に沈んでしまうよ
 うなものだった。無法者を食い散らかす事も出来る彼らは、しかし同時に保安官を撃ち殺す事も、
 一般市民を踏み躙る事も出来る。
  しかし、四つのバランスの中で、一番ランダムな動きをする彼らは、現在ある一定の平静を保っ
 ていた。
  数年前までは、無法者達とのやりとりの中、一般市民に流れ弾を喰らわせても何も思わず、時に
 その力を振りかざして、無法者よりも性質の悪い搾取者になっていた者もいたのだが、それはある
 日を境に徐々に減っていった。
  それは、そういった賞金稼ぎ自体が駆逐され、賞金稼ぎ達が織りな、一見ばらばらで、けれども
 実は蜘蛛の巣のように張り巡らされた組織の中からも、そうした行為を厭う声が上がり始めたから
 だ。
  ゆるゆると広がっていった以前に比べれば精神性の高いそれは、どうしてそうなったのかと問わ
 れれば、の賞金稼ぎ達は一様に首を竦めるだろう。
  そして、あらぬ方向を見て、時には溜め息を吐きながら、こう言うのだ。

 「だってお前、そんな事してみろよ。マッド・ドッグが誰かに俺らの首に賞金かけさせて、やって
  くるだろうがよ。」

  口元に笑みを湛えて、その手にバントラインを掲げて、罪状を飄々と並べ立てて。
  自分達の頂点に立つ男のその様を想像し、賞金稼ぎ達は身震いする。彼らは、自分達の王が果た
 してそうするであろう事を、良く知っている。それは王がまだ王でなかった頃、王となるその過程
 で性質の悪い同業者を狩り尽くした時に見た光景だ。
  西部の荒野にはそぐわない白い肌と細身の身体。指先は銃を扱うには繊細すぎ、黒い髪と瞳は風
 に揺れても決して日に焼けてカサカサになる事はなく、むしろ砂の一粒さえ装飾とする。少し訛り
 の残る端正な声音は、訛りが残る故に何処か甘い色がある。
  初めて見れば、どう考えても、略奪される側の人間。
  けれども、一度臨戦態勢に入れば、その貴族然とした風体はあっと言う間に様変わりする。
  長い脚は癖が悪いとしか思えないくらい容赦なく相手の顔面やら股間を蹴り飛ばすし、硝子細工
 のように見える手は、人を殴る時に壊れる事を全く以て躊躇しない。それどころか殺人的な動きで
 ナイフを首筋に突き付ける姿は、見惚れるほどに様になっている。挙句、銃を抜く速さは賞金稼ぎ
 の中では随一で、早撃ちで彼に勝てる者はいないだろう。
  自他共に認める西部一の賞金稼ぎは、自分を組み敷こうとするならず者をはたき落とすついでに、
 やはり自分に言い寄る性質の悪い賞金稼ぎを蹴り落とし、結果、賞金稼ぎ達の精神性を無駄に引き
 上げたのである。
  本人に、何処までその自覚があったのかは、ふるぼっこにされた連中を見る限り――むしろスト
 レス発散にされたのではなかろうか――不明だが。

  さて、その西部一の賞金稼ぎは、類稀な容姿と実力の為、酒場に行けば皆が寄り添い、娼婦達な
 どはあからさまに誘うようにしな垂れかかる。常に場の中心にいる彼は、決して一人にされる事は
 ない。いつでも誰かが傍にいて、その足元に何か貢ごうと気配を窺っている。
  マッドに愛される事は娼婦にとっては限りなく名誉だし、マッドに信を置かれる事は賞金稼ぎに
 とっては一人前になった証拠だ。
  それ故、皆が皆、マッドの足元にすり寄ろうとする。
  が、今日は別だった。
  その日、珍しい事にマッドは酒場のカウンターに肘をついて転寝をしていた。人の気配に敏感な
 彼がそうしているのは非常に珍しく、乾いた荒野に槍が降ってもおかしくないと思えるほどの事だ
 った。
  しかし、それについてとやかく言う人間はいない。何せ相手はマッド・ドッグ。西部では知らぬ
 者がいない賞金稼ぎの頂点に立つ男だ。彼の眠りを妨げる事などあってはならない。
  それ故、皆、転寝するマッドを遠巻きに見ていたのだが。
  ずりずりとマッドの形の良い頬杖はずりおちていき、マッドの顎はカウンターに落ちて、身体も
 屈んではいたものの伸びていた線が崩れてくたりと曲線になる。ぽたりとカウンターに倒れ伏した
 手が、やけに白い。
  そして。

 「………う。」

  マッドが呻く。
  が、起きたわけではない。寝言だ。
  しかし、やけに苦しそうだ。カウンターに落ちた白い手も、何かもがくように動いている。

 「や、止めろ………嫌だって………。」

  時折、子供がいやいやするように首を横に振り、マッドは苦しい呻きと共に誰に言うというわけ
 でもなく、そう呟いている。
  やめろ、嫌なんだ、と必死に言うマッドに、酒場にいた娼婦も賞金稼ぎも顔を合わせる。
  一体どんな夢を見ているのか、マッドの声は――彼にあるまじき事に――切羽詰まっており、呻
 いていた。そして、今やはっきりと一人の男の名前を告げてる。

 「止めろ、キッド。それだけは。」

  西部一の賞金稼ぎは、無駄に美しい発音で、聞き間違えようもなく、そう言った。
  賞金稼ぎ達は、自分達の頂点に立つ男が『キッド』と呼ぶ存在がこの世に一人しかいない事を知
 っている。
  そしてそれが西部一の賞金首『サンダウン・キッド』の事を指し、その賞金首とマッドの仲が、
 もはや腐れ縁と言っても過言――それどころか過小ではないか――ではない事を知っていた。だか
 ら、別にマッドの夢にサンダウンが出ても、おかしい事だとは思わないのだが。

 「止めてくれ、キッド。頼むから。」

  一体、夢の中で何をされ、何をしているのか。
  頼む、と繰り返して、首を横に振っているマッドを見て、賞金稼ぎと娼婦達はもう一度、顔を見
 合わせる。彼らは、マッドがふざけて言う『Please』しか知らない。何もかもが許されるマッドが、
 こうも真剣にその単語を口にした事など、今まであっただろうか。しかも、それを言っている相手
 は、例え夢の中であろうともあのサンダウン・キッドである。
  彼らは、眼の前で魘される自分達の王を、得体の知れない物でも見るかのような眼で見つめる。

  結局、自力で夢の中から脱出したマッドは、ゆるりと周囲を見回しそれが現実であると分かると、
 心なしかほっとしたように口元を緩めた。

  そんな王者の姿に、賞金稼ぎ達はどんな夢を見ていたのかについては聞かないようにと無言で頷
 き合った。






  数日後。
  マッドはサンダウンと対峙して、安堵の溜め息を吐いた。
  あの日、変な夢の中で、サンダウンはディオも真っ青な、ガトリング砲からレーザーが噴き上げ
 るような代物を振り回していた。それが所謂、後々にレーザーガンと名付けられる銃である事など、
 マッドの預かり知らぬ事である。
  ただ、マッドとしては、サンダウンがそんな変な銃に頼るようになったら、その早撃ちの腕に惚
 れこんでいる身として、普通の銃弾が出る以外の銃を振り回すサンダウンなど、悪夢以外の何物で
 もない。そんな事をするようになったら、今すぐに追うのを止めようと思っていた。だから、サン
 ダウンが腰に帯びている銃が、なんの変哲もない、銀色のピースメーカーである事に、心底ほっと
 した。