マッドに怒鳴られて、サンダウンははっとした。

  あられもない姿にされたマッドを見て、そしてその身体に醜い欲望を抱いていると指摘され、微
 かにではあるがうろたえた。サンダウンを詰る男とて、結局はマッドを裸に剥いて欲望を注ごうと
 していたのだから、そんな輩がサンダウンを詰る権利はない。
  けれども、そういった反論が出来ないほど、確かにサンダウンはマッドに対して欲望を持ってい
 たし、それが罪であると思うほど情を傾けていた。例え、男達のように行動に移さずとも、腹の中
 に抱え込んでいる時点で、罪は罪だ。
  そういった後ろめたさがあるから、サンダウンは男達に反論できなかった。口を閉ざし、男達か
 らも、マッドからも眼を逸らす。

  それに猛然と腹を立てたマッドの言葉に、サンダウンは頬を打たれたようだった。
  どうして自分以外の人間の言葉を真に受けるのかと怒鳴るマッドの言葉は、まるで頑是ない子供
 のようであったが、しかしサンダウンにはそれでちょうど良いくらいだった。
  欲望も情も全て傾けている相手から、じゃあどうして自分以外の言葉を聞くのかと言われて、結
 局、自分が自分の精神の保身しか考えていないのだと気付かされた。本当にマッドの事を思ってい
 るのなら、誰かの言葉など聞き入れる必要はない。

  サンダウンを詰る事が出来るのも、裁く事も出来るのも、マッド唯一人だと決めていたはずなの
 に。

  吠えられて、自分の脆弱性に気が付いた。しかも、マッドの口から、お前は自分のものだとまで
 言われたのだから。
  もう、これ以上、自分と同じようにマッドからの言葉を求めている、そしてそれが得られなかっ
 た男達の言葉に対して、怯えているわけにはいかなかった。  

  サンダウンはマッドの身体を片手で抱き寄せると、口から泡を吹いて怒鳴る浅黒い肌の男の額に
 ピースメーカーを一分の狂いもなく定める。
  ただし、引き金からは指は離れている。本当の事を言えば、マッドを穢そうとした以上このまま
 くびり殺してやりたいのはやまやまなのだが、それをするのは宿の中という場所は些か不便だった。
 たった今まではそんな考えも及ばないほど銃を撃ち払ったのだが、マッドの言葉で我に返れば、考
 えは怒りを払うことよりもマッドを安全圏に連れていくことのほうへと傾くというものだ。
  それ故、冷静さを僅かに取り戻したサンダウンは掲げた銃口で威嚇をするにとどめる。むろん、
 男達がそれでもマッドに危害を加えると言うのなら、その時はこの街から逃走覚悟で撃ち落とす事
 も躊躇わないが。
  男の額に銃を突きつけながら、サンダウンは怒りを抑えた低い声で警告する。

 「そこを、どけ。」

  大人しく退いて道を開けば、命までは取らないつもりだった。マッドもまた、それで構わないと
 言っている。ならば、この者達はその温情を受け入れるべきだ。彼らに、マッドの道を遮る権利は
 なく、まして身体に触れる事も本当ならば許されていないのだから。
  そして、マッドがサンダウンの腕の中にいるのが悔しいのだとしても、それも受け入れなくては
 ならない事実だ。マッドが選んだのはサンダウンであって、その純然たる事実を覆す事は誰にも出
 来ない。
  それでもマッドを取り返したいと言うのなら、

 「………決闘でも申し込むんだな。」

  マッドを襲うなどせず、サンダウンだけを狙えば良い。サンダウンは逃げも隠れもせずに、それ
 に受けて立つだろう。
  そう告げた時、何故かマッドが頬を赤らめた。サンダウンはそれに気付かず、眼の前に立ち塞が
 っている男に圧倒的な気迫をぶつけている。普通の人間ならば、泡を吹いて倒れてしまうような、
 西部一の賞金首の気配を受けて、如何に男がかつては名のある貴族の血筋であったとしても、平静
 であれるはずがなかった。
  顔を蒼褪めさせて、喉の奥からひゅうひゅうと音を立て始めた時点で、彼の負けは決まっている。
 そのまま膝を突いて仕舞わなかったのは流石だが、しかしそんな状態でサンダウンに勝てるはずが
 ない。
  己の勝利を確信したサンダウンは、それでも掲げた銃を下げる事はせず、マッドを支えるように
 立ち上がらせるとその身体を導くように、ゆっくりと移動し始める。その間、放つ気配を軽くしよ
 うとはせず、銃口も下ろさない。
  じりじりと部屋の中を注意深く横切り、まずはマッドを先に部屋から出し、銃口を最後まで男達
 から逸らさずにマッドが出ていった後にサンダウンも退廃的な空気の籠る部屋の中から抜け出した。 




  

  自分達が泊まっている宿に戻った後、サンダウンはマッドにどうやって触れるべきか思いあぐね
 ていた。
  実を言ってしまえば、そのまま再び裸に剥いて、隅々までその肌に男達の残滓がないかを確認し
 てしまいたかったのだ。マッドは怪我はないと言っていたが、しかしその肌が蹂躙された事実に間
 違いはなく、その蹂躙の深さがどれほどのものなのか、サンダウンには窺い知れない。
  しかし、だからと言ってサンダウンが思うままにそれを口にする事は憚られ、まして服を脱がせ
 て男達の跡を探すなどとんでもない事だった。
  そもそも、それ以前に、サンダウンはマッドに自分の中に蟠る欲望を言ってしまうかどうかでも
 悩んでいる。
  抱き締めればサンダウンの身体に身を凭せ掛けてくるマッドにとって、やはりサンダウンは絶対
 的に信頼できる相手だと見なされているのだ。父親を殺した相手であるにも拘わらず、こうして身
 を委ねてくれるマッドに、黙っているのはもしや不誠実なのではないかという思いがある。だが、
 何もわざわざ口にして、今ある関係を壊さなくても良いのではないかとも思う。

    途方に暮れてマッドを見下ろせば、マッドはそんなサンダウンの心境など知らず、ぎゅうとしが
 みついてくる。子供の時と変わらず、けれどもマッドの身体はもう子供ではない。甘い香りのする
 大人になっている。
  その身体に、この先額ずいて生きると言うのならそれはそれで構わない。マッドが口にした通り、
 マッドのものになって生きるのは途方もなく甘美な事だった。いつかマッドが別の誰かを望んで、
 捨てられるとしても、だ。
  その、いつか先を考えれば、今の内に口にしてしまうべきではないのか、と思う。そのほうが傷
 は浅く済むのではないかと。けれども一日一日が目まぐるしい西部では、いつ命を落とすかも分か
 らず、互いの生死を知らぬくらい離れて生きるのは、サンダウンには辛すぎた。
  結局は、自分の欲望を優先させる自分自身に嫌悪を感じながら、サンダウンはマッドを抱き返し
 ながら、呟く。

 「……すまない。」

  欲望を捨てされない自分についての言い訳めいた謝罪だった。けれどもその意味が分からないマ
 ッドは、サンダウンの腕の中で首を傾げる。

 「何がだよ?ああ、あいつらのいる部屋に踏み込むのが遅かった事か?でも、俺は別についてこな
  くて良いって言ったし。ってかさ、あんた何でついてきたんだよ。結果的に良かったとしても。
  俺はそんなに信用ねぇのかよ。」
 「……違う。私が……。」

  そう、それは単にサンダウンの不安を払拭する為だけの行為だ。不安であったのはマッドに対し
 てではなく、自分と同じ暗い欲望を持つ男達に対してだ。

 「あんた、もしかして俺の親父の事引き摺ってんのか。それで俺を守るのか。」
 「…………。」

  マッドの言葉に、サンダウンは言葉に詰まった。それはマッドに告げられた内容よりも、マッド
 から父親を殺した事を改めて口にされた所為だった。だから、サンダウンはマッドの声に口を尖ら
 せた拗ねたような響きがある事に気付かなかった。
  サンダウンはマッドから身体を離し、少し離れたベッドの上に腰を下ろす。

 「………お前は、何も思わないのか?」

  意を決して、絞り出すように出した声は、自分でも呆れるほど情けなかった。これまでマッドが
 その事実について詰る事はなかったけれど、いざ問い掛けてみるには、あまりにも勇気が必要だっ
 た。けれども、このまま黙っておく事は出来なかった。けれども、父親を殺した挙句、その身体に
 欲情しているなど、罪深いにもほどがある。しかもサンダウンには、マッドへの欲望を口にして離
 れていく事は出来ない。
  それらを罰する為にも、マッドからの裁きが今一度必要だった。
  項垂れるようにベッドに座り込んだサンダウンの背に、マッドの視線が突き刺さる。その視線が、
 刺に変わる瞬間を、サンダウンは押し黙って待ち続けた。

 「………絆されたんだよ。」

  ぽつりと零れたマッドの言葉は、サンダウンには理解できない物だった。怪訝に思っていると、
 マッドはそのまま言葉を続ける。

 「北部軍で一定の業績を上げて英雄って言われてもおかしくないあんたが、たった一人の男を殺し
  た事を引き摺って、その家族のもとに何度も何度も謝りに来る。どれだけ手酷い扱いを受けても
  黙って我慢して、しかも男のガキの気紛れ同然の願いを律儀に聞き入れてさ。」

  戦争で人を殺すのは当然の事だ。その事を謝罪する者などほとんどいない。まして勝者であるな
 ら尚更。
  けれどもサンダウンはそれをし続けた。何故ならばその死はサンダウンが望むものではなかった
 からだ。謝罪の為にかの屋敷を訪れるのは、苦痛だった。未亡人は悪魔でも見るようにサンダウン
 を冷たい眼で見て、一切の謝罪は受け取られなかった。

   「する必要もないのに、苦痛でしかないそれを続けるあんたに、絆されたんだ。」

  ぎしり、とベッドが軋んでマッドがベッドの上を這ってサンダウンに近付いてくる。そして、ぺ
 ったりと背中に張り付いた。

 「あんたこそ、どうしてあんなに続けられたんだ?俺がいなくなるまで、ずっと来てくれたけど、
  何で。途中で止めちまえば良かったのに。」
 「お前がいたからだ。」

  サンダウンは短く答えた。背中で、マッドがぴくりと動いたのを感じた。その身体を抱き締めて
 やりたい衝動に駆られながら、サンダウンは殊更項垂れて続ける。

 「まだ子供だったお前を見て、放っておくわけにはいかないと思った。私の所為で父親を失ったお
  前が、あんな生活を強いられているのを見て、せめてお前の気晴らしになればと思った。」
 「……やめても良かったんだぜ。そんな事する必要なんかなかったんだ、あんたは。俺の事は、放
  っておいても良かったんだ。」

  マッドが小さく呟いた。
  その言葉に、まるでサンダウンは自分のしてきた事が無意味であったと言われたような気分にな
 った。だが、マッドがそう思うのならばそれは仕方がなかった。何せ、あれはほとんどサンダウン
 が、自分の為にしていたようなものだったからだ。

 「………そうだな。だが、お前に逢いたかった。」

  当初は贖罪の意味であったそれらは、後になれば単にあの子供に逢いたかったという意味にすり
 替わった。サンダウンを丸ごと信じ切って、サンダウンに身を委ねる子供に、あの時からサンダウ
 ンは心を奪われていたのだ。

 「………俺だって、あんたに逢いたかったんだ。」

  甘い声が、拗ねたように告げる。その腰に来る甘い響きをサンダウンは堪え、けれどもマッドを
 放っておく事は結局出来ず、背中に張り付いているマッドを振り返る。すると、危ういほどに濡れ
 た黒い眼とぶつかった。

 「なあ、キッド……俺はガキの頃と変わったのか?変わってねぇのか?変わったとしたら、それは
  あんたの望むようになってんのか?」

  きゅっと服の裾を掴んで問い掛ける様は、子供の時と変わらない。けれども上目遣いのその眼は、
 何かに縋るようではあるが、同時に妖しさを伴っている。それを見下ろして、サンダウンはなんと
 答えて良いのか、大いに迷った。  
  けれどもマッドはサンダウンの不埒な思いなど無視するかのように、呟く。

    「ジェイコブの奴が、さ。俺の手はピアノを弾く権利がないって言うんだぜ。そりゃあ俺は何度も
  人を殺したからな。あいつらにとって俺の成長は望むようなもんじゃなかったんだろうな。」

  その言葉に、サンダウンは咄嗟にマッドの手を掴んだ。あの男達がマッドにどんな言葉を投げつ
 けたのかは知らないが、よもやそんな事を告げたとは。再びふつふつと怒りが込み上げてくるサン
 ダウンに、マッドは首を横に振る。

 「まああいつらにどう思われようが、俺はどうでも良いんだ。でも、あんたは?俺に逢いたかった
  って言うあんたは、俺を見てどう思った?」

  マッドの再度の問い掛けに、サンダウンは今度は思い悩む必要はなかった。

 「……良い男になったな。」

  ピアノを弾く権利がないと宣告された細い手を取って、その線をゆっくりとなぞる。

 「顔も、身体も、声も。手の指一本でさえ、文句なしだ………。」

  そうして、恭しくその手の甲に口付けた。これは従者が主人に行うものだ。だから、問題はない
 だろう。頭の隅でちらりとそう思った。
  手の甲に口付けられたマッドはと言えば、突然のサンダウンの行為にぽかんとしていたが、すぐ
 に我に返った。慌てて手を引っ込めようとしたそれを、サンダウンは咄嗟に引き止めてしまい、し
 まったと思う。初めて口付けたマッドの肌は、思っていた以上に滑らかで、放し難く思ってしまっ
 たのだ。
  すぐに解放したけれど、マッドは凍りついたように手を引っ込めない。どうしたのかと思ってマ
 ッドを見れば、マッドの頬には朱が昇っており、サンダウンは眼を見開いた。

 「マッド………?」
 「あ、あんたって、それってわざとかよ?それとも無意識?」
 「何がだ………?」
 「俺を奪い返したかったら決闘しろとか、そういうのも含めて………それも、子供扱いの延長線に
  当たるのか、あんたにとっては?」

  視線を泳がせながらぶつぶつと告げるマッドに、サンダウンは困惑した。何か、おかしな事をし
 ているのだろうか、自分は。
  その困惑が眼に見えて分かったのか、マッドはサンダウンから視線を逸らし、まあいいけどと呟
 く。まだ頬がほんのりと赤いのが可愛らしく、その頬に口付けたいと思ったサンダウンも、慌てて
 マッドから視線を逸らした。これ以上見ているのは、非常に危険だった。
  そんな自分の気を逸らす為にも、サンダウンはわざと無理やり先程までの話の続きを口にした。

 「マッド……ピアノを弾いてくれないか?」
 「え?なんだよ、急に。」
 「ピアノを弾く権利がないか、確かめてみれば良い。」

  無理やり口にした言葉だったが、マッドはそれを検討の余地があると判断したのか、口を噤んだ。
 そして、何度か眼を瞬いてから、ようやく口を開く。

 「………今日が、良いのか?」
 「そうだな。」
 「何処ででも、良いのか?」
 「場末の酒場でも構わん。」
 「久しぶりだから、ほとんど弾けなくなってるかもしれねぇぜ。」
 「お前が弾くのなら、なんでも良い。」

  最後の言葉は万感の意味を込めたつもりだった。それがマッドの耳に届いたのかは分からない。
 マッドはしばらくの間眼を閉じてから、意を決したように囁く。

 「ああ、良いぜ。弾いてやる。」

  あんたの為に。

  おそらく他意はないであろう言葉に、サンダウンはゆっくりと頷いた。