「この……下衆どもが……!」

   身体を弄る男達に向かってマッドはそう吐き捨て、細い脚に力を込めた。シャツはボタンを全
  て外されて肩まで払い落され、下半身は剥き出しにされている。右脚からは下着だけでなくブー
  ツも取り払われているが、左脚はブーツに覆われたままで、そのブーツには下着ごとズボンが引
  っ掛かって絡まっていた。
   なんとも情けない格好ではあったが、それでもしなやかなバネのように動いた長い脚の威力は、
  決して衰える事はなかった。
   マッドは左脚を大きく動かして下半身に顔を埋める事に余念のないジェイコブの手を振り払い、
  そのままその肩を蹴り飛ばす事に成功したのである。
   一瞬よろめいた巨体のその隙を突いて、マッドはジェイコブの顔面に未だブーツを履かせられ
  たままの左脚を叩きつける。
   マッドの左脚に、ブーツを履かせたままであったのは、斜陽貴族としては最大の失敗だっただ
  ろう。
   歩けば硬質な音を生み出す、鋲の打ち込まれたブーツによる顔面への蹴りは、退廃に走る聖職
  者でなくとも相当の苦痛を伴ったに違いない。そこへ、左脚に絡まったズボンに突いているベル
  トも打ちこまれたのだから、堪ったものではない。賞金稼ぎマッド・ドッグのベルトには、銃の
  ホルスターだけでなく、厳めしいナイフが何本も突き刺さり、束ねられた鉛の銃弾がぶら下がっ
  ている。それらにも頬を打たれたジェイコブの顔は、次にマッドが見た時には赤く腫れて鼻血が
  滲んでいた。
   しかし、マッドはそれを嘲笑いもせず、凶器を絡みつかせたまま左脚を更に大胆に動かした。
  大胆な角度で開かれた脚は、けれども一切の色気はない。むしろ荒々しい暴力に満ちて、両脇で
  胸を責めているセドリックとクリフの首筋を、同じくブーツとベルトの二段階攻撃で打ちのめし
  た。
   そして、両脇を抱えていた二人が沈むや否や、腹筋だけで跳ね起きて呆気に取られているオー
  ジアスの顔面に頭突きを喰らわす。

   マッドは、かつての友人――友人と言いながらマッドに欲望の眼を向けてきたわけだが――が、
  マッドをどんな人間だと思っていたのかは知らなかった。今も昔も、マッドをどのような存在だ
  と見做し、そして此処にいるべきではないと告げたのか、それを知るつもりもない。
   ただ、少なくとも、マッドが賞金稼ぎとして名を馳せている事を知っていたにも拘わらず、マ
  ッドがその色に染まっていないだろうと思っていたに違いなかった。
   でなければ、マッドを力でねじ伏せられるなどとは、思わないはずだ。
   西部に生きる者ならば、賞金稼ぎマッド・ドッグが凶暴な事は知っている。それを知らずに手
  を出すのは、マッドの容姿に勘違いをする愚か者くらいだ。  
   きっと、マッドを取り戻しに来たと嘯く彼らも、昔からマッドの容姿に勘違いをしてきたのだ
  ろう。
   昔から、マッドは王様だった。端正であっても内面は苛烈だった。しかし、その苛烈さが肉体
  には追いついていないと思っている連中は多かった。彼らはマッドの容姿に惹かれながら、マッ
  ドの言葉に傅いて、けれども内心ではマッドの身体を自分のものにしようと舌舐めずりしている。
   けれども、マッドは外見と内面だけで、実績の伴わない金の仔牛ではない。端正な容姿を突き
  破って、蟠る苛烈を外に噴き上げるだけの力を持っていた。
   それを見誤った斜陽貴族が何人固まって襲いかかろうとも、マッドの敵ではない。

   呻きながらよろめいて、倒れる貴族どもの手からすり抜けると、マッドは急いでずり落ちた下
  着とズボンを元に戻そうと手を動かす。出来る事なら一刻も早く此処から出ていくべきだったが、
  流石にこの姿で外には出ていけない。
   ベルトからバントラインだけを引き抜いて、とりあえず牽制の意味を込めて銃を掲げる態度を
  貫きながら、ズボンを引き上げる。
   しかし、いくら銃を掲げていると言っても、その姿が非常に不安定な体勢である事に変わりは
  ない。
   よろめいていた身体を元に戻し、鼻血を手の甲で拭ったジェイコブは眼をぎらつかせながらマ
  ッドに向き直った。背を低くして、今すぐにも飛びかかってきそうなその姿に、マッドは苛立つ。
  長引けば、数では劣勢である以上再び組み敷かれる事は眼に見えていた。
   例え、すぐにそれを振り払えても、同じ事が繰り返されたならマッドの体力のほうが先に底を
  尽くだろう。
   それを打開するには、一瞬で四人を撃ち抜く必要があったが、狭い部屋の中では飛び道具はあ
  まり良い武器とは言えなかった。

   じり、と無為な時間が経ち、遂に再び男達の身体がマッドを抑え込もうとした。
   その時。

   薄っぺらいとはいえ、鍵の掛っていた扉が恐ろしい勢いで蹴破られた。
   いっそ、扉が真っ二つに割れなかったのが不思議なほどの轟音を立てて、蝶番やら鍵の部品を
  ばら撒きながら、粗末な扉――今やただの木の板――は部屋の中に飛び込んできた。そして、扉
  を背にしてマッドを襲おうとしていたジェイコブの背中に直撃する。
   薄っぺらとはいえ、それでもそれなりの質量のある木の板に、それも不意打ちで叩きのめされ、
  ジェイコブはよろめくどころか、そのまま扉の下敷きになった。

   斜陽貴族はおろか、マッドでさえ凝然とする中、無言で凌辱――よりもマッドによる暴力――
  の色が強かった部屋の中に入ってきたのは、乾いた砂を纏ったそのまま荒野に溶け込みそうな男
  ――5000ドルの賞金首サンダウン・キッドだった。
   その姿を見て、マッドは驚くよりも危機を脱した事に喜ぶよりも、今現在の己のあられもない
  姿を思い出し、それを見られた事に対して思わず頬を赤らめた。なにせ、確かにサンダウンに甘
  やかされているとはいえ、風呂や着替えの世話までは流石にされた事はない。今まで見られた事
  のない身体の部分を見られ、先程まで大胆に脚を動かしていた事を忘れてマッドは顔を赤くする。

   しかし、サンダウンにはマッドのその姿を可愛らしいとか思う余裕はなかった。
   男達に取り囲まれて服を脱がされかけているマッドの姿は、サンダウンの眼にはどう考えても
  凌辱の最中にあったとしか思えなかったのだろう。
   一気に表情を険しくさせ、銃を抜き払い、ずかずかと部屋の中を横切る。その際、圧し掛かる
  扉を押しやってようやく立ち上がろうとしたジェイコブを、思い切り蹴飛ばすというサンダウン
  らしくない行為をしたのは、明らかにその怒りがサンダウンの許容範囲を超えていた事を示して
  いた。
   だが、そのサンダウンらしくない行為が、突然の闖入者に呆然としていた男達を我に返らせた。
  即ち、蹴り飛ばされたジェイコブ以外の男共――セドリックとクリフとオージアスは、得意でも
  ない銃を引き抜き、構えた。
   が、その銃は構えた瞬間に叩き落とされている。
   ほとんど一発に聞こえた銃声は、研ぎ澄まされた刃のような正確さで、彼らの手にしていた銃
  だけを叩き落としていたのだ。一瞬にして手元から失せた銃に、男達がひゅっと喉を鳴らしてい
  る間にも、サンダウンの怒りは留まらない。

  「失せろ……。」

   肉食獣の最大の警戒音であるような低い唸り声は、一度でも銃に生きた人間ならば、生命の危
  機を感じただろう。
   だが、本能の感性が鈍った、未だに過去の栄光に縋り続ける貴族達には、それは聞き届けられ
  なかったようだ。まるでサンダウンからマッドを庇うようにしてマッドを自分達のほうへ引き寄
  せようとする彼らに、サンダウンの喉から零れる威嚇音は、更に低くなる。
   引き金を引かない事が不思議なくらいのサンダウンの様子に、ようやくマッドも己の姿に恥じ
  らっている場合ではないと気が付いた。確かに最悪の場合は殺すしかないとは思っていたが、宿
  の中で人殺しをするのは、いくらなんでもまずい。
   ズボンを引き上げる事を中断し、マッドはまるでマッドを守る騎士のような立ち姿をしている
  三人の男に、姫も時には裏切る事があるのだという現実を知らしめる為に、その後頭部をバント
  ラインで殴りつけた。
   呻き声を上げて蹲る自称騎士達を尻目に、マッドはサンダウンを呼ぶ。

  「キッド!」

      マッドの声を聞いて、マッドには何処までも甘い男は僅かに機嫌を戻したようだった。蹲る男
  達など歯牙にもかけず、着衣を乱されたマッドの傍へと大股で近付いてくる。そして、マッドの
  姿を見て一瞬硬直し――その表情が微かにうろたえたような色を浮かべたのは気の所為か――あ
  られもない姿のマッドの身体を、シーツで包む。

  「怪我は?」

   問うてくるサンダウンの声は、硬かった。顔を覗き込む顔も、先程垣間見えたような気がした
  躊躇いは何処にもなく、恐ろしいほどに凍りついている。その表情に、むしろマッドのほうが何
  か問い詰められているような気分になった。

  「怪我なんか、ねぇよ。」
  「そうか………。」

   頬に触れる手は温かい。だが、マッドの言葉に短く答えるや、サンダウンは眼に険を浮かべて
  肩越しに背後を振り返る。そこには、銃に手を伸ばすオージアスの姿があった。それを眼に留め
  た瞬間、サンダウンの手からは銃声が何の温情もなく生み出されている。

  「あがっ……!」

   呻き声と共にオージアスの手からは赤い液体が吹き上がった。手を抑え込んで蹲る友人の姿に、
  セドリックは眼を剥いて逃げを打ち、クリフは銃を構える。だが、その両方ともに、無慈悲に銃
  弾が撃ちこまれた。躊躇いも警告もなく放たれたそれらに、腿から血を噴き上げた二人は呪詛の
  言葉も紡ぐ事が出来ないまま、床の上をのた打ち回る。

  「キッド……!」

   あまりにもサンダウンらしくないその攻撃に、マッドのほうが声を上げてしまった。普段のサ
  ンダウンならば、むやみに血を流すような事はしないはずだ。例え、最悪の選択肢があったとし
  ても、それは回避するに越した事はないと知っているはずであり、そしてまだ最悪の時は訪れて
  いない。普通に、銃を奪って此処から逃げ出すだけで、まだ十分のはずだ。それでもしつこいよ
  うならば、荒野で撃ち殺せば良い。
   マッドは殺す事についての正否を論じるつもりはなかった。ただ、まだ殺すには早すぎる。

  「この、血に飢えた獣が……!」

   吐き捨てたのは、ようやく復帰したジェイコブだった。その言葉に、マッドはまたしても顔を
  顰める。ジェイコブが聖人君子であったなら――そうでなくとも普通の善良な一般人であったな
  ら、マッドのその言葉を咎めなかっただろうが、たった今さっきまでマッドを凌辱しようと裸に
  剥いていたのである。そんな男にサンダウンの事をとやかく言う筋合いはない。
   しかし、ジェイコブにはマッドのそんな言い分は――マッドも実際に口にはしていなかったの
  で――聞こえるはずもない。

  「そうやって、彼の父親も殺したんだろう!血に飢えて、人間の魂を求める悪魔が!どんな巧み
   な言葉を並べ立てて、彼を誑かした!キリストの前に現れたサタンのように奸智に満ちた言葉
   を並べ立てたのか!」

       その言葉に――父親という言葉に、サンダウンが微かに眼を瞠った。そこに僅かに走った亀裂
  にマッドが気付かぬはずがない。サンダウンの中には未だに父親殺しの罪が――もしかしたらサ
  ンダウンがマッドに慈愛を傾けるのはその所為かもしれない――蟠っている。

  「知らない子供を誑かすのはさぞ楽しかったろう。それとも最初からそれが目的だったのか。美
   しい身体を嬲る為に、保護者を奪っておいて、何も知らぬ顔で近付いたのか!」

   悪魔だ、お前は。荒野で人を破滅に導く、甘言だらけの醜い悪魔。

   サンダウンの顔目掛けて何度も打ち降ろされる言葉に、サンダウンが微かに顔を背けた。その
  顔は、マッドからも逸らされている。まるで、マッドを見る事が耐えられないと言うように。ジ
  ェイコブの発言を認めるような――いや認めるのは構わないが、その上でマッドを拒絶するよう
  な態度に、マッドは猛烈に腹が立った。
   サンダウンがジェイコブのように醜い悪魔だったとしても、マッドは構わない。ただ、そうや
  ってマッドを見ないのはどういう事か。

   お前は、俺を、攫っていくんじゃなかったのか。

   腹を立てたマッドは、駄々を捏ねる子供の頑是なさ丸出しで、吠えた。

  「いい加減にしろよ、てめぇら!何俺を置いて勝手に話進めて勝手に納得してやがんだ!てめぇ
   らが何をほざこうが何に傷つこうが、俺はもう、全部百も承知してんだよ!」 

   怒鳴って、マッドは眼を逸らしているサンダウンを自分のほうへと向かせる。

  「あんたも、なんであんな奴の言う事を聞くんだよ!あんたは俺の言う事を聞いてりゃ良いんだ!
   それとも何か!あんたは俺よりもあんな聖職者崩れで俺を犯そうとした奴の言う事のほうが信
   じられるってのか!」

   サンダウンの青い眼が、今度こそ大きく見開かれた。驚いたように広がるのは、マッドの好き
  な荒野の空の色だ。

  「そいつはお前の父親を殺した男だぞ!」
  「うるせぇ!」

   話に割り込まれて一気に機嫌を悪くさせたマッドは、ぎろりとジェイコブを睨みつける。

  「てめぇにわざわざ教えて貰わなくてもなぁ!俺はそんな事知ってんだよ!」
  「知っていて、見逃すつもりか!父親の仇だぞ!」
  「てめぇは俺にハムレットにでもなれってのか!」

      父親の仇を討つ為に、悲劇の幕を切って降ろせとでも言うつもりか。ただの部外者の分際で。

  「貴様、誇りはないのか!」
  「やかましい!てめぇこそ人様の親父の事を引き摺り出して何様だ!俺の親父は自分を殺した奴
   なんかよりも、自分の息子を犯そうとした奴のほうを許さねぇに決まってんだろ!俺の親父舐
   めんじゃねぇぞ!」

   少なくとも、マッドの知る父親は、自分の所為で悲劇が起こる事は好まない人間だったはずだ。
  悲劇よりも喜劇のほうが好きな人だった。
   大体、とマッドはサンダウンの首に腕を巻き付けて、引き寄せる。

      「仇になる代わりに、こいつは俺のもんになったんだ!それで何の問題があるってんだ!」