サンダウンは、ゴロゴロと喉を鳴らす猫のように甘えてくる賞金稼ぎを腕の中に抱き締めていた。
  甘さを秘めた短い黒髪に指を差し込んで撫で上げれば、擽ったそうに身を竦めるも、くすくすと
 笑い声が聞こえてくる。ぎゅっと抱き締めれば、まるで安心しきったかのように身を委ねてくる。
  まるで、子供の頃と変わらないその様子に、安堵すると同時に、微かに複雑な気分になった。

  賞金首サンダウン・キッドと賞金稼ぎマッド・ドッグが、こうして一緒にいる事は、実を言えば
 今に始まった事ではない。
  サンダウンは忘れてしまっていたけれど、サンダウンはマッドが幼い頃、こうしてマッドを抱き
 締めてあやした事が何度もある。
  南北戦争が終わったばかりの治安の悪い街の一画にある、荘厳な屋敷の中に閉じ込められていた
 繊細な手を持つ少年は、サンダウンが人目を掻い潜るようにして逢いに来るたびに、今と同じよう
 に何もかもを投げ出してサンダウンに身を委ねていたものだった。

  そして今、サンダウンは成長したマッドを同じように抱き締めている。
  子供扱いともとれる行為を、サンダウンが想像していた以上に端正に――そして些か負けず嫌い
 に――成長してたマッドは、しかし怒るでもなく大人しくサンダウンに抱かれている。それどころ
 か、子供の時のように安心しきった顔でサンダウンに凭れかかっている。
  少し眠いのか、眼を閉じてサンダウンの肩に頭を預けてる様子は、あの時と同じ少年の顔をして
 いる。

  あどけなく見える賞金稼ぎの顔を見て、子供の頃から端正な顔立ちをしていた、とサンダウンは
 思う。
  長い睫毛も、すっきりと通った鼻梁も、形の良いふっくらとした唇も、けれども子供の時とは比
 べ物にならないほど魅力的に成長している。子供の頃には感じられなかった性の匂いが、はっきり
 と感じられる。
  再びこうして過ごすようになってから、その魅力がマッドにとって必ずしも良い方向に向かった
 わけではない事が分かった。いや、子供の頃から、そうだったではないか。マッドのその端正な身
 体は、時に男達の欲望の対象となる事は、マッドが幼い頃から変わっていない。それを恐れた母親
 は、マッドを治安の悪い街に食われてしまわぬように、その身を薄暗い屋敷の中に閉じ込めていた。

  むろん、今のマッドは幼く無力な子供ではない。
  自らに掛かる火の粉は全て叩き落とすだろうし、現に、にじり寄る男共の手を容赦なく払い落し
 ているところを、サンダウンは何度も見た。
  だが、マッドがそうやって男に見られている事に、サンダウンは肝が冷えたような心地になる。
 いつ、その身体が穢されるのではないかと、気が気ではない。
  今、こうして安心しきった表情でサンダウンに凭れかかるマッドを、出来る事なら守ってやりた
 いと思う。マッドが聞けば怒るかもしれないが、それはサンダウンの本心だ。子供の時と変わらぬ
 信頼を傾けるマッドを、誰かの手で穢されたくはない。
  その身体が倒れそうになったら抱きとめてやりたいし、跪きそうになったら支えてやりたい。サ
 ンダウン自身が地に堕ちても、マッドだけは幸福であれと思う。

  だが、サンダウンにそう思われている本人は、サンダウンの腕の中で満足そうにしている。サン
 ダウンの腕の中にいれば恐ろしい事は何もないのだと言わんばかりの様子に、もう少し、自分の事
 に危機感を持ってくれたなら、と思う。
  マッドも、自分の身体がどう見られているのかは知っている。だから、常に無防備というわけで
 はない。サンダウンも、鋭い緊張を孕んだマッドの眼を何度も見た事がある。
  だが、それでも、サンダウンにとってはまだ足りないのだ。マッドを侮るわけではない。ただ、
 サンダウンがマッドを大切に思い過ぎているだけだ。
  何せ、サンダウンの眼から見たマッドには、幼いマッドと大人になったマッドの二つが存在して
 いる。
  どうしようもないほどにか弱い繊細な少年と、暴力的なほどにぎらつく光を湛えた愛欲の香りの
 する青年と。
  賞金首を捕まえにいくのだと笑うその隣で、サンダウンはどうしてそこまで危機感がないのかと
 苛立つ。むろん、マッドにも危機感はちゃんとあるのだろうが、ただ黙って見ているだけしかでき
 ないサンダウンの比ではないだろう。

  そして、マッドが無邪気にサンダウンに身を委ねるたびに思うのだ。
  もっと、サンダウンに対しても危機感を持つべきだ、と。

  サンダウンも賞金首だ。マッドが討つべき賞金首だ。決して、マッドが無防備にその身を曝す相
 手ではない。
  いや、それ以前に。
  擽ったそうに身を捩る仕草や、項から頤へのラインや、眠たそうな欠伸の声の甘さや。それらは、
 もう、サンダウンでさえ煽る事に気付かないのか。

     子供のように無防備な姿を見せているけれども、マッドはもう十分に大人だ。誰の眼から見ても
 文句なしに魅力のある青年に成長している。もう、性の臭いに乏しかった子供ではないのだ。色の
 ある香りを放つ年齢になっている。
  その身体に全幅の信頼を寄せられて、ただ抱きとめるサンダウンは、辛うじてマッドの信頼に背
 きたくないという思いと、マッドを守りたいという庇護欲で、その他大勢の男と同じにならずにす
 んでいる。

 「…………マッド。」
 「ん………?」

  マッドが、薄っすらと眼を開いてサンダウンを見上げた。その眼の黒さに、一瞬呑み込まれそう
 になってサンダウンは咄嗟に――不自然にならないように気を付けたが――眼を逸らした。 

 「………いや、また、賞金首を捕まえに行くのか?」
 「んん……どうするかな……この前捕まえたばっかだしな。」

  金に困ってるわけでもねぇし、と子供の時よりも乱暴な、けれども確かに端正な甘い声でマッド
 は呟く。少し考える素振りを見せた彼は、やがて大きく伸びをするように身体を動かし、そのまま
 サンダウンの肩に顎を乗せる。

 「当分は、いいかな………。」

  耳元で呟かれた声は、微かな南部の訛りがあるがそれは不快ではなく、むしろどこか柔らかさを
 感じる。その声に首の後ろがぞくりとしたような気がしたが、それを抑え込んでサンダウンはマッ
 ドの身体を支えた。すると、マッドは当然のようにその腕に身を任せる。
  そんなマッドの仕草と、しばらくは何処にも行かないというマッドの言葉に、サンダウンは安堵
 と不安が綯い交ぜになったような気分になった。
  マッドが傍にいる事は、嫌ではない。むしろ、嬉しい。だが、傍にいる分だけ、サンダウンの欲
 も膨らむのも事実だ。
 
  マッドは、攫っていっても良い、と言った。だが、それは、サンダウンが感じる欲望を指して言
 ったのではないだろう。それは、子供の時のようにサンダウンに懐く事からも明らかだ。
  時に、サンダウンと同衾する事もあるけれど、しかしサンダウンが傍にいると安心するという子
 供時代の延長線上のようなもので、決して欲のある触れ方はしない。だから、サンダウンも、マッ
 ドにそれを望む事は出来ない。
  サンダウンが何よりも恐れるのは再びマッドがサンダウンから離れて行く事で、最も望む事はマ
 ッドの幸福に他ならない。マッドがサンダウンに求める事が、こうして穏やかに抱き合って、この
 腕の中で安堵を感じる事だというのなら、サンダウンは欲望を噛み殺してでもそうせねばならない。

 「キッド。」
  マッドがいつものようにサンダウンの名を呼んで、ぎゅうとしがみついてきた。
  それを抱きとめながら、サンダウンは喉の奥でだけ呟いた。
  
  ――攫ってしまいたい。