真っ暗な闇の中、幾億もの光が明滅しています。

 あるものは闇を呑みこむほど力強く、あるものは闇に溶け込んでしまいそうなくらい弱々しく。

 それは、誰も果てを知らない宇宙空間に、宝石のように散らばった星達です。

 星達の中でも、一際強く輝くものは、星達の中でも非常に大きく、自らが光を持っているのです。

 そんな自ら輝く事のできる星達は、自分で輝く事の出来ない星にも自分の光を分け与えます。

 光を与えて貰った星は、光をくれた星の周りに集まり、ちかちかと輝きます。

 そうやって、広く暗い夜空は、限りなく美しい光が満ち溢れていくのです。



 しかし、そんな夜空には、実は光り輝く事ができない星達が大勢います。

 自ら光る事ができるどころか、他の光る星から光を貰う事も出来ない小さな小さない星。

 彼らは星とさえ呼んで貰う事もできません。

 ゴミ屑のような彼らは星屑と呼ばれ、光る星と星の間に横たわる闇の中を、黙ってふわふわと漂うしかありま
 
 せん。

 そんな宇宙の塵である星屑達が密集し、時折ぶつかりあって砕ける中を、一条の光が凄まじい勢いで突き進ん
 
 でいきました。




 
 
 星廻り










 宇宙を引き裂くように駆け抜けるそれは、彗星です。

 彗星は他の星達とは違い、宇宙のあちこちを駆け巡るのです。

 太陽のように他の星達の中心にいるわけでもなく、大きな星が小さな星を引き連れているわけでも
 
 なく、たった一人で宇宙を旅しているのです。

 ずっと一人でいる彼の事を、太陽やその他の大きな星達は知っていますが、彼らはただ通り過ぎる
 
 だけの彗星には見向きもしません。

 だって、彼らにはすぐ近くにたくさんの星がいるのです。

 だから、何年かに一度通り過ぎていくだけの彗星に、挨拶くらいはしますが、わざわざ話しかける
 
 必要などありません。

 ですから、彗星は色んな星の事を知っていても、彼らと話した事はほとんどないのです。


 
 彗星は、今日も一人、宇宙の真っ暗な中を進んでいきます。

 縞模様の大きな星の側を通り過ぎたばかりで、しばらくの間は、また挨拶する相手もいない旅が続
 
 くのでしょう。

 そんな事に、彗星はもう慣れっこになっていました。

 それに、もともとお喋りではない彼にとって、一人である事は苦痛にはなりません。

 いえ、それ以前にずっと一人だったのですから、寂しいという事がどういうものなのか、彼には分
 
 からないのかもしれません。



 夜空で輝くどの星よりも美しい尾を引きながら、彗星は一人で星屑しかいない闇の中を進みます。

 星屑達は彗星を見ても何の反応も示しません。

 口々に何かぼそぼそと気味悪く喋っているのですが、それは彗星には聞きとる事が出来ません。

 どこにいる星屑も、何故か泣きながら、ぼそぼそと話すのです。

 そんなふうに泣いてばかりだから、彼らはどの星からも相手にされないのです。 

 ですが、そんな星屑しかいない場所で、はっきりとした声が彗星の耳に届きました。



「おい、あんた。」


 
 少し乱暴ですが、元気な声。

 誰かと思って彗星が辺りを見回していると、焦れた様に再び声がしました。



「何処見てんだよ、こっちだ。」


 
 声がする方を見ると、そこは星屑達が啜り泣いている場所です。

 光のないその場所は良く見えませんが、眼を凝らすと一人だけ涙に濡れていない星屑がいる事に気
 
 付きました。

 僅かに微笑んでさえいるように見える星屑は、あちこち旅してきた彗星も初めてです。



「あんた、彗星だろう?」

「……………お前は?」

「見ての通り、星屑さ。」



 笑いながら言う星屑は、あんたみたいな彗星は初めてだ、と言いました。



「これまで何度も彗星は通り過ぎていったたけど、俺の声に反応する奴はいなかったよ。みんな、何

 も見えていないような眼をして、黙って通り過ぎていくだけだった。俺の声に気付いて、ちゃんと
 
 こっちを見たのはあんたが初めてさ。」



 彗星だって、こんなにちゃんと喋る星屑には初めて逢いました。

 ちゃんと笑って、はっきりとした声を出して。

 そう言うと、彼は肩を竦めました。



「仕方ねぇんだ。俺達は光る事も出来ねぇし、ただただふわふわと漂う事しか出来ねぇんだから。ず

 っとそんな状況が続けば、悲観的にもなるさ。」

「お前は?」

「俺は産まれたばっかりだからかね?そんなに悲観的にはなんねぇよ。」

「そうか…………。」



 星屑といえど、その命は決して短いものではありません。

 時には何百年も生きるのです。

 星として光り輝く事も出来ず、ただただ宇宙を漂うだけだったら、確かに悲観的にもなるかもしれ
 
 ません。

 星屑のお喋りに彗星は頷きながら、そろそろ行く時間だという事を思い出しました。

 出発の準備をする彗星に、星屑が尋ねます。



「あんたは、何処まで行くんだい?」

「さあな。」

「ふうん。」


 
 そうか、と頷き、星屑は手を振ります。



「じゃあな。」

「………ああ。」



 別れの挨拶をして、彗星は星屑のもとを立ち去ります。

 そして彼の姿が再び見えなくなってから、思いました。

 ちゃんとした話をしたのは、本当に久しぶりだ、と。













 どれくらいの時間が経ったのか分からなくなったある時、彗星は縞模様の大きな星の側を通り過ぎ
 
 ている時に声を掛けられました。

 星屑がたくさんいるところからする声は、聞いた事があるものです。



「よお、あんた、また来たんだな。宇宙の果てにでも吹き飛ばされたのかと思ってたのに。」



 以前よりも大きな星に近づいた場所にいる星屑は、彗星に話しかけてきたあの星屑でした。

 彼がいる場所はやはり光が届かず、相変わらず暗くてよく見えませんでしたが、声は確かにあの星
 
 屑です。



「けど、まだ、ちゃんと俺の声が聞こえるみてぇだな。」



 無視されたらどうしようかと思ったぜ。

 そういう彼の言葉に、彗星はほんの少しだけ眉を顰めました。

 前に話しかけてきた時も、彼はそんな事を言っていましたが、彗星の事には何を言っているのかよ
 
 く分かりませんでした。



「そのまんまだよ。これまでに何回もあんたみたいな彗星は此処を通っていった。そいつらに俺は話

しかけたけど、全員ぴくりとも反応しなかったぜ。それどころか、中にはわけのわかんねぇ事叫びな

 がら、走り去っていく奴もいた。」


 
 奴らは狂ってんだよ。

 星屑が悲観的であるように、彗星は狂気に満ちているんだ。



「あんたも気をつけな。いつ、あいつらみたいに、おかしくなるか分からねぇ。」


 
 彗星は、まだ自分と同じ仲間を見た事がありません。

 宇宙を駆け巡る彗星同士が出会うのは、確率的にとても低い事なのです。

 ですから、狂っているというのがどんな状態なのかも、その理由も分かりません。

 黙っている彗星に、星屑は手を振ります。

 

「あんたは、もう行くんだろ?じゃあな。」

「ああ。」



 彗星は再び、星屑のもとを立ち去りました。












 
 ぐるりと宇宙を一周し、彗星は縞模様の大きな星が見えるところまでやってきました。

 そこは、随分と星屑の数が少ない所でした。

 そこで、彗星は聞き覚えのある声を聞きました。



「よお。」



 それは、あの星屑の声でした。

 縞模様の大きな星を後ろにしている所為か、以前に比べるとその輪郭が少しはっきりと見えます。

 ですが、彼の周りに大勢いた、泣いてばかりの他の星屑達の数が随分と減っています。



「ああ………あいつらは流星になったんだ。」



 流星の話は少し聞いた事があります。 

 星屑達が、大きな星に引き寄せられ、光を貰って流星となるのだ、と。

 尤も、彗星はその光景をみたことはないのですが。

 すると、彼はほんの少し笑ったようでした。



「そうだな………それで間違いねぇよ。」



 けれど、彼は嬉しそうではありません。

 流星になれなかったからでしょうか。

 星屑達は光を貰う日を夢見て、いつも泣いていたのですから、流星になりたいと思っているのでは
 
 ないのでしょうか。

 少なくなった彼の周りにいる星屑達は、相変わらず啜り泣いています。

 彼らは、流星になりたかったのかもしれません。

  

「どうだろうな。俺はまだ流星になりたいとは思わねぇけど、いつか思う日が来るのかもしれねぇな。」



 そう言った星屑の声は、ほんの少し震えていました。

 もしかしたら、彼も泣いているのでしょうか。

 けれど、それを確かめる暇はありません。

 もう出発の時間です。

 

「じゃあな。」

「ああ。」



 星屑が手を振りました。

 











 それから、彗星は何度も何度も宇宙を駆け巡り、何度も何度もあのお喋りな星屑に出会いました。

 そして、いくつか話をして、また別れました。

 やがて、彗星からも少しずつ話をするようになりました。

 遠い場所にある星の話を、自ら動く事は出来ない彼に話し、そして再び宇宙を駆け巡りました。

 そして、彼のもとに戻ってきました。














 ある時、彗星は前の方からやってくる光に気付きました。

 それは、いつも自分が脇を通り過ぎている星とは違っています。

 それは、自分と同じ、宇宙を駆け巡る彗星でした。

 彼は初めて、自分の仲間に出会ったのです。



 ですが、その彗星は、彼がいる事に全く気付いていないようでした。

 顔を覆い隠し、星屑達のように泣き叫んでいます。

 いいえ、星屑達よりももっと大きな声で、悲鳴のような声を張り上げています。



「どうしてどうして私を置いていったんだ!一緒にいると、誰よりも信じると言ったのに!

 私を裏切った裏切った裏切った!ああ、どうして!愛していたんだ愛しているんだ!

 なのに私は一人じゃないか!」



 神々しく明るいのに、けれど何故がくすんだ光はとても不気味です。

 そんな中で、その彗星は泣き叫んで宇宙の中を一人進んでいきます。



「ああ………嫌だ、嫌だ。どうして、どうして、私は一人だ。」



 何も見ずに何も耳に入れずに宇宙の端へと転がっていく姿に、彼は呆然とします。

 もしかしたらあの彗星は、お喋りな星屑が出会った当初に言っていた、気の狂った彗星ではないで
 
 しょうか。

 星屑はこうも言いました。

 お前もいつああなるか分からない、と。 

 

 彗星は、少し身震いしました。

 あんなふうにはならないという思いはありましたが、先程見た姿が焼き付いて、不安がしこりのよ
 
 うに残っています。

 一刻も早く誰かと話をしたくて、この事を一人で抱えていられなくて、彗星は星屑のもとへ帰る足
 
 を早めました。













 彼のもとへ帰る途中、彗星は大きな叫び声を聞きました。

 何事かと思っていると、大勢の星屑達が、物凄い勢いで走りぬけていきます。

 その先には、赤く大きな星が口を開いて待っていました。

 星屑達は、あの口の中に引き寄せられているのです。

 星屑の悲鳴はいよいよ大きくなり、彼らは次々に星の口の中に吸い込まれていきます。

 その瞬間、彼らの身体は、ぱっと燃え上がりました。

 そして、ちかちかと瞬いた後、力尽きるように消えていったのです。



 それを見た途端、彗星は何が起こったのかを悟りました。

 星屑達は、光を貰う為に大きな星に近付いているのではないのです。
 
 大きな星がもっと大きくなる為に、星屑を引き寄せて食い漁り、その代償に命が燃え尽きる間際に
 
 一瞬の光を与えるのです。

 そこに、星屑達の意志はありません。

 否応なしに大きな星の望むがままに引き寄せられ、無理やり身体を燃やされるのです。



 彗星は思わず走り出しました。

 彗星が考えていたのは、他でもない、あのお喋りな星屑の事です。

 以前、彼の仲間が消えた時、彼は仲間は流星になったのだと言っていました。

 その時の彗星は、てっきり流星になるのは良い事だとばかり思っていました。

 でも、そうではなかったのです。

 あの時、彼は消滅の危機を免れたところだったのです。

 そして彼が星屑である以上、彼もいつ流星となって消えてしまってもおかしくないのです。



 彼が消える。

 そんな事には、耐えられそうにありませんでした。

 そんな事になったら、きっと自分は狂ってしまいます。

 あの、初めて出会った、自分と同じ仲間の彗星のように。



 そして、ようやく分かりました。

 彗星がいつか狂ってしまう理由。

 それは、彗星が一人ぼっちで宇宙を彷徨っているからです。

 一度でも、誰かと一緒にいたのなら、そしてそれを失ってしまったのなら、尚更。



 早く帰らないと。

 彗星は、いつもよりもずっと早い速度で彼のもとへと急ぎました。













 星屑は自分の足元で大きく口を開いた青い星を見ました。

 周りの仲間達は断末魔の叫び声を上げ、次々と青い星の中へと引き寄せられていきます。

 そのたびに、ちかちかと最期の光が飛び散り、その様子が更に恐怖を煽ります。

 星屑はいつかこんな日が来る事は覚悟していました。

 大きな星になる事も夢見た事はありますが、それが限りなく難しい事である事も知っていました。

 ほとんどの星屑は、永遠に宇宙を漂うか、こうして他の星の餌になるのです。

 

 仲間の叫び声を聞きながら、彼は場違いな事を思い出しました。

 確か、もう少ししたら彗星がやってくるはずです。

 この時期、いつも彗星は星屑のもとにやってくるのです。

 でも、その時に自分はいないのでしょう。

 自分が青い星に呑みこまれて流星になって、しばらくした後に、彼はやってくるのですから。

 

 ―――あいつ、一人で大丈夫かね。

 ―――いや、案外、自分以外にも話し相手はいるのかもしれない。

 ―――それなら、気が狂う事もないだろう。



 そう思って、ふわと笑った時、身体がぐぐっと引き寄せられました。

 青い星の舌が、遂に迫ってきたのです。

 そうなってしまえば、小さな星屑に抵抗の余地はありません。

 ずりずりと引き寄せられ、身体の表面がじわじわと光り始めました。

 

 遂に燃え上がる。

 

 そう思った瞬間、星屑の身体は物凄い力で青い星から引き離されました。

 はっとして顔を上げると、そこにいたのは、あの彗星でした。

 此処に来るにはまだ早いと思っていた彗星が、青い星の間際まで近寄り、星屑の身体を攫ったので
 
 す。








 流星群の中を、突如として分け入るように姿を見せた彗星に、地上は混乱しました。

 予想を裏切る彗星の動きに学者達は慌て、恐ろしいほど間近にまで迫った姿に恐怖を浮かべる人々
 
 もいました。









 彗星は星屑を抱きかかえ、彼を見下ろします。

 抱えられた星屑は、青い星と彗星の光に挟まれて、闇の中で見えなかった姿をようやくはっきりと
 
 見せました。



 その身体は、宇宙と同じ色をしていました。

 それもそのはずです。

 星屑は星の一番最初の姿で、そして最期の姿なのです。

 そんな彼が、宇宙と同じ色をしているのは当然です。

 

 宇宙と同じ身体の彼に、彗星は囁くような声で言いました。



「来い。」



 一緒に。



 短く小さな言葉は、けれど星屑には聞こえました。

 星屑は、笑みを浮かべて答えました。



「仕方ねぇなぁ。」



 流星が降りしきる中、彗星は小さな星屑を抱えて飛び去りました。


 




 


 




 それは、本当に、美しい夜でした。