09: 歩む道、辿り着く場所はきっと










 ディオが短く鼻息を荒くした。

 不愉快そうな愛馬の様子に、マッドも眉を顰める。

 ディオの駆ける脚は緩めないまま、乾いた風に乗ってやってくる下卑た馬蹄の音は、ただえさえ機嫌の悪いマッドの
 神経を下降させるには十分だった。

 だが、群れてやってくる蹄の音と土埃は止まらない。

 どこでどんな噂を聞いたのか知らないが、奴らはどうやら自分を狙っているようだ。



 賞金稼ぎとして身を立てるようになってから、喧嘩を売られる事は珍しくなくなった。

 撃ち殺した賞金首の子分だ家族だと名乗る連中から、決闘を申し込まれた事もある。

 性質の悪い賞金稼ぎが因縁をつけてくる事も少なくない。

 身体を目的とされる事など、今更だ。

 そんな身の程知らずな連中を、薄い皮肉な笑いと共に蹴散らす瞬間にある種の爽快感さえ覚える。



 だが、今のマッドは機嫌が悪い。

 その機嫌の悪さたるや、初めて賞金首の男に下品な笑みで身体を舐めるように見られた時以上のものだ。

 連中を撃ち落とせば機嫌が直る事は多々あるが、今回の低空下降飛行はそんなものでは弾き飛ばせない。

 それどころか火に油を注ぐようなものだ。



 しかしそんなマッドの心を汲まない無粋な地面の響きは、一向に止まる気配はない。

 狩りを楽しむ狼のように――狼ほどの勇猛さも可愛げもないだろうが――マッドを狩るつもりらしい。

 主人の不機嫌を背中で感じ取ったディオは、フンっと一層鼻息を強くし、言われてもいないのに駆ける脚を速めた。

 この荒野で、ディオの脚に追いつく馬など、そうはいない。

 そしてそれを操るのは賞金稼ぎの中でも随一と言われるマッドだ。

 連中を振り払う事など造作もない。



 けれど、連中もそんな事は見通していたのだろう。

 前方から同じように粗悪な足音を響かせる土埃が舞い上がる。

 追いかける、にやにやと厭らしい気配が、一層濃くなる。

 

 だが、彼らは、機嫌の悪いマッドを甘く見すぎていた。

 もはや落ちる所まで落ちたマッドの機嫌は、マッドの銃の腕を普段の数倍に跳ね上げていた。

 男達が、とんでもない時に手を出したと思った時には、マッドの手には黒く鈍い光を放つバントラインが、鋭い銃口
 を広げている。

 そしてその時には、その銃口からは6発の死神が吐き出されている。

 小さな嘶きと悲鳴が前方の土煙から上がった。

 その中へと突っ込むディオの脚は、変わらない。

 ただ、軽やかに跳ねて何かを避けた。


 
 マッドとディオが土埃の膜を突き破った時には、それはほとんど収まりかけていた。

 その後に残されたのは、ディオが避けた何か――倒れる人の身体と馬だ。

 果たして彼らに何が起きたのか理解する暇があったかどうか。

 だが、そんな連中には一瞥もくれずに、マッドはディオを駆けさせる。



 対照的に喚いたのは背後を駆けていた男達だ。

 仲間――なんて意識があったのかは甚だ疑問だが――を撃たれて激昂した男達は、頭に血が上った状態そのままを映
 したかのような火花を各々が手にした銃から噴き上げる。

 だが、それよりも速く、マッドは肩越しに銃を跳ね上げた。

 狙点など、合わせない。

 忌々しい馬蹄目掛けて銃を撃つ。

 再び悲鳴が上がる。

 マッドは、砂地に振り落とされた醜い身体になど些かの興味も示さない。

 固い表情を崩さないまま、静かになった大地に背を向けた。




 今日も、見つからなかった。




 どこか枯れたような、飄々とした姿を最後に見たのはいつだったか。

 いつもなら別れてもすぐに見つけられる気配が、今回は1カ月経った今も見つからない。

 荒野中を駆け巡り、無法者達の中を掻い潜っても、その気配を感じる事がない。

 まるで、世界からその存在が消えてしまったかのようだ。



 まさか。


  
 自分で思いついた言葉を自分で打ち消す。

 あの男が、そんな簡単に消えてしまったりするものか。

 この自分が、今まで仕留める事のできなかった男が、簡単に倒れる事など有り得ない。

 いや、そんな事許すものか。

 世界の全てがそれを望んで許しても、この自分が、許さない。

 あの男が世界から弾かれる事も、世界の縁から転げ落ちる事も。



 あの男を抹消できるのは、自分だけだ。



 そう、決めている。



 マッドはディオの馬首を翻し、再び荒野を駆ける。

 そして見知った気配を探し始める。

 分厚い青い空には一点の曇りもなく、隠し事などないようだ。

 乾いた砂は何かを隠しながら、素知らぬ静かな表情を浮かべている。

 潤いのない風は、どんな香りも運んでこようとしない。

 何処にも見当たらない姿は、何処にも気配一つ残していない。

 なのに、不思議と遠くには行っていないような気がしてならない。

 薄い膜で遮断されているような、そんな感覚が肌に突き刺さっている。

 手を伸ばせば、その手の中にあの擦り切れた布の端を掴めそうだ。

 けれど、何処に手を伸ばせばよいのか、分からない。

 一滴。

 ただの一滴でもその気配がしたなら、そこから引きずり出してやるのに。




 腹立ち紛れに知らん顔している世界に銃をぶっ放せば、その表面が壊れて、ざらざらと隠された部分が零れてくるだ
 ろうか。

 

 
 マッドの身体から、微かな熱が立ち昇る。

 獲物を前にした時とはまた別の、熱。

 その瞬間、綺麗な顔をしていた世界が表情を強張らせた。

 正確には、世界を覆っていた薄い薄い、強固な膜が。

 その膜の向こう側に何が広がっているかなど知らないが、そんな簡単に逃がしてなどやるものか。

 

 お前の世界は、此処だろうが。


   
 マッドが立っているこの世界以外に、帰る場所などないはずだ。

 どれだけそちら側が美しくても、そこで生きる事など、出来はしない。

 この世界を憎んでも、眼を逸らしても、マッドと同じように此処が生きる為に与えられた場所なのだから。

 


 
 だから。


 


 さっさと戻ってきやがれ。





 また、地獄の果てまで追ってやるから。

 





 

 一陣の風が、吹いた。



 零れた空気の変化に、マッドは薄く笑みを浮かべる。

 透明な檻が砕けるのを、確かに見たような気がした。

 低空飛行を辿っていた機嫌が回転しながら一気に上昇する。 




 マッドの気配が翻る。

 戻ってきた熱に、それが重なるまでに、そう時間はかからない。  
 
  

 

  


 
 
Wherever you go, wherever I go,
we will be the same place in the future