夜も更けた頃。
  遠くに街の灯りが点々と見え、そのうちの幾つかはふらふらと揺れている。おそらく、夜になっ
 てもまだ眠らずに、家々の門を叩く子供達がいるのだろう。
  普段は忌避すべき化け物共の姿に身を包み、手にした白い袋の中一杯にお菓子を詰め込むべく、
 町中を練り歩くのだ。子供達の訪問を知る町の大人達は、この日の為に沢山のお菓子を準備し、子
 供達の来訪を待つのだ。
  今宵は万聖節の前夜。
  死者の霊や、精霊、魔女、そしておぞましい化け物達が解放される夜である。
  人々に悪しき者、或いは畏怖の対象とされた彼らは、普段は滅多に人前に姿を表わす事はない。
 例え姿を見せたとしても、その姿は決して人々が考える彼らの姿ではなく、犬や猫などの動物の姿
 をしていたり、揺らめく炎や風の中に身を隠していたりする。
  そんな異形とも言われる彼らが、この夜だけは仮装した子供達に混じってその姿を大っぴらにす
 る。大人は酔っ払いの中に紛れこみ、子供は人間の子供に紛れてお菓子を貰いに行くのだ。




  町から少し離れた森の中で、子供達の囃し立てる声が聞こえた。町の灯りが見えるくらい町に近
 いとはいえ、それ以外には明りのない暗い森の中である。昼間ならまだしも、夜に子供の声が聞こ
 えるはずはない。
  しかし、誰かが子供達の声のするほうに近付いて、そっと覗きこめば、確かにそこに数人の小さ
 な影がいて、彼らが口々に何か騒いでいるのを見る事ができただろう。けれども実は奥深い森には
 夜ともなれば大人と雖も近付く事はなく、それ故に幸いにして、誰一人として子供達の諍いにも聞
 こえる声を聞く事はなかった。そして、彼らの身体に、獣のような耳と尻尾が付いている事も、誰
 にも知られずにすんだのだ。
  尤も、知られたとしても今宵の事を考えれば、お化けに仮装した子供達が、危険を顧みずにこっ
 そりと森の中に集まっているとしか見えないだろうが。

  町の灯りがゆらゆらと遠くで明滅し、天高く貼りついている丸い月が良く見えるその場所は、他
 の場所とは違い少し木々が開けていた。その場所に、数人分の小さな影が集まっている。獣の耳と
 尻尾を付けた子供達の真ん中には、一人とりわけ小さい犬のような耳と尻尾を付けた少年が立って
 いた。
  黒い耳と尻尾の小さな少年は、お菓子を一杯に詰め込んだ白い袋をぎゅっと抱きしめて、周りに
 いる子供達を睨みつけていた。そんな少年を取り囲む子供達は、口々に囃し立てる。

 「やーい!チビ犬!」
 「猫みたいに木にも登れないし、狼みたいに強くもない。なんにもできないチビ犬だ!」

  囃し立てる子供達は、自分の尻尾を振りながら少年をからかう。
  子供達は様々な尻尾を付けていた。猫のように長い尾もあれば、ふさふさとした尻尾もある。そ
 してその何れもがまるで彼ら自身から生えているように動くのだ。尻尾だけではない。耳も、ひく
 ひくと動き回る。そして何よりも、彼らには小さいながらも人間よりも遥かに鋭い犬歯を覗かせて
 いた。
  つまり、彼らは小さいとはいえ、立派な獣人なのだ。ワーキャットやワーウルフといった獣人の
 子供達が集まって、小さい黒い犬の獣人を囃し立てているのだ。
  囃し立てられているワードッグの少年は、唇を噛んで、それでも囃し立てる子供達を睨みつける。
 黒い髪の間から除く黒い耳も尻尾も、決して垂れたりせずに、むしろ今にも噛みついて吠えたてそ
 うな気配を醸し出している。
  しかし、どれだけ果敢に尾を振り上げたとしても所詮は犬である。ワードッグと呼ばれる獣人は、
 人間に比べれば確かに強い腕力と脚力を持っているが、しかしそれはワーウルフには及ばない。か
 といって、ワーキャットのように木登りが得意なわけでもない。中途半端な力のワーウルフの事を、
 口の悪い者は、人間に尻尾を振るのが得意だ、と言う。実際、普段のワードッグは犬の姿をして人
 間に飼われている事もあるのだ。
  しかし、今、小さな黒い子犬を囃し立てる獣人達が、子犬を馬鹿にしているのかと言えばそうで
 はなかったし、嫌いなわけでもなかった。むしろその逆だった。
  黒い小さな耳と尻尾を持つ少年は、獣人以外の魔物――精霊、要請も含めたその中でも、一番可
 愛らしい容姿をしていた。今のように人間の形をしていても、犬の姿をしていても、愛くるしい。
 陽気なシルフなどはこぞって構いたがる。年上の子供達は、この少年の面倒を見るのは自分だと言
 っては、喧嘩をする。
  しかし当の本人はそんな周囲の喧騒など良く分かっていないのか、あっちにふらふらこっちにふ
 らふらしている。そもそも他の子供達よりもずっと我の強い少年は、実は必要以上に世話を焼かれ
 る事が好きではない。ちやほやされるのは嫌ではないが、何から何でも口出しをされるのは好きで
 はないのだ。だから、必然的に兄貴面を吹かせる他の子供達とはそれほどまで一緒には遊ばない。
 それよりも、精霊達と追いかけっこをするほうが好きだ。
  そんな少年を、他の子供達がおもしろくない眼で見ても仕方のない事だった。だから、一人で沢
 山のお菓子を抱えて――人間達もその外見の可愛さにやられたらしい――帰ろうとする少年を捕ま
 えて、からかい始めたのだ。

 「マッドは人間に可愛がってもらうの得意だもんな、だって犬だから!」

    犬は人間に尻尾を振る。
  大人達の悪口を覚えた子供達は、少年の気を惹いて、少年の普段とは違う反応が見てみたかった
 のだ。

 「うるせぇぞ!」

  少年は牙を剥いて吠えた。
  けれども、人数で勝る子供達は、囃す声を止めない。

 「だからそんなに沢山のお菓子を貰えるんだ!」
 「チビ犬のくせにそんなに貰うなんてずるいぞ!」
 「そうだそうだ!」 

  囃し立てる子供達は、徐々にエスカレートしていった。小さい子犬が涙を浮かべたらすぐにでも
 止めただろうが、子犬は一人前に唸り声を上げ、泣きだす気配は見せない。だから、ちょっと意地
 悪をしてやりたくなった。
  お菓子の入った袋を抱き締める子犬を、軽くではあったが突き飛ばしたのだ。

 「うきゅっ!」

    小さな悲鳴を上げて、ころんと倒れる少年。その拍子に抱えていた袋の中からお菓子がばらばら
 と零れて地面にばら撒かれる。
  それと同時に、子供達を取り囲んでいた茂みの中から、勢い良くがさりと音を立てて、ぬっと黒
 い影が持ち上がった。

  オレンジ色の大きなカボチャ。口と眼が刳りぬかれ、そこから煌々と、しかし薄暗い光が揺らめ
 いている。それを上に乗せているのは茶色い布でくるりと包まれた身体。右手に鎌を、左手にはラ
 ンタンを持っている。
  それは、今宵の主役とも言っても良い化け物であり、人間達からも親しまれているカボチャお化
 けだった。
  しかし、その姿を見たお化けの子供達は一瞬にして顔を蒼褪めさせた。人間達の間ではこの夜の
 代名詞として親しまれている姿かもしれないが、実際のカボチャお化けはその中に彷徨い続ける魂
 を灯す化け物である。永遠に中空を彷徨うと言われているこの化け物は、実はお化けの中でも忌む
 べき者として扱われている。煉獄で焼かれ続け安寧の日を望めぬ化け物は、誰からも忌避され、眼
 を背けられ、一人で彷徨うしかないのだ。
  それに、そう言い聞かせられてきたお化けの子供でなくとも――人間であっても、今現れたお化
 けカボチャを見れば逃げ出すだろう。何せ、このお化けカボチャ、人間が想像するような可愛らし
 げな姿をしてはない。
  その黒々とした影は長く、背丈はぬっと高い。左に持つランタンはどう見ても人骨を組み合わせ
 て作ったものだし、右手にある鎌は草刈り鎌などではなく、背丈ほどもある大鎌だ。

 「ジャックだ!ウィルだぁ!」

  カボチャの中に灯っていると言われる魂の名前を口々に叫びながら、蜘蛛の子を散らすように脱
 兎の如く逃げていく。
  後に残されたのは、特大のお化けカボチャと小さい子犬だけだ。

 「………大丈夫か?」

  地面に手を突いて起き上がった子犬の前に跪いて、カボチャは子犬の泥で汚れた顔を覗きこむ。
 むくりと起き上がった子犬は、きっとカボチャを睨みつけた。

 「れいなんかいわねぇぞ!あんなやつら、おれひとりでもおいはらえたんだからな!」

  他の子供達と違い、カボチャを見ても逃げ出すどころかそう口にした子犬に、カボチャは一つ頷
 いた。

 「そうだな………。」
 「そうだ!」

  少年はそう言って、散らばったお菓子を拾い始める。それをしばらく眺めて、カボチャも一緒に
 お菓子を拾い始めた。

 「やらねぇぞ!これはおれのなんだからな!」
 「ああ、分かっている……。」

  きゃんきゃんと吠える子犬の言葉に律儀に返しながら、カボチャは黙々と散らばったお菓子を拾
 い集め、子犬の持っている白い袋の中に入れてやる。土が付いているものもあったが、食べられな
 い事はないだろう。
  全部拾い集めた後、改めてカボチャが子犬を見下ろすと、子犬の膝から血が滲んでいるのが見え
 た。どうやら突き飛ばされた時に怪我をしたらしい。大した怪我ではないが、それでもカボチャは
 子犬に手を伸ばし、その身体を抱え上げようとした。すると、子犬は頬を膨らませる。

 「ひとりであるけるぞ、おれは!」

    子犬は負けず嫌いで頑固だ。
  それを知っているカボチャは、それ以上無理に抱え上げようとはしなかった。
  代わりに、お菓子の袋を抱えてよちよちと歩き始めた子犬の尻尾を見つめ、その後ろから子犬を
 追い越さないように子犬と同じ歩調で歩き始める。