それは、老人だった。
 日に焼けた褐色の肌に、疲れ切った皺を無数に刻み込んだ、白髪頭を帽子に捻じ込んだ老人だった。
 何の拍子にそれを見せたのだったか。確か、酒場ではなく、メインストリートに並んでいるような
しっかりした店先でもなく、出来合いの屋台で思い出したように取り出して、屋台の主人に見せた時
に、その老人も近くにいて、見せるような形になったのだった。
 本当に、偶々だ。
 マッドの持っていたサンダウンの新しい手配書を、ぺらりと店先に突き付けると、屋台の店主は首
を傾げ、これがどうしたという表情をした。だよな、それが普通の反応だよな、と思っているマッド
の横で、屋台の前に座り込んでいる、くたびれきったその老人は、顔を蒼褪めさせたのだ。
 咥えていた、ちびた葉巻を震わせる老人に眼を止め、マッドは、どうした、と声を掛ける。

「あんた、この手配書に写ってる奴と、なんかあるのか?」

 わざわざ手配書を顔面に持って行ってやると、うらぶれた老人は、びくりと肩を震わせた。その怯
えが手配書に写るサンダウンへのものなのか、はたまたマッドには分からないサンダウンの肩越しに
ある顔に見える染みへのものなのか、判別できない。

「い、いや……。」
「ふぅん。なら、知ってるか?この手配書は随分と昔からあるもんなんだが、手配書自体が古くなる
と新しく刷られるもんなんだ。で、新しく刷られる度に、此処にある、」

 サンダウンの肩の上――マッドが話しかけた何人かが、確かにそこに人の顔がある、と言った部分
を指差す。

「染みが徐々に濃くなっていくんだと。」
「ただの印刷ミスだろうよ。」

 言ったのは、屋台の親父だ。しかしマッドは首を振る。首を振って、保安官からの受け売りの言葉
をそのままに告げる。

「いやいや。この手配書の賞金首――サンダウン・キッドの色合いは変わらねぇ。染みだけが濃くな
るなんてミスは普通はねぇだろ。そんでもって、妙な噂があってな。」

 実際は噂なんてものはなく、マッドがついこの間から人に聞きこんでいるので、もしかしたらマッ
ドが噂を作っているのかもしれない状況なのだが。

「この染みが、人の顔になっているんだと。」

 どこがだ、と屋台の親父。マッドもそう思う。
 しかし、マッドがそう告げた途端、老人の顔はいよいよ白茶けた色になり、ぶるぶると全身を小刻
みに震わせ始めた。
 間違いない。老人が怯えているのは、染みのほうだ。

「どうしたんだ、爺さん?震えてるぜ?」

 皺の間に砂と垢の堪った指で、どうにか葉巻を摘まみ直そうとする老人は、あからさまに動揺し、
視線をあちこちに飛ばしている。

「なんでも、此処に写っている顔ってのは、見る人間によって違うらしい。どうやら、見た人間を恨
みに思っている奴が、浮かび上がってくるらしいぜ。」

 これは嘘だ。マッドが聞いた限りでは、染みが形作る顔は、不気味な男の顔で一致している。そも
そも、見た人間に恨みを持つ者の顔が写っているのならば、賞金稼ぎとして人を殺してきたマッドに
その顔が見えないのはおかしい。
 しかし、そんなマッドの嘘を知らない老人は、弛んだ瞼を限界まで抉じ開けて、馬鹿な、と呻いた。
その一言で、マッドには十分だった。
 この老人は、少なくともこの男が自分自身に恨みを持つべき存在ではない、と知っている。そして
褐色の肌を真っ白にさせた恐怖の様相から、この男が孕む忌むべき何かしらを知っているのだ。

「おい、爺さん。あんた、何を知っている?」

 低く、マッドは問うた。
 先程とは一転したマッドの気配に、老人はおろか、屋台の親父までぎょっとしたようだ。賞金稼ぎ
として獲物を狙う肉食獣の気配は、弱者には良く効く。

「この染みが作っている顔は、一体、何処の誰だ?まあ、俺には関係のない事なんだろうが、このお
っさんの手配書に紛れ込んでいる以上、見過ごせねぇんでな。俺の獲物が、よく分かりもしねぇ幽霊
みたいな輩に奪われるのはごめんだ。」
「……違う。」
「何?」

 マッドの呟きに、老人の聞き取りにくい声が重なる。怪訝な顔をするマッドに、老人は萎びた唇か
ら葉巻を零したのも忘れる勢いで叫んだ。

「あの男は幽霊ではない!あの男は、まだ生きておる!」

 そうして咳込む老人を見下ろし、マッドは老人を落ち着かせるように、今度はゆっくりと問いかけ
る。
  
「あの男っていうのは、サンダウン・キッドの事か?それとも、染みの顔の事か?」

 ぜぇぜぇと喉を鳴らす老人は、しかしそれでも少し落ち着いたのか、一つ唾を飲み込んで答える。

「染みのほうだ。その染みの男はまだ生きておる。此処から駅馬車に乗って二つほど行った町に、奴
は住んでいる。」
「へぇ。」

 老人の言葉にマッドは頷き、そして老人の顔を覗き込む。

「だが、それならなんでそんなに怯える?幽霊でもない。爺さんにはこの男に恨まれる見当もない。
なのになんで怯えるんだ?」

 老人が絶句した。喉がひくりひくりと動いている。

「あの男は、あんたに危害を加えるようなもんじゃないんだろう?だが、あんたはあれを見て明らか
に動揺してやがる。つまりあんたは、あれが自分には危害を加えないが、誰かに危害を加えかねない
もんだってことを知ってるわけだ。」

 さあ、答えろ。
 マッドの声が再び低く、唸るものに変わる。老人は逃げ場を探す鼠のように視線を彷徨わせ、しか
し結局それが無駄である事を悟り、その場に蹲った。

「あれは、妻と子供を殺された、ある男の顔だ。」

 老人は、語る。
 昔々、とある町に住んでいた男の事を。妻と子供に囲まれて、貧しいながらも幸せに暮らしていた
男の事を。
 乾いた荒野の空の下でひっそりと暮らしていた男は、けれどもその道を一夜にして途絶える事にな
る。その夜、町にならず者が押し寄せ、保安官や自警団と銃撃戦を始めた。激しい銃の打ち合いは、
鉛玉をあちこちに飛散させ、中には民家の中にまで入り込んだ物もある。
 その中の一つが、男の家の窓を打ち破り、男の妻と子供を撃ち抜いた。

「妻と、子供の葬儀の際、奴はありとあらゆるものに恨みと呪いをぶち上げていた。奴の言いたい事
は理解できる。そしてきっと、奴の中で未だに憎しみが燻ぶっているだろう事も。」

 老人のかさついた手は、もう震えてはいなかった。代わりに同情と憐憫に満ち溢れた爪先で、染み
で出来上がった男の顔に触れる。

「ってことは、その手配書の賞金首は、その時のならず者って事か。」

 憎し憎しでその手配書に恨みを飛ばしちまったのかねぇ。
 屋台の親父が、分かったように頷いている。
 最愛の家族が死ぬ原因となった銃撃戦の根本であるならず者の手配書。そこに溜め込まれた恨みが
映し出される。
 何とも不可解で、けれども尤もな理由だ。
 けれども、老人はそれについては何も言わず、黙り込んでしまった。マッドもそれ以上老人を追及
するつもりはない。
 裾についた砂を払い落とし、帽子を被り直しながら立ち上がる。

「そうかい。ありがとよ。」

 マッドはそれだけを言い置くと、屋台の親父と老人に背を向けた。マッドの眼の前を、ガラガラと
音を立てながら駅馬車が通り過ぎていく。立ち込める土埃を眼で追いかけながら、しかしそれを追い
かけはしなかった。