マッドは、ころりと宿のベッドに転がりながら、新しく印刷されたサンダウン・キッドの手配書を
眺める。
 黒と白と茶色で作られた彩度の低いサンダウンの写真に、そういやなんでこのおっさんの写真なん
てものがあるんだ、と今更ながら思う。ならず者だって写真を撮る事はあるだろうが、それがこうし
て出回っているということは、何処かから提供されたのだろうか。
 家族か、友人か。
 しかし、サンダウンとそれに近しい者というのが、どうにもしっくりとこないので、マッドはそれ
以上考える事を止めにした。
 それよりも、とマッドはサンダウンの肩越しに飛び散る茶色の染みを指先でなぞる。保安官が、苦
々しく訴えた、次第に濃くなる人の顔らしきもの。
 保安官は一人の男の顔だ、と言い張るが、マッドには、確かに言われてみればそうかも、くらいに
しか思わない。言われなければ、きっと永遠に気付かなかっただろう。
 あの保安官、疲れてるんじゃねぇの。
 こういうものが、人の顔に見えてそうだと思い込むくらいには。生憎だが、この染みは、マッドに
は言われてみれば人の顔に見える染み、でしかなく、たぶんすぐに忘れてしまうものだろう。いや、
サンダウン・キッドの写真ということで、覚えていられるかもしれないが、精々、次にサンダウンを
見つけた時に、からかう材料になる、程度の認識でしかない。
 というか、保安官が苦々しく思うほどのものではない。
 一体、何をそんなに思いつめる事があるのか。
 マッドは、じっと茶色の染みを見つめる。それは人の顔とただの染みの、両方を行き来してどうも
安定しない。保安官は何を以て、正しく人の顔と断定したのか。現れた人の顔に、何か思い当たる事
でもあったのか。
 マッドは写真を片手に、むくりと起き上がる。
 考えていても仕方がない。何せ、マッドにはこれが人の顔には見えないのだ。いや、人の顔にも見
えるが基本はただの染みだ。それはこの染みの顔が、マッドの知らない誰かの顔だからであって、こ
の染みの顔を知っている者には、顔に見えるのかもしれない。
 もう一度、保安官に話を聞きに行くか。
 ちらりと思って、むっつりと不機嫌そうな保安官の表情を思い出し、聞き出す事は無理そうだな、
と考え直す。それよりも保安官が知っているという事は、この町の誰かなら知っているかもしれない
という事だ。保安官の顔は広いから、もしかしたら保安官が此処に赴任する前に知っていた誰か、か
もしれないが。
 いずれにせよ、ここで考え込むよりは、ずっと建設的だ。
 マッドは脱ぎ捨てていたジャケットを羽織り、宿の外に向かった。




 アルコールと葉巻の匂い。籠る匂いは煙たく、しかしそれとは裏腹に、聞こえる笑い声は底抜けに
明るい。
 賭け事に興じる荒野の男達の声が、心底からの明るさなのか、それとも破滅への不安を払拭する為
の空の笑みであるのか、マッドには判じられないし判じるつもりもない。
 マッドにしてみればこの場所は情報を集めるにはちょうど良い場所であって、同時にマッドが確か
に属する場所でもある。破滅に転がるか享楽のまま進むのか、それはその時々に決めれば良い事だっ
た。
 小刻みに明滅するきつい明かりの中に入り込んだマッドは、人々のさざめきを左右両方から受け止
めながら、なんら気負う様子もなく煙たい酒場の中を突っ切る。その最中、何人か賞金稼ぎがいたら
しく、彼らから声を掛けられたが、マッドはそれにひらりと手を振って答えただけで、さくさくとカ
ウンター席に向かった。

「いらっしゃい。」

 顎鬚を蓄えたマスターが、マッドをちらりと見て、笑みも浮かべずに言う。

「何か、飲むかね。」

 過去、やはり賞金稼ぎであったマスターは、マッドが食事を目的にやってきたのか、それとも情報
目的でやってきたのか、薄々理解しているようだった。
 といっても何も頼まないのもあれなので、マッドは適当にウィスキーとつまみを頼む。マスターが
無愛想に頷いて、かちゃかちゃと準備をしている間に、マッドは懐から葉巻を取り出して火を点ける。
甘い独特の匂いがふわりと立ち込めた。かと思うと、それはすぐに周りの煙と混ざり合う。
 しばらくして、マスターが琥珀色の液体で満たされたグラスと、ハムやソーセージを折り重ねた皿
を持ってきた。言葉もなく席に置かれたそれを、マッドはしばらく眺めていたが、ゆっくりと目線を
マスターに向ける。
 マスターも、マッドが何かを知りたがっている事に気づいていたのか、表情一つ変えずに視線を受
け止める。

「なあ、あんた、この顔を何処かで見たことがないか?」

 マッドは先程まで弄んでいた件の手配書を、カウンターの上に置いた。それを一目見るなり、

「お前のほうが良く知っているだろう。」

 賞金稼ぎ上がりのマスターは、きっぱりと言い捨てた。

「サンダウン・キッド……お前が追っている賞金首だな。生憎だが、この町には来てない。」
「ああ………。」

 マッドは頷く。そうだ。マスターにもやはり、サンダウンしか見えないのだ。

「いや、そうじゃなくてさ。ここ。」

 マッドは手配書の中のサンダウンの肩の上を指差す。保安官が、睨み付けていた、その部分。

「これが、人の顔に、見えねぇか?」

 途端、マスターが眉間に皺を寄せた。そして、何を言ってやがる、と呆れたとも何とも言えない
声を上げた。それに対して、マッドは自分が保安官から説明されたように、此処が鼻で此処が口で、
と人の顔を作り上げていく。その度に、マスターはますます眉間の皺深くする。

「何を言ってやがる。」

 もう一度吐き捨て、マスターは次に溜め息を吐く。

「そんなもの、見間違いだ。そうだと思えば顔に見える。そんなもんだ。」
「だよな。」

 マッドも、そう思う。

「そこを承知で聞くぜ。この顔に、見覚えはねぇか?」
「ない。」

 マスターは一語で切り捨てる。が、その後周りで酒やら賭け事に興じている男達に声を掛ける。

「おい、お前ら。ちょっと来い。」

 屯していた男達は、もしかしたらマスターが賞金稼ぎだった頃の知り合いなのかもしれない。マス
ターの声掛けに反応した男達は、なんだなんだと各々の手を止め、こちらに集まってくる。

「お前ら、此処にある顔が見えるか?」

 マスターの問いかけに、男達は一様に怪訝な顔をした。
 なんだよサンダウン・キッドの手配写真じゃねぇか、見えるってなんだよ見えるって、はあ染み?
いやいやただの染みだろ顔なんて気の所為だろ。
 大半が、マッドやマスターと同じ反応だった。
 しかし、中に一人だけ。

「うげぇ、なんだよその気持ち悪い顔。」

 マッドと同じくらいの年齢の男が、顔を顰めたのだ。

「なんでそんな写真手配書にしてんだよ。そいつ一人で映ってる写真とかなかったのか?」

 マッドはマスターと顔を見合わせる。他の男達も首を傾げて若者の言葉を聞いている。

「おい、お前この顔が見えるのか。」
「何言ってんだよ、こんなにしっかり見えてるじゃねぇか。」

 男は確かにサンダウンの肩の上を指差す。そこは茶色の染みがある場所だ。
 いやいや何言ってんだ、こんなの茶色い染みだろ、顔なんて言われてみりゃあそう見えるけど。
 周りの男達はそう言うが、若者はむきになって顔が見えると言い張る。わあわあと騒ぎ始めた男達
を押しとどめ、マッドは顔が見えると言う若者に向き直る。

「顔が見えるのは分かった。で、お前にはこの顔に見覚えはあるのか?」
「え?」

 若者は呆けた顔をして、首を横に振る。

「知らねぇよ。というか、そのおっさんと一緒に映ってるんなら、そのおっさんの知り合いだろ?」

 その後、何人かにも手配書を見せて顔について聞いてみたが、反応は大体がただの染みである、と
いう反応だった。そして残りの小数が、確かに顔がある、というのだ。
 不気味な、男の顔が。
 顔が見えるという者については特に関係性はなく、男もいれば女もいたし、年寄りもいれば子供も
いた。彼らに繋がりもなく、どうやら見える人間には見える、というようだった。
 そして、彼らは顔が誰であるのか、やはり知らなかった。
 一人を除いては。