夜が来る。
  マッドの見立てでは、恐らく日が暮れて人々が疎らになった頃に、その凶事は訪れた。この、誰
 一人としていない町でも、そして生首を持ち帰った保安官にも。
  だから、何か事が起こるというのなら、それはやはり夜に起こるはずだった。
  その何か、はマッドにもまだ漠然としか掴めていない。
  ただ、その何が、が、例えどんなものであっても、それが起きた発端が何処にあろうとも、マッ
 ドにはそれを撃ち抜く自信があった。
  正直なところ、マッドにも、この町に降りかかった凶事が、背後で今は静かに立っている男が齎
 したものであるのか、判断はつきかねていた。サンダウンの身に起きた出来事は、マッドもある程
 度は承知している。
  そして、この町がその発端であった事も。
  けれども、そんな大昔――というほど昔でもないが――の出来事が、今になって発芽するとも思
 えない。大体、ディオのように、憎しみが凝り固まってそれが生物としての根本を歪めるような事
 自体が、普通はあり得ないのだ。
  事実を否定するつもりはない。
  だが、背後にいるサンダウンは、何か妙に卑屈になって、今この町で起こっている出来事が、自
 分の責任であるかのような眼をしている。
  ふらふらと揺れ動いている青い目玉に、一体どれだけの責任を背負っているつもりなのかとマッ
 ドは呆れたような気分になっていた。
  正直なところ、サンダウン一人によって成される事象など、この荒野においては微々たるもので
 しかない。サンダウンによってこの町が一度でも危機的状況に陥った事はあったとしても、結局、
 サンダウンがいようがいまいが――むしろサンダウンが保安官を止めた後のほうが、腐敗が進んだ
 のであるのなら、何一つとして変わり映えはしなかったのだろう。
  きっと、この町の人間は恨み辛みをぶつける相手を、その時々によって変えていただけだ。だか
 ら、サンダウンの事も、引き終った波のように忘れていった事だろう。
  しかし、それでもサンダウンがこの町に対して何らかの責があると思っているのは。
  マッドは背後で蠢く男の気配を感じつつ、けれども黒い眼は夜に向けて思う。
  この町がサンダウンを憎んでいるのではなく、サンダウンがこの町を憎んでいるのか。追い出さ
 れた事について、英雄の座を降りざるを得なかった事について、或いは、尊敬が侮蔑に変わる様を
 見た事について。
  それらが、今もサンダウンの中に凝り固まって、更にはこの町にも心の一端を置き去りにして。 
  だから、今、それが発芽したと思っているのか。

 「あんた、保安官って仕事がそんなに好きだったんか。」 

  暗い夜をその向こう側に孕んでいる古びた木の扉を眺めて、マッドは振り返りもせずに問うた。
 その問い掛けに、背後で気配が揺らいだ。

 「俺には理解出来ねぇな。保安官なんて仕事、楽しそうだとも思わねぇ。銀の星に憧れるガキは大
  勢いるのは知ってたけど、俺は一度も欲しいと思った事もねぇし。」

  保安官事務所で見つけた銀の星。
  保安官である事を示す印。
  本来は紛れもなく正義を為す印。
  正義の御旗と同義。
  そして、賞金稼ぎマッド・ドッグには決して関係がないもの。
  マッドにしてみればそれは、この身を縛るも、裁きの刃を鈍らせるもの、嘆きを育ちや経歴とい
 う篩によって篩い落としていくもの。
  幸も不幸も、喜悦も憎悪も、悉くを根こそぎ奪って飲み込んでいくマッドには、ただの鎖でしか
 ない。

 「でもあんたは、あの星の下にいる事が好きだったんだろ。もう、そこから追い出された癖に。放
  っておけば良いのに、この町に、自分が犯人だと思い込んで、自分で自分の首に荒縄かける為に
  戻ってきやがった。」

  マッドなら、そんな事はしない。
  勿論、自分のした事について、自分でその芽を刈り取るくらいの事はする。だが、それで自分を
 裁こうだなんて思っていない。
  マッドは嘆きの砦だ。正義の御旗が篩い落とした嘆きを飲み干す。マッドがいなくなれば、その
 役割を担う者がいなくなる事を、マッドは良く知っている。それによって起きる弊害も。だから、
 マッド自身が嘆きの元凶となった場合、マッドはその芽を刈り取りはするが、己を罰して消してし
 まおうだなんて思わない。
  サンダウンが、自分の首に賞金を懸けて逃げ惑うなんて事をしたように。
  マッドには、そんなふうには出来ない。

    「安心しろよ。多分、この町で起きた事は、あんたには関係ねぇさ。」

  根拠はないが。
  ただ。

 「あんたが原因だって言うなら、この俺が、一番最初に気が付いてるさ。」

  この町には、サンダウンを匂わせるようなものは、何一つとして残っていなかった。圧倒的な銃
 弾も、噎せ返るような葉巻の匂いも。それに、事が起きたのは、夜だとマッドは判じている。サン
 ダウンなら、サンダウンの残していった破片が引き起こしたのだというのなら、きっと、それは圧
 迫するような青空の下で行われる。
  乾いた旋風と共に。
  猟犬としての本能が、今回の獲物はサンダウンではないと吠えていた。
  現に。
  唐突に、閉じていた木の扉が打ち破られるかのように押し開いた。その音に、マッドが眼を見開
 く。いや、それよりも扉を押し倒して飛び込んできた、その物体に。
  生首。
  顔の大半を、ほとんど口にして――つまりもはや口の化け物の様相をした、少女の生首だった。
 ぱっくりと柘榴が割れるように口を大きく開き、つやつやと綺麗に並んだ白歯を繋ぐように唾液が
 垂れている。
  ねっとりと垂れた舌は、煌々と赤い。
  誰かに投げ込まれたのではない事は、少女の形相からして明白だった。
  少女は、生首は自ら飛び込んできたのだ。
  一体何の所業かは分からないが、とにかく、首だけになった少女は、獲物を求めるように飛び跳
 ね、口を何度も開閉させては歯の当たる音を強く強く響かせて。
  一直線に、マッドの元へ飛びかかってくる。
  正確には、喉笛を。
  あからさまに人智を超えた状況に、マッドが一瞬呆気に取られたのは無理もない事だった。それ
 でも銃を抜きはらった事は、賞賛に値する。
  ただ、誤算は、生首の速度はいっそ銃弾を越えるような速さであった事。
  そして、マッドの背後にサンダウンがいた事。
  マッドよりも早く銃を抜き放った男は、少女の生首という物体にも動じる事なく、銃声を轟かせ
 た。しかし、それよりも、少女の眉間を貫く音のほうが、妙に生々しく響いたのは、何故か。
  白い牙を広げたまま真っ直ぐに床に落ちた少女の顔に、同じように落ちる赤い線がぴしゃりと掛
 かった。だらだらと眉間から広がる血溜りに、しかしまだ息の根があったのか、少女の舌がひくり
 と動いた。
  それはそれは美味そうに、舌で頬を覆う血を舐めとったのだ。
  何度も、何度も。
  まるで、血の味に虜になった事を、示すかのように。
  だが、それもやがて止まる。口を開いたまま、美味いものを食べた時の笑みをそのままに、舌を
 だらりと垂らした表情で、少女はぴたりと止まった。

 「………知り合いか?」

  しばし呆気に取られていたマッドだったが、小さく嘆息してから、少女を撃ち抜いたサンダウン
 に問うた。
  恐らく、極限まで歪められた少女の顔から、誰と判別するのは難しいだろうが。
  果たして、サンダウンは首を横に振っただけだった。
  それを見たマッドは、もう一度嘆息して、動かない生首を見下ろす。

    「首だけになっても、人間ってのは生きてられるもんなのか。」
 
  普通は、不可能だ。
  けれどもそれを可能にしたのは、ディオを人間にした時に働いた力と同様のものだろうか。恐ら
 く、サンダウンはそう思っているだろう。そして、その原因の一端が自分にあるのではないかと怯
 えて、否定も出来ないまま自分を罰する方法を求めているのだ。
  マッドに命を狙われるのも、罰の一環のつもりなのだろう。
  だが、望んで与えられる罰は、罰とは言えない事をマッドは良く知っている。そして、望む罰を
 与えてやるほど、自分が優しい人間ではない事も。

    「とんでもねぇ業だな。」

  マッドは懐から葉巻を取り出し、火を点け、息を吐き出すと同時に言った。

 「俺も大概欲深だとは思ってたけどよ、流石にここまでじゃねぇよ。強欲ってのは、こういう事を
  言うんだろうよ。」

  サンダウンが問うようにこちらを見た。
  それを見て、マッドはこれはお前の責任ではないと、顔面に叩き付けた。

 「自分の身体だけじゃなく、親兄弟、町の人間全員食っちまったんだろ?強欲だろうが。」

  死体がないのは、その所為だ。血の一滴も残さず食い漁ったのだろう。足跡もなく、姿も見せず。
 保安官事務所に鍵が掛かったままだったのも、保安官は事務所から出て行ってなどはいない。強欲
 な生首に、食われただけ。

 「こいつ、俺の首筋、狙ってただろ?最初に声を封じて、それからじっくりと食うつもりだったん
  だろうよ。」

  町を追い出されたサンダウンの業とは、全く関係のない強欲。
  大方、何処かで人肉の味を覚え、それが止められなくなったのだろう。それが、これほどまでの
 怪異を生み出すほどの原動力になった事のほうが、驚きだ。多感な少女の時期であるから、止めら
 れなかったのだろうか。

 「どっちにしても、あんたには関係のねぇ事だな。あんたが人肉を食ったって話は聞かねぇし。こ
  の業は、このガキのもんだったって事さ。随分と間抜けな話だな。自分の責任だと思ってたら、
  全く関係なかったなんて。」
 「………ならば、何故お前は私を追いかける?

  唐突のサンダウンの問いかけに、マッドは一瞬顔を顰めた。
  サンダウンには罪がない事は明白だ。少なくとも、法律上は。けれどもマッドはサンダウンを追
 う。嘆きの砦としてはあるまじき行為かもしれない。
  だが、サンダウンは罰を求めている。しかし、望むべき罰を与える事は、罰にはならない。
  サンダウン・キッドというのは、あまりにも矛盾を孕んだ罪人なのだ。
  しかしマッドは、すぐに口元に笑みを湛えた。

 「そうだな、あんたにとっちゃ、追われない事が一番の罰だろうよ。」

  追われて殺される事で、きっとサンダウンは楽になる。町を追い出された憎しみも、町を護れな
 かった罪の意識も、その瞬間に昇華される事だろう。追われる一瞬一瞬、サンダウンは自分の罪が
 目減りしていく事を感じている。
  だが。

 「けど、それは永遠に終わらねぇのさ。」

  マッドはサンダウンの罪の目盛には、実は零という値がないのだと囁いた。

 「この俺が追いかけて、あんたを仕留めない以上、あんたは永遠に目減りする様子を眺めるだけだ。」

  サンダウンには、未来永劫、安寧は訪れない。マッドが死なない以上は。
  法律上は如何なる罪も背負っていないサンダウンには、賞金稼ぎに追われる事は過剰な罰だと思
 われるかもしれない。だが、サンダウンは罰を受ける事を望んでいる。
  ならば、マッドはサンダウンに望み通り罰を与えるだけだ。
  罪が目減りしていく幸福感と引き換えに、それに実は先がないという罰を。

 「さて、と俺は帰るぜ。事の顛末なんぞ、俺に説明する義務はねぇからな。ただの暇つぶしで此処
  に来ただけなんだし。未解決事件、で良いだろ、こんなもん。」

     賞金稼ぎは、ひらりと綺麗な所作で銃をしまった。