しかし、幾ら暇を持て余しているから、ただの暇つぶしだから、と言って、情報収集を怠るのは
 マッドの本意ではない。
  件の、町中の人――人間と言わず犬から猫、馬まで丸ごと消え去ったという、しかも少女の生首
 一つを残してその他は何一つとして残っていないという町に行くに当たり、如何なる下準備もしな
 いというのは、愚の骨頂だった。
  西部の荒々しい世界では、何もかもを押し潰す圧倒的な力よりも、慎重さのほうが尊ばれる。大
 勢で押し寄せるならまだしも、マッドは単身乗り込んでいくのだ。むろん、マッドは荒野において
 は頂点に君臨する立場であるが、しかしだからといって、不測の事態がないわけではない。過去の
 王者とて、不測の事態があったからこそ、敗退していくしかなかったのだ。
  故に、マッドは決して下準備を怠る事はしなかった。
  まして、明らかに事件性の高い場所に行くのである。何の知識もないまま乗り込むなど、馬鹿の
 する事である。
  なので、マッドは翌日早々にコロラド州に馬を走らせたが、目的地としたのは怪事件の起きた町
 ではなく、その町に保安官を派遣した隣の町である。隣といっても、まあ、それなりに良い距離が
 あるが。
  コロラド州と言うと、コロラド川が有名であり、南北をロッキー山脈に貫かれている事で有名で
 あるが、この地もアメリカ西部開拓時代を騙るには実に重要な土地である。
  アメリカ西部の代名詞でもあった金鉱脈――即ちカリフォルニアに行くにあたり、人々は否応な
 しにロッキー山脈を越えねばならなかった。故に、ロッキー山脈を越える為に、コロラドには人々
 が集まったのである。
  また、ゴールド・ラッシュと言えば、皆が皆カリフォルニアを思い出すだろうが、実はコロラド
 にもゴールド・ラッシュは訪れていた。所謂、パイクスピーク・ゴールド・ラッシュと呼ばれる、
 サウス・プラット川沿い、及び山の中で金が発見されたのである。
  故に、コロラド州には、わりと大きな町が点々と残っているのだ。
  とはいっても、コロラド州もゴールド・ラッシュの波が去った後の煽りを受けなかったわけでは
 なく、勿論、あちこちにゴースト・タウンが残っている。
  しかし、マッドがこれから向かう先――生首だけが残っていた町と、その生首を収容した町は、
 ゴールド・ラッシュの煽りを避けて何とか生き残っている町であった。
  だが、その内情は決して良いものではなかったようだ。
  特に、怪事件の起きた、今やゴースト・タウンと化した町は、ならず者達が跋扈していたような
 のだ。
  かつては、名保安官がいた為ならず者達は悉く罰されていた。だが、保安官とは常に一つの町に
 居続けるというわけではないし、いずれは退陣するときがやってくる。名君であればあるほど、退
 陣する事に躊躇いはないだろう。
  そして名君の後を引き継ぐのが、名君であるとは決して限らない。
  例え一つの政権の中で代替わりをしても、何処かで腐敗が生じてくるように、保安官も代が変わ
 れば腐敗が始まる事もある。ならず者と癒着する保安官など珍しい話ではないし、癒着しないにし
 ても、ならず者に蹂躙される事を良しとする保安官もいるだろう。
  その典型的な保安官を擁立した町は、その後、治安の悪化の一途を辿った。
  表向きは賑やかな市場も、それがただの喧噪に過ぎないと、誰もが気づいていたのではないだろ
 うか。外部には公に発信されないだけで。そしてその喧騒が、町が崩壊する際の断末魔の叫びに翻
 るのは、もしかしたらそう遠い昔の話ではなかったのかもしれない。
  ただ、それが起こる前に、奇妙な事件に捻じ曲げられてしまったが。
  元来がきな臭い上に、それに上塗りするように起きた奇妙な怪事件。もしかしたら、その町には
 マッドが狙っていた賞金首の何人かが、潜んでいたのかもしれない。
  尤も、今やその命の所在は全く分からないが。
  そう。マッドは、あの町にいた人間が生きているとは、あまり思っていなかった。
  大勢の人間が何の痕跡も残さずに消え去るというのは、自発的に消えたのであろうと、外圧によ
 り消えたのであろうと、とにかく難しいしかし、生きているほうが、残っているはずの痕跡は、よ
 り深いものになるだろう。だから、その分だけ、死の可能性が勝っている。
  それに。
  マッドを背に乗せて、嫌々ながら走るディオが、一番の理由かもしれない。
  スー・シャイアン族と第七騎兵隊の激闘の後、たった一頭だけ、血濡れの大地に立っていたとい
 う黒馬。主である第七騎兵隊は悉くが死に絶え、スー族、シャイアン族もまた無数の死者を出し、
 更にはその後のインディアンへの弾圧を深めたというその時、その場所に残っていた黒馬は、過去
 の憎しみと、これから起こるであろう悲劇の連鎖を吸い取って、一度は人間のならず者にまで上り
 詰めた。
  今でこそマッドの愛馬として大人しくしているものの、馬という殻を破るほどの力を持っていた
 のだ。
  そのディオが、件の町に行く事を渋っている。それは即ち、この馬でさえ脚を重くするような何
 かがあるという事だろう。
  だから、マッドは念には念を入れているのだ。
  けれども、行かないという選択肢はない。
  策もないのに突入するのは無謀だ。しかし、黙って見過ごすのはただの臆病者である。賞金稼ぎ
 マッド・ドッグは、腑抜けではない。渋る愛馬を宥めるのではなく叱咤して、荒野を駆けさせた。
  そして、辿り着いた、生首を収容した保安官がいるという町で、マッドは再び奇妙な話を聞く事 
 になった。 

 「保安官が、行方不明なのさ。」 

  手近にいた賞金稼ぎ仲間を捕まえて保安官事務所の場所を問えば、少し顔を歪めてその男は告げ
 たのだ。

 「三日くらい前から、行方不明なんだと。」
 「ならず者共にでもやられたのか?」
 「いいや、争う声を聞いた奴はいねぇな。」

  葉巻をすぱすぱと吸いながらマッドの問いに答える賞金稼ぎは、賞金首を撃ち取って換金しても
 らおうと思い、この町に立ち寄ったのだという。しかし当の保安官は行方不明で、町は大騒ぎにな
 っている。別の町に行って換金して貰おうかと考えていると言っていた。

 「気が付いたのは雇われの看守の爺さんだ。朝、仕事で保安官事務所にやってきたところ、鍵が掛
  かってておかしいと思ったらしい。今まで、自分が来るよりも遅くまで保安官が起きてこなかっ
  たなんて事はないらしくてな。んで、保安官助手を呼びに行った。」

     保安官助手と看守が事務所の鍵を開けたところ、そこには誰もいなかった。窓という窓は内側か
 ら鍵が施錠されている。鍵を持っているのは、保安官と、保安官助手だけだ。だから、保安官が外
 に出かけているのなら、別に何の問題もない。保安官が施錠をして、出かけただけの話。

 「ところが、誰一人として保安官が出かけるという話は聞いていない。それどころか、保安官の馬
  は厩に繋がれていた。そして、町の何処にも保安官はいなかった。」

  そして何よりも。

 「保安官の持っていた事務所の鍵は、事務所の中にあった。」
 「密室だってか?」 

  マッドは、数十年前に有名になったオーギュスト・デュパンを思い出しながら答えた。小説の中
 でしか意味を為さない台詞が、現実に出てくるなど思いもしなかったのだ。まして、此処は霧の都
 ロンドンではなく、赤い大地コロラドである。
  だが、現に保安官は失踪しているのだ。行方は今も、分かっていない。
     だが、ふとマッドは顔を上げた。

 「生首は、どうした?」 

  保安官は収容したという少女の生首は。
  すると、賞金稼ぎは首を竦めてみせた。

 「ああ、なんか保安官助手が騒いでたな。証拠品がなくなったって。」
  
  その台詞に、マッドは眉根を寄せた。書類がなくなったとかならともかく、生首などなくなるよ
 うなものではないだろう。まさかハゲワシが舞い降りて運び去ったとでも言うのか。
  しかし、なくなった時間は定かではないという。  
  ただ、助手が言うには、事務所に踏み込んだ時には、生首を収容した箱は閉まっていたようだっ
 たそうだ。その後、気がついた時には蓋が開いており、なくなっていた、と。保安官がいない事に
 気づいてからは、その捜索にいっぱいいっぱいだったから、その間に誰かが持ち去った可能性もあ
 る。

 「まあ、写真は撮っていたらしいから、それで何とかするのかもな。」
 「なんとかっつってもなあ。」

  実物と写真では、分かる事と分からない事の差が大きすぎる。
  しかし、

 「写真があるのか。」

  マッドは思いついたように言った。

 「その写真、誰が持ってるんだ?」 
 「誰がって……助手とかが管理してんじゃねぇのか?まだ新しい保安官は赴任してねぇし。」 
 「そうか。」

     踵を返したマッドに、賞金稼ぎの男は、写真を手に入れるつもりなのか、と不思議そうに問うた。
 それはそうだろう。生首の写真など見ても、何にもならない。
  だが、マッドはそれには答えず、さくさくと保安官助手の元へと歩き始めた。




  数時間後、マッドが保安官助手を脅したり宥めすかしたりして手に入れた写真には、平凡な、茶
 色の巻き毛の少女が、まるで眠っているかのように眼を穏やかに閉じて鎮座していた。
  ただし、首から、上だけの。